壱話
気づけば深い緑に覆われていた。
「っ…痛たい…」
ここは何処だろう。
わたしを痛めつけてきた奴らは、もう追いかけてこないんだろうか……。痛い。身体中がすり傷まみれで痣だらけだった。足はもう動きそうにない。左肩がとても痛い。長いこと走ってきたため、息が上手くできない。
一刻程前は、わたしは墓場にいた。
わたしには親も兄弟もいないため、まだ七つの幼いわたしは毎日食べ物に困っていた。食べなければ死んでしまうので背に腹は変えられず墓場の供え物などを食べて食いつないでいた。
しかし。一刻程前に墓場にいつもは居ない妖怪が二人いた。
二人とも似た容姿をしていてあまり強そうではなかった。というかそこまで強い妖怪では無かったんだろう。普通に強い妖怪にわたしみたいなチビが殴られたら一溜りもないし、今頃わたしは居ないだろう。
その見馴れない妖怪は、わたしを見つけて何を考えたのかわたしの腕を掴んだ。抵抗する暇は無く、されるがままにした。
妖怪はわたしの腕を掴んだ瞬間に反射的に手を離した。
わたしの腕を掴んだ妖怪の手が腐り落ちてしまったからだ。妖怪は俺に何をしたんだ。と辺りに落ちていた棒を手にしてわたしを殴った。何発も殴った。
わたしは何もしていないので、なにもしていない。知らない。わからない。を殴られるたびに口にしたが、聞き届けられなかった。このままでは死んでしまうと思い、やっとの思いで命からがら逃げてきたのだった。
しかし、もう駄目だろう。
わたしはきっと助からない。わたしが逃げてきたのは、多分山のどこかだ。山に慣れていない者が山に闇雲に入ればもう
下ることは難しいし、見たところこの辺りには傷を癒す効果のある草花生えていないようだった。探せばあるのかもしれないが、わたしはもう動けない。そして幸い今は天気が良いが、山の天気は変わりやすい。雨が降れば病にかかってしまう。しかし、雨風のしのげる場所を見つけるのも危険だろう。そういった場所には大体強い妖怪がいる。
わたしが死ぬのは時間の問題だろう。
「……死ぬ…のか…」
今まで何回も飢えて死にかけたけれど、こんなに死が近かったことは無い。わたしは死ぬんだ。
「……兄様…。」
そう呟いたとき、奥の木々がガサガサと音を立てて揺れた。
音の大きさから私よりも大柄な何かが通っているのが分かる。妖怪か動物かのどちらかだろう。どちらにしろ見つかれば助からない。わたしはごくりと生唾を呑んで息を潜めた。
「おい。そこの。」
なめらかで上品な男の人の声がわたしの頭の上から聞こえてきた。気づかれたか。わたしは俯いてただ迫り来る死への恐怖に怯えた。こわい。死ぬのはとてもこわい。
「おい。お主。お主に申しているのだぞ。」
わたしは相手の機嫌をとることができない。苦手なのだ。
だからいつも殴られてきた。だからわたしは相手が興味を無くすまで顔をあげない。
「……お主なぁ…」
そういうと、腕の影が私の身体の影に伸びるのが見えた。
駄目だ。わたしに触ったら…!
「さ、触らないでっ!!」
「……何故だ。」
「わたしに触ると手が腐ってしまう!触らないで!」
「ほぉ…。」
相手は納得したようで、場には静寂が訪れた。
もう行ったのか?そう思いわたしは顔を僅かにあげてみる。
目の前にいたのはとても綺麗な妖怪だった。銀色掛かった白い長髪に、白く透き通った肌。そして満月みたいに輝く黄金の瞳。こんなに美しい妖怪が居るものなのか。わたしは目の前の妖怪に目を奪われた。
そして、ふと肩に痛み感じた。負傷した方の肩だ。
肩に目をやると、白い綺麗な手だ。私の傷だらけの汚れた手ではない。この恐ろしく美しい妖怪の手が今当に私の肩に触れているのだ。
「っつ!?何して…!」
「なるほど…私にはなんとも無いようだな…。」
肩に触れる手は、先程となにも変わらず白く美しいままだ。
どこも腐っていない。
「嘘っ…な、なんで!?」
「さぁな。お主…暫し動くでないぞ……。」
「痛っ!!い、いたい…」
触れるだけだった手は、今度は手にぐっと力を込めて肩を掴んだ。痛い。まさかここで殺されてしまうんだろうか…。
そんなことをしばらく考えていたら、麻痺してしまったのか肩の痛みはほとんど感じなくなっていた。いや……ちがう。これは…肩が治っている?
「肩の調子はどうだ?幾分ましになったであろう?」
「えっ…、な、治したの…?」
「まだ完治はさせていないが、少し動かしてみると良い。」
「うん…」
すごい…。少し痛みはあるけれど、動かせない程に痛めつけられた肩がほとんど治っている。
「す、すごい治ってる…!」
「そうか。それは良かった。……足は立つか?」
「……?」
足はしばらく休ませていたからか、動かなかった足は歩けそうなくらい元気になっていた。わたしは言う通りに立った。なんだか肩を治してもらったときから、全身の痛みが大分なくなっている。これもこの妖怪のおかげなのかな…。
「どうして立つの?」
「お主ここにずっと腰を下ろしているつもりか?」
「うん…。そのつもりだったよ…」
「…死ぬつもりか?」
「違う。死んでしまうところだったの。」
「そうか。」
彼は少し申し訳ないような顔をしていた。
そんなに風に思わなくても良いのに。
「お主はどこから来たのだ?」
「墓場からだよ」
「親はどこにいる?」
「親は居ないの。兄弟もいない。」
「……。」
ここで会話は途切れ、ついてこい。と一言だけ言うと彼は歩き出した。わたしは大分軽くなった心と身体で彼の背中を追いかけた。