第15話「決戦・北の平原」
その日の夕方、地平線が黒く染まった。
城壁の上から北を見つめる。目を凝らさなくても、わかる。大地を埋め尽くす黒い波。無数の魔獣が蠢きながら、ゆっくりと、しかし確実にこちらに向かっている。
地響きが、足の裏から伝わってくる。千を超える足音が大地を揺らしている。
「…………来た」
隣でセレナが呟いた。その声はわずかに震えていたが、杖を握る手は揺るぎなかった。
反対側ではフィーネが二本の短剣を抜き、刃の輝きを確かめている。琥珀色の瞳には恐怖と決意が同居していた。
背後では、カイルが長剣の柄を叩いて音を鳴らした。
「いい天気だな。死ぬにはもったいねえ」
「死なないよ。誰も」
「おう。そのつもりだ」
城壁の下では、冒険者と衛兵が防衛線を構築していた。木柵と土嚢で簡易的な陣地を築き、弓兵が城壁の上に配置されている。
Aランク冒険者ガルドが、防衛線の中央に立っていた。銀色の鎧が夕日を反射して燃えるように光っている。
ギルドマスター・ヴォルフは城壁の門楼に立ち、戦場全体を見渡せる位置にいた。
街の市民は南側に避難済み。万が一防衛線が突破された場合に備え、南門からの脱出準備も整っている。
やれることは、すべてやった。
「テンペスタ」
ヴォルフの声が城壁に響いた。
「出番だ。東側に回れ。魔獣の群れが展開したら、合図を出す」
「了解」
四人で城壁を降り、東側の城門から外に出た。
城壁の東に沿って北上し、丘陵地帯の入り口まで移動する。ここから群れの側面を突いて、魔将に到達する。
「鑑定」
スキルを起動して、北の群れをスキャンする。
情報が洪水のように流れ込んできた。
「ゴブリンが約六百。オークが約二百。ロックリザードが約百。ウルフ系が約百五十。その他雑多な魔獣が数十。合計千体超」
「聞くだけで胃が痛いわね」
「群れの中心、やや後方に……いた。魔将。鑑定結果は――」
情報を読み取った瞬間、背筋が凍った。
「魔将・グラムヴァルド。種別:上位魔獣・将種。推定ランク:A+。知性あり。魔法使用可能。配下の魔獣に命令を下す指揮能力を保有」
「A+……ゴーレムより上か」
「しかも魔法を使う。厄介だ」
「護衛は?」
「魔将の周囲に、上位オーク――オークジェネラルが四体。Bランク相当」
四人で顔を見合わせた。
「魔将がA+で、護衛がBランク四体。本気でやばいわね」
「やばいな。でもやるしかない」
「やりましょう」
「やるぞ」
四人の覚悟が、ひとつになった。
北の平原に、角笛の音が響き渡った。
魔獣の群れが、突撃を開始した。
◇ ◇ ◇
大地が揺れた。
千体の魔獣が一斉に走り出す音は、もはや自然災害に近い。地面が振動し、空気が魔獣の咆哮で震える。
城壁の上から、弓の一斉射が放たれた。数十本の矢が群れの先頭に降り注ぎ、ゴブリンが何体か倒れる。だが、後続が倒れた仲間を踏み越えて突進してくる。
防衛線に、最初の波がぶつかった。
「来た! 全員構えろ!」
ガルドの号令。冒険者と衛兵が木柵の後ろで迎え撃つ。剣が振るわれ、槍が突き出され、魔法が飛ぶ。
最前線が激しい白兵戦に突入した。
城壁の門楼から、ヴォルフが戦場を見下ろしている。
「東側、魔獣の展開が始まった。密度が下がっている。テンペスタ、今だ!」
角笛が、今度は短く二回鳴った。俺たちへの合図だ。
「行くぞ!」
四人が丘陵地帯から飛び出した。
風魔法で足に加速をかける。フィーネとカイルにも風の補助をかけ、四人全員の移動速度を底上げした。
特注バストサポーターが完璧に機能する。高速移動でも胸は揺れない。風の紋章が淡く光り、サポーター全体に安定の魔法が走る。
ミルダさん、あなたの最高傑作は今日も最高です。
「右前方、ゴブリン十二体!」
「俺が蹴散らす!」
カイルが先頭を切った。長剣を横薙ぎに振るい、突進してきたゴブリンを三体まとめて吹き飛ばす。Bランク剣士の一撃は重い。
フィーネが続く。カイルが切り開いた隙間から飛び込み、左右のゴブリンを二刀で切り裂いていく。
「セレナ、右!」
「氷壁!」
右側面から迫るオークの集団を、セレナの氷壁が遮断した。オークたちが氷にぶつかって足が止まる。
その間に四人は駆け抜ける。
丘陵の谷間を縫うように、群れの隙間を突いていく。鑑定スキルが最適なルートをリアルタイムで算出し、俺が指示を出す。
「左に三十度、丘の裏側! そこが空いてる!」
「了解!」
息を合わせた四人が、千体の魔獣の海を駆け抜けていく。
魔獣の群れの中にいると、世界が違って見えた。四方八方に蠢く魔物の体。唸り声、咆哮、金属がぶつかる音。血と土の匂い。
前衛のカイルとフィーネが道を切り開き、後衛の俺とセレナが援護しながら追従する。四人パーティーの連携が、生死を分ける精度で噛み合っている。
「ぐっ……!」
カイルの腕に、オークの棍棒がかすった。
「カイルさん!」
「かすり傷だ! 止まるな!」
血を流しながらも、カイルは前進をやめなかった。
「あと三百メートル! 魔将の位置が見えた!」
鑑定で捉えた魔将の反応が、どんどん近づいてくる。
群れの中心部に入ると、魔獣の質が変わった。ゴブリンやオークではなく、上位種が増えてくる。アーマードオーク、ブレイドウルフ。Cランク相当の魔獣が、まるで魔将の近衛兵のように配置されている。
「硬い敵が増えてきた!」
「構わず進め! 倒す必要はない、抜けるんだ!」
風魔法を全開にする。四人の周囲に暴風の壁を展開し、接近する魔獣を力ずくで押しのけた。魔力の消費が激しい。だが、ここで出し惜しみしている場合じゃない。
最後の壁を突破した時、視界が開けた。
群れの中心に、円形の空間があった。
そこに、それは立っていた。
魔将・グラムヴァルド。
身長は三メートル。全身が漆黒の装甲に覆われ、頭部には二本の角が生えている。赤い双眸が知性の光を宿し、右手には俺の背丈ほどもある黒い大剣を握っていた。
そしてその周囲に、四体のオークジェネラル。通常のオークの倍の体躯で、鉄の鎧を纏い、戦斧を構えている。
魔将の赤い目が、俺たちを捉えた。
「……ほう。虫が紛れ込んだか」
喋った。
低く、重い声。大地の底から響くような声で、明確な言語を発した。
「言葉を喋る魔獣……」
「魔将は知性持ちだから。話が通じるってわけじゃないけどね」
「小賢しい。わざわざ我の元まで来るとは。自ら死にに来たか」
魔将が大剣を持ち上げた。黒い魔力が刀身に纏わりつく。
「違うよ」
俺は一歩前に出た。
「お前を、倒しに来たんだ」
魔将の目が、わずかに見開かれた。
「矮小な人間が。しかも雌か。身の程を知れ」
「身の程なら知ってる。お前を倒せる程度には強い」
「ほざけ」
魔将が大剣を振り下ろした。
黒い斬撃波が、大地を切り裂きながら迫ってくる。
「散開!」
四人が四方向に飛んだ。斬撃波が通過した後に、地面に深い溝ができていた。あれを食らったら即死だ。
「カイル、フィーネちゃん! オークジェネラルを頼む! 二体ずつ!」
「おう!」
「了解です!」
カイルが右側の二体に突進し、フィーネが左側の二体に飛びかかった。
オークジェネラルとの近接戦闘が始まる。Bランク相当の護衛だが、カイルとフィーネならやれる。
「セレナ! 魔将の足止めを!」
「氷結陣・最大展開!」
セレナが渾身の魔法を放った。地面全体が凍りつき、魔将の足元から分厚い氷が這い上がる。
だが。
「愚かな」
魔将が黒い魔力を放出した。氷がバリバリと砕け散る。セレナの最大出力の氷魔法が、一瞬で破られた。
「嘘……!」
「やっぱりA+は伊達じゃないか。セレナ、切り替えて! 完全な拘束じゃなくていい、動きを鈍らせるだけで!」
「やってみる!」
セレナが戦術を変更。全体凍結ではなく、足首や膝の関節だけを狙って氷を張る。部分凍結なら、破られるまでの時間を稼げる。
その間に、俺は魔法を構築する。
三属性複合魔法。風、火、土。
渓谷の時と同じだ。ただし、今回は相手が違う。岩のゴーレムではなく、魔力の鎧を纏った知性ある魔獣。装甲の構造が根本的に異なる。
土魔法で装甲の脆い部分を探る。
「…………くそ。弱点が見つからない」
ゴーレムと違い、魔将の装甲は均一な魔力で構成されている。構造的な弱点がない。
「つまり、弱点を自分で作るしかないってこと……!」
作戦を変える。土魔法で一点に集中して装甲の結合を崩すのではなく、風と火の出力そのもので無理やり貫通する。
だが、そのためには渓谷の時以上の魔力が必要だ。
「足りるか……?」
現在の魔力残量を確認する。群れの突破で三割近く消費している。残り七割。三属性複合魔法のフルパワーに必要なのは――
八割。
足りない。
「リーナちゃん! 足止めが持たない!」
セレナの悲鳴。魔将が氷を砕きながら、こちらに歩いてくる。一歩ごとに地面が揺れる。
考えろ。考えろ、高橋健太。三十二年間の人生で培った、諦めの悪さを見せろ。
足りないなら、足りるようにすればいい。
風精の耳飾り。風魔法の威力を三割増幅する。
ということは、風の部分の魔力消費を三割削減できる。
さらに、バストサポーターに組み込んだ風魔法の付与。あれは常時微弱な魔力を消費しているが、解除すれば――
「サポーター、解除!」
胸元の風の紋章から魔力供給を切った。
途端に、胸が自由になった。支えを失った双丘が重力に従ってぶるんと揺れる。
「っ! 今は気にしてる場合じゃない!」
サポーターの維持に使っていた魔力を回収。わずかだが、これで足りる。
ぎりぎりだ。本当にぎりぎり。
でも、やれる。
「セレナ! あと十秒! 十秒だけ足を止めてくれ!」
「十秒……! やる!」
セレナが最後の力を振り絞った。杖を地面に突き立て、魔法陣を展開する。
「氷牢・限界突破!」
魔将の下半身全体を、異常な厚さの氷が覆った。城壁のような氷の塊。
魔将が黒い魔力を放出して破壊にかかる。だが今度は十秒持つ。セレナの覚悟がこもった魔法だ。
十秒で、すべてを賭けた一撃を作り上げる。
風。耳飾りの増幅込みで、限界まで圧縮。
火。腹の底から引き上げた炎を、風の渦に投入。
土。装甲への干渉を、貫通の瞬間だけに集中。
三つの魔力が右手に収束する。白い光が、指先に凝縮されていく。
渓谷の時よりも小さい。直径三センチの光点。
だが、密度は桁違いだ。空気が歪み、光点の周囲に陽炎が立ち上っている。
五秒。
氷にヒビが入る。
七秒。
ヒビが広がる。
九秒。
「崩壊する――!」
十秒。
氷が砕け散った。魔将が拘束から解放され、赤い目が俺を睨む。
遅い。もう、できている。
「三属性複合魔法――」
右手を突き出す。三センチの白い星が、魔将の胸の中心に狙いを定めた。
「――崩穿螺旋・滅星!」
放った。
白い光線が大気を焼きながら、一直線に魔将に向かう。音すら置き去りにする速度。風が螺旋状に回転し、内包された炎が白熱し、土の魔力が着弾の瞬間だけ装甲の結合を乱す。
魔将が大剣を盾にした。黒い魔力の壁が展開される。
光線が魔力の壁に接触した。
拮抗。
一秒。二秒。三秒。
「砕けろおおおおっ!!」
残った魔力を、すべて注ぎ込んだ。
白い光が膨張し、魔力の壁を侵食していく。黒い壁にヒビが入る。
割れた。
光線が大剣を貫通し、魔将の胸の装甲に到達する。土の魔力が装甲の結合を一瞬だけ乱し、その隙間を風と火の螺旋が穿つ。
貫通。
白い光が、魔将の体を背中まで突き抜けた。
「ガ……ッ……」
魔将の赤い目が見開かれた。胸の中央に、拳大の穴が空いている。黒い装甲がひび割れ、内部から光が漏れ出す。
「……馬鹿な。この、我が……雌の人間、ごとき、に……」
「雌とか雄とか、関係ないんだよ」
俺は、膝から崩れ落ちながら言った。
魔力が空っぽだ。指一本動かす力も残っていない。
「守りたいものがあるから、強くなれる。それだけだ」
「………………」
魔将・グラムヴァルドの巨体が、ゆっくりと後ろに倒れた。
地面に倒れた衝撃が、最後の地響きとなって平原を震わせた。
赤い目の光が、消えた。
同時に――千体の魔獣が、一斉に動きを止めた。
統率を失った群れは混乱し、ある者は逃げ出し、ある者はその場でうずくまり、ある者は同士討ちを始めた。
防衛線を押していた魔獣の圧力が、一気に弱まる。
「魔将が倒れた! 今だ、押し返せ!」
ガルドの号令が響き、防衛線の冒険者たちが反撃に転じた。
統率を失った魔獣の群れは、もはや烏合の衆だった。
戦いの趨勢が、決した。
◇ ◇ ◇
「リーナちゃん!」
セレナが駆け寄ってきた。俺は地面に座り込んだまま、動けないでいた。
「大丈夫!? 怪我は!?」
「怪我はない。ただ、魔力が……完全にゼロだ。立てない」
「馬鹿。また全部使い切って……」
セレナが俺を抱き起こした。柔らかい腕が背中を支える。
「リーナさん!」
フィーネが走ってきた。体のあちこちに切り傷があるが、致命傷はない。
「オークジェネラル、四体とも倒しました! カイルさんと二体ずつ!」
「よくやった、フィーネちゃん」
「カイルは?」
「ここだ」
カイルが右腕を押さえながら歩いてきた。左肩から血が滲んでいるが、足取りはしっかりしている。
「オークジェネラル、なかなか手強かった。肩がやられた。でもまあ、生きてる」
「生きてる。四人とも」
「ああ。生きてるな」
四人で顔を見合わせた。
ボロボロで、傷だらけで、魔力は空で。
でも、全員生きている。
「……勝ったんだな」
「勝ったわよ。あなたが」
「俺だけじゃない。四人で――いや、街の全員で勝ったんだ」
北の平原を見渡す。
魔獣の群れは散り散りに逃走し、防衛線を守った冒険者と衛兵が残敵を掃討している。城壁の上からは勝利の角笛が鳴り響いていた。
夕焼けが、戦場を赤く染めている。
「あ」
俺はふと気づいた。
「サポーター解除したままだった」
「え?」
「胸の風魔法。戦闘中に解除して、そのまま……」
見下ろす。特注バストサポーターの物理的なサポートは残っているが、風魔法の補助がない状態だ。つまり、最後の魔法を放った時の反動で――
ぶるん。
立ち上がろうとした瞬間、盛大に揺れた。
「……やっぱり揺れるか」
「ふふ。相変わらずね」
セレナが笑った。泣きながら笑っていた。
「でも、今日のリーナちゃんは、胸の揺れなんか気にしてる暇なかったわね」
「……うん。気にしてる暇、なかったな」
胸が揺れても、戦えた。
揺れない心があれば、胸なんて揺れたっていい。
なんだか、くだらないことを思って、笑った。
「帰ろう。街に」
「はい!」
「ああ」
「おう」
四人で、夕焼けの中を歩き出した。
背中に勝利の角笛を聞きながら。
この街は、守れた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし、この物語を楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価を頂けると嬉しいです。




