新たな飼い犬よ。名前はファディスって言うの。
「あ、あんまりですわ……」
ロディリアはその場に崩れ落ちた。
王立学園の中庭で、熱い口づけを交わす自分の婚約者、ファディス王太子と、女生徒の姿を見てしまったのだ。
ロディリア・アマリス公爵令嬢は、ファディス王太子殿下の婚約者の令嬢だ。
激しくファディス王太子殿下を愛していた。
それはもう、婚約者と決定した時から、朝昼晩、彼の事を考えない日は無かった。
朝はファディス王太子殿下の絵姿をうっとりと眺めてから起床し、昼は昼で、ファディス王太子殿下の言葉を思い出して、赤面し、夜は夜で、ファディス王太子殿下からもらった手紙を何度も読み返した。
10歳の頃に結ばれたこの婚約。
美しきファディス王太子の婚約者になれたことが、ロディリアにとって誇らしく、王妃になる嬉しさよりも、ファディス王太子殿下と結婚出来るという嬉しさの方が何百倍もまさったのだ。
好きです。愛しています。貴方様の事をものすごく愛しています。
だから、先行き、もし、自分に子が出来なくても、側妃とか認めるなんて絶対に出来ない。
もし、他の女に心を移そうならば、もう、悲しくて悔しくて悶え死んでしまうだろう。
それ程に思い詰めていたのだ。
ただ、ロディリアはその激しい思いを表面に出すことはなかった。
王妃教育を受けていくうちに悟ったのだ。
自分の激しい思いを表に出すことは淑女としてはしたないと。
だから、いかにも感情を表に出さないように、心を律してきた。
それがファディス王太子殿下にとって不満だったらしい。
ファディス王太子は可愛らしい男爵令嬢ミレーヌを傍に置くようになった。
嫉妬しているわ。だから、傍にこんな女を置かないで。
そう叫びたかった。でもそれが出来なかった。
淑女としてはしたない。そう、思っていたから。
王立学園で、親し気に二人が話をしていても、婚約者は自分なのだから、ただ二人は話をしているだけだからと我慢してきた。
周りの派閥の令嬢達から、
「王太子殿下、あまりにもあの男爵令嬢と距離が近くありません?」
「いいのですか?ロディリア様。放っておいて」
そう言われたけれども、
「王太子殿下は立場を弁えているはずです。ですから、大丈夫ですわ」
男女の仲になんてなるはずない。そう思っていたのに。
今、中庭で二人は激しく口づけを交わしている。
愛は憎しみに代わるのよ。
だから、わたくしは……ファディス王太子殿下を憎むことに致しました。
「義姉上。最近はファディス王太子殿下の肖像画を見てニマニマしていないんですね」
公爵家に養子に入った派閥の義弟マルクに言われて、ロディリアはにこやかに、
「何故、貴方はわたくしがファディス王太子殿下の肖像画を毎朝見ているって知っているのかしら?」
「いやその……」
「わたくしは部屋で毎朝見ていたはず……」
「ごめんなさい。メイド達が話しているのを盗み聞きしました。最近、ロディリア様はファディス王太子殿下の肖像画を見ていないし、昼間は宙に視線を彷徨わせて赤面していないし、夜は手紙を眺めてにんまりしていないしと言っておりましたので」
「わたくし、怪しげな人みたいではありませんか?」
確かにメイド達から見たら、怪しかったかも。
今は、心のうちで憎しみを灯らせているの。憎い憎い憎いっ……
ああ、どうしたらこの憎しみを解らせてやることが出来るのかしら。
マルクが声をかけてきた。
「義姉上、怖い顔をしていますね。あの男、浮気でもしましたか?」
「え?何でそのような事を知っているの?」
「学園でも噂になっていますよ。王太子殿下が男爵家の令嬢と親しくしていると」
マルクはロディリアより二個下の学年である。
そこまで噂が広がっているとは……
マルクに諭された。
「婚約を破棄致しましょう。義姉上、いかに政略と言えども、不貞をしたあの男を許せますか?不貞をした男爵令嬢の方が先に子を授かったら。義姉上が苦労致します。ですから」
「婚約破棄は出来ないわ。わたくしは、ファディス様を愛しているのよ」
「その愛しているファディスが、義姉上をないがしろにしたら、義姉上の心は壊れてしまいます。ですから」
確かにそうね……裏切ったファディス様をわたくしは一生許せない。
だったら、彼を破滅させてあげるわ。
「そうね……貴方の言う通りだわ。だったらわたくしは、ファディス王太子殿下を破滅させるわ」
ファディス王太子は今日もご機嫌だった。
愛しのミレーヌと口づけを交わして、ミレーヌは本当に可愛らしくて、婚約者のロディリアとは大違いで。ロディリアは感情を表に出さないつまらない令嬢だ。それに比べて、ミレーヌは頬を染めて、可愛らしくて。いつの間にか惹かれていた。
王城へ戻ろうと、学園の廊下を護衛達と共に歩いていると、一人の女生徒が目の前に飛び出て来て、転んだ。
「どうした?大丈夫か?」
護衛達が遮るも、転んだ令嬢を放っておくわけにはいかない。
護衛達を手で制して、その令嬢を抱き起せば、そのピンクブロンドの令嬢は目をうりうりさせて。
「有難うございます。お、王太子殿下に助けて貰えて。有難いですっ」
「いや、当然の事をしたまでだ」
「私の名前はマリーア・ブロードと申します。男爵家のものですっ」
そう言って、胸を押し付けてきて、その胸が柔らくて、思わすファディス王太子殿下はドキドキしてしまった。
「また、会えるか?マリーア」
「王太子殿下が望むなら」
その時、ミレーヌが駆け寄って来て。
「王太子殿下。私と言う者がありながら」
「いや、この者が抱き着いてきたものだから」
「酷いですっ」
「一番はミレーヌだから」
そう宥めておいたが、翌日、一人の令嬢が廊下で探し物をしているのに出くわした。
「ペンを落としてしまって」
共に探してやる。見つけてやったらそのピンクブロンドの令嬢は喜んで。
「有難うございます。私、エリーナ・ハルトス。男爵家の娘ですっ」
胸を押し付けられた。
マリーアも、エリーナも、ミレーヌ同様可愛くて可愛くて。
その日から、マリーアと、エリーナと、ミレーヌと三人に囲まれて。
それはもう天国な心地で。
幸せに包まれていたら、ロディリアから教室で婚約破棄を突き付けられた。
「不貞をしまくっている貴方様に、婚約破棄を突き付けますわ。国王陛下もお父様も存じております」
「お前みたいな表情も乏しい女、こちらから願い下げだ」
「表情の乏しい。わたくしは……いえ、もういいのです。貴方みたいな浮気者。二度と、関わりたくはありませんわ」
ロディリアに婚約破棄をされた。
それでも、三人の男爵令嬢達がいる。
「私を王妃様にして下さいますわね」
「私をですっ」
「いえ、私をっ」
男爵令嬢達を連れて、父に呼び出されたので、王城へ戻れば、国王である父と王妃である母がものすごい怖い顔をして睨みつけていて。
「お前をハニートラップにかけてみた。そのミレーヌという女以外はハニトラ要員だ」
二人の男爵令嬢達はカーテシーをして、後ろへ下がる。
王妃が眉間を抑えて、
「こんなに簡単にハニートラップにかかるとは。情けないわ」
ファディス王太子は叫ぶ。
「それなら、ミレーヌがハニトラでないなら、彼女と結婚したいと思います」
ミレーヌに手を握り締められ、
「私、王太子殿下と結婚して頑張りたいですっ」
国王は頷いて、
「結婚を認めよう」
嬉しかった。父は自分の味方なのだ。
「有難うございます」
ミレーヌと共に喜んだ。
まさか、地獄行きだとは知らずに。
騎士達に囲まれて、連れ出されてしまった。
「で、王太子殿下と男爵令嬢はどうなったんです?」
ロディリアは義弟のマルクと一緒にお茶をしていた。
ロディリアはにこやかに笑って、
「病気療養という事で、王太子位はデレス第二王子殿下になったわ」
「病気療養ですか」
「わたくしには可愛い犬が増えたけれども」
首輪をつけた小さな白い犬が、連れられてきて。
どことなく元気がないようで、俯いている。
「新たな飼い犬よ。名前はファディスって言うの」
「ファディスですか?」
ロディリアはにこにこして。
「ファディス。可愛がってあげるわ。ああ、そうそう、わたくし、ファディス様を婚約破棄して新たな相手を探さないとならないの。貴方、力になってくれるわよね」
「それなら、義姉上と私は血が繋がっていないのですから、公爵夫人という地位は如何です?」
「素敵ね」
わたくしの事が感情が見えないつまらない女ですって?わたくしは王妃教育のせいで、自分を律してきたのですわ。
でも、家の中では感情を見せたっていいでしょう?
マルクならわたくしを大事にしてくれるわ。
貴方に見せつけてあげる。
わたくしが幸せになって行く姿を。
犬の姿でずっと見ているといいわ。
「高名な魔法使いに頼んだそうだ。今回の落とし前として、国王陛下に納得して頂いたとさ」
「それにしても犬とは」
「女の方はどうなったんだ?」
「ミレーヌと言う女か?あの女は草木の肥料になっているだろう。草木の役にたっているんだ。幸せだろうよ」
「婚約者を盗る女の末路としては当然だな」
「今回は我らの出番なし。非常に残念だ」
某とある騎士団より。