第13話「嵐の前の静けさ、そしてデート?」
「リーナちゃん、明日オフにしない?」
夕食後、宿屋の食堂でセレナが何気なく切り出した。
「オフ? 二日連続で?」
「たまにはいいでしょ。ここのところ立て続けにクエストこなしてきたし、体を休めるのも仕事のうちよ」
「賛成です! 私、この街をもっと見て回りたいです!」
フィーネが手を挙げた。
「じゃあ、明日はフリーにしようか。各自好きに過ごすってことで」
「うん。……あ、そうだ。リーナちゃん、明日の午後、二人きりで出かけない?」
セレナの声が、ほんの少しだけ上ずっていた。
「二人きり?」
「うん。行きたい場所があるの。デート……って言ったら、重い?」
デート。
前世で一度も経験しなかった単語だ。
「……いいよ」
「ほんと?」
「うん。行こう」
セレナの顔がぱっと明るくなった。二十歳の美女がこんなに嬉しそうな顔をするのを見ると、なんだかこっちまで嬉しくなる。
「じゃあ、午後一時に宿の前で。おしゃれしてきてね」
「おしゃれ……」
おしゃれ。前世ではスーツかジャージの二択だった人間に、おしゃれをしろと。
「フィーネちゃん、明日の午前中、買い物に付き合ってくれない?」
「もちろんです! リーナさんの服選び、やりたいです!」
◇ ◇ ◇
翌日、午前。
フィーネと二人で商店街を歩いていた。
「リーナさん、デートなんですね……。セレナさんと……」
「デートっていうか、まあ、そうなのかな」
「いいなぁ……」
フィーネが羨ましそうにため息をついた。
「フィーネちゃんも、いつか――」
「私の話はいいです! 今日はリーナさんを可愛くする日です!」
妙なスイッチが入ったフィーネに引きずられるようにして、何軒もの店を回った。
「リーナさん、これどうですか!」
フィーネが差し出してきたのは、白いワンピース。
「いや、これ転生初日に着てたやつとほぼ同じ……」
「ダメですか? 可愛いのに」
「他のにしよう」
次にフィーネが持ってきたのは、黒のタイトなドレス。背中が大きく開いたデザインで、胸元もかなり攻めている。
「これは……」
「大人っぽくて素敵です!」
「いやこれ、歩くたびに胸が零れ落ちるやつだよ」
「それがいいんじゃないですか!」
「よくない」
結局、自分で選んだ。
淡い水色のブラウスに、白いフレアスカート。シンプルだが上品なデザインで、普段の冒険者装備とは全く違う雰囲気になる。
試着室で着替えて、鏡を見た。
「…………」
銀髪が水色のブラウスに映える。フレアスカートが風で揺れると、白い脚がちらりと見えて、なんだか新鮮だ。いつもはショートパンツだから、スカートを履くのは初めてかもしれない。
胸元はボタンをきちんと留めて控えめにしたが、それでもブラウスの布地が張って存在感がすごい。もうこれは体質だから諦めるしかない。
「リーナさん、見せてください!」
試着室のカーテンを開ける。
フィーネが固まった。
「……きれい」
「そう?」
「すっごくきれいです。セレナさん、倒れますよ」
「倒れたら困るんだけど」
「比喩です! でも本当に倒れるかもしれないくらい綺麗です!」
蒼い石のネックレスと風精の耳飾りはそのまま。足元は白い革のブーティを合わせた。
「完璧です。あ、でもリーナさん」
「なに?」
「スカートの時は、座り方に気をつけてくださいね。脚を閉じて、膝にスカートの裾をかけて」
「……なるほど」
元男には盲点だった。スカートの作法なんて知らない。
「あと、風が吹いた時にスカートを押さえるのも忘れずに。リーナさん風魔法使いだから、自分で風起こして自分のスカートめくらないように」
「そんなことしないよ!」
「念のためです!」
フィーネのアドバイスをしっかり頭に叩き込み、宿に戻った。
◇ ◇ ◇
午後一時。宿の前。
水色のブラウスに白いスカート、蒼い石のネックレスを身につけた俺は、柄にもなく緊張していた。
三十二年と二ヶ月生きてきて、初めてのデートだ。体は十六歳の美少女だが、心臓は三十二歳のおっさん並みにばくばくしている。
「お待たせ」
声がして振り向いた。
息が止まった。
セレナが立っていた。
いつものローブ姿ではない。薄い紫のワンピースに、白いカーディガン。金髪をいつものサイドテールではなくダウンスタイルにして、背中に流している。耳には小さな銀のイヤリング。薄く化粧もしているようで、唇が淡い桜色に輝いていた。
綺麗だった。
息をのむほど、綺麗だった。
「……セレナ。すごい。綺麗だ」
「ありがとう。リーナちゃんこそ……その格好、初めて見るわね。すごく似合ってる」
セレナの頬がほんのり赤くなった。
「スカートのリーナちゃん、新鮮……。脚、綺麗ね」
「あ、ありがとう」
お互いに照れながら褒め合う。三十二歳の精神年齢が全く役に立っていない。
「じゃあ、行きましょうか」
「どこに行くの?」
「ついてきて」
セレナに手を引かれて歩き出す。
自然と手を繋ぐ形になった。昨日は別れ際だけだった手繋ぎが、今日は最初から。セレナの指が俺の指の間に絡む。恋人繋ぎだ。
心臓がうるさい。
「ねえ、リーナちゃん」
「なに」
「手、汗かいてるわよ」
「……うるさいな」
「ふふ。可愛い」
街の通りを歩く。すれ違う人たちが二人を見て、ひそひそ話をしている。
「見て、あの二人きれい……」
「銀髪と金髪、絵になるわねぇ」
「仲良しさんね」
仲良し。まあ、そう見えるだろう。美少女二人が手を繋いで歩いているだけだ。
ただし片方の中身は三十二歳の元社畜である。知ったら度肝を抜かれるだろう。
「ここよ」
セレナが足を止めたのは、街の南側にある小さな広場だった。噴水があり、周囲には花壇が整備されている。広場に面して、おしゃれなカフェが一軒。
「このカフェ、前から気になってたの。一人じゃ入りにくくて」
「いい雰囲気だね」
テラス席に座った。噴水の水音が心地よい。花壇のラベンダーの香りが風に乗って届く。
注文したのは、セレナがハーブティーと焼き菓子のセット。俺はフルーツタルトと紅茶。
「リーナちゃん、甘いもの好きよね」
「前世では甘いもの食べる余裕もなかったからな。この世界に来て初めて知った。スイーツって、こんなに美味いんだって」
「前世の話、もっと聞かせてよ。遠慮なく話していいんだから」
「何が聞きたい?」
「んー……。健太さんの時、好きだった女の子のタイプとか」
「また恋愛の話」
「だって気になるじゃない。私は好みのタイプなの?」
直球すぎる。
「……前世では、黒髪ロングの清楚系が好きだった」
「金髪は?」
「守備範囲外だった」
「えっ。じゃあ私、圏外じゃない」
「前世の話だよ。今は……」
言いかけて、止まった。
「今は?」
セレナが身を乗り出す。碧い瞳が期待で輝いている。
「……今は、金髪で、さっぱりしてて、でも優しくて、強くて。魔法が上手くて、酒が強くて、寝相が悪い人が好みかもしれない」
「それって――」
「特定の誰かではない。一般論だ」
「嘘つき」
セレナがくすくす笑った。俺も笑った。
紅茶が運ばれてきた。カップを手に取ると、セレナも自分のカップを持ち上げた。
「乾杯しましょ。初デート記念に」
「何に乾杯する?」
「そうね……。出会いに、かしら」
「出会いに」
カップを軽く合わせる。ちん、と小さな音が鳴った。
紅茶を一口飲む。温かくて、少し甘い。
「ねえ、リーナちゃん」
「ん?」
「前世で、一番楽しかった思い出って何?」
「……一番楽しかった、か」
考える。三十二年間を振り返る。
仕事の思い出は辛いことばかりだ。学生時代も、特に輝いていた記憶はない。
でも。
「……中学の文化祭で、クラスの出し物の脚本を書いたことがあるんだ」
「脚本?」
「演劇の台本。俺が書いた物語を、クラスメイトが演じてくれた。すごく緊張したけど、お客さんが笑ったり泣いたりしてくれて。終わった後、クラスメイトが『健太の脚本、最高だったよ』って言ってくれた」
遠い記憶。もう二十年近く前のこと。
「あの時だけは、自分にも何か作れるものがあるんだって思えた。誰かの心を動かせるものが」
「素敵な思い出ね」
「でもその後、『物語なんか書いても食えない』って親に言われて、普通に就職した。脚本はそれっきり」
「…………」
「今思えば、あの時もっと足掻けばよかったのかもな。でも、あの世界の俺には、そんな勇気がなかった」
自嘲気味に笑った。
セレナが、カップを置いた。
「リーナちゃん」
「なに」
「あなたは今、新しい物語を書いてるわよ」
「……え?」
「テンペスタっていう物語。あなたが主人公で、私やフィーネちゃんがキャストで。毎日が新しいエピソードで。前世では書けなかった物語を、今、この世界で生きてる」
胸の奥が、じわりと熱くなった。
「しかも今度は、脚本を書く側じゃなくて、舞台に立つ側でしょ? ずっと裏方だったあなたが、主人公になった。それって、すごく素敵なことじゃない?」
「……セレナは、時々すごいことを言うよな」
「伊達に――」
「恋愛で痛い目見てないから。知ってる」
「むっ。先に言わないでよ」
二人で笑った。
風が吹いた。スカートの裾が揺れて、慌てて膝を押さえた。フィーネの忠告が役に立った。
「あら。スカート慣れしてないのね」
「今日が初スカートだから」
「そうなの? ……ねえ、立ってみて」
「え?」
「いいから」
言われるまま立ち上がると、セレナがしゃがんで俺のスカートの裾を整えた。
「風が吹いても大丈夫なように、裾を少しだけ内側に折るの。こうすると重みが出て、めくれにくくなるわ」
「へぇ……」
「女の子の知恵よ。他にも色々教えてあげる」
セレナが立ち上がって、俺の顔を間近で覗き込んだ。近い。唇に塗った桜色が、すぐそこにある。
「リーナちゃん。あなた、前世で三十二年、一人で頑張ってきたのよね」
「……まあ、そうだけど」
「もう一人で頑張らなくていいからね。わからないことは聞いて。女の子のこと、この世界のこと、何でも」
「……ありがとう」
「それと」
セレナの手が、俺の頬に触れた。
柔らかい手のひらが、頬を包み込む。
「答えは急がないけど、ひとつだけ言わせて」
「…………」
「好きよ、リーナちゃん。昨日も今日も、明日も。元男でも、元おっさんでも。全部ひっくるめて、大好き」
心臓が壊れるかと思った。
至近距離で言われる「好き」の破壊力。しかも相手は夕日に照らされた金髪美女。これは反則だ。人類が耐えられる甘さの限界を超えている。
「っ……」
顔が熱い。耳まで赤くなっているのが自分でもわかる。
「その顔、可愛い。三十二歳のおっさんとは思えないわ」
「やめて。今かなり限界だから」
「ふふ。じゃあ、限界を超えてみる?」
セレナの顔がさらに近づいて――
おでこに、唇が触れた。
柔らかい。温かい。ほんの一瞬の感触。
「…………っ」
完全にフリーズした。
セレナが離れて、いたずらっぽく笑う。
「おでこよ。セーフでしょ?」
「セーフじゃない。心臓が死んだ」
「大げさね。……でも、本番はもう少し待つわ」
本番。その言葉の意味を考えて、さらに赤くなった。
「帰ろっか。夕飯、フィーネちゃんも待ってるでしょうし」
「う、うん」
広場を後にする。手を繋いで、夕暮れの街を歩く。
おでこに残る温もりが、いつまでも消えなかった。
◇ ◇ ◇
宿に帰ると、フィーネが食堂で待ち構えていた。
「おかえりなさい! どうでした!? デート!!」
「楽しかったよ」
「リーナさん、顔が真っ赤なんですけど」
「夕焼けのせいだよ」
「もう日が沈んでますけど」
「…………」
「セレナさん、何かしましたね!?」
「秘密よ」
「えー! 教えてくださいー!」
賑やかな夕食が始まった。
フィーネの質問攻めを適当にかわしながら、俺は心の中で静かに思った。
半分、と言った。
セレナへの気持ちが、好きの半分までたどり着いたと。
嘘だった。
もうとっくに、半分なんて超えている。
おでこに触れた唇の温もりを思い出すだけで、胸が締めつけられるように苦しくて、同時にとんでもなく幸せだ。
これを恋と呼ばずに、何と呼ぶのか。
――認めよう。
俺は、セレナのことが好きだ。
元男とか、元おっさんとか、もう関係ない。
リーナとして。一人の人間として。
セレナのことが、好きだ。
その答えを伝えるのは、もう少しだけ先にしよう。
もう少しだけ、この甘い時間を噛みしめていたいから。
「リーナさん、にやにやしてますよ」
「してない」
「してます」
「してるわね」
「…………してるかも」
三人の笑い声が、夜の宿屋に響いた。
穏やかな夜だった。
嵐の前の、静けさだとは知らずに。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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