夏の輿
秋の公式企画1作目です。
時は江戸時代。3代将軍吉光が天下を治める世。京の町では行き交う商人や町人の姿で賑わっていた。
「新鮮な野菜はいかがかね?安いよ!!安いよ!!」
黄色い麻の着物に今朝市場から買い占めたばかりの野菜を籠に入れ大声をあげるのは八百屋の娘お玉だ。
「お玉ちゃん、今日も威勢がいいね!!」
「源さん、おはよう!!」
お玉に声をかけてきたのは隣の長屋に住む源さんだ。
「お玉ちゃん、その人参と大根もらっていくよ。」
「人参と大根ね。」
お玉は背中に背負った籠を降ろすと人参と大根を源さんに渡しお代を受け取る。
「まいどあり!!」
お玉は去っていく源さんに大声で叫ぶ。
「玉ちゃん!!玉ちゃん!!」
背後から名前を呼ばれ振り向くお玉
「なっちゃん!!」
そこにいたのはお玉の幼馴染みで魚屋の娘なっちゃんことお夏だ。
「ねえ、玉ちゃん知ってるかい?今日春日野局様が平安神宮にお参りに来てるんだってよ。」
春日野局様とは大奥の総取締だ。
「ねえ、あたい達も奥に上げてもらえるように頼んでみない?」
「なっちゃん、何言ってるんだい?」
「上手く行けば上様の側室なれるかもしれないんだよ。そしたらこんな貧相な長屋に住んで毎日魚を売り歩く日々とはおさらばだよ。お城で一生贅沢して暮らせるんだ。お蘭ちゃんだってそうだろう?」
お蘭ちゃんとはお玉の近所に住んでいた3つ年上のお姉さんだ。美人で優しい反物屋の娘だ。手先が器用で余った布で人形を作っては近所の女の子にあげていた。お玉も人形をもらった事がある。先一昨年お蘭は平安神宮に参拝に訪れ春日野局の目にとまり奥入りを果たした。そして3代将軍家光の側室になったのだ。
「玉ちゃん、大奥に行けばお蘭ちゃんに会えるかもしれないよ。」
「お蘭ちゃんに?」
お玉はお蘭の事が好きだった。
その日の夕刻。平安神宮の参拝を終えた春日野局が本堂から出て行く。
お付きの松島が用意した草履を掃き待機していた篭に乗ろうとした時
「春日様!!」
二人の少女がどこからともなくやって来る。
「何じゃ?」
二人は春日局の前に膝まづく。
「私は魚屋魚吉郎の娘、夏といいます。こちらは八百屋野七郎の娘お玉。私達を大奥に上げて頂けませんでしょうか?」
お夏の隣でお玉も頭を下げる。
「ほう、大奥でそなた達が何ができるという?」
お夏は立ち上がり着物の帯をほどくと生まれたままの姿になる。
「私の身体で上様を喜ばせてみせます。」
「はっはっは。これは傑作だ。」
春日局はお夏の姿を見て笑っている。
「そなたのような教養のない者上様は好まぬ。向こうへ行くがよい。」
松島が二人を追い払おうとした時
「待て」
春日局が制止する。
「よかろう。そなたの度胸に免じてそなたら二人を奥に上がる事を許可する。じゃが一番格下の御末からじゃ。良いな。」
こうしてお玉はお夏と一緒に大奥に上がる事になった。御末というのは大奥で一番下の身分で食事の準備や城の掃除、洗濯等を担う。御代所や側室と立ったまま目を合わせる事は許されず廊下を通られた時は作業してる手を止め膝をついて頭を下げるのが礼儀だ。
お玉が大奥に入って1ヶ月が経った頃。
「今宵は上様が奥にいらっしゃる。湯殿をどなたかに任せたい。」
湯殿とは上様が大奥に泊まられる際入浴時の世話をする役だ。
「春日局様。」
声を挙げたのはお夏だ。
「その役わたくしにお与え頂けないでしょうか?」
お夏が名乗り出る。
「なっちゃん。上様と浴室で二人きりになるんだよ。」
お玉が心配そうにお夏を見ている。
「玉ちゃん、むしろ好都合だよ。春日局様、その役目、わたくしがしっかり果たさせて頂きます。」
数ヶ月後。上様である家光は新たな将軍を迎えた。お夏だ。お夏は浴室で家光に気に入られたのだ。お夏は御末達が着る赤い着物を脱ぎ捨て華やかな着物に打掛を羽織りお付の部屋子を連れ廊下を歩くようになる。周りの奥女中達は立ち止まり頭を下げるとお夏に道を開ける。お夏は懐妊しており春日局を除いて誰もお夏に逆らう事はできない。
「なっちゃん。」
ある日お玉が廊下を掃除していた時お夏が歩いてきた。お夏が側室になった事を祝う言葉をかけようと声をかけたのだ。
お玉が顔を挙げるとお夏が睨み付けている。
「きゃっ!!」
お夏は傍にあった桶を手に取りお玉の頭上で逆さにする。
「うふふ」
お夏がずぶ濡れになったお玉を上から見下ろしながら笑っている。
「そなたにはその姿がお似合いじゃ。」
人が変わったお夏はお付きの女中達を連れて去っていく。
お夏が去った後傍にあった雑巾で床を拭こうとする。その時
「大丈夫ですか?」
お玉は声をかけられ顔を上げる。
「お蘭ちゃん?」
目の前には桃色の着物に純白な打掛の女性がいた。お玉はその人の姿をかつての友と重ねる。
「このままでは風邪を引きます。着いていらっしゃい。」
女性は自分の部屋にお玉を通す。部屋にはお付きの部屋子達が待機していた。部屋子達は女性がやって来ると頭を下げる。
「この娘をお願い。」
お玉は部屋子達に赤い着物を脱がされ肌襦袢を着せられ臼緑色の唐草模様の着物を着せてもらい白い帯を締めてもらう。
「これで大丈夫ですよ。」
「ありがとう。お蘭ちゃん。」
お玉がお礼を言う。
「御末、お蘭ちゃんではないお万の方様じゃ!!」
お付きの一人がお玉を叱責する。
「まあ、良いではあろう。」
お万の方と呼ばれた女性がお付きを嗜める。
お万の方は家光の側室で京都の尼寺から呼ばれたのだ。
「そなた、名は何と申す。」
お万の方がお玉に尋ねる。
「私はお玉と申します。」
お玉は正座して三つ指をついて名乗る。
「お玉、今日よりわたくしの部屋子として仕えてくださいますか?わたくしの元でお茶やお華、文学等を学ぶのです。」
「はい、お万様。精神誠意お仕え致します。」
お玉は唐草模様の着物に打掛を羽織りお万の世話をする。お万の着物を着付け髪を結う。お万の行くところどこへでも着いていく。お蘭とそっくりなお万の傍にいることでおらんと京の街で過ごした日々に帰った気持ちになる。
ある日おらんから教わった手鞠唄を唄っていた時
「可愛いらしい唄じゃ。」
背後を振り返るとお万がいた。
「お蘭ちゃん、じゃなかった。お万様。」
「うふふ、構いませんよ。」
お万はお玉を咎める事はなく微笑んでいる。
「上様はわたくしに良くして下さいますが時折わたくしをその名前で呼ぶのです。一体どなたかと勘違いしてるのでしょうか?」
(お蘭ちゃん上様にお目見えになったのね。)
「お万様。」
お玉はお蘭からもらった人形をお万に見せる。
「なんて可愛らしいお人形じゃ。」
お万は人形を手に取る。
「お蘭ちゃんは私が京にいた時の友でした。呉服屋の娘でいつも長屋の女の子達に人形を作ってくれたり、唄を教えてくれたり、蘭ちゃんの周りにはいつも女の子達が集まっておりました。お蘭ちゃんは私、いえ長屋中の女の子達の憧れでした。」
「でしたら先ほどの唄もお蘭ちゃんが?」
「はい。」
お万はお玉に琴の用意を頼む。
「お玉、その唄わたくしにも教えてはくれぬか?」
「はい、私はお蘭ちゃんほど上手くはございませんが。」
お玉が唄い出すとそれに合わせお万が琴を弾き出す。その様子を遠くから眺めている二人の殿方がいた。
「あの娘は誰じゃ?」
1人が尋ねる。
「誰って上様。ご側室のお万の方様ではありませんか。」
「いや、わしが聞いておるのは唄を唄っている娘の方じゃ。」
「お万の方様、春日の局様がお見えです。」
あれから三日後。春日局がお万の元にやってきた。今夜は家光が大奥に来る日だ。
「今宵は上様のお当たりがございます。」
「わたくしにですか?」
お万が微笑む。
「いえ、お万の方様ではございません。」
春日局はお玉の方を見る。
時は流れ令和時代。とある女子高では女性教師が日本史の授業をやっている。
「延宝6年徳川綱重が江戸幕府五代将軍に就任しました。生母は3代将軍家光の側室お夏です。またの名は順性院。6代将軍の家宣は彼女の孫、7代将軍家継は曾孫です。3代に渡りお夏の直系の子孫が将軍になりました。」
「先生。」
生徒の1人が手を挙げる。
「夏の輿の語源ってお夏様から来てるんですか?」
「そうです。彼女は元々京都の魚屋の娘。平民の出でした。しかし自ら大奥に入り将軍家の側室に上り詰めました。その事から由来し貧しい女性が高収入の男性と結婚する事を夏の輿というようになりました。」
「先生。」
今度は別の生徒が手を挙げる。
「お夏は別の側室お万の御付であるお玉と一緒に大奥に入ったと言われてますが彼女は上様の目には止まらなかったのですか?」
「大奥は何万人もの女性が働いているため将軍の目に止まるのは本の一握りです。しかしお玉も目にとまり奥泊まりの際にお当たりの話がありました。それを断ったとも言われてます。」
「どうしてですか?上手く行けばお玉だって側室になれたのに。」
「それにはこんな話があります。」
再び江戸時代。
お玉は墓石の前に白い花を供え手を合わせる。お蘭の墓石だ。お蘭は家光の側室となったが病に伏せるようになり男児を産むと同時に亡くなった。お万は家光が参拝に行った寺に尼として働いていたがお蘭と瓜二つのお万に惹かれたため奥入りした。その話を春日局から聞かされた。男児は今は乳母に育てられてる。
「お玉、宜しかったのですか?」
隣にいるお万が尋ねる。お玉には春日局から家光のお当たりの話を持ち出された。しかしお玉はきっぱりと断った。
「私はお蘭ちゃんに会うために奥に来ました。上様の元へ行けばお蘭ちゃんの事も聞けるのではとも思いました。」
「ではなぜお受けしなかったのですか?」
お玉は立ち上がるとお万の方を向く。
「勿論お蘭ちゃんも好きです。ただそれと同時にお万の方様のお傍にずっといたいと思ってる自身もいる事に気づいたのです。」
「お玉、わたくしは最初お夏のような卑しい娘が上様の隣にいる事が鼻持ちならなかったのです。あの娘のやり方が。だからわたくしは貴女に文学や作法を教え側室に育て上げ殿方を喜ばせるのは身体だけではないと示したかったのです。ですがそれは貴女の意志に背いてまでする事ではありませんね。」
お万はお玉の手を握る。
「お玉、わたくしの側室になって下さいますか?」
お玉は頬を赤く染めながら満面の笑みで答える。仰せのままにと。
FIN




