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深宇宙探査船団フェルンディオ  作者: えだまめのさや
3/4

学園生活の始まりは驚きで


 「三宮ハルです。事情があって二学期から編入という形になりますが、よろしくお願いします」

 

 すっかり麗になった教室にハルの声が響く。

 およそ四○名ほどの生徒の視線を一身に集め、非常に居心地が悪い。思えば前世では転校も転職もしたことがないので、すでにあるクラスに馴染めるかどうか。唯一の救いは紗良が手を振ってくれていることか。

 ただ、ここまで注目を集める訳はもう一つある。

 制服が違うのだ。

 今朝になってクローゼットから取り出した瞬間に色が変わり、今は白を基調として青と金のラインが入った物になっている。

 驚いて隣室の紗良の部屋に駆け込んだが、これこそがランカーの証なのだという。

 

 「えー皆さん聞きたいことは色々あるかと思いますが、直ぐに試験が始まりますのでそれが終わってからにしましょう」

 

 席は紗良の隣に指定されるが、座る間もなく皆が立ち上がり、教室を出ていく。

 悲喜こもごもな溜息が教室を包むが、何も聞かされていないハルはあっけにとられて立ち尽くす。

 

 「ねぇ紗良、試験って?」

 「昨日の垂直飛びよ。期末試験の内容をもう一度やるの。赤点クラスの救済みたいなものね」

 「え……またあれやるの?」

 

 まさに垂直飛びでランカーになったハルとしては訓練所にしばらく立ち寄りたくないくらいなのだが、編入初日から抜け出すわけにもいかない。

 

 「——ふふっ、大丈夫よ。言ったでしょ、初等は三○メートル飛べばディーの試験は免除されるって」

 

 初めて会った機能とは変わって、だいぶ和らいだ口調の紗良に連れられ、皆に混じって訓練所へと向かう。

 

 (けど制服のまま訓練するってのもなんだか変な気分ね)

 

 サゴニウスにいたハルの記憶ではそもそも常にパイロットスーツだった。生前の学校は体育の前はちゃんとジャージに着替えていたものだ。

 しかしこの学園の制服はそのまま戦闘服にもなるほど伸縮性と耐久性があり、さらに運動後の汗などは服を着たまま入るシャワーで全て落ちるらしい。

 そこまで効率化を図っているというのに、寮には大浴場があったりするのが不思議だ。

 

 「全員いますね。では準備が出来たものから跳ぶように。一学期と同じように、計測は三回です」

 

 一○○メートル四方の箱の中に教師の声が響く。

 軽くストレッチっから始める者もいれば、早速計測に向かう者もいる。レーンは三つ用意してあり、跳べば勝手に計測してくれるようだ。

 

 「ハルさん、ちょっとあれ見てて」

 

 紗良が指さす先、真っ先にレーンに入った男子生徒がいた。

 靴のグリップを確認すると、跳ぶ。

 

 「おー……」

 

 おもわず感嘆の声が漏れた。

 彼の記録にではない。

 彼が飛んだ瞬間、彼と重なる様にホログラムが現れたのだ。

 

 「あれは一学期の私たちの映像なの。それを重ねることで、一学期とどこが変わったのか、良くなったのか悪くなったのかが分かるのよ」

 「まるで自分と戦っているみたいね」

 

 跳躍時の腕、腰、膝の曲がり。

 どのあたりから失速して、または過去の自分を追い越したかが良くわかる。

 そんな男子生徒は、一学期の彼を頭ひとつ分追い越した。

 

 「よっしゃあ!」

 

 距離八メートル。

 決して高いわけではないが休みの間、着実に鍛えてきたのだろう。

 

 「どう?ハルさんもまた跳んでみたくなった?」

 「——その手には乗らないわよ?それに紗良は私の着地を見たでしょ。いくら高く跳べたからって、あんな自滅みたいなかっこ悪いところ見られたくないわ」

 

 ざんねーんと可愛く笑い、紗良もレーンに並びに行った。

 とは言え見ているだけなのも正直飽きる。

 

 (ほんと、なんてものを授けてくれたのよ神様は)

 

 大きなため息と共に制服の金のラインが目に入る。

 薄暗い訓練所の中でも目立つこれは、時間と共にクラスメイトの視線を再び集めていった。

 当然だろう。

 なにせ壁には歴代垂直飛び記録保持者ホルダーがスクロールで表示され、横には前日に二位までを塗り替えたハルの名が輝いているのだ。

 ふと、ハルは思う。

 

 (どうせランカーになっちゃったんだから、いっその事開き直っちゃおうかしら)

 

 そもそも学園で歴代二位であるという事は、仮にハルの記録が誰かに塗り返されたとしても、ハルの記録はランカー二位、歴代三位として残り続けるのだ。

 それに今の歴代一位だって、ここ十年は記録が塗り替えられていない。そろそろその名を後進に譲っても良いころ合いだろう。

 

 (——って、自分で後進に譲るだなんて偉そうに)

 

 思わず笑みが零れる。

 

 「どうしたの?」

 

 一回目の測定を終えたハルが戻ってきた。

 どうやら一学期の記録は越えたらしく、それでも四メートルは跳べないようだ。

 そんな彼女の前でまた記録を塗り替えたらなんと思われるだろうか。嫌われるだろうか。

 

 「……ねぇ紗良。私も記録、狙ってみようかしら」

 「えっ……本当?」

 「わりと本気。そもそもCクラスの私がランカーっていうのも、周りがどう思うかとか色々あるんだろうけどさ、この際開き直っちゃおうかなって」

 「……理由が子どもね」

 

 そうは言うものの、紗良だって面白がっているじゃないか。

 なら迷うことは無い。ここは前世とは違う。

 まだ何物にも縛れていないのだから、そのまま自由にさせてもらおう。

 行ってくる、と紗良に告げハルはレーンへと並ぶ。

 前に並んでいた女子生徒がぎょっとした目でこちらを見てきて、さらには周囲四方八方からの刺さらんばかりの視線に逃げ出し、あれよあれよとハルは位置についてしまった。

 

 「ハルー!がんばってー!」

 

 人垣の向こう、紗良が跳ねながら手を振ってくれる。高校を思い出すノリだが、そういえば年齢的にも高校生だった。

 紗良に軽く手を振り返し、ハルは静かに呼吸を整える。

 昨日と同じように靴を滑らせ、床を掴む。

 一度跳んでいるのだ。イメージは前回よりもはっきりしている。

 

 (足だけじゃない。背中も腕も、全部を使って跳ぶ)

 

 緩く屈伸運動をして、リズムを作っていく。

 伸びる時はつま先まで伸び、縮むときはあまり腰を落としすぎない。

 高く跳ぶ、これだけを意識すれば『それ』は来た。

 

 「——はっ!」

 

 何かに足底から持ち上げられる感触。

 まるで海底から浮かび上がってくる泡のようだ。

 ただ上へ。

 邪魔な水を押しのけ、上へ上へと目指す泡に乗っかるような、どこか幻想的な力に包まれながら、ハルは跳んだ。

 

 * * *

 

 「——かっこいいなぁ……」

 

 目の前で高々と跳んだハルは、不思議とゆっくりに見えた。

 ただ真っすぐと上へ。

 紗良は首が痛くなる程に見上げた先、一つの到達点を見た。

 

 「記録、一○○メートル……」

 

 学園が創られてから誰一人として到達できなかった、訓練所最高点という高み。

 ハルが現れる前、歴代一位は九三メートルで、あの高みにたどり着けるのではないかと言われていたという。

 けれど結局、卒業までにあの高みは越えられなかった。

 それが今、破られる。

 

 『歴代ランカーが更新されました。記録、一○○メートル』

 

 * * *

 

 着地もイメージ通り。

 下手に手を広げれば空気抵抗を受けて動いてしまう。

 訓練所には落下の衝撃を和らげるセーフティがある分かれば、跳んだままの姿勢で落ちてきて、着地と同時に片膝と手をついて衝撃を逃がす。

 

 「——ふぅ。イメージ通りね」

 

 次の瞬間、訓練所は溢れんばかりの歓声、いや怒声に近い熱気に包まれた。

 昨日現役ランカーを更新したばかりだというのに、次の日には歴代ランカーを更新して、何より訓練所の高みへと到達した唯一の人物。

 人はあまりに実力の差を見せつけられると嫉妬や妬みと言った感情ではなく、その眼差しは羨望へと変わる。

 誰も到達できたなかった高みへの到達を間近で見て、それを騒がずにいられない者は騎士養成学園にはいなかった。

 ハルの周りには興奮にうなされた生徒が詰めかけ、もはやすし詰め状態だ。

 

 「ちょ、ちょっとみんな、おち、落ち着いて!」

 「ハル!」

 

 視界の遠く、紗良が手を伸ばしてくれているが届くはずもなく。

 こんな時こそ教師がまとめるべきだろうと首を振って探せば、なにやら写真をとっているだけである。

 その仕草、前世でSNSにアップロードしてバズるき満々のそれと重なる。

 

 (こんな時に何やってるのよ!役に立たないわねぇもう!)

 

 いつまで揉みくちゃにされなければならないのか、力ずくで抜け出そうかと考えた時だ。

 訓練所に凛とした声が響く。

 

 「——なんですかこの騒ぎは。騎士候補生だというのにみっともない」

 

 透き通るような、それでいて芯の通った声音が響き、教師まで含めた一同が声の主を見やる。

 「生徒会長だ」と誰かが呟いた。

 外の明るい空間から現れた彼女は、こちらから見ると逆光で影にしか見えない。

 それでもシルエットから長身の女性とは分かる。

 その彼女が一歩、また一歩とこちらに歩み寄ってくれば、周りの生徒は自然と道を開け、ハルはしっかりと彼女を捉えた。

 ハルと同じ白を基調としたランカーの証である制服。

 プリーツスカートからすらりと伸びる足運びに貴族然としたたたずまいを想起させる。

 そしてなにより特徴的なのはその顔だろう。

 燃えるような赤い髪に、眼鏡の奥で怪しく光る瞳。

 比喩ではない。本当に瞳が光っているのだ。

 そんな彼女がハルの前まで歩いてくる。

 

 「——貴女ね。学園の秩序を乱す者は」

 

 ハルを見下す程度には身長差がある。

 腕組みをした彼女はゆっくりとハルをねめつけた。

 

 「見たことが無い顔だけど、貴女の様な者がこの学園にいたかしら?」

 

 そりゃそうだろう。何せ昨日初めて学園に来たのだから。

 というかその言い方だとまるで学園全員の顔を覚えているようではないか。

 

 「ふふっ。顔に出ていらしてよ。私は生徒会長のセレーネ。シュツリウス。生徒会長たる者、学園の生徒全員の顔と名前を覚えるのは当然でしょう」

 「ご丁寧にどうも。私は三宮ハル。二学期からの編入生よ」

 「編入生?」

 

 セレーネは即座にブレスレット型の端末に触れ、空中に現れたモニタを操作していく。

 ちなみにこのブレスレット型端末は学園に入学した者全員に配られるもので、学園内のあらゆる施設やメッセージのやり取りもこれを通して行われるのが通常だ。

 数秒ののち、セレーネが腕を振ればモニタが掻き消える。

 

 「失礼。確かに数日前に編入生が来ると連絡が入っていましたね。それがまさか貴女の様な者だとは思いもしませんでしたわ」

 「……そりゃどうも」

 

 どういう意味での「貴女の様な者」かは知らないが、こうも貴族然とされていると話しにくい。それにどの道こちらにとっていい話などないのだから。

 

 (いやいや、決めつけは良くないわね。もしかしたらこの騒ぎを納めようと——)

 

 「さて、この騒ぎの首謀者たる貴女はどのようにして責任を取っていただけるのかしら?」

 

 前言撤回。

 完全にこちらが悪として断罪される側でした。

 さてどうしたものか。

 素直に謝れば許してくれるものだろうか。というか騒いだのは私ではないという思いがハルにはあるので、素直に謝るというのもしゃくだだ。

 

 「——はいはいセレーネちゃん、そこまでだよ」

 「……ベル、どうしてお前がここにいる」

 「それはセレーネちゃんもでしょ。筆記試験中に飛び出したかと思えばいきなり訓練所に駆け込むなんて。どれだけ目立っていたか自覚ある?あと今まさに立派な授業妨害だよ」

 

 気配も感じさせずに突如としてセレーネの隣りに現れたのは、セレーネとは正反対な印象のおちゃらけた男子生徒。

 セレーネよりもさらに頭ひとつ分背の高い彼はハルを見つけると人懐っこい笑顔を向けてきた。

 

 「君が噂の編入生ランカーだね?ごめんねいきなり。うちの会長、ランカー相手だと猪突猛進で」

 「ランカー相手だからではない。訓練所で騒ぐなどランカーにふさわしくないから注意したまでだ」

 「それがおかしいんだって。授業中なんだからちょっと騒ぐくらいあるさ。それにセレーネちゃんだってまだ試験の途中だろう」

 「問題ない。筆記試験はすべて回答してきた」

 「うそぉ……俺なんか半分も解いてないのに……」

 

 これだから会長は、と肩を落とす男子生徒。

 しかし次の瞬間、彼はセレーネを後ろから羽交い絞めにした。

 一瞬の早業であった。

 かれはそのままセレーネを軽々と宙に放り投げるとどこから取り出したのか、麻袋あさぶくろにセレーネをすっぽりと入れてキャッチ。そのまま肩に担ぐ。

 

 「な、なにをする!」

 「油断したねセレーネちゃん。——じゃあ僕はこのお転婆会長にちょーっと灸をすえないといけないから。またね、転校生君。今度はゆっくりお茶でもできる場所で」

 「え、えぇ……」

 

 ヒラヒラと振られる手に放心状態で返事をすれば、満足したのか男子生徒は足早に訓練所を去っていった。

 残されたのは訳も分からぬハルとCクラスの面々。

 誰も彼も目の前で何が起こったのか分からぬといった様子で呆け、ただ教師だけは静かに告げた。

 

 「——はい、試験終了まであと一○分。前回の試験よりも成績が下がっている者は校庭掃除二週間だからね」

 

 * * *

 

 初日は嵐の様な時間を過ごした。

 ただでさえ落ちこぼれなCクラスに誕生したランカーであるのに、生徒会長から目を付けられたということですぐさま噂が広がった。

 廊下を歩けばランカーの証である純白の制服が注目を集め、数えきれないほど突っかかってくるやから

 勝ち抜け制のゲームかと辟易へきえきするほどに、特に全学年のAクラス以上の男子生徒が立ち塞がってきた。

 生徒会長とひと悶着あったのだからもっと陰湿な虐めでも受けるかと覚悟したものだが、男子生徒に限っては生徒会長もハルも「女のくせに生意気だ」という感情だけで突っかかってきている。

 全員相手にするのも面倒なので結局人目を避けるように移動したり、見つからなければいいと校舎の窓から移動を繰り返した。

 もちろん訓練所以外でこんな芸当が出来るのは卓越したディー能力者である証なのだが、ハルにとってはどうでもいい事だ。

 そして、今は夜。

 寮は夜一○時に施錠されるが、生徒が持つブレスレット型端末をかざせば普通に開く。

 訓練内容によっては夜から始まることもあるため、消灯時間なども特に定められていない。

 寮を出て、ハルは夜の校舎が立ち並ぶ敷地を横切り、怪しく聳《曽比》え立つ訓練所を通り過ぎ、倉庫の様な建物に入っていく。

 宙域訓練建屋と掲げられた看板。

 事前に教えてもらっていた、学園から宇宙に出るための施設である。

 入口の端末にブレスレットをかざせば、ピピッと小気味良い音を立てて扉がスライドする。

 周囲に誰もいない事を確認し、静かに足を踏み入れた。

 見た目通り、建屋の中は格納庫といった感じだ。

 戦闘機が窮屈そうに二機安置されていて、どうやら立体駐車場の様に下へ下へと格納されている。

 右手にはエレベーターがあり、ハルは躊躇ためらわずに乗り込む。

 止まる階は地上か、ゲート呼ばれる宇宙と母船フェルンディオの外壁だ。

 動き出すエレベーター。

 しばらくすると重力が無くなり、体が浮く。

 そういえばフェルンディオの重力はどう作り出しているのだろうか。

 ハルが生前、ゲーム作りで調べた知識やアニメで得たものは重力波と呼ばれる重力の素となるものを用いたり、円筒形宇宙船の外壁を回転させて遠心力を重力とするものだ。

 転生前の三宮ハルの記憶では、サゴニウスは後者。外壁が回転するコロニーを住居区画としてた。上を見上げればはるか高みに住居が建ち並び、円筒形の両端に僅かばかりの青空が投影されていた。

 しかしフェルンディオは違う。

 空は地球のように青く、雲も広がっていた。

 地面は平らで、遠く外壁のようなものは見えたが、それでもかなりの大型船だと思う。

 

 「ジャグ、パイロットスーツを出して」

 

 瞬間、ハルの装束が制服からパイロットスーツに代わる。

 亜空間に格納されていたものを取り出したのだ。一瞬で着替えが終わるため、騎士たちとの交流会では羨望の眼差しを受けたのを思いだす。

 何人かは技術者にあれが再現できないかと詰め寄っていたが、当面はジャグを作り上げることに注力してもらうため、亜空間格納技術はハルの専売特許だ。

 そもそもサゴニウスが存命だった二○○年前、ハルが受けた亜空間適合手術は下手すれば半身不随、運が悪ければ死に至るほど賭けに満ちたものだったのだ。それを生半可な技術で再現されれば本当に死人が出るというものだ。

 そのことを必死に説明したおかげで騎士たちはなんとか納得したようだが、それならとパイロットスーツそのものを着やすく出来ないかと、また技術者に詰め寄っていた。

 結局、騎士も現状に鬱憤うっぷんが溜まっていたのだ。

 思いだして笑みを零していたら、エレベータが外壁に到着した。

 扉の向こうは小さな展望台のようになっていた。

 分厚い強化ガラスで覆われてはいるが、壁一枚向こうは宇宙という空間。

 簡素なソファと自販機が置いてあるが、あまり利用する者はいないのか、生活感と言えばいいのか、人の気配が欠けている気がした。

 部屋の横には気密室があり、そこから宇宙へと繋がっている。

 ハルはヘルメットを確かめると、気密室へと入る。

 警告音のあと扉が閉まり、排気が始まる。

 数秒、宇宙へとつながるドアが開いた。

 

 「——これが、宇宙」

 

 生前の世界では選ばれた宇宙飛行士だけが、何百億という費用でロケットを飛ばしてでしか行けなかった世界。

 それも最初から宇宙にいるのであれば、エレベーター一つで来ることが出来る。

 真っ暗闇の中にきらめく恒星は、砂浜に広がるガラス質の宝石のようだ。

 しっかりと外壁に足を付けていないと、母船フェルンディオの推進力で体が宇宙に投げ出されてしまいそうだ。

 用意されている手すりに手を這わせながら、ハルは静かに宇宙での散歩を満喫する。

 無音の世界。

 パイロットスーツの防寒性能は完ぺきなはずだが、自分の呼吸音と心音が聞こえてくると、背筋が冷える。

 

 「——もういいかな」

 

 気密室から一○○メートル。

 こうして歩いてみると意外にも船外には補修用の材質などが安置されていて、案外と物に溢れていることに気付く。

 そんな資材の影に身を隠し、ハルは通路から外れていく。

 外壁に沿うように跳び、通路が見えなくなる程になったら、外壁を強く蹴る。

 深淵の宇宙に一人、飛び出した。

 瞬く間に離れていく母船フェルンディオを眺めつつ、ゆっくりと両手を広げる。

 

 「ジャグ、合一ごういつシーケンスを開始」

 『——合一シーケンスを開始します』

 

 無機質な声がヘルメット内に響く。

 合一とは、亜空間技術と対を為す技術。

 自分の体をベースにして物体を格納するのが亜空間技術とすれば、合一は己を亜空間に埋め込むものだ。

 その対象は、ジャグ。

 一瞬意識が飛んだかと思えば次の瞬間、ハルは金属の巨躯きょくを有していた。

 ジャグのコックピットで操縦する必要などない。

 ジャグそのものがハルであり、自らの体なのだ。

 それを確認するかのように、指や腕、肩や膝、果ては視界の違和感などが無いかを確認していく。。

 

 「……やっぱりスラスターが慣れないわね」

 

 転生前の三宮ハルはジャグにしかないスラスターという推進力を合一状態だと上手く扱う事が出来なかった。

 それは今のハルでも同じこと。

 転生前の肉体が苦手という記憶と地球でしか暮らしたことがないハルにとっては、スラスターを操るなど未知の概念だ。

 

 「イメージとしては体を倒す?感じかしら」

 

 無重力状態なので体を倒すという事は難しいのだが、そのような意識をすると背部にあるスラスターに光が宿り、ゆっくりと前進する。

 正直言って戦闘ではとてもじゃないが使えそうもないほどに、己が未熟だ。

 それでもなんとか母船と並走出来る程度までの速度を保ちつつ、旋回や回避動作を確認していく。

 コックピットで操縦するよりははるかに反応速度が速いが、いかんせん動きそのものがまだまだ緩慢。

 しばらくは訓練が必要だろう。

 

 「それでも、この技術が無いとソラバチにいつか負ける時が来る」

 

 すでにフェルンディオにはジャグの技術を渡し、ソラバチに対抗するための用意が急ピッチで進みつつある。

 戦闘機とはまったく操作が違うのが関門だが、それでも死ぬ気で覚えればソラバチと互角に戦う事は出来るようになるだろう。戦闘機でも、ツーマンセルであれば食らいつくことは出来る彼らなのだから。

 しかし、それはこちらとソラバチ、彼我の戦力が拮抗していればの話。

 もしソラバチがこちらの防衛戦力を上回る規模で押し寄せてきたら。ジャグを一○○機用意できても、ジャグが三○○体で攻めてきたら。

 事実、サゴニウスは約一○○○体というソラバチの大群に襲われた。

 

 「……なんでこんな事になったかなぁ」

 

 後輩は元気だろうか。

 正直自分が死んだ時の事をあまり覚えてはいないのだが、後輩と一緒に電車を待っていたはずだ。

 そのあとはどうなったのだろう。

 上司からは面倒な部下がいなくなって済々したと思われているだろうと思うと、すこし腹が立つ。

 神様から与えられた知識では、漠然と自分が行動しなければ世界が滅ぶという事実が知らされ、自分は動いている。

 けれどそれは本島に自分が動かなければいけない事なのか。

 ジャグの技術を教えたのだから、もう人類は生き残れるのではないか。どうして自分は、夜遅くにジャグに乗り、一人で訓練をしているのか。

 

 「ああ、死にたくないんだな、あたし」

 

 右も左も、上も下も分からぬ世界に放り出されてなお、必死に生きようとする。

 理不尽な運命だからこそ、抗いたくなる。

 小さい頃に親を亡くし、施設にいた時から必死に自分の運命を変えようと動いてきたのだ。

 

 「ならもう少し、頑張ってみようかな」

 

 何よりも自分の為に。

 遠くに見える星々が、励ましてくれるかのように瞬いた。

 都会の空からは滅多に見られないロマンチックな景色にどこか感傷的になっていたのか、自分らしくないと思う。

 帰って寝よう。

 体を母船に向けた、その時だ。

 強烈な違和感がハルを襲う。

 

 (——なに、この感覚!)

 

 全身の毛が粟立つような、死が迫ってくるような、そんな感覚。

 

 「ジャグ!全方位索敵、急いで!」

 『視界内、距離一○○○以内に敵影無し』

 「敵影なし……?じゃあこの感覚は、なに?」

 

 自らの視界で確認する。

 忙しなく首を振り、違和感の正体を探る。

 しかしどこを見ても、星々の輝きが映るだけで、怪しい所などどこにもない。

 

 「——落ちつくのよ。違和感はいつ感じたの?」

 

 後輩はどうしているかと考えた。

 腹立つ上司が憎いと思った。

 死にたくないと願った。

 生きたいと、もう少し頑張ってみたいと決めた。

 ロマンチックな景色に感傷的に。

 

 ——待て。どうして宇宙で星が瞬くのか。

 

 振り返り見る先。

 星々がいくつか瞬いている。

 宇宙空間では空気がないので瞬くことなど無いはずなのに、瞬いている。

 

 「ジャグ、最大望遠!」

 『最大望遠、出します』

 

 目に映る景色が凝縮され、瞬く星一点だけを捉える。

 ほぼモザイクなようなそれは、星ではない。

 

 「——ソラバチだ」

 

 * * *

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