Lesson4「部長の丸投げと山芋処方」
月曜日の朝、僕は重い気分でオフィスに向かっていた。先週末から鼻水が止まらず、どうやら花粉症の季節が本格的に到来したようだ。
「ズズッ……」
鼻をすすりながらデスクに着くと、雪杉さんがいつものように煮干しだしマグカップを手に現れた。
「おはようございます」
「おはようございます……ズズッ」
「あら、お鼻の調子が悪そうですね」
雪杉さんが心配そうに僕を見る。
「ええ、花粉症が……」
「大変ですね。薬は飲んでるんですか?」
「一応、市販の薬を……でも、あまり効かなくて」
雪杉さんが何やら考え込んでいる。
「ヨガの先生に聞いてみましょうか?」
「え?」
「ヨガの先生、自然療法にとても詳しいんです。きっといい方法を知ってますよ」
(また自然療法か……でも、藁にもすがりたい気分だし……)
「もしよろしければ……」
「分かりました! 今度聞いてみますね」
雪杉さんが嬉しそうに微笑む。
その時、丸山部長の大きな声が響いた。
「おーい、上村」
「はい」
僕が振り返ると、部長が資料の山を抱えて立っている。
「この企画書、チェックしてくれ」
「はい」
資料を受け取ると、かなりの量だった。
「いつまでに……ズズッ」
「えーっと……」部長が手帳をパラパラめくる。「明後日の会議で使うから……明日までに頼む」
明日まで? この量を?
「部長、この量だと、一人では……」
「大丈夫、お前ならできる」部長が軽く手を振る。「俺は信じてる。じゃあ、よろしく」
そう言って、部長はさっさと自分のデスクに戻ってしまった。
(またか……いつものパターンだ)
丸山部長は、面倒な仕事があると必ず部下に丸投げする。そして「お前を信じてる」「お前に任せる」という魔法の言葉で逃げていく。
僕が資料をめくっていると、蓮見さんがやってきた。
「上村君、また大量の宿題?」
「はい……明日までにこの企画書全部チェックです」
「うわあ、大変ね。手伝えることあったら言って」
「ありがとうございます。でも、蓮見さんも忙しいですし……」
そんな会話をしていると、雪杉さんが近づいてきた。
「上村さん、大変そうですね」
「ええ、まあ……」
「ところで、ヨガの先生に花粉症のこと聞いてみました」
「え? もう聞いたんですか?」
「はい。朝のヨガレッスンの時に」
(朝からヨガレッスン……この人いつ寝てるんだ)
「それで、とてもいい方法を教えてもらったんです」
雪杉さんが嬉しそうに言う。
「どんな方法ですか?」
「山芋です」
「山芋?」
「はい。山芋を鼻に塗ると、花粉症に効くんです」
(鼻に山芋……?)
「あの、塗るって……どうやって?」
「すりおろした山芋を、鼻の穴の周りに塗るんです」
僕は想像して、ゾッとした。
「そ、それって……安全なんですか?」
「もちろんです! ヨガの先生が実際に試して、効果があったって言ってました」
(ヨガの先生、どんな人なんだ……)
「でも、山芋って、かゆくなりませんか?」
「最初は少しかゆいかもしれませんが、慣れれば大丈夫です」
(慣れるって……)
雪杉さんが本気で心配してくれているのは分かる。でも、山芋を鼻に塗るなんて……
「あの、他の方法は……」
「あ、そうそう」雪杉さんが思い出したように言う。「山芋だしもいいですよ」
「山芋だし?」
「はい。山芋をすりおろして、だしに混ぜるんです。飲むと体の中から花粉症に効きます」
(今度は飲む方か……)
「どちらがお勧めですか?」
「両方です」雪杉さんがにっこり笑う。「外からも内からも攻めるんです」
(攻めるって……花粉症は敵じゃないんだから……)
お昼休みになっても、僕は企画書のチェックに追われていた。
「ズズッ……」
鼻水は止まらないし、資料は膨大だし、頭がぼーっとしてくる。
「上村さん、お昼ご飯は?」雪杉さんが心配そうに聞く。
「あ、後で何か買ってきます」
「だめです! ちゃんと食べないと」
「でも、この資料……」
「お昼は昼寝の時間です。仕事は午後にやりましょう」
(この人の価値観では、昼寝が最優先なのか……)
「でも、明日までに……」
「大丈夫です。きっと何とかなりますよ」
雪杉さんが楽観的に言う。
「それより、山芋、買ってきましょうか?」
「え?」
「近くのスーパーで山芋を買って、今日の夕方試してみませんか?」
雪杉さんが本気で提案している。
「あの、でも……」
「私が付き添いますから、大丈夫です」
(付き添いって……そういう問題じゃないと思うんだけど……)
結局、僕は雪杉さんの熱意に押し切られて、山芋療法を試すことになってしまった。
夕方、定時になると、雪杉さんは本当に山芋を買ってきた。
「買ってきました! 立派な山芋です」
雪杉さんが嬉しそうに袋を見せる。
「本当に買ってきたんですね……」
「はい。これで上村さんの花粉症も治りますよ」
(治るのかな……本当に……)
「どこでやりますか?」雪杉さんが聞く。
「どこでって……」
「山芋をすりおろして、塗るの、どこでやりますか?」
確かに、オフィスでやるわけにはいかない。
「あの……給湯室とかは……」
「いいですね! では、給湯室で山芋タイムです」
(山芋タイムって……)
給湯室に向かう途中、蓮見さんに会った。
「上村君、お疲れ様。企画書の方は?」
「まだ半分くらいです……」
「そっか、大変ね。ところで、その袋は?」
「あ、これは……」僕が困っていると、
「山芋です」雪杉さんが堂々と答える。
「山芋?」
「上村さんの花粉症治療用です」
蓮見さんが困惑している。
「花粉症……山芋で?」
「はい。ヨガの先生推奨の自然療法です」
「そ、そうなんだ……」
蓮見さんが僕を見る。その視線に「大丈夫?」という心配が込められている。
「まあ、試してみるだけなので……」
「頑張って……」
給湯室で、雪杉さんは慣れた手つきで山芋をすりおろし始めた。
「ヨガの先生に教わった通りにやりますからね」
「はい……」
すりおろした山芋が、白いペースト状になっていく。
「これを鼻の周りに塗ります」
「周りって……どこまで?」
「鼻の穴の入り口あたりです」
雪杉さんが指で山芋ペーストをすくう。
「では、失礼します」
「え? 雪杉さんが塗るんですか?」
「はい。最初は慣れた人がやった方がいいので」
(慣れた人って……雪杉さんも初めてじゃないの?)
でも、雪杉さんは自信満々だ。僕は観念して、目を閉じた。
「では、いきますよ」
雪杉さんの指が、僕の鼻の周りに山芋ペーストを塗り始める。
「ひんやりして気持ちいいでしょう?」
確かにひんやりする。でも……
「あ、あれ……なんかピリピリ……」
「大丈夫です。それが効いてる証拠です」
ピリピリ感がだんだん強くなってくる。
「雪杉さん、なんか変です……」
「もう少し我慢してください」
でも、ピリピリがピリピリじゃなくなってきた。
「あ、あの……かゆい……」
「かゆいのは最初だけです」
「でも、すごくかゆくて……」
僕の鼻の周りが、どんどんかゆくなってくる。
「雪杉さん! これ、やばいです!」
「え?」
鏡を見ると、僕の鼻の周りが真っ赤になっている。
「うわあ! 赤くなってる!」
「あら……」雪杉さんが慌てる。「ヨガの先生は、こんなことになるって言ってなかったのに……」
「とりあえず洗い流します!」
僕は慌てて水道で顔を洗った。
「上村さん、大丈夫ですか?」
「分からないです……まだかゆいです……」
そんな騒ぎをしていると、給湯室に碓氷係長が現れた。
「どうしたんですか? 何か騒がしいですが……」
「あ、係長……」
僕の顔を見て、係長が驚く。
「上村君、顔が真っ赤ですよ」
「山芋アレルギーかもしれません」
「山芋? なんで山芋を?」
雪杉さんが事情を説明すると、係長が苦笑いした。
「雪杉さん、山芋は人によってはアレルギーを起こしますよ」
「え? ヨガの先生は何も言ってなかったのに……」
「自然のものでも、体質に合わない場合があるんです」
係長が僕を見る。
「上村君、病院行った方がいいかもしれませんね」
「病院……」
結局、僕は早退して皮膚科に行くことになった。
「すみません……」雪杉さんが申し訳なさそうに言う。
「いえ、雪杉さんのせいじゃありません」
「でも、私が勧めたから……」
医者の診断は、案の定「接触性皮膚炎」だった。山芋の成分で、軽いかぶれを起こしたのだ。
「しばらく薬を塗っていれば治りますよ」医者が軽く言う。「でも、今度から山芋には気をつけてくださいね」
翌日、僕は鼻の周りに薬を塗って出社した。
「上村君、大丈夫?」蓮見さんが心配そうに聞く。
「ええ、薬をもらったので」
「よかった……」
雪杉さんは、僕を見て申し訳なさそうな表情をしている。
「上村さん、本当にすみませんでした」
「大丈夫ですよ。治りますから」
「でも……」
そんな会話をしていると、丸山部長がやってきた。
「おい、上村。昨日の企画書は?」
「あ、それが……」
僕は昨日、病院に行ったせいで、企画書のチェックが完了していなかった。
「どうした? 顔が赤いぞ」
「実は……」
僕が事情を説明すると、部長が首をかしげた。
「山芋を鼻に塗った? なんで?」
「花粉症の治療で……」
「花粉症なら病院で薬もらえばいいじゃないか」
(それが普通ですよね……)
「で、企画書は?」
「すみません、今日中に必ず……」
「そうか。まあ、体調が悪いなら仕方ないな」
意外にも、部長は寛大だった。
「お前に任せる」
(また任せるのか……)
「でも」部長が雪杉さんの方を見る。「雪杉、お前が勧めたんだろ?」
「はい……」
「だったら、責任取って上村の手伝いしろ」
「え?」
「変な治療法勧めて、部下を病院送りにしちゃだめだろ」
部長の言葉に、雪杉さんがハッとした表情になる。
「はい……分かりました」
「よし。じゃあ、二人で頑張ってくれ」
部長がまた丸投げして去っていく。
「上村さん」雪杉さんが真剣な顔で言う。
「はい?」
「責任を持って、お手伝いします」
「でも、雪杉さんは定時で帰るって……」
「今日は特別です」
雪杉さんが企画書を手に取る。
「どこから手をつけましょうか?」
結局、雪杉さんは その日、初めて残業をした。
しかも、意外にも仕事が速い。外資系にいただけあって、資料の読み込みが的確だ。
「この部分、データに矛盾がありますね」
「え? どこですか?」
「ここです。前のページと数字が合いません」
雪杉さんの指摘で、重要なミスが見つかった。
夜の8時頃、ようやく企画書のチェックが完了した。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした。雪杉さんのおかげで助かりました」
「いえ、私のせいで病院に行かせてしまったので……」
雪杉さんが申し訳なさそうに言う。
「でも、いい勉強になりました」
「勉強?」
「珍しい治療法を勧めた時は、最後まで責任を持つべきだって」
雪杉さんが真剣に言う。
「ヨガの先生にも報告しないといけませんね」
(まだヨガの先生に報告するのか……)
「今度から気をつけます」
翌日、僕の鼻の赤みはだいぶ引いていた。
雪杉さんは、いつものように煮干しだしマグカップを持って現れた。
「おはようございます。調子はいかがですか?」
「おかげさまで、だいぶよくなりました」
「よかった……」
「ところで、ヨガの先生には報告しましたか?」
「はい。『個人差があるから、次回からは注意深く』って言われました」
(次回って……まだ他の人に勧める気なのか……)
「でも、勉強になりました」雪杉さんが微笑む。
「どんな?」
「珍しい療法は、提案した人が最後まで見守らないといけないって」
確かに、昨日の雪杉さんは責任を感じて、最後まで付き合ってくれた。
「今度、何か提案する時は、必ず一緒にやります」
(今度もあるのか……)
でも、雪杉さんの責任感は、ちょっと嬉しかった。
サボりの美学は雪杉さんに学べ。
――珍療法は提案した者が見守る。
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※この話は全てフィクションであり、実在の人物や団体などとは一切、関係ありません。
※AI補助執筆(作者校正済)