最低な出会い
学園の授業は座学が四割、技能が三割、残りがディーの訓練といった感じだ。
学園にきて一週間も経つとリズムが掴めてきてくる。
技能とディーの訓練に関して、ハルは天才的なまでの能力を発揮した。騎士は船団の護衛が主たる任務ではあるが、一部警察と同じ役割を担っている。
そのため組手や尾行技術といった訓練があるのだ。
そこで活躍するのがハルのステータスだ。
戦闘力そのものを可視化することはできないが、授業で叩きだしたあらゆる数値がハルの万能性を示していた。
ディーの訓練に至っては言わずもがな。ただし試験を受ける時はよくよくランキングを見るようになった。
ランカーを回避するためだ。
垂直飛びに関しては自重しなかったことで歴代ランカーとなってしまったが、それでも突っかかってくる輩の多いこと。
これ以上面倒事を抱えないためにも、成績はおCクラスのトップと同じ程度に抑えている。
「しっかし、ランカーをほぼ生徒会長が独占しているってのもすごいわね」
昼休み。ハルはランカーの記録を学園のシステムから確認していた。
およそ三○もの項目があり、そのほとんどに先日に割り込んできた生徒会長であるセレーネの名が一位に輝いている。
もし三○の項目で違う生徒がランカーだった場合、ランカーの制服を纏うのも三○名ほどいるのだが、今はハル含め数名。初等となればハルしかいない。
そりゃ目立つわけだ、とため息交じりでモニタを消す。
技量もディー能力も軒並みハイスペックなハルではあるが、一方で座学だけは人並みかそれ以下というポジションだ。
元地球人であるハルが現在の技術について知っていることなど皆無であり、転生前にサゴニウスで過ごしていた記憶は大半がジャグや亜空間技術の研究と訓練で埋め尽くされている。
一般常識程度はあるが、逆に言えばそれ以上の事は知らないし、サゴニウスでの知識も二○○年前のものだ。どうしても齟齬が出る。
「でも安心した。ハルにも苦手な事ってあるのね」
隣の席、紗良が愉快そうに笑っている。
紗良は技能もディー能力もはっきり言ってしまえば平凡ではあるが、座学だけは出来るようだ。
「別に私は超人でもなんでもないわよ」
「それ嫌み?ランカーまでなっておいて。でもハルのおかげでクラス対抗マッチは安心ね」
「クラス対抗マッチ?」
懐かしい響きだと思うが、嫌な記憶も蘇る。
前世では運動が得意ではなかったし、高校の時は施設の台所事情もありバイトに明け暮れていたので帰宅部であり、クラスの親睦を深めるような行事はあまり馴染めなかった。
そしてCクラスはCクラスで、クラス全体で苛められているような状態と聞いているので、正直あまりいい気はしない。
しかし紗良はいつにも増してクラス対抗マッチに心躍らせているようで、ハルは不思議に思う。
「そんなに楽しいの?それ」
「……まさかハル、学園のクラス対抗マッチをしらないの?」
「うん、知らない」
驚愕の表情から紗良はすぐさま真剣な眼差しとなる。
「学園のクラス対抗マッチはね、簡単に言えば一般の人に学園を見てもらうためのお祭りよ。その日は学園内が一般公開されて、たくさんの出店も来るの。そこで学園の生徒がディーの能力を競い合う催しが開催されるの」
「……ますます嫌な予感しかしないのだけど?クラス対抗でしょう?Cクラスが勝てるの?」
「そこはハンデがつくわ。学園側も本気のSクラスを私たちにぶつけようとは考えていなくて、要はお客さんが楽しめればいいって感じかしら」
「……ふーん」
たしかにSクラスとCクラスをぶつけたら見世物とは呼べない一方的な何かになるとは思うが、果たしてそんな暗黙の了解で毎年ちゃんと回っているのだろうかとも思う。
「ハンデなんかいらねーよ。ぶつかったやつは全員叩きつぶすまでだ」
「は、ハワード。いきなりなによ」
ぬっ、という表現が似合う様相で紗良の後ろから男子生徒が現れた。
ハワード・ガルード。新興貴族の息子だ。
クラスで一番背が高く刈り上げた髪に精悍な顔つきが目を引くが、ハルを除いたCクラスで一番ディーの成績が良く、その強さはBクラス、いやAクラスでもいいのではないかと思う程。
特に先日の垂直飛びの試験では、一学期の一五メートルという記録からさらに二メートルも伸ばして一七メートルを出した。
どれほど特訓すればちょっとの休みで二メートルも記録を延ばせるというのか。
「ハルとか言ったな。てめえも直ぐに実感するさ、このCクラスが如何に惨めかってな」
「話には聞いてるけど、そんなにひどいの?」
この一週間、話に聞くCクラスいびりはハルの目に入っていない。休み明けの試験が続いていたというのも影響しているのかもしれないが、それにしても今のCクラスは至って普通だ。
「そりゃてめえが見てねえだけだ。いや、てめえの見えねえ所でと言った方がいいか。紗良なんざ一学期よりもひでえだろ」
「ちょっとハワード、やめてよ」
慌てて紗良がハワードに詰め寄るが、意に介さずハワードはハルを睨みつける。
「別にてめえを責める気はねえ。けどな、てめえの友達が困っていなら、助けたっていいんじゃねえのか?——そして紗良、おめえもだ。自分だけが我慢すれば良いだなんて、そんなにCクラスが信用ならねえか」
「——ちょっと待って。紗良に何か起きてるの?」
「だ、大丈夫よハル。なんでもないから」
明らかに何かを隠している態度に、ハルは目ざとく机に置いてあったペンケースとノートを見た。
宇宙に進出した環境では紙は貴重品だが、学園に通う生徒であれば比較的割安で紙のノートを買う事が出来る。
そのため学園ではノートを使って授業を受けるのが一種のステータスであり、その環境に憧れて学園を目指す子供もいるほどだ。
「——そのペンケースとノート、随分新しいわね」
そういえばと、初日に見たペンケースと今置かれている物は違うし、ノートに至っては今日まさに表紙にペン入れしたかのような新しさ。
「ち、違うのよハル。二学期だから新品に入れ替えただけで——」
「ほう?紗良の入れ替えるってのは、校舎裏に捨てる事なのか?」
カタリ、とハワードが机に何かを置いた。
泥まみれ草まみれになったそれは、何度も踏まれぶつけられ叩かれて曲がってであろう缶のペンケース。
表面には掠れた「長瀬紗良」の記名。
その光景は、施設育ちが故にハルも経験したことのあるものだ。
あの時は為すすべなくただ嵐が過ぎるまで、興味が自分から離れるまで耐えるしかなかった。
何かあれば施設に迷惑が掛かるからと、高校生にしては高い出費を強いられた。
「——ごめんなさい、気づいてあげられなくて」
ハルの軽率な行動が、他人を傷つける。
喩え悪いのがハルじゃないとしても、遠因は自分だと。
けれど正直どうしたらいいのか分からない。
あの時のハルはまさに今の紗良と同じで、ただ耐えるという選択をした。それしか無かったからだ。
けれど今は違う。
ハルには圧倒的な才能があり、ランカーという確固たる地位もある。
だというのに、この状況をどうすれば良くできるかというアイデアはない。
「ハワード、教えてくれないかしら。あたしはどうすればいい?」
「はっ、そんなもんてめえで考えろ。てめえはランカー様なんだろう」
「ランカーだろうと無かろうと関係ないわ。それに、Cクラスを信用しろと言ったのは誰だったかしら?」
「……いけしゃあしゃあと。それなら教えてやるよ、てめえのやることは——」
「三宮ハルはいるか!!」
ハルとハワードがヒートアップ寸前となっていたその時だ。
大声を張り上げながら、Cクラスに見知らぬ生徒が入ってきた。
* * *
突然Cクラスに現れた男子生徒は、静まり返った生徒の視線を一身集めながら、臆することなく踏ん反り返っている。
小太りで如何にも選民意識溢れる貴族然としている佇まいに、ハルは面倒臭さを覚えながら、ふと生徒会長であるセレーネが乱入してきた時を思い出す。
結局自分が対応しなければいけないのだと思い、どうあしらおうかと考えていたら隣りのハワードが動いた。
「なんだレイルリ。うちのクラスの奴に何の用だ」
こちらを隠すかのようにその大きな体を目立たせながら素早くレイルリと呼ばれた生徒に詰め寄る。
「な、おおお前には関係ないだろ!三宮ハルを出せ!」
「関係なくはねーよ。てめえがしたこと、忘れたとは言わせねーぞ」
「……吾輩がしたこと?はて、何のことか」
「レイルリ様、一学期の船外活動の事だと思われます」
「——ああ!あの間抜けを見物にしたあれか!はっはっは」
側に控えていたのはレイルリには到底似合わない、可愛らしい男子生徒。癖毛な栗色の髪とレイルリよりも小柄な体躯に、思わず女の子が男装しているのかと見紛うほどの可憐な顔立ちだ。
そんな彼が顔面蒼白になるほどに、ハワードが鬼の形相でレイルリの前に立ちはだかる。
「……どけ平民。お前と違って吾輩はこれでも忙しいのだ」
「俺はここに立っているだけだ。お前が俺を避けていけばいいじゃないか」
「何故貴族である吾輩が平民を避けねばならんだ!」
「忙しいのだろう?言い争うよりもさっさと用件を済ませたらどうだ?それに学園の身分の差による差別や区別は一切を排するという理念、よもや忘れてしまったのか?」
「ふん、あんな理念なぞ守る価値もない」
言い争う二人、主にハワードの背を見ながらハルは小声で紗良に問う。それは、残酷な現実。
「……ねえ紗良、さっき聞こえたレイルリって——」
「そう、彼が前に話したレイルリ・ハイリー。ハイリー伯爵家の末っ子で、貴族特権で学園に入って、でも実力がなくてBクラス最下位って噂よ」
その言葉にハルはがっくりと肩を落とす。
積極的にCクラスに関わる厄介者とは聞いていたが、すでにやらかし済物件だったとは。
(——ボワード伯爵も可哀想ね……いえ、躾けの問題なら伯爵の自業自得かしら)
それを押し付けられた自分はどうなのか。
転生直後で考える時間も無かったとは言え、こんなことになろうとは露にも思わず。
今になって分かる。
出会って数分のハルに息子の護衛を頼むとは随分適当な性格だとは思っていたが、たしかにこの様子ならば、生半可にボワード伯爵の従者であれば増長を許す一方だ。
その点、ソラバチを単独で撃破出来る実力だけは確かなハルを当てればレイルリの矯正も見込めると考えたのだろう。
なんて考えている間に、ハワードとレイルリは暴発寸前だ。
ハワードはそもそもハルとヒートアップしていただけに尚更である。
「……紗良、あんまり気が進まないけど、行ってくる。どうせあたしが出なきゃ収まらないでしょ、これ」
「……そう、ね。ごめんなさい、こんなCクラスのゴタゴタに巻きこんじゃって」
「止してよ、あたしだってCクラスの一人なんだから」
じゃあ、と席を立てば、紗良が申し訳なさそうにハルを見る。
そんな事より自分の心配をしなさいよと苦笑いを浮かべ、ゆっくりとハワードの背後に忍びよる。
やることは一つ。ハワードをこれ以上レイルリの目の敵にさせない事と、レイルリからCクラスへの干渉を失くすこと。
「はいはい、ちょっとごめんねー」
「てめえ邪魔をす——おわっ!」
ハワードの腰に手を回し、がっちりホールドしたらそのままバックドロップをかました。
両者の言い争いですでに周りの生徒が机を退かしていたため、障害物もなく綺麗に決まった。
「ていっ」
軽い動きで身を翻し、デコピン一発を追撃。
ゴンッ、と人体から聞こえてはいけないような音が響くが、ハワードなら大丈夫だろう。たぶん。
「ごめんなさいね、躾がなっていないゴリラで。——さて、あたしに何用かしら」
「お、おおま、お前が三宮ハルか?」
「ええ、そうよ」
大柄のハワードを軽々と投げ捨てたのを見れば、流石に腰が引けたのか。それでも居住まいを正して踏ん反り返るのは流石と言うべきか。
「なるほど、ランカーの証であるその制服。噂は本当だったようだな。——お前、俺の女になれ」
「……はい?」
* * *
レイルリの背後に控えていたシュラウス・コンラッドは恐怖を覚えた。
レイルリ引き連れられてCクラスに来るのは何度もあったが、今日ほど抵抗を受けた事はなかった。
シュラウスの目から見てもレイルリがCクラスに対しての行いは可哀想だと思う事がある。それでもその事をレイルリに聞けば「これは必要な事なのだ。黙って見ておれ」と、それ以上は聞けない。
(……きっとレイルリ様にも、考えがあるんだよね)
シュラウスは男爵家の息子である。
由緒正しい家系とは伝え聞いてはいるが、男爵家は領土を持っている訳でも大儲けしている訳でもなく、下手をすれば一般家庭よりも貧しい生活を送っているほどだ。
なのでレイルリの様な貴族の世界の中で生きてきた者の感覚が分からず、結局はそういうものなのだ、と自分を納得させてきた。
だが今日は違う。
それまではなんだかんだでレイルリが強く言えばCクラスの面々は従っていたし、ここまで剣呑な雰囲気になることはなかった。
それが一変してCクラスが、特にハワードがレイルリに牙をむいている。
シュラウスには一学期の時からハワードに何度も睨め付けられた覚えがあり、その度にレイルリの影に隠れていたのを思い出す。
このまま殴り合いになってしまうのではないかとハラハラしていた時だ、さらに衝撃的な事が起きる。
ハワードの影に誰かが現れたと思えば、次の瞬間にはそのハワードが赤子をあやす如く宙を舞い、デコピン一発で動かなくなったのだ。
同じ「ヒト」とは思えない、圧倒的実力にただでさえ気弱な性格のシュラウスは逃げ出してしまいたい気持ちで一杯だ。
「れ、レイルリ様、逃げましょう!あれは何かおかしいです!」
か細い声は少女のようで、顔立ちも相まって彼が男子生徒の制服を着ていなければ、目の前の恐怖に震える可憐な少女に見えた事だろう。
しかしその言葉はレイルリには届かず。
「——お前、俺の女になれ」
「……はい?」
本日何度目か、シュラウスは度肝を抜かれた。
恐怖に驚きにと来て、今度は何故だか恥ずかしさがこみ上げてくる。
(——れ、レイルリ様が告白だなんて!)
目まぐるしく感情が変わり、軽い眩暈を覚える。
こんな大勢の人を前にして言い淀むことなく告白するなぞ、自分には出来ないとシュラウスは思わず両手で顔を隠してしまう。
指の隙間から見やる二人は、すでにシュラウスの瞳にはいい雰囲気のように感じられた。
教室の空気もそれまでの剣呑とした雰囲気から、どこか一変した気がした。
それだけ堂々とした告白だったと、シュラウスは一人で納得する。
(で、でもこういうのは相手の返事が大切だよ、ね?)
貴族よりは平民として育ってきたシュラウスは、学園に来る前の幼年学校を思い出す。
色恋沙汰は子供でも常に流行りの話題であり、誰が誰を好きだとか告白しただとかは皆大好きだ。
シュラウスも友人が告白して思いっきり振られた現場を偶然みてしまったとか、気まずい雰囲気を経験したことがある。
ましてレイルリと目の前の女性、三宮ハルが出会うのは今日が初めてのはず。
初対面である女性に告白するなど、自分じゃとても出来ないことだとシュラウスは改めてレイルリへの尊敬の念を積み上げていく。
幾重もの勘違いを重ねて、シュラウスはレイルリと並び立つ彼女を何と呼べばいいのかとか、すっかり世話付きとして刷り込まれてしまった感覚から彼女の好みのお菓子などをリサーチする必要があるだとか、レイルリに負けずも劣らずの暴走っぷりを心の内で始めてしまう。
「平民ながらにしてランカーとなるその技量、粗暴な者の中に置いておくのはもったいない。吾輩が拾ってやるというのだ」
邪な笑みもシュラウスから見れば、意中の女性に柔らかく微笑みかけるように見え、そこだけ二人の世界が創られているようだ。
はたから見れば小太りのレイルリが下心丸出しで威張っているようにしか見えないのだが。
* * *
(——ジャグ、思考の高速化、二○○○パーセントに引き上げて)
『——了解しました』
亜空間技術を使ってジャグを体内に内包しているハルだが、その応用で体内時間を変更することが出来る。
主に思考回路の高速化という面で使う事が多いのだが、目の前で起きている状況が飲み込めず、いったん落ち着く時間が欲しくて思考時間を引きあげた
(で、ナニコレ?)
『状況を検分するに、彼は貴女を手駒兼婚約者として迎えたいものと判断します』
こちとらシナリオゲーム制作会社にいたのだ、それくらい分かるわよ、とジャグに通じない言葉を出しそうになっては飲み込み、冷静に分析する。
紗良やハワードからレイルリが如何にCクラスに嫌われているは容易に想像がつく。
同時に、これがボワード伯爵の末っ子だと思うと頭が痛くなる。
(これが護衛対象かぁ……貧乏くじどころか疫病神を引いたようなものね)
『同感です。が、おそらく彼の様な存在が現在フェルンディオにて上位に存在する貴族なのでしょう』
貴族が皆このような性格だとは思いたくないが、そういえば生徒会長であるセレーネも威圧的な態度だし、そもそもSやAクラスはCクラスを同じ人間として見ていない節があるのも確か。
こんなゲームみたいな状況があるか。今か。
ならゲームと同じように切り抜ければいい?セオリーとしてはこっぴどぐ振るか、グーパンチでもお見舞いするところだろうか。
(——いや、護衛対象からの印象が最悪って、護衛としてどうなのよ)
『歴史的にみて、護衛と警護対象者というのは立場の違いから衝突することも少なくありません』
(それはお互いがお互いの役割を分かっているじゃない。ボワード伯爵からの狙いからは外れるわ)
秘密裏に警護するからこそハルの役割は十全の効果を発揮するのだ。面倒だからばらしてもいいか、とも思うこともないけれど。
『逆に考えましょう。相手からの条件を飲み、護衛を続けたらどうでしょうか』
(……いやよ、こんな奴)
『置かれている立場を考えてください。彼の性格が一般的に見て最悪なのは同意いたしますが、傍にいれば護衛がしやすいというのも事実です。さらにCクラスへの被害も、少なくとも彼からの嫌がらせは減少するでしょう』
(つまり、Cクラスからレイルリへの攻撃は、レイルリからの干渉を失くすことでリスクを減らそうってこと?)
『そうです。目的失くして襲撃はありません。それに外聞的にも彼の近くで騒ぎが起きるのは、ボワード伯爵としても避けたい事でしょう』
護衛の範疇を超えているし、そこまでする義理もない。
だからといって波風立てるのもどうなのか。
フェルンディオは近い将来ソラバチに襲われるのは確定である。その時にボワード伯爵の協力は必須だと考える。
もちろん貴族は他にもいるが、貴族と腹の探り合いをするのを得意としていないハルは関係構築をゼロベースからするのは面倒とも感じる。
だからと言ってここでOKという返事を出すのは、権力の亡者か打算的なキャラぐらいだとも思う。
(いざとなったらボワード伯爵に告口すればいいかしら。それとも本人を殴った方がはやいかしら。——ジャグ、彼の話に乗るにしてもなるべく彼の相手をしなくていいような条件は何かしら?)
『簡単な事です。すでに貴女は学園の頂点である生徒会長に目を付けられております。それを逆手にとって、生徒会長を超える事が貴女の目標だと告げ、それに対して訓練を日々積む必要があると伝えましょう』
ジャグの言葉に唸る。
ただの訓練ならあれかもしれないが、生徒会長であるセレーネに挑むとなると話は少し変わってくるだろう。
レイルリのようなキャラは生徒会長という存在に対して何かしら負の感情を抱いているのがセオリーであり、それを利用しようというのだ。
『とはいえ彼を一人にさせておくと暴走する事も考えられます。となると週に二日ほどは顔合わせが必要かと判断いたします』
(こいつと三日に一回は顔を合わせるってこと……?気が重いわね。寮が異性の入館禁止なのが救いかしら)
方針は決まった。
思考の高速化を解除する。実時間にして一秒にも満たない程度であり、怪しまれることもないだろう。
ハルは居住まいを正すと、伏し目がちにレイルリに軽く頭を下げる。
「——突然のことで、少々困惑してしまいました。お誘いありがとうございます」
今更だとは思うが謙虚な振る舞いは必要だ。
ハワードを投げ飛ばした態度と打って変わったハルの様子を見れば、貴族に盾突く者とは思わないだろう。
「は、はは……はっはっは。流石はランカーだ。賢明な判断である」
ハルの態度にすっかり絆されたのか、レイルリは満足そうに高笑いが響く。反対に、背中には驚きに満ちたクラス中の視線が突き刺さる。
紗良の「なんで……」という悲鳴じみた囁きは特にハルに刺さる。
「——ところでレイルリ様、私からもお願いをいくつか聞き入れていただけないでしょうか?」
「うむ、申してみよ」
ハルが頭を下げている事実が心地良いのか、上機嫌なレイルリ。
この機を逃すことは無い。
「見ての通りあたしはランカーですが、あたしの目標は生徒会長であるセレーネ様です。彼女に追いつきたくて日々鍛錬をしております。そのため、放課後お会いするのは週に二日とさせてほしいのです」
「……なに?週に二日だと」
「はい。レイルリ様に認められたからと言って、日々の鍛錬を怠ってはいつかレイルリ様を失望させてしまいます。逆にレイルリ様に認められたとあれば、訓練にもより一層熱が入るものと言うものです」
「そ、そうか……」
表情を伺うに、そこまで機嫌は悪くない。
最後に、押しのひと言。
「それに——、レイルリ様もセレーネ様には思う所がおありではないでしょうか?」
「……うむ」
『セオリー通りですね』とジャグの声が無機質に脳内に響く。
「三宮ハル、ますますお前を気に入った。吾輩のために、これまで以上に鍛錬を積むというのであれば、しかと期待に応えてみよ」
精進いたします、と恭しく頭を下げれば「有意義な時間であった、また来る」と言い残し、レイルリとシュラウスはCクラスから立ち去る。
その背を追いかけ、廊下を歩く二人の姿を確認して、ハルは静かにドアを閉めた。
「……最低な出会いだったわね」