第21話「宿場町の休息と、二人の夜」
旅路四日目の夕方。
レイモンドの宿場町が見えてきた時、五人全員がほっと息をついた。
ジルヴァとの戦闘以来、追手の気配はなかった。だが二日間の野営続きで、体の疲労は溜まっている。特にルナは子供の体力しかないため、後半は俺が背負って歩いた。
「背中、あったかい……」
ルナが俺の背中で寝息を立てている。小さな体は軽いが、ずっと背負っていると腰に来る。
「リーナちゃん、腰大丈夫?」
「大丈夫。この体、前世より体幹がしっかりしてるから。……ただ、前かがみになると胸が邪魔で背負いにくいのはある」
「あはは。胸と子供で前後に重量があるのね」
「バランスは取れてる。不本意だけど」
宿場町レイモンドは、交易路の中継地点として栄えた小さな町だった。石畳の通りに面して、宿屋、酒場、商店が並んでいる。街の規模は俺たちの拠点の町の三分の一程度だが、旅人向けの設備はしっかりしている。
「まず宿を取ろう。それから風呂だ」
「お風呂! 四日ぶりのお風呂!」
フィーネが目を輝かせた。
「この町の宿屋に大浴場がありますように……!」
「冒険者向けの宿場町なら、あるんじゃないかしら」
宿屋を探して通りを歩く。三軒目で見つけた「銀月亭」という宿屋が、大浴場付きで部屋も空いていた。
「部屋はどうします?」
受付の女将さんに聞かれる。
「二人部屋をふたつと、一人部屋をひとつでお願いします」
「俺とルナで二人部屋、セレナとフィーネちゃんで二人部屋、カイルさんが一人部屋」
「待てよ。なんで俺だけ一人部屋なんだ」
「大人の男性一人が当然でしょ」
「リーナちゃんと俺で二人部屋の選択肢は」
「ない」
「セレナさん即答っすね」
セレナの眼光にカイルが退却した。
「あ、でもリーナさん。ルナちゃんと同室なら、セレナさんと別ですね」
「……あ」
フィーネの指摘に、セレナが固まった。
「…………恋人なのに、別の部屋……?」
「ルナは子供だし、一人にするわけにはいかないから」
「わかってる。わかってるけど……」
セレナが唇を尖らせた。二十歳の美女がこの顔をすると破壊力がすごい。
「……夜、そっちの部屋に行っていい?」
「ルナが寝てからね」
「約束よ」
受付の女将さんが微笑ましそうにこちらを見ていた。
◇ ◇ ◇
荷物を部屋に置いて、待望の大浴場へ。
男女別の浴場で、女性側は俺、セレナ、フィーネ、ルナの四人。男性側にはカイルが一人。
「カイルさん一人で大浴場を独占するのもったいないですね」
「男の冒険者が他にいるでしょ。……たぶん」
脱衣所で服を脱ぐ。特注バストサポーターを外すと、胸がふるんと解放された。もう慣れた感触。
「リーナおねえちゃん、おっきい……」
ルナが目を丸くしていた。
「うん。おっきいんだよ。色々と不便なんだ」
「わたしも大きくなりますか?」
「フィーネちゃんと同じこと聞くんだね」
「わたしも聞きました! 答えは『たぶんない』でした!」
フィーネが悲しそうに自分の胸を見下ろした。平坦な大地。
「フィーネおねえちゃんも、ぺったんこですね」
「ルナちゃん……正直すぎて傷つく……」
「ごめんなさい」
四人で浴場に入った。
石造りの広い湯船に、湯気が立ち上っている。四日ぶりの温かいお湯が体に染み渡る。
「はぁぁぁぁ……生き返る……」
「お風呂最高……」
「極楽です……」
「あったかい……」
四者四様の幸福感。
湯船に浸かりながら、ふとセレナの方を見た。
金色の髪が湯気の中で光っている。白い肌に水滴が落ちて、鎖骨のラインを流れていく。
綺麗だ。
転生して二ヶ月以上経つが、セレナの裸を見るとまだドキドキする。恋人になったことで、むしろドキドキの質が変わった。前は「女の体を見て反応する元男の自分」への戸惑いだったが、今は純粋に「好きな人の美しさ」にときめいている。
「リーナちゃん、見てる?」
「……見てない」
「嘘。目、合ったわよ」
「ぐ」
「ふふ。見ていいのよ。恋人なんだから」
セレナが湯船の中を移動してきて、隣に座った。肩と肩が触れる。湯の中で、セレナの腕が俺の腕に絡んだ。
「ねえ。お風呂で腕組むの、さすがに」
「誰も見てないわよ。フィーネちゃんとルナちゃんは向こうではしゃいでるし」
確かに、湯船の反対側ではフィーネがルナの髪を洗ってあげていた。
「ルナちゃん、シャンプーするよー!」
「フィーネおねえちゃん、くすぐったいです」
「じっとしてて。あ、泡が目に入りそう、気をつけて!」
仲良し姉妹のようだ。微笑ましい。
「ねえ、リーナちゃん」
「ん」
「ジルヴァに言われたこと、気にしてる?」
声のトーンが変わった。
「……少しだけ」
「転生者が古代の力に連なるって話?」
「うん。あいつは俺の魂が二重だって言った。この世界の魂と、異界の魂が重なってるって」
「それって、あなたの中に高橋健太とリーナの両方がいるってこと?」
「たぶん。前世の記憶と人格を持ったまま転生してるから、魂が二層構造になってるのかもしれない。それが何かの力に繋がってるとしたら……」
「怖い?」
「……怖くはない。でも、知りたい。俺がなぜこの世界に来たのか。ただの偶然なのか、何か意味があるのか」
セレナが湯の中で俺の手を握った。
「意味は、あなた自身が作るものよ。最初から決まってた運命なんかじゃなくて、あなたが選んだ道が、あなたの意味になる」
「……セレナは時々、すごいことを言うよな」
「伊達に――」
「恋愛で痛い目見てないから。知ってる」
「最後まで言わせてよ、たまには」
笑い合った。湯気の向こうで、フィーネとルナも笑っている。
全員が笑っている。
これでいい。難しいことは王都に着いてから考えよう。今は、この温かさを味わっていたい。
◇ ◇ ◇
風呂上がりに五人で夕食を取った。宿の食堂で、この旅で初めてのまともな食事だ。
ルナはクリームシチューを三杯おかわりした。
「ルナちゃん、よく食べるわね……」
「一週間、ほとんど食べてなかったから……」
「だよね。いっぱい食べな」
「はい。……おいしいです」
ルナが幸せそうにパンをかじっている姿を見ると、胸が温かくなる。この子をあの黒蛇の連中に渡してなるものか。
「ところで、明日からの行程だけど」
俺は食後に地図を広げた。
「レイモンドを出て西に向かうと、大森林に入る。三日間の森の行程が一番の難所だ。魔獣も出るし、道が悪い。黒蛇の結社が待ち伏せしてる可能性もある」
「大森林かぁ。私は森が苦手なのよね。木が邪魔で氷魔法の射線が取りにくいから」
「俺の剣術は場所を選ばねえが、馬車を引いてくるわけにもいかんしな。徒歩で三日か」
「リーナさん、偵察は任せてください。森の中なら、小回りが利く方が有利です」
「頼むよ、フィーネちゃん」
「ルナちゃんの体力が心配ね。背負って森を三日間は……」
「大丈夫です。わたし、歩けます。おねえちゃんたちに迷惑かけたくない」
ルナが決意の顔で言った。十三歳の小さな体から、強い意志が伝わってくる。
「無理はしなくていい。疲れたら遠慮なく言って」
「……はい」
「よし。明日は早立ちだ。今夜はしっかり休もう」
食事を終えて、各自の部屋に戻った。
◇ ◇ ◇
夜。
ルナを寝かしつけた後、部屋の窓辺に座ってぼんやりと夜空を見ていた。
コンコン、とドアが鳴った。
「起きてる?」
セレナの声。
「起きてる。入って」
ドアが開いて、セレナが滑り込んできた。寝間着姿に薄手のカーディガンを羽織っている。金色の髪を下ろしていて、風呂上がりのいい香りがした。
「ルナちゃん、寝た?」
「うん。ぐっすりだ」
ルナはベッドの上で丸くなって寝ている。穏やかな寝顔だ。一週間の逃亡で溜まった疲労が、ようやく抜けてきたのだろう。
「可愛い寝顔」
「うん。守んなきゃな、この子を」
「お母さんみたいなこと言うわね」
「お姉ちゃんだよ。お母さんじゃない」
「中身は三十二歳だから、お父さんでもいいわよ」
「ますます違う」
セレナがくすくす笑いながら、窓辺の俺の隣に腰を下ろした。
窓の外には、宿場町の屋根越しに星空が広がっている。月が薄い雲の向こうに霞んで、銀色の光を散らしていた。
「二人きり、久しぶりね」
「そうだね。旅が始まってから、ずっと五人一緒だったし」
「ルナちゃんが来てくれたのは嬉しいけど、正直、二人の時間も欲しかったの。……わがまま?」
「わがままじゃないよ。俺もそう思ってた」
セレナが俺の肩にもたれかかった。金色の髪が銀色の髪に混じる。
「ねえ、リーナちゃん」
「ん」
「恋人になって、何日経った?」
「えーと……魔獣大戦の夜に告白したから……十日くらい?」
「十日か。まだそんなものなのね。もう何ヶ月も経った気がする」
「濃い十日間だったからな。告白して、Aランクになって、王都への招待が来て、ルナを拾って、ジルヴァと戦って」
「普通のカップルの十日間じゃないわよね」
「普通のカップルとは程遠いよ。何もかも」
「そうね。片方は元おっさんだし」
「それ言う?」
「ふふ」
静かな笑いが、夜の空気に溶ける。
「ねえ。ひとつ聞いていい?」
「なに?」
「リーナちゃんは、わたしとのこの関係を……前世の価値観では、どう捉えてるの?」
思わぬ質問だった。
「……どういう意味?」
「前世の世界には、女の子同士の恋愛を表す言葉があるって言ってたじゃない。百合って」
「うん」
「前世の世界では、それって普通のことだった?」
「……完全に普通とは言えなかった。受け入れる人も増えてきてたけど、偏見も残ってた。俺の住んでた国では」
「そう……。じゃあ、リーナちゃんは前世の世界にいた時、自分が女の子を好きになるって想像してた?」
「してなかった。全く」
「今は?」
「今は、セレナを好きなことが、俺の中で一番自然なことだ。元男とか元女とか、そういう枠組みで考えること自体がなくなった」
「…………」
「セレナと手を繋ぐ時にドキドキするのも、セレナの顔を見て綺麗だって思うのも、全部自然に感じる。頭で考えなくても体と心が動く。それって、つまり……」
「つまり?」
「本当に好きなんだなって。理屈じゃなく」
セレナが顔を上げた。月明かりに照らされた碧い瞳が、きらきらと光っていた。
「……ずるい。そういうこと、平気な顔で言うんだから」
「平気じゃないよ。心臓ばくばくしてる」
「嘘。全然落ち着いて見える」
「元社畜だからな。表情と内心が一致しないのは得意なんだ」
「それ、あんまり嬉しくない特技ね」
笑い合った。
セレナの手が、俺の手を探り当てて絡んだ。恋人繋ぎ。指と指の間に、セレナの温もりが入り込む。
「王都に着いたら、色々忙しくなるわよね」
「うん。武闘会の準備もあるし、黒蛇の結社のことも調べないといけないし、ルナの身の安全も確保しないと」
「だから今のうちに、こうしてる時間を大事にしたいの」
「……うん」
「キス、していい?」
ストレートだ。この人は告白の時から変わらない。
「……ルナが起きたら」
「寝てるわよ。ぐっすり」
「…………いいよ」
セレナの手が俺の頬に触れた。顔が近づく。息がかかる。
唇が重なった。
初キスの時より、長かった。柔らかくて、温かくて、少しだけ甘い。風呂上がりのセレナの匂いが鼻をくすぐる。
頭の中が溶けていく感覚。世界がセレナの唇だけになる。
ゆっくりと唇が離れた。
「……二回目も、死ぬかと思った?」
「死ぬかと思った」
「ふふ。三回目は?」
「三回目!?」
「冗談。……半分だけ」
セレナが俺の胸に頬を寄せた。
「リーナちゃんの心臓、すごい音」
「うるさいな」
「好きよ。この音」
「…………俺も、好きだよ」
「何が?」
「全部。セレナの全部が」
「……もう。本当にずるい」
月明かりの窓辺で、二人で寄り添っていた。
ベッドの上では、ルナが寝返りを打った。
「ん……リーナおねえちゃん……」
寝言だ。夢の中でも「おねえちゃん」と呼んでくれている。
「……帰ったら、この子の居場所も作ってあげないとね」
「うん。テンペスタの末っ子ポジションだ」
「フィーネちゃんが末っ子を卒業できて喜ぶわね」
「絶対喜ぶな」
小さく笑い合って、セレナは自分の部屋に戻っていった。
ドアが閉まった後、唇に指を当てた。
まだ温かい気がする。
「……慣れる日が来るのかな、これ」
来ない気がする。何回キスしても、心臓は爆発しそうになるだろう。
それでいい。
元社畜の三十二歳が、異世界で美少女に転生して、金髪美女の恋人ができて、妹分の少女を守りながら王都を目指している。
ラノベの主人公すぎる。
自分で言うのもなんだが、すごい人生だ。
「……前世の俺に教えてやりたいな」
窓の外の星空に向かって、小さく呟いた。
「お前の人生、三十二年で終わりじゃなかったぞ。まだまだ続くし、どんどん面白くなるぞって」
返事はない。当然だ。
でも、どこかで前世の自分が聞いていてくれたら嬉しいな、と思った。
ルナの隣のベッドに横になる。
目を閉じると、セレナの温もりがまだ残っていた。
明日からは大森林。三日間の山場だ。
でも不安はない。
仲間がいる。恋人がいる。守るべき子がいる。
それだけで、俺は何処へだって行ける。
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