Lesson16「会議室昼寝事件」
Lesson16「会議室昼寝事件」
昨日の占い処での出来事から一夜明けた木曜日。僕と雪杉さんは、なんとなくお互いを意識しながらも、いつも通り仕事をしていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶を交わすだけで、なんだか顔が熱くなる。昨日、お互いの気持ちを確認したばかりで、まだぎこちない。
「今日も星形にんじん弁当、作ってきました」雪杉さんが風呂敷包みを見せる。
「ありがとうございます。楽しみにしてます」
そんな僕たちの様子を、蓮見さんがニヤニヤしながら見ていた。
「あらあら、なんだか今日はいつもと違うわね」
「そ、そんなことないです」僕が慌てて否定する。
「昨日の占い、どうだったの?」
雪杉さんと僕が顔を見合わせる。
「まあ……色々と……」
「色々?」蓮見さんの目がキラリと光る。「詳しく聞かせて」
「後で……」雪杉さんが小声で答える。
そんな会話をしていると、丸山部長の声が響いた。
「みんな働きすぎ。会議室借りたから、昼休みに健康セミナーやるぞ」
健康セミナー?
「部長、健康セミナーって何ですか?」僕が聞く。
「えーっと……」部長が資料をパラパラめくる。「『職場でできるリフレッシュ法』とかいうやつだ。外部講師が来る」
「外部講師?」
「ああ。なんか、呼吸法とか瞑想とか教えてくれるらしい。お前ら、ストレス溜まってるだろ」
(部長が一番ストレス溜めてそうですけど……)
「参加は自由だが、会議室A押さえてあるから」
昼休みになると、僕と雪杉さんは星形にんじん弁当を持って会議室Aに向かった。
「健康セミナーって、どんなことやるんでしょうね」雪杉さんが興味深そうに言う。
「さあ……呼吸法とか瞑想とか」
「瞑想! ヨガでもやりますよ」
会議室に入ると、すでに碓氷さんと蓮見さんが座っていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様」碓氷さんがプロテインドリンクを飲みながら答える。「健康セミナー、楽しみですね」
「碓氷さんも参加するんですね」
「ええ。新しいトレーニング法が学べるかもしれませんから」
そこに佐々木もやってきた。
「みなさん、お疲れ様です」
「佐々木君も来たのね」蓮見さんが言う。
「はい。最近、仕事のストレスで肩が凝って」
佐々木が席に座ると、講師らしき人物が現れた。30代くらいの女性で、ヨガウェアのような服装をしている。
「皆さん、こんにちは。本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」
講師が自己紹介を始める。
「私、リラクゼーション・コーディネーターの田中と申します。今日は『職場でできるリフレッシュ法』について学んでいきましょう」
「よろしくお願いします」
「まず、皆さんは普段、どのようにストレス解消をしていますか?」
碓氷さんが真っ先に手を上げた。
「筋トレです」
「筋トレ……いいですね。他には?」
「ヨガです」雪杉さんが答える。
「素晴らしい。ヨガも効果的ですね」
「昼寝です」僕が言うと、講師が興味深そうな表情を見せた。
「昼寝も大切ですね。質の良い短時間睡眠は、疲労回復に効果的です」
「そうなんですか?」
「はい。ただし、正しい方法で行うことが重要です」
講師がホワイトボードに何か書き始める。
「今日は、特別な呼吸法を使った『パワーナップ』という昼寝法をお教えします」
パワーナップ?
「パワーナップとは、15分から20分の短時間睡眠のことです。でも、今日お教えするのは、より効果的な方法です」
講師が机の上に小さな笛のようなものを並べた。
「これは何ですか?」蓮見さんが聞く。
「吹きもどしです」
吹きもどし? お祭りでよく見る、ピューっと伸びるやつか。
「吹きもどしを使った呼吸法で、より深いリラクゼーション効果が得られるんです」
雪杉さんが目を輝かせている。
「すごいですね! どんな方法ですか?」
「まず、吹きもどしを咥えて、ゆっくりと息を吹き込みます。そして、戻ってくる時の振動を感じながら息を吸う。これを3回繰り返してから横になると、短時間で深い眠りに入れるんです」
(なんか怪しげだけど……)
「では、実際にやってみましょう」
講師が吹きもどしを配り始める。カラフルな吹きもどしが、会議室の机の上に並ぶ。
「まず、椅子に座ったまま練習してみましょう」
僕は吹きもどしを手に取る。確かにお祭りのやつだ。
「準備はいいですか? では、ゆっくりと息を吹き込んで……」
「ピューーー」
雪杉さんの吹きもどしが勢いよく伸びた。
「おお、素晴らしい! では皆さんも」
「ピューー」「ピューー」「ピューー」
会議室が吹きもどしの音で満たされる。碓氷さんは筋トレの呼吸法を応用しているのか、異常に長い音を出している。
「ピューーーーーーー」
「碓氷さん、すごい肺活量ですね」講師が感心する。
「筋トレで鍛えてますから」
そんな練習を10分ほど続けた後、講師が言った。
「では、実際に横になって昼寝してみましょう。机を端に寄せて、スペースを作ってください」
僕たちは机を動かして、会議室の床にスペースを作った。
「ヨガマットがあればいいのですが、今日は床に直接横になってもらいます」
雪杉さんが床に横になる。僕もその隣に横になった。
「では、吹きもどし呼吸法を3回行ってから、15分間の昼寝に入ります」
「ピューー」
また吹きもどしの音が響く。
「3回目が終わったら、吹きもどしを置いて、目を閉じてください」
僕は吹きもどしを置いて目を閉じた。確かに、なんだかリラックスできる気がする。
隣で雪杉さんの静かな寝息が聞こえる。昨日の占い処のことを思い出しながら、僕も眠りに落ちていった。
どのくらい時間が経っただろう。
「ピーポーピーポー」
突然の音で僕は目を覚ました。
「え?」
起き上がると、会議室に煙が充満している。
「火事ですか?」蓮見さんが慌てて立ち上がる。
「いえ、違います」講師が慌てた様子で言う。「これは……」
煙の発生源を探すと、会議室の隅にある小さなテーブルから煙が上がっていた。
「あ」雪杉さんが気づく。「アロマキャンドルが……」
テーブルの上に置かれていたアロマキャンドルが、紙の資料に燃え移っていた。
「消さなきゃ!」
碓氷さんがプロテインドリンクの残りを紙にかけて火を消した。
「大丈夫ですか?」佐々木が心配そうに聞く。
「はい、もう大丈夫です」講師がほっとした表情を見せる。「申し訳ありません。アロマキャンドルで雰囲気を演出しようと思ったのですが……」
その時、会議室のドアが勢いよく開いた。
「おい、何があった?」
丸山部長が現れた。後ろには本山課長もいる。
「あ、部長……」
「煙が出てるって連絡があったんだが」
「ちょっと……アロマキャンドルが……」僕が説明しようとすると、
「アロマキャンドル?」本山課長が眉をひそめる。「会議室でキャンドルですか?」
「すみません」講師が平謝りする。「私の不注意で……」
「それより」部長が会議室を見回す。「なんだこれ、吹きもどしが散らばってるぞ」
確かに、僕たちが使った吹きもどしが床に転がっている。
「あー、それは呼吸法の練習で……」雪杉さんが説明しようとする。
「呼吸法?」
「はい。吹きもどし呼吸法という……」
本山課長の表情がどんどん険しくなっていく。
「ちょっと待ってください」課長が手を上げる。「会議室で吹きもどしを使って呼吸法の練習をして、挙句の果てにアロマキャンドルで火事騒ぎ?」
「火事というほどではないんですが……」蓮見さんが弁護しようとする。
「でも、火災報知器が作動したんですよね?」
確かに、さっきのピーポー音は火災報知器だった。
「申し訳ありませんでした」講師が深々と頭を下げる。
そんな混乱の中、さらなる騒動が起こった。
「お疲れ様でーす」
会議室に営業一課の女性社員が数人入ってきた。手には飲み物を持っている。
「あれ? なんか煙臭い……」
「今、13時からの会議の準備で……って、床に何か落ちてません?」
吹きもどしを指差している。
「あ、それは……」僕が説明しようとすると、
「うわ、これ吹きもどしじゃない?」
「なんで会議室に吹きもどしが?」
「しかも、なんか湿ってる……」
確かに、僕たちが使った吹きもどしは唾液で湿っている。
「ちょっと気持ち悪い……」
営業一課の女性たちが顔をしかめる。
「すみません、すぐに片付けます」雪杉さんが慌てて吹きもどしを拾い始める。
「でも、なんで会議室で吹きもどし? 何かの儀式?」
「儀式って……」碓氷さんが苦笑いする。
「あ、そうそう」営業一課の一人が思い出したように言う。「さっき給湯室で聞いたんですけど、この会議室からハイボールの匂いがするって噂が……」
ハイボール?
「ハイボール?」本山課長が眉をひそめる。「昼休みに飲酒ですか?」
「いえ、違います!」僕が慌てて否定する。
「でも確かに、アルコールっぽい匂いが……」蓮見さんが鼻をくんくんさせる。
講師が申し訳なさそうに手を上げた。
「すみません、それ私です」
「え?」
「アロマキャンドル、ウイスキーの香りのやつを使ったんです」
一同、絶句。
「ウイスキーの香り……」本山課長が呆れる。
「リラクゼーション効果があると聞いて……」
「それで、ハイボールの匂いがするって噂になったんですね」佐々木が納得する。
「つまり」本山課長がまとめる。「会議室で吹きもどしを咥えて呼吸法をやって、ウイスキーの香りのキャンドルを焚いて、挙句の果てに火事騒ぎ、と」
「はい……」
「まるで、昼休みに会議室で飲み会をやってるような……」
その時、丸山部長が口を開いた。
「まあ、怪我がなかったからいいだろう」
「え?」
「みんな働きすぎなんだ。たまには変わったことやっても」
部長の意外な反応に、みんなが拍子抜けする。
「でも、次からは気をつけろよ」
「はい……」
「それより」部長が講師の方を向く。「この呼吸法、効果あるのか?」
「はい、とても効果的です」講師が元気を取り戻す。「短時間で深いリラクゼーションが得られます」
「ほう」部長が興味を示す。「じゃあ、今度俺にも教えてくれ」
「喜んで!」
「ただし、キャンドルは無しで」本山課長が念押しする。
「はい、承知いたしました」
営業一課の女性たちが会議室をセッティングし始めると、僕たちは慌てて退散した。
廊下で、僕たちは振り返った。
「すごい騒動でしたね」蓮見さんが苦笑いする。
「申し訳ありませんでした」雪杉さんが恐縮している。「私が吹きもどし呼吸法に興味を示したばっかりに……」
「雪杉さんのせいじゃありませんよ」僕が慰める。「講師の方の準備不足です」
「でも」碓氷さんがプロテインドリンクを飲みながら言う。「吹きもどし呼吸法、意外と効果がありました」
「そうですね」佐々木も頷く。「短時間でしたが、よく眠れました」
「私も」雪杉さんが微笑む。「隣で優さんの寝息が聞こえて、安心できました」
その言葉に、僕の顔が熱くなった。
「雪杉さん……」
「あらあら」蓮見さんがニヤニヤする。「昼寝デートってわけね」
「デートじゃありません!」
そんな僕たちのやり取りを見て、佐々木が微笑んだ。
「お二人、いい雰囲気ですね」
「佐々木さん……」
「応援してますよ」
夕方、定時になって僕たちがオフィスを出ようとすると、丸山部長が声をかけてきた。
「おい、上村」
「はい」
「あの吹きもどし、どこで買えるんだ?」
「え?」
「家でもやってみたいんだ。嫁さんにも教えてやりたい」
部長が真剣な顔で聞いてくる。
「た、確か100円ショップで……」
「そうか。ありがとう」
部長が去っていく。その後ろ姿を見ながら、僕たちは顔を見合わせた。
「部長、意外と健康志向なんですね」雪杉さんが言う。
「そうですね」
帰り道、雪杉さんが僕に言った。
「今日は色々ありましたが、楽しかったです」
「楽しかった……ですか?」
「はい。優さんと一緒に昼寝できましたから」
その言葉に、僕の心が温かくなった。
「僕も楽しかったです」
「明日は、もっと普通にお弁当を食べましょうね」雪杉さんが微笑む。
「そうですね。でも、今日のことも忘れられない思い出になりました」
「私もです」
家に帰って、今日のことを振り返った。吹きもどし呼吸法、アロマキャンドル火事、ハイボール騒動。まるでコントのような一日だった。
でも、雪杉さんと一緒に過ごした昼休みは、確かに特別だった。短時間でも、隣で眠る雪杉さんの存在を感じることができた。
明日はどんな騒動が待っているだろう。でも、雪杉さんと一緒なら、どんなことでも乗り越えられそうだ。
サボりの美学は雪杉さんに学べ。
――吹きもどしは人生のメタファー、息を吹き込んで戻ってくる振動に身を委ねる。
※この話は全てフィクションであり、実在の人物や団体などとは一切、関係ありません。
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