第16話「勝利の夜に」
街に帰還した時、城門の前に人だかりができていた。
市民たちが、南側の避難所から戻ってきていた。衛兵から勝利の報せを聞いたのだろう。興奮と安堵が入り混じった空気の中、人々が城門に押し寄せている。
俺たち四人が城門をくぐった瞬間。
歓声が爆発した。
「帰ってきた! テンペスタだ!」
「魔将を倒したのはあの子たちだって!」
「街を救ってくれた英雄だ!」
声という声が、四方八方から降り注ぐ。
人々が道の両側に並び、拍手と歓声で俺たちを迎えていた。子供たちが旗を振り、おばあちゃんが涙を拭い、商人たちが帽子を投げ上げている。
「す、すごい……」
フィーネが目を丸くしている。
「英雄扱いされるなんて、生まれて初めてです……」
「俺もだよ」
前世では、誰の目にも止まらない透明人間だった。仕事でどれだけ成果を出しても「当たり前」と片付けられ、感謝されることなんて一度もなかった。
それが今は。
「リーナちゃん、泣いてる?」
「泣いてない。汗だ」
「戦闘終わってから汗かく人、初めて見たわ」
「…………ちょっとだけ、泣いてる」
「知ってる」
セレナがそっと俺の手を握った。
群衆の中を歩いていくと、見知った顔が飛び出してきた。
「リーナちゃん! 無事だったのね!」
ミルダさんだった。衣料品店のおばちゃんが、エプロンのまま駆け寄ってきた。
「ミルダさん」
「もう、心配したのよ! 千体の魔獣に突っ込んだって聞いた時は、気が気じゃなくて! サポーターは持ったでしょうね!?」
「完璧でした。ミルダさんのおかげで戦えました」
「……そう。なら良かった」
ミルダさんの目が潤んだ。
「あんたは、うちの最高傑作を着てくれてるからね。壊しちゃダメよ」
「はい。大事にします」
マリナさんもギルドの前で待っていた。眼鏡の奥の目が赤い。
「リーナさん、セレナさん、フィーネさん、カイルさん。皆さんご無事で……本当によかった」
「マリナさん。ただいま帰りました」
「おかえりなさい」
その声が震えていた。
ギルドの中に入ると、冒険者たちが待ち構えていた。
「テンペスタが帰ってきたぞー!」
「酒だ酒だ! 今夜は無礼講だ!」
ギルドの酒場が一気に沸いた。あちこちでジョッキが掲げられ、乾杯の声が響く。
防衛線を守った冒険者たちも、続々と帰還してきていた。傷ついた者、疲れ果てた者。だが全員が、生きて帰ってきた。
死者はゼロ。
街の被害もゼロ。
完全勝利だった。
「ガルドさんの防衛指揮が見事だったって聞いたわ。一人の死者も出さなかったのは奇跡よ」
「ガルドさんの力だけじゃない。全員が全力で戦ったからだ」
ヴォルフが二階から降りてきた。酒場の喧噪が、一瞬静まる。
「よくやった。全員」
たった一言。だが、それだけで十分だった。
「特に、テンペスタ」
ヴォルフの目が俺を捉えた。
「リーナ。お前は約束を守った。街を守ると言い、実際に守った。冒険者として、これ以上の功績はない」
「……ギルドマスターが場を整えてくれたからです。作戦を信頼してくれたから、やれました」
「信頼するに値する実力を見せたのはお前だ。――リーナ、セレナ。Aランクへの特別昇格を推薦する。フィーネはCランクへ。カイルもAランクだ」
「Aランク……!?」
ギルド内がどよめいた。
「二ヶ月でEランクからAランクとか、ありえないだろ……」
「でも、魔将を倒したんだぜ? ありえるだろ」
「お前はどっちだよ」
ざわめきの中、ヴォルフが片手を挙げて静寂を作った。
「今夜は祝いの夜だ。戦った者たちに、最大の敬意を。酒は俺の奢りだ。好きなだけ飲め」
ギルドが爆発的な歓声に包まれた。
◇ ◇ ◇
宴は深夜まで続いた。
ギルドの酒場はごった返し、あちこちで冒険者たちが武勇伝を語り合っている。防衛線での死闘、城壁の上からの狙撃、逃げ遅れた市民を助けた衛兵の話。
フィーネはオレンジジュースで冒険者たちと盛り上がっていた。オークジェネラルを倒した話をせがまれて、何度も同じ話を繰り返している。そのたびに身振り手振りが大きくなっていくのが面白い。
カイルは若い冒険者たちに囲まれて豪快に笑っていた。肩の傷はもう手当てされて、エールを片手に「魔将の護衛なんて大したことなかったぜ」と大見得を切っている。嘘つけ、肩やられたくせに。
「リーナちゃん」
セレナが隣に座った。手にはエールのジョッキ。頬がほんのり赤い。
「飲みすぎてない?」
「三杯目。まだ余裕よ」
この人は本当に酒に強い。俺は一杯で前後不覚になるから、今夜もフルーツジュースだ。
「ねえ」
「ん?」
「外、出ない?」
セレナの目が、まっすぐ俺を見ていた。
酔いの赤みの下に、本気の色が見えた。
「……うん」
◇ ◇ ◇
ギルドの裏手に出ると、小さな中庭があった。
石のベンチがひとつ。古い井戸がひとつ。頭上には満天の星。
宴の喧噪が壁越しにくぐもって聞こえる。ここは、二人だけの空間だった。
ベンチに並んで座る。
夜風が、銀髪と金髪を揺らした。
「……静かだね」
「うん」
「さっきまで戦場だったのが嘘みたい」
「嘘じゃないわよ。あなた、また全部出し切って立てなくなってたじゃない」
「おかげさまで今は立てるよ。セレナの回復魔法のおかげ」
「当然でしょ。パートナーの回復は私の仕事よ」
パートナー。その言葉に、いつもとは違う意味が込められているのを感じた。
夜空を見上げた。星が、宝石を撒き散らしたように輝いている。前世ではこんなに星が見えたことはなかった。東京の夜空は、いつも曇っていたから。
「セレナ」
「なに?」
「返事をする」
セレナの体が、隣でかすかに震えた。
「丘の上で告白してくれた時の、返事」
「…………うん」
「その前に、ひとつ確認させて」
「なに?」
「俺は元男で、中身は三十二歳のおっさんで、前世ではモテたことがなくて、恋愛経験ゼロで、女の体にまだ完全には慣れてなくて。デートの仕方も知らないし、女の子としての作法もセレナに教わらないとわからないし、スカートのめくれ防止をフィーネちゃんに教えてもらうレベルだ」
「うん」
「告白の返事なのに、ロマンチックな台詞のひとつも思いつかない。前世でラノベを百冊は読んだはずなのに、いざ自分がやるとなると何も出てこない」
「うん」
「だから、不器用に、そのまま言う」
セレナの方を向いた。
金色の髪が星明かりを受けて淡く光っている。碧い瞳が、月を映して揺れている。
綺麗だ。
この人は本当に、綺麗だ。
「セレナ。俺は――私は、あなたが好きです」
言った。
三十二年と二ヶ月。人生で初めて、誰かに「好き」と伝えた。
「温泉で背中を流してもらった時から、ずっと。遺跡で一緒に冒険して、嵐の夜に隣で眠って、一緒に泣いて笑って。いつの間にか、あなたのことばかり考えるようになってた」
「…………」
「元男だから、百合とか恋愛対象がどうとか、散々悩んだ。でも、そんなのどうでもよかった。セレナが好きだ。それが全部だ」
「…………っ」
セレナの目から、涙がこぼれた。
声もなく、ただ涙だけが頬を伝い落ちていく。
「ちょ、泣かないでよ。せっかくの告白なのに」
「だって……っ、待ったんだもの……。ずっと……」
「ごめん。遅くなって」
「遅すぎ……。馬鹿……」
セレナが俺の胸に飛び込んできた。
腕の中に、セレナの体がすっぽりと収まる。震える肩。温かい体温。金色の髪が胸元に広がる。
「もう一回言って」
「え?」
「好きって。もう一回」
「……好きだよ、セレナ」
「もう一回」
「好きだ」
「もう一回……」
「何回でも言うよ。好きだ。セレナが好きだ」
セレナが顔を上げた。涙で潤んだ碧い瞳が、至近距離で俺を見つめている。
「私も好き。大好き。世界で一番好き」
「……世界で一番は大げさだよ」
「大げさじゃないわよ。異世界含めて一番よ」
笑った。二人で笑った。泣きながら笑った。
「ねえ、リーナちゃん」
「ん」
「本番、していい?」
デートの時に言っていた「本番」。
心臓が跳ねた。でも、もう逃げない。
「……いいよ」
セレナの手が、俺の頬に触れた。
顔が近づいてくる。金色のまつ毛が伏せられ、薄く開いた唇が月明かりに照らされて桜色に輝いている。
目を閉じた。
唇に、柔らかい温もりが触れた。
…………。
柔らかかった。
温かかった。
少しだけ、エールの味がした。
時間にすれば、数秒のことだったと思う。でも、その数秒が、永遠のように感じた。頭の中が真っ白になって、世界がセレナの唇の感触だけで満たされた。
唇が離れた。
目を開ける。
至近距離で、セレナが微笑んでいた。目尻にまだ涙の跡があって、でも最高に幸せそうな顔をしていた。
「……どうだった? 初キス」
「…………死ぬかと思った」
「ふふ。三十二歳の初キスの感想が『死ぬかと思った』って」
「うるさいな。経験値ゼロなんだから大目に見てくれ」
「かわいい」
セレナが俺の首に腕を回して、もう一度抱きしめてきた。密着すると、お互いの胸が潰れ合う感触がある。柔らかいものが柔らかいものに押し当たって、形を変える。
前は気まずかったその感触も、今は違う意味を持っていた。
「もう離さないからね」
「……うん」
「明日も、明後日も、ずっと」
「……うん」
「元おっさんでも、爆乳美少女でも、全部まるごと、私のもの」
「独占欲すごいな」
「当然よ。私の恋人だもの」
恋人。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が爆発するように熱くなった。
恋人ができた。
三十二年と二ヶ月。ようやく。
相手は異世界の金髪美女で、自分は銀髪爆乳美少女で、状況は意味不明だけど。
幸せだった。
こんなに幸せな気持ちは、二つの人生を合わせて初めてだった。
◇ ◇ ◇
中庭で星を見ていた二人の元に、足音が聞こえてきた。
「あ」
ギルドの裏口から、フィーネが顔を覗かせた。
「やっぱりここにいた。探したんですよ、二人とも――」
フィーネの目が、俺たちの姿を捉えて止まった。
ベンチに並んで座る俺とセレナ。手を繋ぎ、肩を寄せ合い、セレナの頭が俺の肩にもたれている。
どう見てもカップルだった。
「…………あ」
「…………」
「…………えと」
フィーネの顔が、みるみる赤くなっていった。
「つ、ついに!? ついにですか!?」
「……うん。ついに」
「やったああああ!!」
フィーネが両手を突き上げて叫んだ。
「おめでとうございます!! リーナさん! セレナさん! 私ずっと応援してました!!」
「ありがとう、フィーネちゃん」
「見守ってくれてたのね」
「はいっ! ……あ、でも、私がお邪魔じゃ……」
「邪魔なわけないでしょ。おいで」
セレナが手招きすると、フィーネがぱたぱたと駆け寄ってきた。俺の反対側に座って、腕にしがみつく。
「これからも三人一緒ですよね?」
「当然だよ。テンペスタは三人パーティーだ」
「あ、私とカイルさんは数に入ってないのか」
いつの間にか裏口にカイルが立っていた。手にはエールのジョッキ。
「カイルさんも!」
「聞こえてたぞ。めでたいじゃねえか。おめでとう、二人とも」
カイルが近づいてきて、空いているベンチの端に腰を下ろした。
「……まあ、リーナの相手が俺じゃないのは残念だけどな」
「カイルさんが好きだったのは胸でしょ」
「胸だけじゃねえよ。……まあ八割くらいは胸だけど」
「八割」
「冗談だ。三割くらいだ」
「減ってない」
みんなで笑った。
星空の下。小さな中庭に、四人の笑い声が響いた。
「なあ、リーナ」
カイルがエールを飲みながら言った。
「お前さ、最初にギルドに来た時のこと覚えてるか。ノーブラでワンピース一枚で、ぷるぷる揺れながらカウンターに来たの」
「覚えてるよ。忘れたいけど」
「あの時は正直、こいつ大丈夫かって思った。綺麗な嬢ちゃんが一人で来て、冒険者なんてやれるのかって」
「初日の俺は、ブラを手に入れることが最優先だったからな」
「あはは! それが今や、魔将を倒す英雄だもんな。世の中わかんねえもんだ」
「ほんとにね」
フィーネが空を見上げながら呟いた。
「リーナさんに出会って、まだ一ヶ月も経ってないんですよね。なのに、もうずっと一緒にいた気がします」
「俺もだよ」
「私も」
「俺は……まあ、もうちょい長く知ってるけどな」
カイルが肩をすくめた。
沈黙が落ちた。でも、心地よい沈黙だった。
四人で星を見上げる。
異世界の夜空は、どこまでも広い。
「……なあ」
俺は口を開いた。
「俺は前の世界で死んだ。過労で倒れて、そのまま。三十二年間、何も残せないまま終わった人生だった」
誰も口を挟まなかった。
「でも、この世界に来て、全部変わった。体も、名前も、性別も変わった。最初は嫌だった。混乱したし、戻りたいと思ったこともある」
「…………」
「でも今は、この体で、この世界で、この仲間と一緒に生きている自分が好きだ。高橋健太としての三十二年間も、リーナとしてのこの二ヶ月も、全部ひっくるめて、今の俺が好きだ」
セレナの手を握った。フィーネが腕にしがみついた。カイルがエールを掲げた。
「だから、ありがとう。この世界に来てよかった。みんなに出会えてよかった」
「リーナちゃん……」
「リーナさん……!」
「……おう」
フィーネがぐすぐす泣き始めた。セレナも目を潤ませている。カイルはエールで顔を隠しているが、鼻をすすっている音が聞こえた。
「泣くなよ。せっかくの祝勝会だろ」
「だって……っ、リーナさんがいいこと言うから……!」
「元おっさんのくせに泣かせるの上手いわよね」
「褒めてるの? けなしてるの?」
「褒めてるに決まってるでしょ、馬鹿」
セレナが俺の肩に頭を預けた。
フィーネが反対側の腕にしがみついた。
カイルが星空に向かってエールを掲げた。
「テンペスタに乾杯」
「テンペスタに乾杯」
「乾杯!」
「……乾杯」
四つの声が、星空に溶けていった。
◇ ◇ ◇
宴が終わり、夜が更けて、街が寝静まった頃。
宿屋の部屋で、ベッドに横になっていた。
隣にはセレナがいた。今夜は一緒に寝ることになった。恋人なのだから、自然な流れだ。嵐の夜とは違う。
「ねえ、リーナちゃん」
「ん」
「幸せ?」
「……うん。すごく」
「私も」
暗闇の中で、セレナの手が俺の手を見つけて、絡み合った。
「明日からも、こうしていられるのよね」
「うん。明日も、明後日も、その先も」
「ずっと?」
「ずっと」
セレナが寄り添ってきた。額が俺の肩に触れる。温かい息が、首筋にかかる。
「おやすみ、リーナちゃん。私の恋人」
「おやすみ、セレナ。俺の恋人」
目を閉じた。
温かい。
隣に人がいる温かさ。
前世の三十二年間、ずっと一人だったベッドが、今は誰かの温もりで満ちている。
これが幸せというものか。
なんだ。こんなにシンプルなものだったのか。
意識が溶けていく前に、最後にひとつだけ思った。
――異世界に転生して、女の子になって、爆乳になって。
大変なことだらけだった。胸は揺れるし、服は破けるし、通路には挟まるし、戦闘中に足は引っ張られるし。
でも、この体だから出会えた人がいる。この体だから歩けた道がある。この体だから見えた景色がある。
高橋健太の人生は、あの駅のホームで終わった。
でも、リーナの物語は、まだ始まったばかりだ。
明日には新しいクエストがある。新しい冒険がある。セレナとのデートの約束もある。フィーネに前世の文化を教える約束もある。カイルとの手合わせの約束もある。ミルダさんにサポーターのメンテナンスを頼まなきゃいけないし、マリナさんにAランクの依頼について聞かなきゃいけない。
やりたいことが、山ほどある。
会いたい人が、たくさんいる。
帰る場所が、ここにある。
「……最高だな、この世界」
小さく呟いて。
元社畜の転生美少女は、恋人の温もりに包まれて、静かに眠りについた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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次の17話から1日1話更新になります。
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