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夢?

作者: 安藤 淳


五十年後の再会

                        

 周一は苛立っていた。嫁とのいさかいも、遅々としか進まない歩みも、何もかもが周一を不機嫌にさせていた。昨日、桜の枝にようやく芽が出始め、春の訪れを肌で感じた。今日もそれを見るのを楽しみにしていたのだが、もう、どうでもよくなっていた。

 公園に到着し、いつもの指定席に腰掛ける。杖を握った手の甲に顎を載せ、大きく息をした。ここで、一服出来れば申し分ないのだが、鬼嫁に隠し持った煙草を奪われたのだ。

「今度、脳梗塞を起したら大変なことになるの。煙草は駄目」

鬼嫁の情け容赦ない顔が浮かぶ。

 周一はしかたなく、指に煙草を挟んだつもりで口元にもってゆき、大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと吐き出す。煙草を売っている店まで足を伸ばそうと思ったが、とても辿り着けそうもなかったのだ。


 公園は、子供達の天国だ。母親たちはあちこちで話に花を咲かせている。子供達は子供達で、それぞれ、砂場で穴を掘り、ブランコに揺られ、追いかけっこをする。楽しそうな笑い声とぎこちない動きで精一杯生きる喜びを表現している。周一は深い息を洩らした。

 ふと、一人の少女の視線に気付いた。じっと周一を見詰めている。幼稚園に上がる少し前くらいの年齢だろうか。周一は少女に微笑んだ。少女もそれに応える。少女はおずおずと近づいてくる。周一は大げさに笑顔を作る。少女は、はにかみ、さらに近づく。少女が周一の前に立った。そして声を掛けてきたのだ。

「お爺ちゃんのお名前は相良周一?」

 周一は驚いて少女の顔をじっと見た。近所の子供かと思って、その顔を思い浮かべようとしたのだが、何も浮かんでこない。舌打ちしていると、また、小さな唇が動いた。

「私、彰子・・・覚えている?」

 周一は鳥肌がたった。彰子と言う名は、周一にとって特別な名前だったからだ。動悸が激しくなり、息が止まりそうになった。

「君は、彰子なのか、本当に彰子なのか?」

「うん、今は違う名前なの、でも、昔は井上彰子」


 一瞬にして、50年ほど前の記憶が蘇る。公園のベンチに座り、彰子がすすり泣く。周一はその横で、荒い息をして怒りを顕にしている。彰子が泣きながら言った。

「私と別れると言うの?一時の怒りで、二人の仲をお終いにしてしまうの?」

「一時の怒りじゃない。もう、うんざりなんだ。君の顔などもう見たくない」

 周一はその場を離れた。どのくらい歩いただろう。冷静になるに従い、自分の行動を後悔し始めていた。いつものちょっとした口喧嘩だった。どのようないさかいだったのか思い出せないが、周一は、受験に失敗し、その苛立ちを彰子にぶつけてしまったのだ。

 これからの一年を思うと、目の前が真っ暗だった。ましてこのままずるずると彰子との関係を続けることが、受験生の周一には負担に思えてもいた。しかし、甘美な思い出も捨てがたかったのだ。

 周一は立ち止まると踵を返し、公園にとって返した。しかし、彰子の姿はない。まだ追いつけると思い、駅に向かって歩いた。急ぎ足で歩いたのであっというまに駅ついた。プラットホームまで降りていったがそこにもいな。周一は駆けだしていた。公園から遠いもう一つ駅に向かったのかと思ったのだ。しかし、その日、彰子の姿を見出すことができなかったのだ。

 その夜、彰子の家に電話を入れた。周一との交際を快く思っていない母親の声が響く。

「彰子はまだ帰っておりませんの」

 一時間後も、二時間後も、同じ答えだった。既に十一時を過ぎているというのに。その日、周一は部屋で膝を抱えて泣いた。


 ふと、我に返り、周一は尋ねた。

「でも、彰子、どうして君は子供なんだ?」

 きょとんとして少女が答える。

「だって4年前に生まれたばかりだもの」

 周一はすぐに理解した。彰子は死んだのだ。同じ年だったのだから75歳で死を迎えたことになる。そして、少女に生まれ変わり、たまたま周一と出会ったのだ。周一は彰子の小さな手を取ろうとした。彰子が後退ざる。更に手を伸ばす。その時、上体ががくっと前に倒れた。


 周一ははっとして、あたりを見回した。目の前に少女の姿はない。杖に載せていた顎がはずれて落ちたのだ。杖を握る手の甲に涎が浮いている。どうやら夢を見ていたらしい。

 思わず苦笑いを洩らした。おかしな夢を見たものだ。生まれ変わりなんて信じていたわけではないのに、夢の中で、その気になってしまった自分がおかしかった。

 「よっころしょ」と口に出し、ゆっくりと立ち上がった。そして深いため息をついた。周一は嫁を怒鳴りつけたことを後悔していた。嫁は周一の健康を考えて言ってくれているのだ。そんなこと分かっているのに、嫁に苛立ちをぶつけてしまった。帰ったら謝ろうと心に決めた。しかし、どう謝ったらいいのか言葉が見つからない。周一は人に謝ることに慣れていなかった。


 杖をつき、ゆっくりとした足取りで老人が公園を遠ざかる。その後姿を、少女がじっと見詰めている。母親が少女に声を掛けた。

「あのお爺ちゃんとお話していたけど、知っている人なの?」

「うん、ずっと昔、好きだった人なの」

「えっ、それって、どういうこと?」

「これって、すごく遠い昔のことなのよ。でも、だんだん思い出が遠くにいってしまうみたい」

「…? 何を馬鹿なことを言ってるの。さあ、夕飯の買い物だぞ。香子、何が食べたい?」

少女が目を輝かせた。

「うーん・・・香子、ハンバーグがいい」


 数日後、老人と少女は公園で再び出会ったのだが、何事もなかったようにすれ違った。老人の顔は、いつかの険しさとは打って変わってにこにことしている。煙草を一本、隠し持っていたからだ



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― 新着の感想 ―
[一言] 安藤淳さま   読ませてい頂きました。 とてもいい話だと思います。心が物語世界の中へふんわり持っていかれました。文章も書き慣れた人なのでしょう。秀逸な掌、と読み終えて実感しました。 それだけ…
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