妹に出会ってから人生が楽しい。
「お父さん、最低!!」
私の目の前で、小さな少女がお父様に向かって声をあげている。
お父様はその発言を聞いて青ざめている。そしてその隣にいる女性も顔色を悪くしている。
私はどうして今、この状況になっているのか思い起こした。
私の名前は、ユキリナ・ウェヴィンス。ウェヴィンス公爵家の長女という立場である。私のお父様ははっきりいってろくでなしであった。
お母様との結婚は政略結婚だったそうだ。
両家の利害が一致したための結婚。貴族にとってはそのような政略結婚は当たり前である。
私の亡きお母様は、お父様に歩み寄ろうとしていた。
しかしお父様はお母様のことを決めつけていた。公爵令嬢という立場を使って、お父様を無理やり手に入れたとそんな風に。お父様の顔立ちが整っていたからこその誤解なのかもしれない。伯爵家の三男という立場だったお父様は、大変異性から騒がれていたらしい。
お父様は結婚した当初から、お母様を蔑ろにしていたそうだ。
お母様は気丈にもお父様と仲良くしようとしていて、少なからずお父様に情はあったと思う。
最初、両親は白い結婚だった。
それはお父様が拒絶したから。
だけど私が産まれたのは、酔っぱらったお父様がお母様と夜を共にしたからである。その件に関しても自分の責任もあるのに、自分は悪くないと思いたいのか、周りが都合の良いことばかりを言うからかお母様が無理やり関係を迫ったなどと言って益々嫌うようになったそうだ。
公爵家当主はお母様で、お父様はあくまで婿である。本来ならそんなお父様のこういう態度は許されるべきではなかった。ただお母様はお父様に情があって、そういうのを許してしまった。
そして私の祖父母たちも、正直親子間の情などないような人たちだった。
お母様の生前、祖父はお母様に「旦那の気持ちを繋ぎ留められないお前が悪い」などと暴言を吐いていた。お母様はそういう両親を反面教師にしてか、私のことをとても可愛がってくれていた。
お父様は私のことを嫌っていたから、顔を合わせるのも最低限である。
お母様が体調を崩したのは、季節の変わり目のある日だった。……お母様が動けなくなると、お父様は屋敷を好き勝手にし始めた。お母様の味方を徐々に排除し、まるで自分が公爵家当主のように振る舞いだした。
……お母様が亡くなったとしてもあくまでお父様は代理で、次期公爵は公爵家の血を引く私なのに。
そして徐々に、お母様が弱る。それと同時に屋敷内でお父様の味方ばかりが増え、私達は蔑ろにされるようになった。
――そしてお母様が死んだのは、私が九歳の時だった。
お父様が一人の女性と、小さな少女を連れてきたのはそれからすぐ二か月後。
「私は最愛の人と結婚をする」
そう言ってお父様が連れてきた女性は、着飾ってはいるものの明らかに平民だった。
子供の私でも分かる、非常識。
……そもそも平民が貴族と結婚すると、不幸になることも多いと家庭教師に教わっていた。その平民の女性はお父様という味方がいるからか、私にも高圧的だった。
お父様が散々、私のことを悪く言っていたのだろうなと思う。それにしても、娘だと紹介された子は私と二歳しか変わらなかった。その頃からの付き合いなのかもしれない。
お父様に他に家族がいることは知っていた。
口さがない使用人たちが、私に聞こえるようにわざと口にしていたから。
だけど、流石に二か月で連れてこられたことはショックだった。それに流石に腹違いの妹がいたことは知らなかった。
屋敷の使用人たちは、すっかりお父様の味方だ。
引き裂かれた愛が結ばれるなんて口にして、まるで私が悪者のよう。
「リーシエを睨むんじゃない!」
妹か。
そう思ってただ見ていただけなのに、私の目つきが元々悪いからか睨まれた。
……お父様はいつもそうだ。
お母様のことも、私のことも勝手に決めつけて、私に反論を許さない。もっと小さかった頃は、お母様のお父様と仲良くしたいという気持ちを知って、私も反論したことがある。でもそれは届かなかったから、私はもう諦めてしまった。
――どうしようもないことなのだと、そう思った。
ふと、小さな亜麻色の髪の愛らしい少女と目が合う。その子は、目を見開いて、
「お父さん……この人、だぁれ?」
とそう問いかけた。
「リーシエの姉だよ。虐められたら言うんだよ。仲良くしなくていいから」
……まるで私がその子をいじめるかのような言い草。本当に虐めてやろうかしら? などと、そんな気持ちが少し芽生えてしまった。
「お父さん、最低!!」
そして、冒頭に戻る。
その少女、リーシエの言い放った言葉にその場が固まった。
「リ、リーシエ? どうしてお父さんにそんなことを……」
「だって、奥様がいたのに浮気したってことでしょ! 最低だよ!」
「浮気ではない! これは真実の――」
「奥様がいたなら浮気だよ。えぇえ。っていうことは、私、浮気相手の子供ってこと? お、お姉さん、ううん、お嬢様、ごめんなさい!!」
ショックを受けた様子の彼女は、七歳だというのに難しい言葉を知っているらしい。突然、私に向かって謝り出すので驚いて固まってしまう。
「リーシエ! それに謝る必要など――」
「お父さんは、黙って!! ごめんなさい!! 私、知らなかったの。お父さんに家族がいるって。お嬢様、ごめんなさい。さっき、奥様、亡くなったばかりって聞いたの。それなのに、私たちを連れてくるなんて……最低すぎるよ」
泣き出しそうになっているリーシエに、あっけに取られてしまう。
「リーシエ、お父様になんてことを言うの!? 前妻に引けを取る必要はないの。だって選ばれたのは私たちなのよ」
「お母さんも最低なの!! お母さん、前にお肉屋さんのシャーちゃんが浮気されていた時、怒ってたのに何で自分は浮気相手になってたの!?」
「私たちのは浮気ではなく――」
「浮気だよ! お母さんも亡くなった奥様と同じ立場だったらって考えてみてよ! 私だったら絶対にやだよ!」
「愛のない結婚だって聞いてるのよ。リーシエ、お願いだからそんなこと言わないで。私たちはこれから愛する人と過ごせるのよ!?」
「本当に最低!! そういう結婚でも決めたのお父さんでしょ! 自分が決めたことを人のせいにするなんて最悪だよ!」
その子は母親と口論を繰り広げている。
「リーシエ、私が決めたのではなく家が決めたのだ! そこに私の意思はなかったんだよ!」
お父様がリーシエを宥めようと必死に言葉を紡ぐ。
「本当に嫌だったら断れるぐらいの反抗したらよかったじゃん! それに奥さんが優しい人で良かったって私思うよ」
「あいつが優しい? 会ったこともないリーシエが何を……」
「だって貴族様なら、平民の私たちのことをどうにかすることぐらい出来たはずだよ! それをしなかっただけで優しいと思うもん。貴族様に無礼をして罰を受けた人とか知っているもん。それに結婚したなら仲良くしたらよかったのに、お父さん、奥さんの悪口しか言ってない。最低だよ! 亡くなったばかりの家に私たちを連れてくるなんてお嬢様のことをなんだと思っているの!? 私のことを睨んだとか勝手に言って、決めつけて本当に最低……」
そう言いながらリーシエはぽろぽろと涙を流し始める。
「お嬢様、ごめんなさぁあい!! 私とお母さんの存在、凄く奥様とお嬢様のこと、傷つけたと思います。お父さんは私を娘にするって言ってたけれど、お嬢様は私たちのこと見たくないと思うから、出ていきます!」
そしてそのまま頭を下げるリーシエ。
「リーシエ!? 私は出ていくなんて――」
「お母さんのわからずや! 私、お母さんが人を傷つけても気にしない人になったら嫌だよ! 私たちのせいで傷ついた人がいるんだよ。お嬢様だって、そうだよ。例えばさ、お母さんが亡くなった後に、私が酷い扱いされていたらお母さん嫌でしょ?」
リーシエの言葉に、女性がはっとした様子でショックを受けた表情をする。……多分、根は悪い人ではないのだろうとは思う。
「ユキリナ、お前が――!」
「お父さん!! お嬢様にやつあたりしないで!! お嬢様は何も悪くないよ! こんな時に、お嬢様にやつあたりしようとするお父さん、やっぱり最低! なんで自分の娘にそんなひどい扱いしようとするの!」
お父様は上手くいかないことを、私のせいにすることはよくあった。自分が上手く出来ないことに対する鬱憤を晴らすのに私はうってつけだったから。そしてそんなお父様を止める人は家にはいなかった。私を庇う人も今までいなかった。
――でもこの子は、小さい体で私のことを守ろうとしてくれている。お父様に反論して、お父様と私の間に立って。
私にとってその小さな背中は眩しくて、心が温かくなった。
――その場は混乱した場になり、収拾が付けられない状態だった。
でも結果として、平民の女性は私の義理の母となり、リーシエは私の妹になった。
*
「リーシエ、ほら、クッキー食べる?」
「ありがとうございます」
「敬語じゃなくていいのよ。姉妹だもの」
「えっと、あ、ありがとう、お姉様」
お義母様と、妹が出来て私の世界は一変した。
私は、私のことを必死に守ろうとした彼女と家族になりたいと思った。お父様はどうしようもない人だけど優しいお義母様と可愛い天使のような妹をくれたことだけは感謝してならない。
……お義母様はリーシエの言葉で目覚めたらしく、「私はなんてことを……っ」と嘆いていた。お父様という貴族に見初められて、夫婦関係が冷めきっていたとかそういう話を聞かされて、これから公爵夫人になれると言われて浮かれてしまっていたって本人が言っていた。
お義母様はそのまま屋敷を出ていくと言っていたけれど、私は家族になって欲しいと言った。リーシエの言葉をちゃんと聞いたお義母様なら、ちゃんと教育を受ければやっていけると思ったから。ちゃんとこの公爵家はお母様の家系なので、継ぐのは私になるというのは説明した。だから公爵夫人というか、公爵代理夫人になるということも。
……お父様はそのあたりもお義母様に説明していなかった。というよりも愚かな勘違いをしていたようで、リーシエに継がせるとか言っていたらしい。お父様がそれをしようとしたところで、お家乗っ取りにあたってお父様が裁かれてしまうと思う。仮に私がこの家を継がなかったとしてもお母様の親戚筋の方がこの家を継ぐことになるだろう。
お父様はあれ以来、大人しくなったというか、私に優しくするようにはなった。でも私はお父様に冷め切っているので、正直どうでもいいと思っている。お義母様とリーシエも貴族になったことでその勉強とかで大忙しだ。後、お義母様もお父様に今までのような熱はなくなったみたい。とはいっても仲良くはしているみたいだけど。
リーシエに関してはお父様のことを「最低」って怒っている。私がお父様に怒りをあらわさないから代わりに怒るんだっていって、可愛い。
「お姉様、家庭教師の先生に聞きました。お姉様は私と同じ年ぐらいには全部完璧だったって」
キラキラした目で私のことを見上げてくるリーシエは、本当に天使みたいだ。可愛い。
お父様に公爵令嬢として相応しくとか色々言われた結果、頑張ったことだけど……リーシエにこういう目で見られるのならば頑張ってきてよかったと思う。
「リーシエは素直で頑張り屋さんだから、うまく出来るようになるわ。分からないことがあったら私も教えるわ」
「本当? ありがとう、お姉様!」
本当に可愛い。
こんなに可愛い存在が世の中に存在していたなんて思ってもいなかった。
私は今まで義務的に令嬢教育を受けていた。どうしようもないことが多すぎて、結局言っても仕方がないと諦めて。
――でも一つのきっかけで、こうも世界は変わるのだ。
「お姉様は、婚約者とかいるの?」
「そのうち出来ると思うわ。……お父様がお決めになった方を婿として迎える形になると思うけれど」
「……お姉様、好きな人と結婚出来ないの?」
リーシエがショックを受けたような表情を浮かべている。
「そんな顔しないで、リーシエ。貴族ならばそういう結婚も当たり前だもの。特に私はこの公爵家を継ぐのだもの」
それは当たり前のことなのに、リーシエは心配そうな顔をしている。
「私もね、お父様とお母様を見ていて、不幸な結婚があることは知っているわ。でもそのままにしようとは思わないの。婚約者が決まったらなるべく仲良くしようとするつもり」
そう言ったらリーシエが安心したように笑った。
「リーシエがお父様に言っていたでしょう。そういう親が決めた結婚でも決めたのはお父様でしょって。その通りだと私も思った。結局受け入れたのならば冷めた関係より、仲良くした方がいいと思ったの。私がそう思ったのはリーシエのおかげなのよ?」
「私のおかげ?」
「リーシエが私の元に来てくれたから、私はそんな風に思えるようになったの」
私がそう言って笑えば、リーシエは相変わらず不思議そうな顔をしていた。
それから一か月ほど後、お父様が私の婚約を決めた。
とはいえ、お義母様とリーシエにも色々言われているらしく、「……どうしても嫌だったら解消する」などと私の意見を尊重することを言っていた。
今までのお父様だったら間違っても言わないことだった。
私は親の決めた婚約に特に反対する気もなかったので、それを承諾した。
リーシエに出会う前の私だったら「どうせお父様に嫌だと言っても仕方がないから」とそういう気持ちで婚約者と会うことになったと思う。でも今はそういう気持ちとは全然違う。
寧ろどんな人が婚約者だろうと楽しみにしている。きっとリーシエは私が婚約者と仲良くなったら喜んでくれると思う。
「……ザンダッディだ」
私と同じ年だというその男の子は、とても不機嫌そうにしていた。
美しい赤みがかった茶色の髪、赤色の瞳。
その方は、この国の第三王子という立場だった。王妃の息子であり、公爵家に婿に出して将来を安泰にさせたいとそう思っているのだと思う。
そういう政略的な意味を持っての婚約。
私はリーシエに出会わなかったら、そういうものだと思って……こんな冷たい目を向けられているなら仲良くなれないと諦めたと思う。でも今の私は違う。
「私はユキリナ・ウェヴィンスですわ。よろしくお願いします」
私はにっこりと笑いかける。
「……ああ」
本当に不機嫌そうだ。私との婚約を親から決められたからなのだろうなと思う。
「ザンダッディ殿下、私は折角婚約をするので出来れば仲良くしたいと思っています。なので、まずはお話しませんか?」
「……話すことなどないだろう」
「そうは言わずに話しましょう。互いに好きなものについて話せば、恋はしなくても友情ははぐくめるかと。私の好きなものについて話していいですか?」
こうやって誰かに積極的に話しかけているのも、全部リーシエのおかげだ。可愛い妹が私のことを凄い凄いと褒めてくれて、私をただ無邪気に肯定してくれる。私は……それが嬉しくてこうやって自信が芽生えた。
語り合えば分かってもらえることがあるかもしれないと、それを教えてくれた。
本当に私は妹から沢山の影響を受けていると思う。
「……好きにしろ」
不愛想にそう言ったザンダッディ殿下。
ひとまず拒否をされなかったことに私はほっとする。
「では私の可愛い妹の話をしますね。私の妹は――」
これまで私はただ言われるがままに生きていた。やりたいことなども考えることなく。私の意思は関係なくて、お父様の決定が全てだった。でも今は違う。私には趣味と呼べるものが今はないけれど、妹と話すことが楽しい。妹が褒めてくれるなら、私はなんだって出来るようになりたいとさえ思う。
「……後妻の娘だと聞いたが、仲良くしているのか? そんなに妹というのはいいものなのか?」
「ええ。可愛い妹ですわ。一緒にいるだけで幸せです。ザンダッディ殿下も弟君がいらっしゃいますよね?」
「ああ」
「交流は持っていないのですか?」
「……あまり」
「そうなのですね。交流を持ちたいと思ったら持つといいと思います。きっと可愛いですわ」
強制は出来ない。でももったいないと思う。
仲良くなったらきっと世界が変わるのにと思うので、そのくらいでとどめておく。
「……考えておこう」
「それは良かったですわ。ところでザンダッディ殿下の好きなものはなんですか?」
「……俺は魔法が好きだが」
「なら、その話を教えてください」
「興味がないものには面白くないぞ」
「それは私が聞いてから決めますわ」
私がそう言ったら、ザンダッディ殿下は驚いた顔をした。そしてその後、魔法のことを語り出す。
魔法を私はちゃんと学んだことはない。だけど興味はある。
ザンダッディ殿下は私と同じ年なのに、魔法についてとても詳しくて私はびっくりした。
「魔法って面白そうですね」
「面白そうじゃなくて面白いんだ!」
「私も習ってみようかな」
「そうするといい!」
私が興味を持ってそう口にすると、ザンダッディ殿下は嬉しそうにしていた。
大好きな魔法の話に私が興味を持ったことが嬉しいのかもしれない。ちょっと可愛いかもと思った。
大好きなものについて交互に話しているとあっという間に時間が経った。
帰り際には、
「また、来い」
と言ってもらえたので、友人にはなれたと思う。
私が帰って報告すると、リーシエは嬉しそうに笑ってくれた。
*
「聞いてください! ザン!! 私のリーシエは今日もとても可愛いの!!」
「それは良かったな、ユキ」
婚約を結んで四年。
私たちは十三歳になった。その頃にはすっかり私たちは仲良くなっていた。
私的な場ではザンと呼ぶようになった。ザンは私のことをユキと呼んでいる。
私はいつもリーシエの話ばかりしている。ザンは魔法の話と、家族の話をする。私はザンの魔法の話を聞いて、興味を持ったので魔法を習いだした。ザンは私が妹の話ばかりするものだから、兄弟と話すようになったらしい。今では弟君をとても可愛がっている。
良い関係を築けているので、結婚しても上手く行けるのではないかとは期待している。
でも恋愛小説を読んだり、知り合いの貴族夫人の話を聞いていると恋というのをすると婚約者を蔑ろにするというパターンもあるらしい。
……実際に学園に通う年になって、昔からの婚約者を蔑ろにして婚約破棄を行うという一例もあると聞いている。
私はちらりとザンのほうを見る。
出会った時から、かっこいいなとは思っていた。美しい陛下と王妃様の血を継いでおり、年々成長するにつれてかっこよさは増している。
私は友人の令嬢たちから、ザンが婚約者であることをよく羨ましがられるぐらいだ。おそらく学園に入学する時にはますますかっこよくなるだろう。
「どうした、じっと見て」
「ザンはますますかっこよくなっているなって」
「……急に何を言うんだ」
私の言葉にザンは照れた様子で、思わずくすくすと笑ってしまう。
友人たちからのザンの評価って、魔法の腕が凄まじくて、頭の回転が速くて冷静沈着らしい。でもそういうことは全然ない。魔法のことや家族のことを話すザンは表情豊かで、こうして照れて顔を赤くしたりする。
「恋愛小説の中や知り合いの貴族夫人からの話によると学園で恋をして暴走をするっていうことがあるらしいわ。ザンは好きな人が出来たら先に言ってね。いきなり冷たくされたら私はびっくりするわ」
少なくとも私はザンのことを友人だと思っているので、そんなことになったら悲しいと思う。
こうやってザンに好きな人が出来たら言ってねなんて言えるのも、やっぱりリーシエのおかげだなぁと思う。私の可愛い妹は親しい相手に好意をためらいもせずに告げる。
「自分の気持ちを素直に言わずに誤解されたら悲しいと思う!」
とそんな風に言っていて、確かにそうだと私は思った。例えば好意があったとしてもそれが相手に伝わっていなければ何の意味もない。言いたいことを言わずに関係がこじれるなんて悲しいだけだと思う。
「……ユキ」
私はただ思ったことを口にしたのだけど、なぜだかザンには物凄い目で見られる。怒っている? 私はこういう表情をザンに向けられたことは初対面の時以来で、驚く。ザンが嫌がるようなことを言ってしまったのだろうか。
「ザン、怒っているの?」
私がそう問いかけると、ザンは椅子から立ち上がると私の方に近づいてきた。
「なぁ、ユキ。俺たちは婚約者だろう? なら、好きな人が出来たら言ってねではなくて、そういう相手を別に作らないでじゃないのか」
「そうはいっても人の恋愛感情なんてどうしようもないものでしょう? 私はザンにそれを強制は出来ないもの」
良い関係は築けているとは思うけれど、政略的な婚約なのだ。それで恋愛感情を強制するなんてことは出来ない。そもそも他人がどうこう出来るものではないと両親のことを思うとより一層感じたもの。
ザンは私の言葉が気に食わなかったらしい。
――でも、次に言われた言葉には流石に驚いた。
「ユキ、俺はお前のことが好きだ」
「え?」
「だから、他に好きな奴なんて作らない」
はっきりと言われた言葉に驚く。
まさか、そんなことを言われるなんて考えてもいなかった。
「ユキが俺のことをそういう風に思ってないことは知っている。でも俺はお前が好きだと思う。家族のことを大切に思っていて、努力家で、冷たく見えるのに温かい。それに、笑うと可愛い」
「な、なにを言っているの!?」
「本心だ。ユキは俺のことを嫌っているわけではないだろう? なら、ちゃんと考えてくれ。俺のことを好きになってくれたら一番いいけれど、そうじゃなかったとしてもこういう感情を向けてる俺がユキの望む結婚相手として相応しいか」
まっすぐな目でそう言われて、私はこくこくと頷くことしかできなかった。
その後、家に帰った私の様子がおかしいとリーシエから「お姉様、どうしたの?」と聞かれてあらいざらい話したら目をキラキラしていた。
「わぁ、ザン兄様、かっこいい!!」
そういう告白をされることをリーシエは夢見ているのかもしれない。私の妹、可愛い……。
そんな気持ちで現実逃避していた私がザンに気持ちを返すのは、それから二年後の、学園に入学する直前ぐらいだった。大分待たせたのにザンは嬉しそうにしていた。陛下や王妃様、それにザンの兄弟である王子殿下たちにも知られていて本当に恥ずかしかった!
*
「ユキリナ様は悪役令嬢なのですよ! なんで虐めてこないんですか!?」
学園に入学したら訳の分からない女子生徒と遭遇した。その子は平民だ。私とザンの通う学園は優秀であれば平民も通うことが出来る。何かしらの才能を見いだされて学園に入学したはずだろうになんて残念なんだろうと思った。だって、王族の婚約者であり公爵令嬢である私にそのような口を利くなど自殺行為でしかない。
幾らこの学園内では平等だなどと謳われていても許容できる範囲というものは限られている。ある程度の無礼は学生のうちだからと許されるかもしれないが、やりすぎれば排除されるだけだ。
「何をおっしゃっているの? そのような言いがかりを貴族令嬢にすべきではないわ。今ならばまだ許しますわ。謝罪を許可するので、どうぞ」
これは温情である。
あまりにも無礼な物言いなのでこのまま処罰することだって可能だ。
近づいてきている教師には目配せをする。一旦立ち止まってもらったのは、私はこのまま謝罪をいただけるならこの場は許そうと思ったのだ。
だけど、
「この学園では生徒は平等です! なのにそんな言い方をするなんてひどいです! 私は何も間違ったことは言ってません。やっぱりこんな言い方をするのは悪役令嬢だからですよね!!」
本当に何を言っているのか理解が出来なかった。そもそも悪役令嬢って何かしら。
「そう、謝らないのね。残念だわ」
私は相手にするのも面倒なので、そのまま去ろうとする。どちらにせよ、反省の色が見えないこの女子生徒は罰を与えられることは間違いない。あとはやる気満々の教師に任せてしまおうと思った。
でも予想外のことが起きた。
「待って! 逃げるなんてずるいです!」
よく分からないことを言って、腕を掴まれる。
こんな風に腕を掴まれることは初めてで驚いた。
「離しなさい」
私はそう言って、手を振り払った。それでその女子生徒が尻もちをついたけれど、それも仕方がないことだ。だって彼女は無礼な行いをしているもの。
「きゃっ、ひ、酷い」
なぜか両手で顔を覆っている女子生徒。
私は教師に任せて、そのまま今度こそ去ろうとしたら――今度は制服のスカートを掴まれた。
態勢を崩して倒れそうになる。
「ユキッ!」
聞きなれたザンの声が聞こえてきたかと思えば、私の体は支えられた。
「大丈夫か?」
「ええ。ありがとう、ザン」
こうやって腕を掴まれるのも、スカートを掴まれてこけそうになるのも初めてだった。
「お前、ユキに怪我させようとしてただで済むと思うなよ」
私の体をぎゅっと抱きしめて、そのままそんなことを言うザン。……それにしてもいつまで抱きしめているつもりかしら? 周りに人も沢山いるのに。
表情は見えないけれど、おそらく怒っているんだろうなと思う。ザンは私のことを大切にしてくれている。だから、私に何かあると本気で怒る。
……前にザンの婚約者の座を私から奪おうとした令嬢が現れた時にも怒っていたもの。
「ななな、なんでザンダッディ王子がそんな悪役令嬢を――」
「お前、死にたいのか? 俺の婚約者であるユキをそのように言うなど許されることではない」
「なっ、なんでそんな――」
「連れていけ」
ザンのその言葉と共に、引きずられていく音と文句を言っている声が聞こえてくる。
というか、本当にいつまで抱きしめているの?
「……ザン、いい加減離しなさい」
「嫌。それより怪我してないか? 保健室行こうか」
「って、ちょ……」
そのままザンは私のことを抱きかかえる。周りがそれを見てキャーキャーと声をあげている。……恥ずかしい。周りから生温かい目で見られているのが分かるわ!
私は恥ずかしくなって、保健室に連れて行かれるまでずっと顔を隠しているのだった。
――その日は授業を休んで、早退した。ザンが「あの生徒どうにかしとくから」といって私を送り届けたから。そして翌日には、あの女子生徒はもう学園からいなくなっていった。田舎に帰されたらしい。ちなみに罰も与えられたんだとか。
「お姉様、悪役令嬢だったの!? えー??」
その一連の流れを長期休暇で領地に帰った際、リーシエに言ったら、そんなことを言われた。
「あら、リーシエは悪役令嬢と言う言葉を知っているの?」
私は不思議に思ってそう問いかける。
「うん。むかーし、聞いたことがあるだけ。でもお姉様が悪役令嬢じゃないことは私が知っているからいいの」
「ふふっ、本当にリーシエは可愛いわね!」
にこにこ笑いながら、お菓子を食べるリーシエが可愛くて思わずそう言ってしまう。
この可愛い妹が学園に入学する時が楽しみで仕方がない。私が三年生になる時に、リーシエは学園に入学する。その時にリーシエが心穏やかに学園生活を行えるように整えておかないと! とそう思うのであった。
少なくともあのような無礼な女子生徒に絡まれないようにしないとね!!
私はそう決意をするのだった。
――妹に出会ってから、私はとても人生が楽しい。
前々から思いついていて書きたいなと思って書いた話です。
妹側目線で書こうかと思ってましたが、結果的に姉目線になりました。楽しんでもらえると嬉しいです。
ユキリナ・ウェヴィンス
公爵家の長女。政略結婚を結んだ両親の元へ生まれた。
妹と出会ってから世界が変わって、とても前向き。父親とは不仲のままだが、義理の母親と妹のことは大好き。婚約者に魔法を習ったため、才能が覚醒しとてつもない腕になっている。
妹の幸せを何よりも願っているので、妹に何かあれば絶対に許さない。
リーシエ・ウェヴィンス
公爵家の次女。平民の母親の元へ生まれた。
実は姉との初対面時に前世の記憶を思い出している。そのため父親を「最低」といい、母親に一生懸命意見を言っていた。姉のことをとても慕っている。こんなに優しいお姉様に冷たくしていたなんてっと父親のことはよく思っていない。姉の婚約者のザンダッディのことも兄のように慕っている。二人のことを理想の恋人と思っていて、ああいう関係いいなと憧れている。
学園での話を聞いて「お姉様が悪役令嬢!?」と驚愕。そういう物語を読んだことはあったが、ここがどういう話の世界かは知らない。お菓子大好き。
ザンダッディ
王妃の息子の第三王子。王と王妃の血を引き継ぎ、とても顔が整っている。
昔から魔法に夢中で、ユキリナとの婚約は望んだものではなかった。でも仲良くなって、すっかりユキリナを溺愛している。ユキリナの影響で兄弟たちとも仲良くなった。ブラコン気味。リーシエのことも妹のようにかわいがっている。
どうでもいい人間は割とどうでもいいと思っているので、冷たい。親しい人の前以外の前では表情を変えない系。
絡んでいた女子生徒
転生者。前世の記憶持ちのため悪役令嬢枠のユキリナに特攻、そして返り討ちに遭う。
田舎に戻され、処罰を受けた。