愛されたいので契約結婚は謹んでお断り申し上げます
「きみを愛することはない」
その言葉を聞いた途端、頭に激しい衝撃が走った。
ぐわんぐわんと鐘のような音が鳴り響き、思わず目をつぶってしまうほどの痛みに片手で額を押さえる。
「……顔色が悪いようだが」
目の前の男性が、少し困惑したように話しかけてくる。
わたしは頭痛が治まるのを待って、ゆっくりと目を開けた。
そこにいたのは、艶やかな黒髪にルビーのような美しい紅い目をしたイケメンだ。
何度まばたきしても、彼はそこにいる。どうやら夢ではなさそうだ。
それからゆっくり部屋を見回す。二十畳ほどの広さだろうか。
ここは我が家の応接室だわ。
彼とは向かい合ってソファに座っている。目の前のテーブルには紅茶のセットが置いてあるけど、彼のカップは中身が減っていない。
「公子様が爵位を継ぐためには妻が必要だというお話でしたね」
まだ若干の痛みが残る頭を軽く押さえながら、確認のように呟いた。
「……その通りだ」
「そして我が家はお父様が投資詐欺に遭ったため、金銭の支援を必要としている……」
言いながら、さっきとは別の頭痛を感じる。
何だってまたこんな親のもとに生まれたんだか。
(……また?)
「アンジェラ嬢?」
名前を呼ばれ、目の前が白く光り、長いトンネルを抜けたような気分になった。
そうだ、わたしはアンジェラ・ヴァン・ブラック……ブラック子爵家の次女。
でもそれだけではない別人の記憶が、頭に流れ込んでいる。
コンクリートの地面、高層ビル、満員電車に、激しく行き交う車のクラクションの音、横断歩道を渡り歩く人々の足音、駅の改札、電車の発車を知らせるベル……さまざまな情景とけたたましい音が脳内に響き、再び頭痛が襲ってくる。
ええっと、佐伯しのぶ……それが私の名前だったはず。でも今のわたしはアンジェラだって認識もある。
え、これって前世ってこと? それともアンジェラって女の子に転生したの?
うわー。もろ漫画じゃん。休憩時間や休みの日に読み漁ってたスマホ漫画のまんまじゃん。
やり込んでた乙女ゲームとか死ぬ間際に読んでた小説って設定とは違うんだ。
今のところ、私はまったく知らない世界。
だけどアンジェラとしての十六年分の記憶はしっかり残ってて、そこに佐伯しのぶとして生きてきた二十九年間の記憶が混ざりあっている。
転生……ってことは私、死んだのか。あのくそな元カレのせいで……あ、ちょっとその辺の記憶はまあ、置いておくとして。
ひとまず今のこの状況を整理しなくちゃ。とんでもなく不審な目で見られてるし。
「わたしを愛することはない、とおっしゃいましたね」
「……ああ」
うーん。ほんの少し気まずそうな表情をしたっぽい。さすが高位貴族は感情を隠すのが上手なのね。
目の前の彼が侯爵家の嫡男、ジェラルド・アーサー・ブライトウェル、御年二十三歳ということも、アンジェラの記憶が教えてくれる。黒髪に赤眼なんて、ファンタジー要素たっぷりね。もしかしてこの世界って魔法とかもあるのかな。
あ、だめだめ。思考が脱線しちゃった。
「借金をするような家の娘だから愛せないということでしょうか」
「何?」
「それともわたしの見た目はまったくの好みではないということでしょうか」
「いったい何を」
「もしかして……どなたか心に決めた方がおられるのですか」
彼の困惑を無視して畳みかける。
いや、だってそうでしょう?
わたし、アンジェラはまだ十六歳だよ?
愛さないって言われてはいそうですかって受け入れられるものじゃないでしょ?
納得できる理由を言ってくれなきゃ。
「そ、そういうわけでは」
「へー、そうなんだ」
目が泳いで、動揺、隠せてないぞ。
まさかそんな風に突っ込まれるとは思ってなかったって感じね。
二十三歳なんて、私にしてみたら後輩とか弟とか、そんな感覚よ。可愛いもんよ。
「親友の恋人とか兄弟の奥様とか、その辺りでしょうか」
漫画ならそういう展開も定番だもの。
あてずっぽうで言ってみたものの、ジェラルドの目元が赤くなっている。図星ってか。
「どういうつもりか聞かせてもらおうか」
そんなすごまれたらアンジェラ(の体)がビビっちゃうでしょう!
アラサーの私ですらさすがにちょっと怖いんだから!
「公子様はお兄様がいらっしゃるのに次期当主となられます。おそらくお兄様のお体の具合があまり思わしくないからと推測しますが……」
ぎりっと奥歯を噛みしめる音が聞こえる。それが答えなのね。
「いずれその方を妻に迎えるつもりで、ですがそれがいつになるかは分からないし、事情が事情だけに、早くと望むわけにはいきません。それよりは先に当主となっているほうが都合がいい。だけど当主になるには妻が必要。そしてその時が来ればわたしは離縁され、放り出される。つまりわたしは体のいい隠れ蓑ということですよね」
やだ、こうやって言葉にすると、あまりの屑っぷりに自分の目が半分据わってきちゃったのが分かるわ。ジト目ってやつね。
「放り出すなど」
「離縁するつもりではないと? ではわたしはこの先もずっと夫となるあなたに愛されることもなく、別の人を想うあなたと暮らしながら侯爵夫人としての役目を果たす傀儡。飼い殺しということでしょうか」
「何ということを!」
「それに、もしその方がわたしを気に入らず冷たくされたら、誰が味方になってくれるのでしょうか」
「彼女はそんな真似をする人間ではない」
契約とは言え仮にも結婚を申し込んでいる女性の前で、別の女性を庇う男に何の魅力があるのだろうか。
私は彼の言葉には答えず、別の懸念も口にする。
「それに、主人にないがしろにされる妻を、使用人はどう思うでしょうか」
「ないがしろになどするつもりは」
「愛するつもりがないということは、そういうことでしょう。たとえ取り繕ったとしても、綻びは出ますし、人には目線ひとつ、言葉ひとつで伝わります」
「何不自由のない生活は保証すると言っているではないか」
「……ぷっ。愛がないのに?」
「っ!」
あは。思わず吹き出しちゃった。
ジェラルド君、怒ったかな。こめかみに血管浮いてきてますよー。
「公子様。もはやお金のない我が家が言えた義理ではありませんが、お金があればそれだけで幸せとは限りませんし、少なくともわたしは、家族となる人からは愛が欲しいです」
そりゃあお金なんてあるにこしたことはないのよ。それは当然。だけど私はそれだけじゃ嫌。単純なお話。
それに、アンジェラの心の奥深くにも、同じような思いがうずくまっているのを感じる。だからこそ、私がわたし、アンジェラとして生きていくためにも、譲れない部分は伝えておかなくちゃ。
まあ、契約前に正直に話してくれたことは誠実と言っていいのかもしれない。
だけどやっぱり納得できる理由じゃなかった。だから契約は結ばない。結びたくない。
目の前のジェラルドが肩を震わせている。怒りを耐えてる感じかしら。
「きみは……ブラック家がどうなってもいいというのか」
「はあ。次は脅迫ですか。まぁそちらも切羽詰まっているのでしょうしお気持ちは分かりますが、誰でもいいなら何も未来ある若い女性じゃなくてもよいのでは? お金さえ払えば何をしていいと思っておられるなら認識を改めることをお勧めしますわ」
「私を人でなしのように言うんだな」
「お気に障ったのなら謝罪いたします」
でも援助にかこつけて十六歳の女の子相手に結婚しようとしてるのよね。
しかも愛のない契約結婚を強いるだなんて。
そういうのはお互いに利害のある関係じゃないと成り立たないのよ。少なくとも借金のカタにされそうな女の子相手ではだめってことよ。
本当なら謝罪もしたくないし、撤回なんて絶対しないわ。
「これは契約だ。貴族の結婚に愛などない、そういうものだろう」
「……愛する人への想いは捨てない。でも当主の座は手に入れる。もしかしたらいずれその愛する人と結ばれるかもしれない。金銭的負担以外、この契約は公子様にだけメリットがあって、不公平です。それでは契約といえません」
「それは……、だが子爵家にとっては得難い縁だと思うがな」
「確かにおっしゃる通りです。ですが……借金のカタに売り飛ばすような親に、何の情が湧きましょう。勘当され名を捨てることになっても、それは甘んじて受け入れます」
「何だと?」
「正直に申し上げます。わたしはこれまで家族から愛情というものを向けられたことがありません。ですから夫となる人とは愛し、愛される間柄でいたいのです。そう願うことの何がいけないのですか?」
「きみは……」
「子どもの戯言だと切り捨てていただいて構いません。わたしの願いはただそれだけ、というお話をしているだけです」
佐伯しのぶだった頃も、親とはうまくいってなくて絶縁状態だったし、アンジェラとなった今だって親とはうまく関係を構築できてないみたい。そういう星の元に生まれたってことよね。こればっかりは仕方ない。相性があるのよ、家族だって所詮は他人なんだし。
だからこそ、自分で選べる伴侶とは愛があってほしいのよ。
「あなたは、ほかの人への想いを抱いたまま結婚し、妻となる相手を愛そうという努力すらしないとおっしゃる。わたしは愛されたいので、この契約は条件が合いません。というわけで、謹んでお断り申し上げます」
立ち上がり、頭を下げた。最敬礼の九十度。いわゆるカーテシーとは違うけど、まあいっか。
問題はこのあとよね。
父、つまりブラック子爵がどんな反応をするのか、背筋が冷たくなる。
鞭打ちとか、食事抜きとか、そういうDVならまだ耐える道もなくはない。嫌だけど!
最悪、家から放逐されるとして、問題はどうやって生きていくか、よね。
仕事はすぐに見つかるかしら。住む場所も問題よね。元貴族の十代の女の子に家なんて貸してくれないだろうし。
住み込みの仕事があれば理想なんだけど、アンジェラにできる仕事って何かしら。家庭教師とか?
向かいの彼が無反応の間、そんなことが頭を巡った。
「確かに、きみの話は尤もだ。私の申し出は無神経で身勝手極まりないものだった」
(……えっ)
うそでしょ?!
目の前で、ジェラルドが頭を下げている。次期侯爵が、たかが子爵令嬢に謝ったっていうの?
いや、それを言うならたかだか子爵家の娘が格上貴族に喧嘩売るみたいな真似をしたことのほうが問題視されそうなんだけど。不敬罪で処刑とか、ないよね……ね?
「きみはおよそ十六歳とは思えない胆力がある。私としてはこの申し出を撤回する気はないが、一度仕切り直しをさせてほしい」
「は?」
「きみの出した条件について、しっかりと考える時間が欲しいということだ」
左手を取られ、彼の口元へと運ばれていく。まるでスローモーションでその動きを見ながら、手の甲に唇が触れるのを視認した。
っぎゃ!
これ、漫画でよく見るやつ! 実際にやる人いるんだ?!
しのぶの脳内は大興奮ですイケメンのキッスありがとうございます。それが現実に自分の身に起こっていることとは到底思えませんが!
「子爵には私から話をするから心配はいらない。万が一にもきみが路頭に迷うようなことはない」
「そ、それはありがたいですが」
「それから、……あー……、きみのキャラメルブロンドの髪は美しいし、新緑を思わせる瞳も、くるくると変わる表情も見ていて飽きない」
「え、そ、は、ちょ、え、……は?」
ジェラルドがこの日、初めて笑顔を見せた。しかもちょっと赤面してる。
何そのはにかみ! 顔面偏差値たっか! 破壊力えっぐ!
やめてよ、私こう見えて(?)ダメンズホイホイでチョロいんだから! イケメンには弱いんだから!
「これほど臆することなく私に意見できるものは多くない。日を改めてまた会おう」
私の知ってる二十三歳はこんな色気ないんだけど?!
震える脚で、何とか彼を見送った。
ジェラルドとアンジェラが新しい契約を結ぶのは、そう遠くない未来のお話。
読んでくださりありがとうございます!
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