第9話:渓谷の最深部で待っていたもの
嵐が過ぎ去った渓谷は、まるで別の場所のようだった。
岩肌が水で洗い流されて光を反射し、あちこちに小さな滝ができている。空気は冷たく澄み、深呼吸するだけで体の内側まで浄化されるような清涼感があった。
「綺麗……」
フィーネが足を止めて、岩壁を流れ落ちる水に見入っている。
「嵐の後だからね。普段はこんなに水量はないと思う」
「でも足場が濡れて滑りやすいから、気をつけて」
セレナの忠告通り、岩場は水浸しで歩きにくい。慎重に足場を選びながら、渓谷の奥へと進んでいく。
道中、ロックリザードが五匹、ストーンパイソンが二匹出現したが、昨日までの連携で問題なく処理。三人のチームワークは、もはや完成の域に近づいている。
渓谷に入って二時間ほど歩いた頃。
鑑定スキルが、異常を捉えた。
「止まって」
俺の声に、二人がぴたりと足を止めた。
「前方に……大きな魔力反応。今までのとは桁が違う」
「どのくらい?」
「フォレストベアの変異種の、三倍以上」
セレナの顔が強張った。フィーネも短剣の柄に手をかける。
「それだけじゃない。その反応の周囲に、小さな魔力反応が無数にある。二十……三十……数えきれない。これが魔獣増殖の原因か」
「つまり、親玉がいて、そいつが魔獣を増やしてるってこと?」
「たぶん。鑑定の情報だと……」
目を細めて、情報を読み取る。
「――魔瘴核。地脈の魔力が一点に凝縮されて、周囲の生物を魔獣化・増殖させる現象。核そのものが意志を持ち、守護獣を生み出す」
「守護獣?」
「核を守る存在。それが前方の巨大な反応の正体だろう。核を破壊すれば魔獣の増殖は止まるが、守護獣を倒さないと核に近づけない」
「守護獣の種類は?」
「……ストーンゴーレム。推定体高八メートル。Aランク相当」
沈黙が落ちた。
Aランク。
俺たちのパーティーの平均ランクはC。二ランク上の相手だ。
「……撤退する?」
セレナが冷静に聞いてきた。正しい判断だ。無理に戦う必要はない。ギルドに報告して、Aランク以上のパーティーに任せればいい。
だが。
「核を放置すると、魔獣の増殖が加速する。鑑定で見る限り、核の成長速度がかなり早い。一週間もすれば、守護獣がもう一体生まれかねない」
「一週間……それは猶予がないわね」
「ギルドに戻って報告して、Aランクパーティーが出動するまでに最低三日。それからここまで来るのに一日。合計四日。間に合うかもしれないけど、ギリギリだ」
「リーナさん」
フィーネが、真剣な目で俺を見た。
「リーナさんは、どうしたいですか」
「……正直に言うと、やれると思ってる。三人の連携なら、Aランク相手でも戦術次第で勝機はある。ただし、リスクが高い。フィーネちゃんとセレナに危険を強いることになる」
「私は戦います」
フィーネが即答した。
「リーナさんがやれると思うなら、私はリーナさんについていきます」
「フィーネちゃん……」
「私も同じよ」
セレナが杖を握り直した。
「あなたの判断を信じるわ。一ヶ月以上一緒に戦ってきて、あなたの判断が間違ったことは一度もなかった」
「……ありがとう。二人とも」
胸が熱くなる。信頼してもらえることが、こんなにも力になるとは。
「よし。作戦を立てよう」
岩場に腰を下ろし、地面に簡易的な地図を描く。
「守護獣はストーンゴーレム。岩でできた巨大な人型の魔獣だ。弱点は体の中心にある核。ただし、外殻の岩が極めて硬い。普通の攻撃では砕けない」
「フォレストベアの時と同じ?」
「もっと厄介だ。あの時は魔力防壁だったけど、今回は物理的な装甲。しかもゴーレムは再生能力がある。外殻を壊しても、時間が経つと修復される」
「じゃあ、どうするの?」
「一撃で核まで到達する攻撃を叩き込むしかない。螺旋炎槍の強化版――いや、もっと上の複合魔法がいる」
頭の中で計算する。風と火の複合魔法だけでは、八メートルのゴーレムの装甲を貫通するのは難しい。もう一つ、属性を加える必要がある。
「三属性複合……風、火、土」
「土?」
「土魔法で装甲の構造を内側から脆くする。岩の結合を緩めてから、風と火の複合魔法で一気に貫通する」
「三属性同時制御って、できるの?」
「やったことない。でも、理論上はできるはず」
「理論上って……」
セレナが不安そうな顔をした。
「リーナちゃん。失敗したら?」
「魔力が暴走して、最悪俺の腕が吹き飛ぶ」
「却下。絶対ダメ」
「冗談だよ。たぶん」
「たぶんって何よ!」
「大丈夫。風精の耳飾りがある。これで風属性を増幅すれば、制御の余裕ができる。三属性でも、いける」
「…………」
セレナが俺の目をじっと見つめた。数秒の沈黙の後、ふっと息を吐いた。
「わかった。あなたを信じる。でも約束して。絶対に無茶はしないって」
「約束する」
「フィーネちゃんもいい?」
「はいっ。リーナさんが核を撃つまでの時間、私が時間を稼ぎます。絶対に」
「よし。じゃあ作戦を詰めよう」
三十分かけて、細かい動きまで打ち合わせた。
フィーネが前衛でゴーレムの注意を引きつけ、セレナが氷魔法で関節部を凍らせて動きを鈍らせる。その間に俺が三属性複合魔法を構築し、一撃で核を貫く。
シンプルだが、一つでもミスがあれば崩壊する作戦だ。
「行こう」
◇ ◇ ◇
渓谷の最深部は、巨大な円形の空間だった。
直径百メートルはある天然のアリーナ。その中央に、紫色に脈動する結晶体――魔瘴核がある。
そして、核の前に。
それは、立っていた。
八メートルの岩の巨人。人型だが、人とはかけ離れた異形。両腕は地面に届くほど長く、胸の中央に赤い光が脈打っている。それがゴーレムの核だ。
「でか……」
フィーネが呟いた。彼女の身長の五倍以上。見上げるだけで首が痛い。
ゴーレムの目が、赤く光った。
俺たちに気づいた。
「グオオオオオオッ!!」
大気を震わせる咆哮。岩壁がびりびりと振動する。
「散開!」
俺の号令で三人が動いた。
フィーネが正面から突進する。ゴーレムの巨大な拳が振り下ろされた。地面に着弾し、岩場が砕け散る。衝撃波で砂塵が舞い上がった。
だがフィーネはその一撃の下に潜り込んでいた。
「はぁっ!」
ゴーレムの足首を二刀で斬りつける。短剣の刃が岩に火花を散らすが、傷は浅い。しかしフィーネの狙いは別だった。
「ここっ!」
関節の隙間――岩と岩の繋ぎ目に刃を突き込み、一瞬でバランスを崩させる。八メートルの巨体がわずかに傾いた。
「セレナ!」
「氷結陣・拡大!」
セレナの最大出力の氷魔法。ゴーレムの両足から腰にかけて、分厚い氷が這い上がっていく。関節が凍結し、動きが目に見えて鈍くなる。
「ぐ……グオオ!」
ゴーレムが力任せに氷を砕こうとする。だがセレナは次々と氷を重ねていく。砕かれた端から凍らせる、消耗戦だ。
「セレナ、何秒持つ!?」
「三十秒! それ以上は魔力がもたない!」
「十分だ」
目を閉じる。
集中。
体の中の魔力をすべて意識する。風。火。土。三つの属性の魔力が、異なる流れで体内を巡っている。
これを、一つにまとめる。
まず土。右手に土の魔力を集め、遠くのゴーレムの装甲に干渉する。岩の結合構造を内側から解析し、脆い部分を見つける。胸の核の周囲、左寄りに構造的な弱点がある。そこの結合を、ゆっくりと緩めていく。
次に風。左手に風の魔力を集め、螺旋状に回転させる。風精の耳飾りが白く輝き、風の魔力が増幅される。
最後に火。腹の底から火の魔力を引き上げ、風の螺旋の中心に注ぎ込む。風が火を圧縮し、火が風を加速させる。そこに土の魔力が道を示す。
三つの属性が、右手の指先で一つに融合していく。
白い光が生まれた。
小さい。直径五センチほどの光点。だが、その内部のエネルギー密度は、螺旋炎槍の十倍以上だ。
「リーナさん! 氷が……!」
フィーネの悲鳴。ゴーレムが氷の拘束を力任せに破り始めている。
「あと十秒!」
「無理! もう……!」
バキバキバキッ!
氷が砕け散る。ゴーレムの両腕が自由になった。
「セレナ、フィーネちゃん、退避!」
二人が跳びすさった直後、ゴーレムの拳が地面を叩いた。岩場が陥没し、衝撃波が広がる。
しかし俺は動かなかった。
魔法は完成していた。
右手を突き出す。ゴーレムの胸――土魔法で脆くした一点に、狙いを定める。
「三属性複合魔法――」
ゴーレムがこちらを見た。赤い目が、俺を捉える。巨大な拳が振り上げられる。
遅い。お前のその拳が届く前に、終わる。
「――崩穿螺旋・大地の焔!」
放った。
白い光が一直線にゴーレムの胸に向かう。回転する風が大気を切り裂き、その後を燃え盛る炎が追い、先行した土の魔力が装甲の結合を瓦解させていく。
接触。
岩の装甲が、紙のように穿たれた。
光がゴーレムの体を貫通し、背中から突き抜ける。核が砕ける甲高い音が響いた。
「――――」
ゴーレムの動きが止まった。
振り上げた拳が、力を失って下がっていく。
赤い目の光が消える。
巨体が、ゆっくりと後ろに傾き始めた。
「……伏せて」
静かに言った。
ズドオオオオオン!!
八メートルの岩の巨人が、仰向けに倒れた。地面が大きく揺れ、粉塵が舞い上がる。渓谷全体が震動した。
粉塵が晴れるのを待つ。
ゴーレムだったものは、ただの岩の山になっていた。胸の中心に、拳大の穴がぽっかりと開いている。核があった場所だ。
「…………勝った?」
フィーネの声。
「勝ったわ」
セレナの声。
「勝った」
俺の声。
三人の声が重なって、渓谷に反響した。
「やったあああぁぁぁ!!」
フィーネが飛び跳ねて叫んだ。
「Aランクのゴーレムを倒した! 私たちが! すごい! すごいすごいすごい!!」
「フィーネちゃん、落ち着いて……あ、私も結構手が震えてるわ」
セレナが自分の手を見て、苦笑した。
俺は、その場にへたり込んだ。
「……魔力、空っぽだ」
全身から力が抜ける。三属性複合魔法は、保有魔力のほぼ全てを消費した。指一本動かすのもしんどい。
「リーナさん! 大丈夫ですか!?」
フィーネが駆け寄ってきた。
「大丈夫。ちょっと魔力切れ。動けないだけ」
「動けないのは大丈夫とは言いません!」
フィーネが俺の右腕を取り、肩に担いだ。反対側からセレナが左腕を支える。
「もう。無茶しないって約束したでしょ」
「無茶はしてない。計算通りだよ」
「計算通りに魔力が空になるのは無茶って言うの」
ごもっとも。
二人に支えられて、魔瘴核のところまで移動する。紫色の結晶体は、守護獣を失って輝きが弱まっていた。
「これを壊せば、魔獣の増殖は止まるんだよね」
「うん。でも俺はもう魔法使えないから、物理で」
「私がやります!」
フィーネが短剣を逆手に構え、渾身の力で魔瘴核を突き刺した。
パキンッ。
結晶体にヒビが入り、粉々に砕け散った。紫の光が散り、やがて消えていく。
「依頼達成、だね」
「はいっ!」
「お疲れ様、みんな」
セレナが微笑んだ。その目が、少し赤い。泣いていたのかもしれない。
「セレナ、泣いた?」
「泣いてないわよ。粉塵が目に入っただけ」
「そっか」
嘘だな、と思ったけど、それ以上は聞かなかった。
◇ ◇ ◇
帰路。
俺は相変わらず魔力切れで自力歩行が困難なため、フィーネにおぶってもらっていた。
「フィーネちゃん、重くない?」
「全然! リーナさん、見た目より軽いですよ」
「胸の分、重いと思うんだけど」
「それを差し引いても軽いです!」
背中に密着する形になるので、俺の胸がフィーネの背中に押し付けられている。フィーネの耳が赤いのが見えた。
「リーナさんの、あたってます」
「ごめん。物理的に避けられない」
「いえ、あの、嫌じゃないです。むしろ……」
「むしろ?」
「なんでもないです!」
セレナが隣を歩きながら、にやにやしていた。
「リーナちゃん、モテモテね」
「やめて」
渓谷を出て、街道に合流した頃には夕方になっていた。
「ねえ、パーティー名、そろそろ決めない?」
セレナが唐突に言った。
「パーティー名?」
「ギルドに登録するのよ。名前があった方が、依頼も受けやすくなるし」
「何がいいですかね。『銀風の剣』とか?」
「リーナちゃんの銀髪にかけてるのね。悪くないけど、もうちょっとインパクトが欲しいわ」
「『トリプルブレスト』は?」
「却下」
「冗談よ。……じゃあ、『テンペスタ』は?」
「テンペスタ?」
「嵐って意味。リーナちゃんの風魔法と、私の氷魔法と、フィーネちゃんの疾風の剣。それに、昨日の嵐を三人で乗り越えたから」
「……いいね」
「素敵です! テンペスタ!」
「じゃあ決まりね。パーティー『テンペスタ』、正式に結成」
セレナが右手を差し出した。俺がその上に手を重ね、フィーネが一番上に手を乗せる。
「テンペスタ!」
三人の声が、夕焼けの空に響いた。
街の城門が見えてきた。
俺はフィーネの背中で、穏やかな風を感じていた。
一ヶ月前、この世界に来た時は、何もなかった。名前も、仲間も、居場所も。
今は、ある。
パーティーがある。仲間がいる。帰る街がある。
それだけで、十分すぎるほどだ。
「リーナさん、泣いてません?」
「泣いてない。風が目に染みただけ」
「セレナさんと同じこと言ってる」
「似た者同士なのよ、私たち」
セレナが笑った。
俺も笑った。
フィーネも笑った。
パーティー・テンペスタの物語は、まだ始まったばかりだ。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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