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「ここの庭は母上がすべて手ずから世話をしているんだ」
「王妃様がですか?」
ある晴れた昼下がり。
シオンの体調とレティシアの授業が奇跡的になくなったことで、二人でゆったりと王城の庭を歩いていた。
長いこと歩くことはできないが、体調が良ければ、少しの時間歩くことができた。
シオンが王太子であることといつ病状が悪化してもいいように近衛騎士が二人の後から付いて来ているが、見えない場所で警護してくれている。
王妃、つまりシオンの母は伯爵家出身の令嬢だった。本来なら王の配偶者には公爵・侯爵出身の令嬢か関係を強化したい国の王女を迎える。だがその当時、他国には王と年齢の釣り合う王女がいなかった。
国内の貴族の娘を迎える場合は、派閥を考慮しなければならない。対立する派閥の一方の令嬢を王妃に迎えれば、均衡を保っている派閥関係を崩しかねないからだ。だから国内から選ぶ場合は、派閥争いにおいて中立を保っている貴族の娘から迎えるしかない。
そしてその当時、王と年齢の釣り合う中立の貴族は現在の王妃である、とある伯爵の娘しかいなかった。
娘を王妃に、と望んでいた高位貴族たちはもちろん反対した。
だから彼女が王妃となった今なお、嫌な顔をする貴族は多い。
シオンのことも彼らが王妃をあげつらう理由の一つなっている。
そもそも王妃は身体が頑丈ではなかった。そんな王妃が産んだ子どもがもっと病弱なシオンだった。
シオンはそんな貴族たちの評価を変えるために病弱な身体をおして、公務に励んでいる。レティシアはそんな彼の助けになれればいいと思っている。
彼の母である王妃とも何度か会ったことがあるが、儚げな笑顔が印象的な人だった。
きっとシオンのことで何度も何度も貴族たちから責められ、疲れてしまったのだろう。あんなにお淑やかで儚げな人を追い詰める貴族たちが信じられなかった。
身体が弱いため、王妃はもう子どもを産むことができないと言われている。産もうとすれば産めるが、その時は王妃の命と引き換えにしなければならないと医師に言われている。
王は王妃の命を優先し、彼の子どもはシオン一人だけだ。
貴族からの重圧は相当なものだろう。
そんな王妃が唯一安らげる時が園芸を嗜んでいる時間なのだそうだ。伯爵令嬢だった時からの趣味だそうだ。
今は薔薇が綺麗な季節だった。桃色、黄色、橙色など様々な色の薔薇が咲き誇っているが一番目に鮮やかなのは赤色だった。
「父上がいつもいつも自慢していてね。いつかは行ってみたかったんだ。だからレティシアと来られてよかったよ」
あの柔和な笑みを向けられる。
レティシアも笑顔を浮かべながら口を開く。
「私もこんな綺麗な景色をシオン様と見られて良かったです」
シオンの足取りはしっかりしている。
つい先日、ネルフィリィの大使の歓迎パーティーに参加できなかったので心配していたが、体調は元に戻ったようでレティシアは心の中で安堵する。
春の温かい心地の中で時折話をしながら王の自慢だという庭を見て回る。
「ここは特に父上の自慢なのだそうだよ」
そして辿り着いたのは小さな噴水だった。噴水の手前には赤薔薇がアーチに沿って蔦を這っており、幻想的な景色を生み出している。その手前には数段だけの階段がある。
シオンに合わせてゆっくり昇る。
噴水の近くには白亜のベンチが置かれていた。
「ここは歴代の王が王妃と共に静かな時間を過ごしてきた場所だ。父上もよく母上と過ごしたそうだ。王しか知らない場所だそうだよ」
「まあ、そうですの。陛下に教えられたのですか?」
「ああ。代々父から子へ受け継がれるそうだ。そして子にこの場所を教えれば王はもうこの場所に来ることはできないそうだよ」
王はきっといつ命の灯が消えるかしれないシオンのために早めにこの場所を教えたのだろう。この場所を教えることは王がその子を次の王に指名したということに事実上なるのだろう。
臣下は知らない、王族だけが知る父から子への王位の継承。
きっとシオンもそのことを理解している。だから少し悲し気な表情をしている。
「ここも王妃様がお世話されているのですか?」
シオンの表情には気が付かないふりをしてレティシアは会話を続ける。気を緩めればこちらが泣いてしまいそうだった。
「うん。そのこともあって父上はちょっと悲しそうな顔をしていたよ。ここは母上が世話をする中でも一番綺麗な場所だって言っていた」
二人でベンチに腰を下ろし、景色を眺める。
ベンチと同じ白亜の噴水から透明な水が噴き出し、下に流れ落ちる。ただその繰り返しなのに目を奪われてしまう。
薔薇の香りに惹かれて様々な昆虫が集まっている。色とりどりの蝶に蜂。音は彼らが出す羽音と噴水から流れる水の音だけ。心休まる場所だ。
「今度王妃様にお会いしたら、素敵な場所でしたとお伝えしなければなりませんね」
「そうだね。母上はきっと喜ぶよ。母上はレティシアのことを気に入っているからね」
「光栄なことです」
味方の少ない王妃の力に少しでもなれればとレティシアは常日頃思っている。レティシアの父も数少ない王妃の賛同者だ。
それがレティシアがシオンの婚約者となった理由の一つでもある。
「シオン様。こちらで菓子を食べませんか?」
「菓子?」
「はい」
ここに来る前。シオンと会う前に厨房に寄り、クッキーを焼いてもらっていた。シオンの身体を考慮して砂糖の少ないクッキーだ。
「いいね。食べようか」
良かった、と安堵する。
体調が悪くなるとシオンは食べることさえままならなくなる。つい最近体調が悪くなったせいか、シオンは食欲がないと言っていた。だからそんな彼にも食べやすいようにクッキーを持参したのだ。
持ってきた包みを開いてみると、そこには大小様々な動物たちを模ったクッキーが入っていた。てっきり丸い形のクッキーだと思っていたレティシアは目を丸くする。
「動物型のクッキーだね。可愛らしい」
「そうですね。驚きました。まさか、動物を模したクッキーだとは」
「食べるのがもったいないね」
そんなシオンの言葉につい笑みを漏らしてしまう。
「シオン様は何の動物がお好きですか?」
「私?うーん、そうだね。ネコ、かな」
探してみると、ネコ型のクッキーがあった。
「では、こちらをどうぞ」
「ああ、ありがとう。ネコ、かあ。食べにくいなあ」
そう言いながらもシオンは躊躇いもなくネコのクッキーを口にした。
さくさく、と良い音がシオンの口から響く。
「素朴な味だけど、おいしいね。レティシアもお食べ」
仕返しとばかりにシオンがウサギのクッキーをレティシアに渡す。耳は長く、瞳は丸くつぶらでかわいらしい。
咀嚼してみると、口の中にバターの香りが広がった。
「おいしいですね」
「ああ。これだったら何個でも食べられそうだ」
そう言って笑ったシオンの顔がレティシアは忘れられない。