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シオンの婚約者時代は妃教育に忙しく、自由に使う時間はほとんどなかった。が、トルネシアの貴族令嬢との仲を深めるのもシオンの婚約者として大事なことの一つだ。
だからその少ない自由な時間や日を使って、招待されたお茶会に参加していた。
そのほとんどは高位貴族からの誘いのものだったが、稀に子爵や男爵位の令嬢からも招待されることがあり、それらにもレティシアは厭うことなく参加していた。その際はまさか侯爵令嬢であり、この国の王太子の婚約者でもあるレティシアが参加するとも思っていなかった主催者に大いに驚かれたものだが。
そんな誘いもレティシアがシオンの婚約者で無くなった今、減るかと思っていたが、あまり変わらなかった。
シオンが亡くなってから公的な喪が終わるまではもちろん、そんな誘いは来なかったが、喪が明けると以前と変わらない量のお茶会への誘いの手紙が届いた。
これにはレティシアも驚いた。
誘われていたのはレティシアが王太子の婚約者だったからであり、のちのち王太子妃になるかもしれないレティシアと関係を作っておくことで、自分の父や婚約者のために友好を深めているのだと思っていた。
だがどうやらレティシアが考えていた以上に、令嬢方はレティシア自身ともお付き合いしたいと思ってくれているらしい。
この事実はレティシアにとっても嬉しいことだった。
肩書きや身分に関わらず、レティシアと関係を築きたいと思ってくれているのだから。
ただシオンの婚約者でなくなってもリーゴット侯爵の娘であることに変わりはない。だから侯爵との繋がりを求めてレティシアを茶会に招待する者も少なからずはいるのだろう。
今日もそんなレティシアと友好を深めたいと思ってくれている伯爵令嬢の一人に招待されたお茶会に来ている。
シオンが亡くなってから参加する初めてのお茶会だ。
「レティシア様。招待を受けてくださり、ありがとうございます」
レティシアに挨拶をした伯爵令嬢、レヴィ・ギルバートは銀の髪が美しい、社交界でも評判の令嬢だ。
そして彼女とはシオンの婚約者であった頃からの付き合いで、多く付き合いのある令嬢の中でも親交の深い令嬢の一人と言ってもいい。
「いいえ。こちらこそ招待してくれてありがとう。また、レヴィと会えて嬉しいわ」
「まあ、そのお言葉とても嬉しいです」
きょろきょろと辺りを見回したかと思うと、レヴィはレティシアに抱きついてきた。
レティシアもそんな彼女の背中にそっと手を回し、優しく抱きしめる。
レヴィはこの国の宰相であるシェルト公爵の跡取り息子、ジーク・シェルトの幼い頃からの婚約者だ。
お互いに王太子と次期宰相の婚約者であったから自然と他の令嬢よりも会う回数は長く多い。だから気がつけば、レヴィはレティシアのことを実の姉のように慕ってくれるようになっていた。
「レティ姉様。もう、大丈夫ですか?」
抱きつきながらも顔を上げ、レティシアを見ながらおそるおそる尋ねてくる。
きっとシオンのことを言っているのだろう。
長年の付き合いだ。レティシアの恋心などとうにしれている。その前に女の勘というのもあるのだろう。
「ええ、大丈夫よ」
にこりと微笑めば、レヴィは悲しげに眉を寄せた。
まだ彼の死から立ち直っていないと思っているのだろうか。
ユーフェリアとの婚約の話を受けた時点で、シオンの死から立ち直ったとレティシアは思っていた。だがどうやらそうではなかったらしい。少しほのめかされただけで、シオンの顔が朧げに浮かび、瞳が潤む。
そんなレティシアに気がついたのか、レヴィは小さな声で言った。
「ごめんなさい、レティ姉様」
「う、ううん、あなたのせいではないわ。せっかく招待してくれたんだもの、令嬢方もお待ちよね?早く行きましょう」
気分を変えるようにわざと明るい声を出して、レティシアはレヴィを促した。
ギルバート邸が見渡せる庭に簡易のパラソルとテーブルと椅子が用意されていた。
そこには三人の令嬢が座ってお茶を楽しんでいる。すべて伯爵家の人間だ。
「レティシア様!」
そのうちの一人が気がつき、その声を合図に三人は立ち上がり、それぞれ礼をする。
儀礼的な挨拶を終え、席に着く。
この場にいる令嬢とはすべて顔見知りだ。レヴィを通じて知り合った。
既に婚約者がいて、それぞれ将来この国の中枢を担う存在だ。
「今日はレティシア様とお会いできると聞いてとても楽しみにしておりましたの」
「ええ、わたくしも」
トルネシア建国当時からある伯爵家、異例ながらもかつて当時の王の妹が降嫁した伯爵家、貿易業に力を入れ外国と繋がりのある伯爵家、そして次期宰相と婚約して今最も力のある伯爵家。今回のお茶会に集まっている面々はなかなかの家柄の出身の者たちばかりだ。
用意されている紅茶や菓子もどれも一級品のものばかりで、味わうだけでなく目でも楽しめる。
巷で流行っている恋愛小説の話から最近婚約した令嬢の話まで。話題に事欠かない。
「そんな面白そうな本があるのね」
「はい、今度お貸しします。・・・その、レティシア様は今後、どうなさるのですか?新たな婚約を結ばれるのでしょうか」
話が一旦落ち着くと、とある令嬢がそう切り出した。
無難な話題を出しながらも、ここに集まった面々はそれを聞きたくてうずうずしていたのだろう。
婚約を破棄または相手が亡くなった場合、新たな婚約が結ばれることが常だ。よっぽどのことがない限り。そしてレティシアは侯爵令嬢なので婚約が新たに結ばれることは必定。名家の出身であるとはいえ、彼女たちは人の恋愛話が気になる年頃。誰がどう切り出すのかずっと機会を窺っていたのだろう。
「まだ決めていないの。ただ修道院には入らないわ」
それを聞いて安心したのか、レヴィは大袈裟にも大きく息を吐き出した。
ユーフェリアと婚約を結んだものの、彼の社交界での評判のこともある。まだ公表すべきではないと思った。
ユーフェリアの顔の痕のことはレティシアは気にしていない。だからレティシアは別に誰が何と言おうと何とも思わないが、ユーフェリアはどうだろう。長年、心無い言葉を浴びせられてきた彼は言葉に敏感だ。
だからユーフェリアの心が決まるまで公表はしないでおこうと、レティシアは決めていた。
「では、レティ姉様は誰かと婚約を結ぶことになるのですね」
「まあ、そうなるわね」
得意の笑みでレヴィの言葉に頷く。
きっとこの笑顔がレティシアの嘘を隠してくれたはずだ。
「レティシア様は一体誰と婚約なさるのでしょう」
「そうね・・・最低でもレナルド様を超えるような方でなければ。でも言葉を変えるとそのような方はもう社交界にはいらっしゃらないのかも」
レティシア自身が婚約のことについて言及したからか、令嬢方はレティシアを差し置いて各々で勝手にレティシアの次の婚約者は誰が相応しいか話し始めた。こういう時は口を挟まないに限る。にこにこと話を聞いていることを示してさえいれば文句は言われまい。
「そうね。素敵な令息は皆婚約してしまっているし。まだ婚約していない令息でレティシア様に相応しい殿方は・・・」
うーん、と首を捻り捻り真剣に悩んでいる。
彼女たちが誰を挙げようとその人物とレティシアが婚約するとは限らないし、その前にレティシアの意見はまるっきり無視である。だが年頃の令嬢ならではといえばならではだ。本人の意思関係なく、恋愛話に興じるところが。
「ろくな人がいないわ。顔が良いと思えば爵位は低いし、爵位が高くても顔はあんまりだし。年齢幅を広げるのもいいけれど」
それはだめよね、なんて声に出してもいないのに同意の声が今にも聞こえてきそうだ。
そして大概この年代の女性たちの異性に対する評価は厳しいもので。忌憚ないといえば聞こえはいいが、容赦がないのだ。
「ああ、でも数年前までなら、やはりユーフェリア・シリウス様が一番ぴったりだったのだけれど」
内心苦笑しつつも、彼女たちの辛口な令息評価を聞いていたレティシアは突如飛び出した、現在の婚約者であるユーフェリアの名に思わず、眉を上げてしまった。
だが幸いなことにレティシアの心情の変化に彼女たちは気が付かなかったようで、レティシアに構わず話を続けた。
「ユーフェリア様?あの方がレティシア様に釣り合うと?」
「ええ。わたくしも詳しくは知らないのだけれど、他家に嫁いでしまったわたくしの姉によると昔は大層おもてになっていたそうよ。しかもレティシア様のお兄様と肩を並べられていたとか」
「レナルド様と!?信じられないわ」
「そうですわよね。でも姉様はとても力説なさるの。今は「仮面の侯爵」などと呼ばれて、顔の半分しか見えないから、容姿なんて分かりもしませんけれど」
「仮面の侯爵?」
思わず声に出してしまう。
「ええ、そうなんですよ。なんでも顔にある痘痕の痕を隠すためにしているそうなんです。わたくしは病気の痕も仮面も見たことはありませんが」
だがそんなレティシアの動揺に気が付かぬまま、令嬢たちは話を続ける。
「そう言えば、シリウス侯爵を舞踏会では見たことないわ」
「以前までは参加していらっしゃったようだけれど、噂によるとシオン様が参加された舞踏会を最後に参加なさらなくなったそうよ」
シオンが参加した舞踏会にはレティシアも参加した。その時に初めて公的な場でユーフェリアと言葉を交わした。あれを最後にユーフェリアは舞踏会に出ていないのか。
「噂ではシオン様のお怒りを買ったからと言われているけれど、根拠はない上に嘘よね。だって本当にお怒りを買っていたら、それからあとも王宮に出仕できなくなるはずだし。レティシア様はご存じでしたか?」
「いいえ。ユーフェリア様が舞踏会に参加なさならくなったのは初耳だったわ。けれどシオン様のお怒りを買って、のくだりは嘘ね。あの舞踏会以降も頻繁にシオン様はユーフェリア様をお呼びでいらっしゃったし、とても信頼していらっしゃるように私には見えたわ」
ユーフェリアの話を聞く回数はそれほどなかったが、それでも何度かシオンの口に上っていた。それにきっと、シオンが教えてくれた社交界の情報はユーフェリアからもたらされたものだったのだろう。彼以外にシオンが信頼している同年代の令息はいなかったから。
「レティシア様がそうおっしゃるならそうなんでしょう。ユーフェリア様はあのようになってしまわれたので良からぬ噂を流す者も多いようで。社交界の質が落ちたようで残念なことですわ」
ここにいる令嬢は伯爵家で、しかもその中でも格の高い家柄の者だけだ。噂話は好きだが、それも限度があってある程度の域までにしか達しない。
だからレティシアも深い付き合いをしている。
「レティシア様。最後は下世話な話になってしまい、申し訳ありません」
お茶会が終わった後。他の令嬢を先に帰した後でレヴィはそう言った。
ユーフェリアの話のことを指しているのだろう。
レヴィはレティシアがユーフェリアと婚約したことを知らないはずだ。この話は王と宰相の間で止まっている。
いくら次期宰相の婚約者を持つレヴィだといってもその彼が知らないのだから知る由もない。
だから謝ったのは単にレティシアがそういう人を貶めるような話が好きではないのを知っていての言だろう。
「あなたが謝る必要はないわ、レヴィ。確かに彼女たちもおしゃべりが過ぎていたけれど、社交界全体の雰囲気に比べればまだましなほうだと思うわ」
そう言うと、レヴィは悲しそうにその端正な眉を寄せた。
「まあ、長い時間をかけて今の雰囲気が作られてきたのですぐに変えようとするのは難しいのかもしれません。でもそんな嫌な雰囲気は絶対に変えてみせます」
たいして歳が変わらないのに熱い野望を持っているレヴィにレティシアは母親のような感慨を覚えた。
「あ、これもこれで大事な話なのですが」
握りしめていた拳を緩めるとレヴィは切り出した。
「実は、ジーク様からレティ姉様にお伺いしたい案件があるという旨の手紙が届きまして」
「あら、私に?」
「はい。ですのでレティ姉様さえよければ、ジーク様にお会いになってあげてください」
「私はいいけれど・・・」
レヴィの婚約者であるジークはトルネシアの次期宰相として日々忙しく過ごしている。なので会える時間は少ないはず。そんなジークにレヴィを差し置いて会ってもいいのか。
「お仕事ですから。レティ姉様が気になさることはありません」
レティシアの気持ちが分かったのか、レヴィはそう言った。けれどその微笑みはどこか悲しげに見えた。
「分かったわ。私はいつでも大丈夫、とジーク様にお伝えして。今日は楽しかったわ、ありがとうレヴィ。またお誘い待っているわ」
「こちらこそ。久しぶりにレティ姉様にお会いできて嬉しかったです。ジーク様にもお伝えしておきます」