第2話:初クエストで胸が邪魔すぎる件
冒険者登録を終え、装備も整えた翌朝。
俺――リーナは、宿屋のベッドで目を覚ました。
「……夢じゃなかった」
胸元を見下ろす。昨日と変わらず、そこにはたわわに実った果実がふたつ鎮座している。寝返りを打つたびに重力で流れるこの感覚にも、少しだけ慣れてきた自分が怖い。
ベッドから起き上がる。宿屋の一泊は銀貨一枚。手持ちの資金を考えると、今日から稼がなければ路頭に迷う。
着替えを始めて、早速最初の関門。
バストサポーター。
「えっと……こっちが前で……腕を通して……」
前世では当然つけたことがない。昨日はおばちゃんに手伝ってもらったが、今日は自力でやるしかない。
悪戦苦闘すること五分。
「……つけられた、けど、これ位置合ってるのか?」
鏡の前で確認する。なんとか収まってはいるが、カップの上から胸肉がぷにっとはみ出ている。
いわゆる、はみ乳というやつだ。
「……おばちゃんにもうワンサイズ上を勧められたの、断るんじゃなかった」
見栄を張った過去の自分を殴りたい。何に対する見栄かは自分でもわからないが。
まあいい。服を着れば見えない。たぶん。
ブラウスを着て、コルセットを締める。昨日買った装備一式を整えて、姿見で全身を確認。
銀髪碧眼の美少女冒険者が、そこに立っている。コルセットが胸を下から持ち上げる形になっているので、谷間の存在感がすさまじい。ブラウスの胸元のボタンが、はちきれそうに頑張っている。
「このボタン、いつか飛ぶな……」
不吉な予感を抱えながら、宿を出た。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルドに着いたのは、朝の九時頃。
昨日ほどではないが、やはり入った瞬間に視線が集まる。朝から酒を飲んでいる冒険者たちが、ちらちらとこちらを見ている。
気にしない。気にしないぞ。前世で満員電車に耐えた精神力を見せてやる。
依頼掲示板の前に立つ。Eランクで受けられるクエストは限られているが、いくつか候補があった。
・薬草採取(報酬:銅貨10枚)
・スライム討伐×10(報酬:銅貨30枚)
・ゴブリン討伐×5(報酬:銀貨1枚)
・迷子の猫探し(報酬:銅貨5枚)
猫探しはさすがにプライドが許さない。薬草採取は安すぎる。
「ゴブリン討伐にするか。銀貨一枚あれば、宿代と食費で一日しのげる」
依頼書を手に取って、カウンターへ向かう。今日の受付は昨日と同じ眼鏡の女性だった。名前はマリナさんというらしい。
「おはようございます、リーナさん。早速クエストですか?」
「はい。ゴブリン討伐で」
「ゴブリンですか……リーナさんは魔法が使えるんですよね?」
「はい、たぶん。使ったことないですけど」
「使ったこと、ない……?」
マリナさんの眼鏡がずり落ちた。
「あの、それで討伐クエストは危険では……」
「大丈夫です。なんとかなります」
根拠のない自信。前世で上司に企画書を出す時と同じ精神だ。なんとかなれ。
マリナさんは心配そうだったが、規則上は止められないらしく、依頼を受理してくれた。
「くれぐれもお気をつけて。無理だと思ったらすぐに逃げてくださいね」
「ありがとうございます」
ギルドを出ようとしたところで、後ろから声をかけられた。
「おい、嬢ちゃん」
振り返ると、ギルドの隅のテーブルに座っていた冒険者の男が立ち上がるところだった。筋骨隆々で、身長は百九十センチ近い。剣士タイプの典型的な冒険者だ。
「一人でゴブリン討伐は危ねえぞ。良かったら俺たちのパーティーに入んねえか?」
一見すると親切な申し出に聞こえる。
だが、男の視線が胸と顔を往復しているのを、俺は見逃さなかった。元男だからこそわかる。あれは下心のある目だ。前世の俺も、職場の巨乳の同僚に対して似たような目をしていた気がする。前世の俺、ごめんな。
「ありがとうございます。でも、一人で大丈夫です」
「そう言わずによ。Eランクの新人が一人でゴブリンなんて――」
「大丈夫です」
にっこり笑って、きっぱり断る。
男はまだ何か言いたそうだったが、周囲の目もあって引き下がった。
ギルドを出て、街の東門へ向かう。ゴブリンの出没エリアは東の森らしい。
「さて……まずは魔法の練習からだな」
街道を歩きながら、ステータスを開いてスキルを確認する。全属性魔法適性Lv.1。つまり、火・水・風・土・光・闇、すべての属性が使えるということだ。
問題は、使い方がわからないこと。
「えっと……ファイアボール?」
右手をかざして唱えてみる。
何も起きない。
「ファイア? フレイム? メラ? バギ?」
色々試してみるが、反応なし。どうやら詠唱式ではないらしい。
目を閉じて集中してみる。体の中を巡る、温かいエネルギーのようなものを感じる。これが魔力か。
そのエネルギーを右手に集めて、火をイメージする。炎の熱さ、揺らめき、色。
右手の先に、ぼっと小さな火が灯った。
「おお……!」
イメージ式だったか。集中して、もう少し大きな火を作る。拳大の火球が手のひらの上で回転する。
「よし、これを飛ばせば……」
前方の木に向かって、火球を放った。
ドォン!
「――は?」
拳大だったはずの火球が、放った瞬間に膨れ上がり、直径二メートルほどの炎の塊になって木に直撃。木が一瞬で燃え上がり、轟音とともに吹き飛んだ。
……は?
「い、威力おかしくないか!? 魔力320ってこういうこと!?」
慌てて水のイメージで消火する。幸い、被害は木一本で済んだ。
これは、加減を覚えないと森ごと燃やしかねない。
その後、三十分ほど練習して、なんとか威力の調整ができるようになった。ゴブリン相手なら、小さめの火球で十分だろう。
風魔法も試してみた。これが意外と便利で、風の刃を飛ばす攻撃魔法の他に、身体強化にも応用できる。足に風をまとわせると、移動速度が格段に上がる。
ただし、高速移動すると胸が揺れる問題は解決しない。バストサポーターがあっても限界はある。
「物理法則には勝てないか……」
◇ ◇ ◇
東の森に入って、十五分。
鑑定スキルのおかげで、周囲の気配を感知できる。ゴブリンの反応が五つ、百メートルほど先にある。
「よし、行くか」
足音を殺して近づく。木の陰から様子を窺うと、五匹のゴブリンが空き地で何かを囲んでいた。身長は一メートルほど。緑色の肌に、醜い顔。手には粗末な棍棒。
ラノベで読んだ通りの見た目だ。
さて、戦略を立てよう。五匹まとめて火球で焼くのが一番手っ取り早いが、威力の調整を間違えると森林火災になる。
風の刃なら延焼の心配がない。
右手を構え、風の刃をイメージ――
「ガギッ!?」
背後から声。
振り返る暇もなく、横から棍棒が振り下ろされた。
「っ!」
咄嗟に身を翻す。棍棒は肩をかすめ、ブラウスの襟元を引き裂いた。
六匹目。背後にもう一匹いたのか。
「この……っ!」
至近距離。風の刃を放つ余裕がない。とっさに右手に魔力を集中させて、ゴブリンの顔面を殴――
ボグンッ!
魔力を込めた拳がゴブリンの顔面にめり込み、そのまま五メートルほど吹き飛ばした。
「……お、おおお」
自分の拳を見つめる。じんじんする。殴り方が下手だったらしい。だが魔力による身体強化で、素の攻撃力の低さを補えるようだ。
しかし問題はそこではなかった。
ブラウスの襟元が裂けたことで、胸元がはだけていた。コルセットとバストサポーターに支えられた谷間が、盛大に露出している。
「――今、戦闘中なんだが!?」
服の心配をしている場合ではない。背後のゴブリンの悲鳴を聞きつけて、残りの五匹がこちらに駆けてくる。
もう面倒だ。
左手を突き出し、風の刃を扇状に放つ。
シュバババッ!
五つの風の刃が五匹のゴブリンを一撃で切り裂いた。ゴブリンたちは断末魔を上げる間もなく倒れ、やがて光の粒子になって消えていく。
後に残ったのは、五つの魔石と、はだけた胸元を押さえて荒い息をつく銀髪美少女の姿だった。
「はぁ、はぁ……勝った、けど……」
戦闘の興奮で体が熱い。汗が首筋を伝い、鎖骨から谷間へと流れ落ちていく。
ブラウスは使い物にならない。裂け目から覗く白い肌と、バストサポーターに押し上げられた豊満な胸が、陽光の下で惜しげもなく晒されている。
「このままギルドに帰ったら、通報されかねないな……」
収納魔法から予備のブラウスを――
入れてない。
「……買い忘れた」
昨日、ワンピースから着替えた時に、予備の服を買うという発想がなかった。前世では何年も同じスーツを着回していた社畜の悲しき習性である。
仕方がない。裂けたブラウスの前を合わせて、コルセットのベルトでなんとか固定する。応急処置としては悪くないが、胸が大きすぎて布地が足りず、腹部が完全に露出している。
ヘソ出しスタイル。いや、もはやビキニアーマーに近い。
「異世界のビキニアーマーって、こうやって生まれるのか……」
妙な納得をしながら、森を後にした。
◇ ◇ ◇
ギルドに戻ると、案の定注目を浴びた。
はだけた胸元、露出した腹部、汗で肌に張りつく布地。戦闘後の上気した頬。客観的に見て、相当扇情的な姿だと思う。
カウンターに着くと、マリナさんが目を丸くした。
「リーナさん!? その格好、何があったんですか!? 怪我は!?」
「大丈夫です、怪我はしてません。服がちょっとやられただけで」
「ちょっと、のレベルじゃないですよ……」
マリナさんの視線が、俺の露出した腹部と胸元の谷間に向けられる。女性の目から見ても気になるレベルらしい。
「とりあえず、討伐報告を。ゴブリン六匹です」
「六匹? 依頼は五匹ですから、一匹分は追加報酬になりますね」
魔石を六つカウンターに並べる。マリナさんが確認して、報酬を計算してくれた。
「銀貨一枚と銅貨六枚になります。……それにしても、Eランクの新人が初日でゴブリン六匹とは。しかもほぼ無傷で。リーナさん、本当に今日が初クエストですか?」
「本当ですよ。魔法のおかげです」
「そうですか……。ともかく、お疲れ様でした。あ、あと」
マリナさんが眼鏡を直しながら、少し言いにくそうに続けた。
「予備の服は、必ず持ち歩いてくださいね。冒険者にとって着替えは大事な装備です。特にリーナさんは……その、体格的に、服が損傷した時の影響が……大きいので」
「体格的に」
「……ええ、その、胸が」
「わかりました。買い足します」
マリナさん、本当にいい人だ。このギルドの良心だ。
報酬を受け取り、ギルドを出ようとした時。
「やるじゃねえか、嬢ちゃん」
朝、声をかけてきた剣士の男が、腕を組んで壁にもたれていた。
「初日でゴブリン六匹、一人で片づけたんだって?」
「ええ、まあ」
「名前はカイルだ。Cランク剣士。――嬢ちゃん、改めて言うが、パーティーに入らねえか? 実力があるやつは歓迎だ」
さっきよりは真面目な目をしている。だが、視線がちらちらと裂けたブラウスの隙間に向くのは相変わらずだ。
「お気持ちはありがたいですけど、しばらくは一人でやってみたいので」
「そうか。気が変わったらいつでも言えよ」
カイルはそう言って、ニヤリと笑って去っていった。
悪い人間ではなさそうだが、あの視線はどうにも信用できない。元男だからこそ、男の下心は嗅ぎ取れる。
「さて、服を買い足して、ついでに魔法の練習もして……」
やることは山積みだ。だが、一歩ずつ進んでいくしかない。
通りを歩いていると、ショーウィンドウに自分の姿が映った。
銀髪をなびかせ、裂けた服から肌を覗かせた、戦い終えたばかりの美少女。頬はまだ少し紅潮していて、碧い瞳が夕日を受けて輝いている。
前世の自分が見たら、間違いなく一目惚れしていただろう。
「……我ながら、美少女だなぁ」
ぽつりと呟いて、すぐに自分の発言に頭を抱えた。
危険だ。この体に馴染みすぎている。最初は違和感しかなかったはずなのに、今ではこの柔らかい体も、高い声も、風に揺れる長い髪も、どこか心地よく感じ始めている。
……胸の重さだけは、まだ慣れないが。
「まあ、いいか。深く考えるのは性に合わない」
前世でも、考えるより動くタイプだった。
リーナとしての二日目が暮れていく。
明日はもう少し高難度のクエストに挑戦しよう。予備の服は三着くらい持っていこう。あと、胸を守るための軽い鎧も必要かもしれない。
やることリストの半分が胸関連なのは、この体の宿命だと諦めよう。
宿屋に戻り、湯浴みを済ませ、ベッドに潜り込む。
仰向けに寝ると、胸の重さが肋骨にかかる。横向きに寝ると、左右の胸が重力で流れて寝づらい。うつ伏せは論外だ。
「……胸がでかいと寝るのも一苦労か」
結局、やや横向きで枕を抱え込む姿勢が一番楽だと気づいた。
目を閉じる。
異世界二日目。ゴブリンを倒し、報酬を得て、なんとか冒険者として第一歩を踏み出した。
まだまだ先は長い。この世界のことも、この体のことも、わからないことだらけだ。
でも。
「悪くない、かもな」
暗闇の中で、小さく笑う。
少なくとも、満員電車と終電とデスマーチの日々よりは、百倍マシだ。
意識が溶けていく。
明日はきっと、今日よりもう少し上手くやれる。
そんな根拠のない確信を胸に――文字通り、大きな胸に抱えて。
元社畜の転生美少女は、静かに眠りについた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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