第19話「目覚めた少女と、古代の力」
旅路二日目の朝。
ルナが目を覚ましたのは、朝食の準備をしている時だった。
「……ん……」
テントの中からもぞもぞと這い出してきた少女は、焚き火の前に座る四人を見て、しばらくきょとんとしていた。
赤みがかった茶色のショートヘアが寝癖で跳ねている。頬にはまだ土汚れが残っていて、ローブは泥だらけ。だが熱は下がったようで、琥珀色の瞳にはちゃんと光が宿っている。
「おはよう、ルナ。気分はどう?」
「…………おねえちゃん」
昨夜の記憶が残っていたらしい。ルナの目が俺を捉えて、少しだけ安堵の色を見せた。
「おなか空いてるよね。スープ、飲める?」
コクリと頷くルナに、セレナが温めたスープを渡した。
ルナは両手でカップを持ち、ふうふうと冷ましながら一口飲んだ。
「…………おいしい」
「よかった。もっと飲みな」
ルナがスープを飲み干すのを待ってから、俺はゆっくりと聞いた。
「ルナ。体調が戻ったら、話を聞かせてほしい。昨日、村が焼かれたって言ってたよね」
ルナの手が震えた。カップがかたかたと鳴る。
「……無理にとは言わない。でも、君を追ってた人たちのことを知らないと、守ってあげられないから」
「…………」
ルナは長い沈黙の後、小さく頷いた。
「わたし……グレンの村っていう、山の中の小さな村にいました」
途切れ途切れの声で、ルナは語り始めた。
「村には、三十人くらいの人たちが暮らしてて。みんな静かに、ひっそり生きてました。……わたしたちの一族は、昔から隠れて暮らさなきゃいけなかったから」
「隠れて暮らす? なぜ?」
「わたしたちの血には、古代魔法の力が流れてるから。それを知った人たちに、昔から狙われてきたんです。だから山の奥に隠れて、力を使わないように、ひっそりと」
古代魔法の血統保有者。鑑定で見た情報と一致する。
「一週間前に……黒い服を着た人たちが、村に来ました。たくさん。村の大人たちが止めようとしたけど、みんな……みんな……」
ルナの目から涙が落ちた。
「おじいちゃんが、わたしだけ逃がしてくれました。『お前だけは捕まるな。走れ』って。それから、ずっと走って……」
「一週間も、一人で?」
「はい。食べ物もなくて、途中で熱が出て。もうダメだと思った時に、あの橋のところで倒れて……」
「そこで俺たちに拾われた、と」
ルナが涙を拭いながら頷いた。
十三歳の子供が一週間、追手から逃げながら山中を彷徨った。よく生き延びたものだ。
「黒い人たちの目的は、ルナちゃんの古代魔法の力?」
「たぶん……。おじいちゃんが言ってました。『お前の力を、悪い人たちに渡してはいけない』って」
「古代魔法って、具体的にはどんな力なの?」
「わたし、まだちゃんと使えないんです。おじいちゃんに少しだけ教わったけど、途中で……」
途中で、村が襲われたのだ。
「使える範囲で見せてもらっていい?」
ルナは少し迷ってから、右手を前に出した。
小さな手のひらの上に、光が生まれた。
それは、俺が知っている魔法とは明らかに異なるものだった。
通常の魔法は、属性ごとに色が違う。風は緑、火は赤、土は茶、氷は青。だがルナの手のひらに浮かんだ光は、金色だった。
金色の光が、柔らかく脈動している。温かく、優しい光だ。
「鑑定……」
スキルを起動した瞬間、情報が殺到した。
「っ……!」
頭に流れ込む情報量が、普段の鑑定の十倍以上。処理が追いつかない。
「リーナちゃん!? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫。情報量が多すぎて、ちょっと……」
必死に情報を整理する。
古代魔法・光素操作。生命エネルギーの根源に干渉する力。治癒、浄化、強化、封印。現代魔法の属性体系とは異なる、より原始的で根源的な魔法系統。
「すごい……。これ、現代魔法とは完全に別系統の力だ」
「そうなんですか?」
「うん。俺たちが使ってる魔法は属性ごとに分かれてるけど、古代魔法はもっと根っこのところにある力みたいだ。生命そのものに働きかける」
「リーナさん、それってつまり……」
フィーネが息を呑んだ。
「すごい治癒魔法とか、使えるってことですか?」
「治癒だけじゃない。浄化、強化、封印……。応用範囲がとんでもなく広い。そりゃあ、狙われるわけだ」
ルナが手のひらの光を消した。
「おじいちゃんは、この力は世界のバランスを保つためのものだって言ってました。誰かを傷つけるためじゃなくて、守るための力だって」
「いいおじいちゃんだったんだね」
「はい。世界で一番、優しい人でした」
ルナの声が震えた。でも、泣かなかった。涙はもう枯れたのかもしれない。
「……リーナ」
カイルが静かに言った。
「この子を連れて旅を続けるなら、あの連中がまた来るぞ。しかも次は、もっと本気で」
「わかってる」
「王都に向かう俺たちに、この子を守る余裕はあるか?」
正直な問いだった。王都への旅路は十日間。その間、黒装束の追手と戦いながら少女を守り抜くのは、簡単なことではない。
「……余裕があるかないかじゃない。やるんだ」
「だと思ったよ」
カイルが肩をすくめた。
「まあ、俺も同意見だけどな。子供を見捨てるなんざ、冒険者の名折れだ」
「私も同じよ。この子を置いていく選択肢はないわ」
「わたしも! ルナちゃんは、わたしたちが守ります!」
フィーネが力強く宣言した。
ルナが大きな目で四人を見回した。
「……どうして? わたし、迷惑なのに。危ないのに。なんで、助けてくれるんですか」
「助けるのに理由がいるか?」
「…………」
「いらないよ。困ってる人がいたら助ける。それだけだ」
ルナの唇が震えた。堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「う……うわぁぁぁん……!」
十三歳の少女が、声を上げて泣いた。一週間、一人で逃げ続けて、張り詰めていた糸がようやく切れたのだろう。
俺はルナの頭に手を置いた。
「泣いていいよ。もう一人じゃないから」
「おねえ、ちゃん……っ!」
ルナが俺の腰にしがみついて泣いた。小さな体が、激しく震えていた。
セレナが隣に来て、ルナの背中をそっとさすった。
フィーネが反対側に回り、ルナの手を握った。
カイルは少し離れた場所で、森の方角を見張っていた。背中で守ってくれている。
しばらくして、ルナの泣き声が収まった。
「……ごめんなさい。取り乱して」
「謝ることじゃないよ。それより、ルナ」
「はい」
「俺たちは王都に向かってる。そこには王国の騎士団もいるし、ルナを安全に保護できる場所もあるはずだ。一緒に来るかい?」
「……いいんですか?」
「もちろん。テンペスタの臨時メンバーだ」
ルナの顔に、初めて笑みが浮かんだ。
小さな、でも確かな笑顔だった。
「……ありがとうございます。おねえちゃん」
「リーナでいいよ。みんなそう呼んでるから」
「じゃあ……リーナおねえちゃん」
「おねえちゃんは取れないんだ」
「だって、おねえちゃんだから」
セレナが俺の耳元で囁いた。
「お姉ちゃんって。元おっさんがお姉ちゃん」
「うるさい」
「ふふ。でも似合ってるわよ。面倒見いいし」
「前世からの癖だよ」
「素敵な癖じゃない」
◇ ◇ ◇
旅を再開した。
メンバーが一人増えて、五人旅になった。
ルナは最初こそ緊張していたが、フィーネと年齢が近いこともあって、すぐに打ち解けていった。
「ルナちゃん、好きな食べ物なに?」
「えっと……おじいちゃんが作ってくれた木の実のパイ……」
「木の実のパイ! 美味しそう! 次の宿場町で食べられるかな!」
「フィーネおねえちゃん、元気ですね……」
「おねえちゃん! わたしもおねえちゃんって呼ばれた!」
フィーネが感激している。十五歳にして初めての妹分に舞い上がっているらしい。
「カイルさんは……」
「おう。俺はカイルでいいぞ。おにいちゃんでも可」
「カイル……おにいちゃん?」
「やめとけ。こいつは信用するな」
「リーナ、ひでえ」
ルナがくすりと笑った。昨日までの怯えた表情が、少しずつほぐれてきている。
「セレナおねえちゃんは、リーナおねえちゃんの恋人なんですか?」
「ええ、そうよ」
「女の人同士で?」
「不思議?」
「ううん。……素敵だなって思いました。二人とも、すごく幸せそうだから」
ルナの言葉に、セレナが頬を赤くした。
「この子、いい子ね……」
「だろ」
「リーナちゃんもすぐ赤くなるし、もう」
街道を歩きながら、俺は定期的に鑑定スキルで周囲をスキャンしていた。昨日の追手が再び現れる可能性は高い。
午前中は何事もなく進んだ。昼食休憩を取り、午後に入った頃。
「リーナさん、あそこに人がいます」
フィーネが前方を指差した。
街道の脇に、旅の商人らしき荷馬車が一台停まっていた。馬車の横で、太った中年の男が困り顔で立っている。
「荷馬車が故障してるみたいね」
「助けてあげましょう」
近づくと、商人が顔を上げた。
「おお! 旅の冒険者さんかい! 助かった! 車輪が壊れちまって動けなくてなぁ!」
見れば、荷馬車の右後ろの車輪が半分外れかけていた。
「カイルさん、力仕事お願い」
「おう。荷馬車を持ち上げるから、車輪をはめ直してくれ」
カイルが荷馬車の後部を持ち上げ、俺とフィーネで車輪を修理した。風魔法で軸をちょっと削って調整すれば、ぴったりはまる。
「ありがてぇ! 恩に着るよ! お礼に何か持ってってくれ!」
商人が荷台の幌を開けて、商品を見せてくれた。布地、食料、日用品。そしてその中に――
「あ」
目が止まった。
小さな服だ。十三歳くらいの女の子が着るサイズの、淡いクリーム色のワンピースとカーディガン。
「これ、いくらですか」
「そいつは銀貨五枚だけど、車輪の礼だ。銀貨二枚でいいよ」
「買います」
ルナはまだ泥だらけのローブを着ている。着替えがないのだ。一週間逃げ続けてきたのだから当然だ。
購入した服を持って、ルナのところに行った。
「ルナ。着替え、買ってきたよ」
「え……わたしに?」
「うん。サイズ、合うと思うけど」
ルナがクリーム色のワンピースを受け取った。両手で抱きしめるようにして、じっと見つめている。
「……きれい」
「気に入った?」
「はい。でも、いいんですか? お金……」
「銀貨二枚だ。気にしなくていいよ」
「ありがとう……リーナおねえちゃん」
木陰でルナが着替える。セレナが手伝って、顔や手も拭いてやった。
着替え終わったルナが出てくると、全員が目を見張った。
泥と埃が取れて、ちゃんとした服を着ると、ルナは驚くほど可愛い少女だった。赤みがかった茶色のショートヘアがふわりと風に揺れ、琥珀色の瞳が陽光を受けて輝いている。
「わあ……ルナちゃん、可愛い!」
「ほんと。きれいな子ね」
「て、照れます……」
ルナが頬を赤くして俯いた。
「おい、リーナ」
カイルがぼそりと言った。
「お前のパーティー、美少女率が高すぎないか」
「俺のせいじゃないだろ」
「銀髪巨乳に金髪美女に二刀流少女剣士、で今度は古代魔法の美幼女」
「まるで、ラノベみたいだな」
心の中で突っ込んだ。前世の俺が読んでた作品そのものだ。まさか自分が当事者になるとは。
「さて。のんびりしてる暇はない。先を急ごう」
「はいっ!」
「了解」
「おう」
「……はい。リーナおねえちゃん」
五人で街道を歩く。
午後の陽光が街道を照らし、五つの影が長く伸びていた。
ルナの小さな手が、俺の左手をそっと握ってきた。
右手にはセレナの手。
左手にはルナの手。
前にはフィーネ。後ろにはカイル。
守りたいものが、また増えた。
それは重荷ではなく、力だった。
守りたいものが多いほど、人は強くなれる。
この異世界に来て、俺が学んだ、一番大切なことだ。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時。
二日目の野営地を設営し終えた頃。
鑑定スキルに、反応があった。
「…………来た」
セレナが杖を取った。カイルが剣に手をかけた。フィーネが短剣を抜いた。
「何体?」
「十二。昨日より多い。そして――」
反応の中にひとつ、突出して大きなものがあった。
「一人だけ、Aランク相当がいる」
全員の顔が引き締まった。
ルナが俺のマントの裾を握りしめた。小さな手が震えている。
「大丈夫。絶対に守るから」
「…………はい」
森の向こうから、黒いフードの集団が姿を現した。
昨日より数が多い。そして、先頭に立つ人物は――
黒いフードを脱いだ。
長い銀髪が風になびいた。
銀髪。
俺と同じ、銀色の髪。
だがその瞳は、氷のような冷たい紫。整った顔立ちは中性的で、男とも女ともつかない。年齢は二十代前半に見える。
全身を黒い装甲に包み、背中に長大な鎌を背負っていた。
「…………やはり、テンペスタか」
銀髪の人物が口を開いた。低いが、澄んだ声。
「銀嵐の魔法使い、リーナ。魔将グラムヴァルドを倒した、今をときめくAランク冒険者」
「あんたは誰だ」
「名乗る必要はない。だが、そうだな。……ジルヴァ、とでも呼べ」
ジルヴァと名乗った銀髪の人物が、冷たく微笑んだ。
「その子を渡してもらう。大人しく渡せば、お前たちに手は出さない」
「断る」
「即答か。さすが英雄だな。だが――」
ジルヴァの体から、凄まじい魔力が溢れ出した。大気が震え、地面の草が圧力で伏せる。
Aランク。本物のAランクの魔力。それも、かなり上位の。
「――実力の差は理解しているか?」
「理解してるよ」
俺も魔力を解放した。全身から風の魔力が吹き出し、二つの魔力がぶつかり合う。
「その上で言ってる。この子は、渡さない」
ジルヴァの紫の瞳が、わずかに見開かれた。
「……面白い。噂通りだ」
鎌が背中から引き抜かれた。三日月型の黒い刃が、夕焼けを映して禍々しく光る。
「では、力ずくで」
「望むところだ」
街道の上で、二つの銀色の影が対峙する。
テンペスタの新たな敵。
物語は、加速していく。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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