1.「ねぇ、あと少しだけ」
「ねぇ、本当に君魔物なの?」
少年がくすくすと笑っていた。いかにも楽しげに。
「そ、そうです」
「そんなに泣き虫なのに?おかしいね」
少年はナギの髪を指先でつまみあげると、力を余り込めずに引っ張った。
「やめて下さい」
ふるふると力なく首を振って抵抗の意思を示しても、そんなことなど彼を抑止する力には繋がらないのだった。
ますますと笑みを深めると、少年はつまみあげた髪の毛の先を自分の指に器用に巻きつけて遊びだす。
「やめて下さい?……本当におかしいね。君は魔物なんだろう? そんな風にお願いなんてしないで、僕の手から勝手に奪い返せばいいじゃないか。ほら、簡単なことだろう?」
ねぇ? と楽しそうな光を目に浮かべて、少年は言った。
ナギがそんなことできないことを分かっていて、その上での言葉だった。
「巷で君のことをなんと言っているかを聞いたよ。色っぽくて高慢で気位の高い美女ナガネキ様――――なんだってね?……ねぇ、どこが?」
教えて、と少年は耳元で囁く。
「どこがって・・・・・・」
「噂って当てにならないね」
少年はナギの髪をぱっと手放すと、床に座りこんで泣いているナギの顎を指先でくいと持ち上げた。
「君は弱虫で、泣き虫で、寂しがりやだ。特別な力なんてもっていない、只の脆弱な人間である僕の手をふりほどくことすらできない」
そうして、彼はナギの額にそっと口付けを落とした。
彼女は抗わず、素直にそれを受けるだけだった。
少年――――パック=ノランは脆弱な人間でありながら、ナギの上位に立っているのだった。
魔界において、少年はナギの愛玩物という位置づけであり、ナギは彼の主人という立場であったが、真実はその逆だ。
初めて出会ったときから、もうナギは彼の虜だった。
どうしてだろう?
確かに彼は脆弱な人間で、彼女は彼など一呼吸する間に屠ることも叶う力ある魔物だというのに。
彼の眼差しにさらされているだけで、彼女は呼吸すら儘ならないほどだ。
思考が止まりそうになる。自分の手足も思い通りにならない。
『色っぽくて高慢で気位の高い』演技も板につき、素を隠すことなど造作なかったはずの自分はどこにいったのだろう?
魔物としてふさわしくなろうと虚勢を張って演技していたが、それは上手くいっていると思っていたし、彼が現れるまではこれからも巷のイメージする『ナガネキ様像』は維持できると信じていた。
色っぽくて高慢で気位の高い美女ナガネキ様――――世間での彼女イメージはまさしくそれで、彼女もそのイメージを損なわぬよう注意深く振舞っていたのだ。中身は全く真逆であったにもかかわらず。
彼女は影で泣くことはあっても、人前で泣くことは無かった。
『魔物らしくないから』。
それなのに、彼の前では全てを曝け出してしまうことを止められない。
出会いがいけなかったのだろうか?
彼と初めて出会ったとき、彼女はやはり泣いていた。
パックは脆弱な人間な癖に、魔物である彼女に近づき、なだめるように背中を撫でてくれた。
「女の人が泣いていたら、慰めるものだろう?」
そんな風にいって。
後から、「好きな女の子なら慰めるより泣かせたくなるけどね」とも言っていたけれど。
彼の方が彼女より余程魔物らしいのではないかとナギは思う。
ナギのような心の弱い者が魔物であること自体が間違いなのかもしれない。
「可愛い可愛い泣き虫の"ご主人様"? さて、今日はどんな風に遊ぶ?」
とってつけたようなご主人様、の響きが憎らしい。
それなのに、少年の声で心が震えてしまうのを止められない。
「返事がないと勝手に決めてしまうよ? ねぇ、あと少しだけ待ってあげるから、言いたいことがあるなら何か言ってご覧? いえないの?」
口を挟む隙を与えてくれないくせに、そんなことを言う。
ナギが口を開こうとすると、彼は彼女が何か言葉を口にする前に、
「時間切れだ」
そういって笑った。
「……そうだね。君が持っている装飾品の中に、力を封じるアイテムがあった気がするな。あれをつけたらどうだい? それで鬼ごっこしようか。そうでなければ僕に勝ち目が全くないからね。もし、君が時間内に僕に捕まらなかったら君の勝ち。僕に叶えられる範囲の願いなら、一つ叶えてあげる。代わりに、君が時間内に捕まえられてしまったら、君は僕の願い事を一つ聞く。簡単だろう?」
返事は? と問われてナギはすかさず頷いた。
余り時間を置けば、今度は彼が何を言い出すのかわからない。
「いい子だね、ナギは。じゃあ、今から君の力を封じるアイテムを探しにいこうか。勿論、君がどこかの馬鹿な魔物に狙われるのは嫌だから、危なくなったら外してもいいけれど、もし外したら鬼ごっこはその時点で君の負けだよ? いいね」
「はい」
「じゃあ、行こうか」
にっこりと極上の笑みを浮かべて、パックはナギに手を差し出した。
そっと手を重ねれば、パックはぐいと手を引いてナギが立ち上がるのを手伝ってくれた。
二人並ぶと、わずかに彼のほうがナギよりも身長が低いのがわかる。
当然だ。人間である彼は、彼女の何分の1も生きていない。
彼女にとっては瞬きするほどわずかな、10年と少ししか彼は生まれてから今まで過ごしていないのだ。
「鬼ごっこが終ったらおやつにしようね。昨日仕込んでおいたクッキーの種があるよ。あれを焼いてあげる。君のために」
だから鬼ごっこに負けても泣いちゃダメだよ、とパックはナギの頭を優しくなでた。
彼は自分が負けることをちらりとも考えていないようだった――――そして、その予想は間違っていないだろうとナギも思った。




