第3話:お風呂イベントは異世界でも避けられない
異世界三日目の朝。
俺は重大な事実に気づいた。
――臭い。
いや、正確に言えば、汗臭い。昨日の戦闘でかいた汗を、宿の洗面台で軽く拭いただけで寝てしまったのだ。前世のおっさん感覚で「まあ一日くらい」と思ったのが間違いだった。
この体は、前世とは違う。
美少女の体は、美少女らしく扱わなければならない。
「風呂に入りたい……」
切実な願いだった。
宿屋の主人に聞いたところ、この街には公衆浴場があるらしい。しかも温泉。異世界にも温泉文化があるのかと感心しつつ、場所を教えてもらった。
「大通りの突き当たりにある『湯けむり亭』だよ。女湯と男湯に分かれてるから、お嬢ちゃんは右側の入り口ね」
「ありがとうございます」
女湯。
当然だ。今の俺は女なのだから、女湯に入るのが正しい。正しいのだが。
元男として、女湯に入ることへの背徳感が半端ない。
「いや、違う。俺は今、正真正銘の女だ。ステータスにも『女』って書いてある。何も後ろめたいことはない。ないんだ」
自分に言い聞かせながら、湯けむり亭へ向かった。
◇ ◇ ◇
湯けむり亭は、石造りの立派な建物だった。入り口で銅貨三枚を払い、脱衣所へ。
暖簾をくぐった先には、籐の脱衣籠が並ぶ清潔な空間が広がっていた。平日の午前中だからか、先客は少ない。奥から湯気と、かすかな話し声が聞こえる。
さて。
服を脱がなければならない。
「……よし」
覚悟を決めて、コルセットを外す。ブラウスを脱ぐ。ショートパンツを下ろす。
そしてバストサポーターに手をかけた時、隣で着替えていた女性がこちらを見た。二十代半ばくらいの、栗色の髪をした女性だ。
目が合った。
俺はぎこちなく微笑んだ。
女性は微笑み返してくれた――のだが、俺がバストサポーターを外した瞬間、その表情が固まった。
支えを失った双丘が、ぷるん、と解放される。重力に従ってわずかに揺れ、やがて落ち着く。
女性の視線が、俺の胸に釘付けになっていた。
「…………」
「…………」
沈黙。
「あ、あの……」
俺が声をかけると、女性ははっと我に返った。
「ご、ごめんなさい! つい見ちゃって……すごいわね、あなた。若いのに」
「は、はぁ……ありがとうございます?」
褒められた。同性に胸を褒められるというのは、なんとも不思議な気分だ。
「私もそれくらいあったらなぁ……」
女性は自分の胸元を見下ろして、ため息をついた。いや、あなたも十分あると思いますが。
全裸になり、備え付けのタオルを手に浴場へ向かう。
タオルで前を隠す。だが、この胸のサイズではタオル一枚で全部を隠すのは物理的に不可能だった。上を隠せば下が見える。下を隠せば谷間が溢れる。
「……もう一枚必要だな」
諦めて、タオルは腰に巻くことにした。上半身はもう隠しようがない。ここは女湯だ。全員女性だ。問題ない。問題ないはずだ。
浴場に入った瞬間。
湯気の向こうに、数人の女性たちの姿が見えた。
そして、全員の視線がこちらに集中した。
静寂が訪れる。
湯船に浸かっていた女性が、洗い場で体を洗っていた女性が、岩場で涼んでいた女性が、一斉に俺を見ている。
見ているのは、顔と胸だ。主に胸だ。
女性の視線でこんなに胸を凝視されるのは初めてだ。男にジロジロ見られるのとはまた違う圧がある。品定めというか、比較というか、純粋な驚嘆というか。
「きれい……」
誰かがぽつりと呟いた。
俺は何食わぬ顔で洗い場に向かった。前世の社畜力を総動員して、平静を装う。大丈夫だ。銭湯文化は前世で慣れている。男湯だったけど。
椅子に座り、桶に湯を汲む。
頭からざぶりとお湯をかぶった。温かい湯が銀髪を伝い、肩から胸、腹部、太ももへと流れ落ちていく。
「ふぅ……」
気持ちいい。三日分の汗と埃が流れていくようだ。
石鹸のようなものが備え付けてあったので、それで体を洗う。泡立てて、首、肩、腕と洗っていき――
胸に手が触れた。
「っ……」
自分で洗っているだけなのに、妙な感覚が走る。この体、感度が高すぎないか。石鹸の泡で滑る指が肌の上を滑ると、ぞくぞくとした感触が背筋を駆け上がる。
特に先端が、ダメだ。うっかり触れてしまうと、頭の奥がくらっとする。
「これ、毎日のことなの……?」
女性って大変だな。心の底からそう思った。
なるべく事務的に、淡々と洗う。感情を殺せ。これは衛生行為だ。清潔を保つための作業だ。何もやましいことはない。
全身を洗い終え、ようやく湯船へ。
岩でできた大きな湯船に体を沈めていく。
じわぁ、と温かいお湯が全身を包む。
「はぁぁぁ……」
思わず声が漏れた。極楽だ。前世の疲れまで溶けていくようだ。
湯船に浸かると、胸が浮力で浮く。水面にぷかぷかと二つの島が浮いているような状態になる。前世で温泉に入った時には絶対に起こらなかった現象だ。
物理の授業で習ったアルキメデスの原理を、こんな形で体感するとは思わなかった。
「隣、いいかしら?」
声をかけられて振り向くと、金髪碧眼の美女が立っていた。歳は二十歳くらいだろうか。均整の取れたスタイルで、胸もそれなりに大きい。……いやDカップくらいか。何をやっている俺は。
「どうぞ」
「ありがとう」
金髪の女性が隣に腰を下ろした。湯船にふたり並んで浸かる形になる。
「あなた、冒険者? 見かけない顔だけど」
「はい、昨日登録したばかりで。リーナと言います」
「リーナちゃんね。私はセレナ。Cランクの魔法使いよ」
セレナさんは気さくな笑顔を見せた。
「あなたの噂、もう聞いてるわよ。昨日ギルドに来た銀髪の美少女で、初日にゴブリンを六匹倒したって」
「もう噂になってるんですか……」
「冒険者ギルドなんて噂話が娯楽みたいなものだからね。特にあなたみたいな子が来たら、そりゃあ話題になるわよ」
セレナさんは湯船の中で足を伸ばしながら、ちらりと俺の胸を見た。
「それにしても、すごいわね……。私もそこそこ自信あったんだけど、完敗だわ」
「い、いえ、セレナさんも十分……」
「お世辞はいいわよ。事実として負けてるもの」
カラカラと笑うセレナさん。さっぱりした性格らしい。こういう人は嫌いじゃない。
「ねえ、リーナちゃん。よかったら背中、流しっこしない?」
「え?」
「ひとりで背中洗うの大変でしょ?」
まあ確かに、この長い髪があると背中を洗うのは手間だ。前世は短髪だったから気にしたこともなかったが。
「じゃあ、お願いします」
湯船から出て、洗い場に移動する。俺が先に座り、セレナさんが後ろに回った。
「髪、きれいね……。銀色なんて珍しいわ。触ってもいい?」
「どうぞ」
セレナさんの指が、俺の髪を梳いていく。優しい手つきだ。
「さらさら……。何かお手入れしてるの?」
「いえ、何も……」
転生チートの一種かもしれない。
「ずるいわねぇ。じゃあ、背中流すわよ」
石鹸を泡立てたタオルが、背中に当たる。
「ん……」
くすぐったい。だが心地いい。他人に背中を洗ってもらうなんて、いつ以来だろう。前世では一人暮らしが長すぎて、誰かに触れられること自体が久しぶりだ。
セレナさんの手が背中を上から下へと滑っていく。肩甲骨の周り、背骨に沿って、腰の辺りまで。丁寧で、力加減もちょうどいい。
「リーナちゃん、肌もすべすべね。羨ましいわ」
「あ、ありがとうございます」
「はい、背中おしまい。……あ、ここも洗った方がいいわよ」
セレナさんの手が脇の下から回り込んで、胸の横に触れた。
「ひゃっ……!?」
「あら、敏感なのね」
「い、いきなりは……!」
「ごめんごめん。でも胸が大きい子は、ここの下が蒸れやすいから、ちゃんと洗わないとダメよ?」
「なるほど……」
それは知らなかった。元男には一生縁のなかった知識だ。巨乳にはメンテナンスが必要なのか。
「自分で洗える?」
「は、はい! 自分でやります!」
慌てて自分の胸の下を洗う。確かに、持ち上げてみると、下の部分が少し汗ばんでいた。盲点だった。
「ふふ、可愛いわね。初々しくて」
セレナさんが微笑んでいる。
初々しいんじゃなくて、元男だから女体の扱いに慣れてないだけです、とは言えなかった。
「じゃあ、次は私の背中をお願い」
「あ、はい」
交代して、セレナさんの背中を洗う。
白い肌。しなやかな背中の線。腰のくびれ。
――やめろ。元男の目線で見るな。今の俺は女だ。女が女の背中を洗っているだけだ。健全だ。何もおかしくない。
無心で、ひたすら無心で背中を洗った。
「ありがとう、気持ちよかったわ」
「こちらこそ」
湯船に戻って、ふたりで並んで湯に浸かる。
「ねえ、リーナちゃん。もしよかったら、今度一緒にクエスト行かない?」
「え?」
「私、パーティーのメンバーを探してたのよ。前のパーティーが解散しちゃって。あなたの戦闘力もだけど、なんか気が合いそうだなって」
セレナさんが、にこりと笑う。
悪い気はしなかった。ギルドで声をかけてきたカイルと違って、下心のない純粋な好意を感じる。……たぶん。
「ぜひ。よろしくお願いします」
「やった! じゃあ、明日ギルドで待ち合わせね。リーナちゃんの戦い方、見せてもらうわよ」
「がんばります」
のぼせる前に湯船を出て、体を拭く。
脱衣所で着替えている時、鏡に映った自分の姿が目に入った。
湯上がりで頬が薔薇色に染まり、銀髪は濡れて肌に張りついている。白い肌は湯気で上気して、ほんのり桜色。バストサポーターをつける前の、支えのない胸が、しっとりとした肌の上に存在感を放っている。
……色っぽかった。
自分の体を見て「色っぽい」と思う日が来るとは、三十二年間の人生で一度も想像しなかった。
「どうしたの? 鏡なんて見つめちゃって」
着替え終わったセレナさんが、からかうように声をかけてきた。
「い、いえ。なんでもないです」
「ナルシストなのかと思った」
「違います」
「冗談よ。でもリーナちゃんくらい可愛かったら、鏡を見たくなる気持ちもわかるわ」
それは違うんです。元男が自分の女体に見惚れてるだけなんです。
とは死んでも言えなかった。
◇ ◇ ◇
湯けむり亭を出て、セレナさんと別れた後。
街を歩きながら、今日の収穫を整理する。
一、温泉は最高。
二、巨乳のメンテナンスは大変。
三、パーティーメンバーが見つかった。
四、女性同士のスキンシップは心臓に悪い。
四番目は俺の個人的な問題だが。
それにしても、セレナさんはいい人だった。さっぱりした性格で、気遣いもできる。パーティーメンバーとしては理想的だ。
明日から二人でクエストか。一人で戦うのも気楽でよかったが、誰かと一緒というのも悪くない。
宿に帰る途中、夕日に照らされた街並みが目に入った。石畳の道、レンガ造りの家々、行き交う人々。異世界の街は、どこか懐かしさを感じさせる温かさがあった。
前世では見られなかった景色だ。
「……来てよかったのかもな、この世界」
体は変わった。性別も変わった。何もかもが前世とは違う。
でも、新しい出会いがある。新しい景色がある。昨日よりも少しだけ強くなった自分がいる。
それだけで、十分じゃないか。
宿屋の部屋に戻り、ベッドに腰かける。
明日の準備をしよう。予備の服を三着。回復ポーションも買っておくべきだ。あと、セレナさんとの初パーティー戦闘に備えて、魔法の連携も考えておきたい。
「……その前に、髪を乾かさないと」
濡れた銀髪が背中に張りついている。前世では髪を乾かすのに一分もかからなかったが、この長さだと相当時間がかかりそうだ。
風魔法の微風で乾かしてみた。
「おお、便利」
ドライヤー代わりの風魔法。異世界チート、日常編。
さらさらになった銀髪を指で梳きながら、ふと思った。
この髪をセレナさんが「きれい」と言ってくれた。
この体を、この容姿を、少しだけ大事にしようと思えた。
それは元男としてではなく、リーナとして。
――少しずつ、変わり始めているのかもしれない。
自分が何者なのか。どこに向かっているのか。
まだ答えは出ない。
でも今は、明日を楽しみに思えている。それで十分だ。
ベッドに潜り込む。横向きで、枕を抱えて。胸の収まりがいいこのポジションにも、すっかり慣れた。
「おやすみ」
誰に言うでもなく呟いて、目を閉じた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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