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『サボりの美学は雪杉さんに学べ』  作者: 白隅 みえい
第1章:サボりの衝撃
2/6

Lesson2「ヨガ講師推奨・煮干しだし覚醒法」

雪杉さんが入社して三日目の水曜日。僕はもう彼女のペースに少し慣れ始めていた。


朝の煮干しだしタイム、午前中のちょこちょこだし補給、昼寝、午後のだしタイム、そして定時ダッシュ。この一連の流れが、すでに営業三課の日常風景となりつつある。


「おはようございます」


今日も雪杉さんは、湯気の立つマグカップを持って現れた。


「おはようございます。今日は何だしですか?」


もはや僕も、だしの種類を聞くのが習慣になっていた。


「今日は特製ブレンドです」雪杉さんが嬉しそうに答える。「煮干し、昆布、椎茸の三重奏なんです」


「三重奏……」


「ヨガの先生に教えてもらったレシピなんです。『心・体・魂のバランスを整える』って」


(ヨガの先生、だしにまで詳しいのか……)


雪杉さんがデスクに座ると、いつものように深呼吸を始めた。


「んー……今日のだしは特に香りが立ってますね。椎茸のうまみが効いてます」


隣の席の蓮見さんが苦笑いしている。


「雪杉さん、昨日お渡しした顧客リストの件はいかがですか?」


「あ、はい」雪杉さんがマグカップを置く。「ちゃんと整理しました」


「ありがとうございます。では、午前中にその続きを……」


「はい。でも、まず朝のだしタイムを完了させてください」


「だしタイム……はい……」


蓮見さんも、もう諦めの境地に達している。


雪杉さんは再びマグカップを両手で包み、目を閉じて瞑想するように静かにだしを味わい始めた。


その様子を見ていると、碓氷係長がやってきた。


「おはよう、雪杉さん。今日も健康的な朝ですね」


「おはようございます、碓氷さん。今日のだしは特製ブレンドです」


「おお! 私も今朝はプロテインに新しいフレーバーを試したんです。バナナ味とピーチ味のミックス」


「素晴らしいですね。栄養バランスも良さそう」


碓氷係長と雪杉さんは、健康飲料について真剣に議論を始めた。


「そういえば雪杉さん、ヨガで体幹は鍛えてます?」


「はい、毎日やってます。特に朝のサンサルテーション」


「いいですねー。体幹がしっかりしてると、座り仕事でも疲れにくいですよね」


「そうなんです。でも、やっぱり昼寝は必要ですけど」


「昼寝も大切ですね。短時間睡眠は脳の回復に効果的です」


(係長、昼寝も肯定するのか……)


午前中の仕事が順調に進んでいく。雪杉さんは、だしを飲みながらも、意外とテキパキと作業をこなしている。


「雪杉さん、このデータ入力、もう終わったんですか?」蓮見さんが驚く。


「はい。だしを飲みながらやると、集中力が上がるんです」


「だしの効果……ですか……」


「ヨガの先生が言ってました。『自然の恵みは心を研ぎ澄ます』って」


そんな会話をしていると、奥から丸山部長の声が聞こえてきた。


「おーい、上村」


「はい」


僕が振り返ると、部長が手招きしている。


「ちょっと来い。会議の資料、チェックしてくれ」


「はい、すぐに」


僕が部長のデスクに向かう途中、雪杉さんが小声で言った。


「部長さん、なんだか疲れてそうですね」


確かに、丸山部長は最近忙しそうだった。電話ばかりかけていて、資料も山積みになっている。


「みんな働きすぎなんですよ」雪杉さんが呟く。

「もっとリラックスすればいいのに」


お昼休みになると、雪杉さんは新しいマグカップを取り出した。


「お昼のだしタイムです」


「また違うだしですか?」僕が聞く。


「はい。昼は軽めの昆布だしです。昼寝前には重いだしはよくないので」


(だしにも昼寝向きとそうでないのがあるのか……)


雪杉さんが昆布だしを飲み終えると、デスクに突っ伏した。


「では、昼寝させていただきます」


「はい……」


僕と蓮見さんは、もう慣れっこになっている。


雪杉さんの昼寝は、本当に見事だった。デスクに突っ伏してから30秒もしないうちに、静かな寝息を立て始める。


「すごい入眠スピードね」蓮見さんが感心している。


「ヨガの呼吸法の応用らしいです」


「へー……」


僕たちも昼食を食べに行こうとした時、佐々木がやってきた。


「雪杉さん、今日こそランチでも……」


佐々木が雪杉さんを見ると、完全に眠っていることに気づいた。


「あ……寝てる……」


「昼寝タイムです」蓮見さんが説明する。


「毎日ですか?」


「毎日です」


佐々木が肩を落とす。


「まあ、起きるまで待ってみますか……」


佐々木が椅子に座って雪杉さんを見守り始めた。その健気な姿に、僕はちょっと同情した。


僕と蓮見さんが昼食から戻ってくると、雪杉さんはまだ眠っていた。佐々木も、まだ待っている。


「佐々木、まだいたの?」


「うん……あと5分で起きるかなと思って……」


雪杉さんの昼寝は、いつも15分ちょうどだった。時計を見ると、あと3分ほどで15分になる。


「もうすぐ起きますよ」僕が言うと、


その時、エレベーターの音が聞こえた。営業三課のエリアに向かって、足音が近づいてくる。


重い足音。そして、独特の咳払い。


(部長だ)


丸山部長が営業三課のエリアにやってきた。資料を抱えて、機嫌が悪そうな表情をしている。


部長の視線が、デスクに突っ伏して眠っている雪杉さんに向かった。


「おい……」


部長が口を開きかけた、その瞬間。


雪杉さんがパッと顔を上げた。


「はい!」


まるで最初から起きていたかのような、完璧な覚醒だった。


「え?」部長が拍子抜けする。


「お疲れ様です、部長」雪杉さんがにっこりと微笑む。


「あ、ああ……お疲れ様」


部長が困惑している。雪杉さんは何事もなかったかのように、新しいマグカップを取り出した。


「午後のだしタイムです」


「だし……?」


「はい。午後は椎茸だしです。集中力アップに効果的なんです」


部長が呆然としている間に、雪杉さんは椎茸だしを飲み始めた。


「部長も飲んでみませんか? 疲労回復にいいですよ」


「いや……俺はコーヒーで……」


「コーヒーよりだしの方が体に優しいです。ヨガの先生も推奨してます」


部長が苦笑いしている。


「そ、そうか……」


部長が去った後、僕は雪杉さんに聞いた。


「雪杉さん、どうして部長が来るって分かったんですか?」


「え?」


「部長の足音が聞こえた瞬間に起きましたよね」


雪杉さんが不思議そうな顔をする。


「分からないです。なんとなく、目を覚ますタイミングだなって思って」


「タイミング?」


「はい。ヨガの先生が言ってました。『宇宙のリズムに合わせて生きなさい』って」


宇宙のリズム……


「宇宙が『起きる時間だよ』って教えてくれるんです」


(宇宙って……そんなことあるのか?)


佐々木が諦めモードで言った。


「雪杉さん、今度また誘わせてもらいます……」


「はい。でも、だし以外の飲み物はちょっと……」


「だし……ですね……分かりました……」


佐々木が肩を落として去っていく。


午後の仕事が始まると、雪杉さんは椎茸だしを飲みながら資料作成に取りかかった。


「この企画書、どうでしょうか?」


雪杉さんが画面を見せてくれると、そこには驚くほど完成度の高い企画書が表示されていた。


「すごいですね。短時間でこれだけの内容を……」


「だしのおかげです」雪杉さんがマグカップを掲げる。「椎茸だしは創造性を高めてくれるんです」


「椎茸に創造性を高める効果が……?」


「ヨガの先生がそう言ってました」


やっぱりヨガの先生だった。


夕方、碓氷係長がやってきた。


「雪杉さん、今日の昼寝、完璧でしたね」


「ありがとうございます。15分ちょうどで目覚められました」


「あの部長が来たタイミングでの覚醒、見事でした」


「宇宙のタイミングですね」


碓氷係長が真剣に頷く。


「そうですね。筋トレでも、宇宙のリズムは大切です。『今日は胸の日』とか『今日は背中の日』とか、体が教えてくれるんです」


「分かります! 体の声を聞くのは大切ですよね」


(係長まで宇宙論に同調してる……)


そんな会話を聞いていると、蓮見さんが僕に耳打ちした。


「上村君、雪杉さんの昼寝、本当に不思議よね」


「そうですね。あのタイミングでの覚醒は……」


「私、観察してたの。雪杉さん、本当に眠ってたのよ。でも、部長の足音が聞こえた瞬間、眉が少しピクッと動いたの」


「眉が?」


「そう。で、足音が近づくにつれて、呼吸が少しずつ浅くなって……」


蓮見さんの観察力はさすがだ。


「つまり、無意識に部長の接近を察知してたってことですか?」


「そうかも。野生の勘っていうか……」


確かに、雪杉さんには不思議な感覚がある気がする。


定時が近づくと、雪杉さんは最後のだしタイムを始めた。


「夕方のだしタイムです」


「夕方もあるんですか?」


「はい。一日の締めくくりには、シンプルな昆布だしです」


雪杉さんが昆布だしを飲んでいると、部長が再び現れた。


「雪杉さん」


「はい」


「その……だしとやら、本当に効果あるのか?」


部長が興味深そうに聞く。


「はい、とても効果的です。疲労回復、集中力アップ、ストレス解消……」


「ストレス解消?」


「はい。だしの自然な旨味が心を落ち着かせてくれるんです」


部長が真剣に考え込んでいる。


「今度、作り方教えてくれるか?」


「喜んで! 部長にお勧めは煮干しだしですね」


「煮干し……」


「はい。男性の疲労には煮干しが効きます。ヨガの先生も……」


「ヨガの先生?」


「私のヨガの先生です。とても知識豊富な方で」


部長が興味深そうに頷く。


「そうか……今度詳しく聞かせてくれ」


「はい! 明日、特製煮干しだしをお持ちします」


定時になると、雪杉さんは即座にパソコンをシャットダウンした。


「お疲れ様でした」


「お疲れ様です」


雪杉さんが帰った後、僕と蓮見さんは顔を見合わせた。


「上村君」


「はい?」


「雪杉さん、だんだん周りを巻き込んでない?」


確かに、碓氷係長は健康談義で盛り上がるし、部長はだしに興味を示している。


「でも、悪いことではないような気がします」


「そうね。みんな、なんだかリラックスしてるし」


確かに、雪杉さんが来てから、オフィスの雰囲気が少し変わった気がする。


「あの昼寝の覚醒タイミング、本当に不思議だったわ」


「宇宙のタイミングですからね」


僕も、だんだん雪杉さんの理論に毒されている気がする。


翌日、雪杉さんは本当に部長のために特製煮干しだしを持参した。


「部長、お疲れ様です。煮干しだし、作ってきました」


「おお、ありがとう」


部長が恐る恐るだしを飲む。


「……うん、意外にいけるな」


「でしょう? ストレス解消効果もありますよ」


「そうか……」


それから部長は、時々雪杉さんにだしを分けてもらうようになった。


そして、昼寝の時間になると、部長は営業三課エリアに近づかないようになった。


「宇宙のタイミングを邪魔しちゃいけないからな」


部長まで、宇宙論を受け入れている。


雪杉さんの昼寝は、もはや営業三課の神聖な時間となっていた。


サボりの美学は雪杉さんに学べ。

――眠気は宇宙タイミングで切る。


#オフィスラブコメ #社会人 #ラブコメ #現代 #星形にんじん


※この話は全てフィクションであり、実在の人物や団体などとは一切、関係ありません。


※AI補助執筆(作者校正済)

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