Lesson3「職場バルーン戦線」
雪杉さんが入社して一週間が経った金曜日。僕たち営業三課は、来週開催される「新商品発表会」の準備に追われていた。
「上村君、会場の飾り付けは大丈夫?」本山課長が確認してくる。
「はい、バルーンアーチと花束の手配はできています」
「ありがとう。お客様にも喜んでもらえるように、華やかにお願いします」
新商品発表会は、重要な取引先を招いての大きなイベントだ。会場は本社ビルの13階にある多目的ホールを使用する。
「雪杉さんも、飾り付けお疲れ様」課長が雪杉さんに声をかける。
「はい」雪杉さんが煮干しだしマグカップを持ったまま答える。「でも、私は飾り付けのセンスがないので……」
「そんなことないですよ。女性の視点は大切です」
「分かりました。だし休憩を取ってから、お手伝いします」
(だし休憩って……もう午前中だけで3回目だよ……)
お昼を過ぎて、僕たちは13階の多目的ホールに向かった。飾り付け作業の開始だ。
ホールに入ると、すでに机や椅子はセッティングされている。あとは装飾を施すだけだ。
「まず、ステージ周りにバルーンアーチを作りましょう」蓮見さんが指示を出す。
業者から届いた大量の風船を見て、雪杉さんが目を輝かせた。
「わあ、カラフルですね」
「はい。コーポレートカラーの青をメインに、白とシルバーで統一する予定です」
風船を膨らませる作業が始まった。僕と蓮見さん、雪杉さん、それに碓氷係長も手伝いに来てくれている。
「ふう、ふう」
僕は必死に風船を膨らませている。でも、これが意外に大変だ。
「上村、顔真っ赤よ」蓮見さんが心配そうに言う。
「大丈夫です……ふう、ふう」
隣で碓氷係長は、筋トレで鍛えた肺活量を活かして、次々と風船を膨らませている。
「これも肺活量トレーニングですね」
「係長、すごいペースですね」
「ええ。でも、雪杉さんの方がすごいですよ」
雪杉さんの方を見ると、確かに驚くべき光景が広がっていた。
雪杉さんは、風船を膨らませながら、何やら瞑想のような表情をしている。
「ふぅーーーーー」
長く、深い呼吸で風船を膨らませている。まるでヨガの呼吸法のようだ。
「雪杉さん、その膨らませ方……」
「ヨガの呼吸法です」雪杉さんが微笑む。「深く吸って、ゆっくり吐く。風船も喜んでくれます」
(風船が喜ぶって……)
しかも、雪杉さんが膨らませた風船は、なぜかどれも完璧に丸い。大きさも均一だ。
「すごいですね。どの風船も同じサイズです」
「ヨガの先生に教わったんです。『すべてのものには適切なサイズがある』って」
30分ほどで、大量の風船が完成した。
「では、アーチを作りましょう」蓮見さんが針金を取り出す。
ところが、アーチ作りが思ったより難しい。風船同士をうまく結びつけるのにコツがいる。
「あー、また外れちゃった」
僕が格闘していると、雪杉さんが近づいてきた。
「お手伝いします」
雪杉さんが風船を手に取ると、まるで魔法のように、風船同士がきれいに結ばれていく。
「雪杉さん、器用ですね」
「ヨガで指先の感覚を鍛えてるんです」
どんどんアーチが形になっていく。しかも、雪杉さんが作る部分だけ、なぜか特別に美しい。
「すごい……まるでプロが作ったみたい」蓮見さんが感嘆する。
「ありがとうございます。でも、これくらいなら誰でもできますよ」
(いや、絶対できないって……)
1時間後、見事なバルーンアーチが完成した。
「うわあ、きれい」
「これなら、お客様にも喜んでもらえそうね」
みんなが満足している中、雪杉さんが何やら考え込んでいる。
「どうしました?」
「あの……もう少し派手にしませんか?」
「派手に?」
「はい。せっかくですから、もっとカラフルにしたら……」
雪杉さんが、残っている風船を指差す。確かに、青、白、シルバー以外にも、赤、黄色、緑などの風船がたくさん余っている。
「でも、コーポレートカラーで統一って話じゃ……」蓮見さんが困惑する。
「統一も大切ですけど」雪杉さんが真剣な表情で言う。「お祝いには華やかさも必要だと思うんです」
「華やかさ……」
「ヨガの先生が言ってました。『人生に彩りを』って」
またヨガの先生だ。でも、確かに雪杉さんの言うことにも一理ある。
「どうしましょうか?」僕が蓮見さんに聞く。
「うーん……課長に相談してみる?」
その時、エレベーターの音が聞こえた。本山課長がやってきたのだ。
「みなさん、お疲れ様です。進捗はいかがですか?」
「課長、バルーンアーチは完成しました」
課長がアーチを見て、満足そうに頷く。
「いいですね。とてもきれい」
「ありがとうございます。ところで」雪杉さんが手を上げる。
「はい?」
「もう少し派手にしてもいいでしょうか?」
雪杉さんが余った風船を見せる。
「派手に?」
「はい。お客様に喜んでもらうためには、華やかさも大切だと思うんです」
課長が考え込む。
「確かに……新商品発表会ですからね。印象に残るようにしたい」
「でしたら」雪杉さんが提案する。「風船でお花を作ってはどうでしょう?」
「風船でお花?」
「はい。バルーンアートです」
僕たちは顔を見合わせた。バルーンアート?
「雪杉さん、バルーンアートもできるんですか?」
「はい。ヨガのイベントでよく作るんです」
(ヨガのイベントでバルーンアート……なんかすごい世界だな)
「では、お任せします」課長が決断する。「華やかにしましょう」
「ありがとうございます!」
雪杉さんが嬉しそうに風船を手に取る。そして、信じられないスピードで風船を捻り始めた。
「あっという間にお花が……」
細長い風船を巧みに捻って、見事な花の形を作り上げる。しかも、その速さが尋常じゃない。
「すごい……プロみたい」碓氷係長が感心する。
「ありがとうございます。これも呼吸法の応用なんです」
10分ほどで、雪杉さんは色とりどりの風船の花を大量に作り上げた。
「これを会場に飾りましょう」
僕たちは雪杉さんの作品を会場各所に配置していく。確かに、一気に華やかになった。
「すごくきれいになりましたね」蓮見さんが満足そうに言う。
「はい。でも」雪杉さんがまだ何か考えている。
「まだ何かありますか?」
「天井も飾りませんか?」
雪杉さんが天井を見上げる。
「天井?」
「はい。風船を浮かせるんです」
「浮かせる?」
「ヘリウムガスを使って」
確かに、ヘリウムガスも用意してある。でも、天井に風船を浮かせるって……
「面白そうですね」碓氷係長が乗り気になる。
「でも、会場が散らかりませんか?」僕が心配する。
「大丈夫です」雪杉さんが自信満々に答える。「計算して配置します」
「計算?」
「はい。風と気流の動きを考慮して」
(風と気流って……そんなこと考えてバルーン配置するの?)
結局、雪杉さんの提案で、天井にもカラフルな風船を浮かせることになった。
ヘリウムガスで膨らませた風船が、ふわふわと天井に向かって上がっていく。
「わあ、きれい」
会場が一気にファンタジックな雰囲気になった。
「これなら、お客様にも印象に残りますね」課長が満足そうに言う。
作業が完了したのは夕方の5時頃。みんなでできあがった会場を眺めていた。
「本当に華やかになりましたね」
「雪杉さんのおかげです」
「いえいえ、みなさんのご協力があったからです」
そんな会話をしていると、突然、
「パン!」
大きな音がした。
「え?」
見ると、天井に浮いていた風船の一つが割れていた。
「あ……」
「大丈夫ですか?」
「はい、一つくらいなら……」
ところが、それは始まりに過ぎなかった。
「パン! パン!」
次々と風船が割れ始めたのだ。
「どうして?」
「空調の風で、風船同士がぶつかってるみたいです」雪杉さんが分析する。
「え?」
「ヘリウムガスの風船は軽いので、空調の影響を受けやすいんです」
(それ、最初に考慮してくれよ……)
「パン! パン! パンパンパン!」
風船の割れる音が連続で響く。まるで戦場のようだ。
「うわあ!」
蓮見さんが頭を抱える。
「これ、明日の朝までに片付けないと……」
「そうですね」雪杉さんが冷静に答える。「でも、私、定時なので帰ります」
「え?」
「だって、お片付けは想定外でしたから」
(想定外って……提案したの雪杉さんでしょ!)
「ちょっと待ってください」僕が慌てる。「この状況で帰るって……」
「大丈夫です。きっと宇宙が何とかしてくれますよ」
「宇宙って……」
雪杉さんは本当に帰っていった。残された僕たちは、割れた風船の破片と、まだ空中に浮いている風船の処理に追われることになった。
「係長、どうしましょう?」
「うーん……とりあえず、浮いてる風船を全部回収しましょう」
「どうやって?」
「脚立を使って……」
結局、僕たちは夜の9時まで風船の片付けに追われた。
翌日の新商品発表会当日。
雪杉さんは、いつも通りに煮干しだしマグカップを持って現れた。
「おはようございます。昨日はお疲れ様でした」
「おはようございます……」
僕は寝不足で、少しふらついている。
「発表会の準備、大丈夫でしたか?」
「なんとか……」
会場は、結局シンプルなバルーンアーチだけの装飾に戻していた。
「あら、シンプルになってますね」
「はい……安全を考慮して……」
「そうですね。シンプルも素敵です」
雪杉さんがだしを飲みながら、何事もなかったかのように言う。
新商品発表会は無事に成功した。お客様からも好評をいただけた。
でも、僕は昨夜の風船戦争を忘れることができなかった。
「雪杉さん」
「はい?」
「昨日の件、申し訳ありませんでした」
「え? 何がですか?」
「風船が割れて、片付けが大変になって……」
「ああ、それですか」雪杉さんがにっこり笑う。「大丈夫です。派手にできて良かったじゃないですか」
「でも、結局片付けは……」
「ヨガの先生が言ってました」雪杉さんが真剣な顔になる。「『派手にやって、片付けは人に任せる。それも人生のバランス』って」
(そのヨガの先生、本当に大丈夫なのか……?)
「それに」雪杉さんが付け加える。「みなさん、いい運動になったでしょ?」
確かに、脚立を使った風船回収は、思わぬ運動になった。
「碓氷さんも喜んでましたよ。『予想外の全身運動ができた』って」
(係長、そんなこと言ってたのか……)
その後、雪杉さんは何事もなかったかのように、いつものだしタイムを始めた。
「今日は昆布だしです。イベント後の疲労回復に効果的なんです」
昨夜の騒動で疲れ切った僕は、雪杉さんのマイペースさに、もはや諦めの境地に達していた。
でも、不思議と嫌な気分ではなかった。確かに、昨日の会場は一時的にでも、とても華やかだった。
お客様からも「印象的な会場でした」という感想をいただけた。
(まあ、結果オーライなのかな……)
そんなことを考えていると、丸山部長がやってきた。
「おい、昨日の発表会、評判良かったらしいな」
「はい、ありがとうございます」
「風船の演出、派手で良かったぞ」
「風船の演出……」
部長は、風船が割れまくった騒動を知らないらしい。
「雪杉、お前のアイデアだったのか?」
「はい」雪杉さんがにっこり答える。
「いいセンスだ。また何かイベントがあったら頼むぞ」
「喜んで!」
僕は心の中で叫んだ。
(また風船戦争が起こる……)
でも、雪杉さんは嬉しそうにだしを飲んでいる。
きっと、次回も何か予想外の展開が待っているんだろう。
サボりの美学は雪杉さんに学べ。
――派手さは正義。片付けは他人。
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※この話は全てフィクションであり、実在の人物や団体などとは一切、関係ありません。
※AI補助執筆(作者校正済)