レナルドの苦悩
三歳下の妹のレティシアは物心つく前からトルネシアの王太子であるシオン・ヴィ・トルネシアの婚約者だった。
そんな彼女にとって王太子のために妃教育や公務を行うのは日常となっていて、我が家にいることの方が少なかった。
だから母が死んでも涙ひとつ流さなかった。
レティシアが非情だからではない。それほどまでに接点がなかったということだ。
そんなレティシアに俺は何もすることができなかった。
王城に出仕することができる年になって、王城に行くようになってからもそこには明確な身分差があり、気軽には話しかけられなかった。
だから俺はレティシアが家にいるわずかな時間で少しでも多く会話をすることを心がけた。
血が繋がっているのに一日口を効かないのは寂しいと感じたからだ。
城にいる時は王太子の婚約者として自分の考えや感情を表に出さないレティシアだが、家にいる時くらいは自由に振る舞ってほしい。そんな考えもあって家が彼女にとって落ち着きのある場所になるよう心がけた。
俺は、寂しかった。
周りの令息たちは舞踏会で妹自慢を繰り広げる。それは妹たちにより良い家に嫁いでほしいという思惑があったからだが、それでも羨ましかった。
そう言うと、「お前の妹はこの国の王太子の婚約者じゃないか」と必ずと言っていいほど言われたがそういうことではない。自慢できるほど妹と過ごしていることが羨ましかったのだ。
俺がレティシアと過ごせるのは朝と夜だけ。これではほとんど話ができない。
「辛いなら婚約者を辞めてもいいぞ。俺が何とかしてやるからな」
本当にレティシアがこの婚約を望んでいないならそう言うつもりだった。だが、レティシアの気持ちを知っていた俺はついぞその言葉を口に出すことはなかった。
その想いが叶うことはないと知っていたのにーーーー。
シオン様が亡くなられたと知ったレティシアは泣くことはなかった。けれどその表情は暗く、悲しんでいることは容易に想像できた。
本当はそんなレティシアのそばに寄り添ってあげたかったが、どうしても外せない地方視察が入ってしまい、寄り添うことは叶わなかった。
だが帰ってきてからは存分に今までできなかったことをレティシアにしてあげるつもりだった、のだが。
約一ヶ月ぶりの我が家に帰ってみれば驚きの光景を目の当たりにした。
そこにはレティシアと、俺と同い年のユーフェリア・シリウスがいたのだ。
しかも奴はレティシアの手を取り、レティシアが馬車から降りるのを手助けしていたではないか。
どういうことだ?
レティシアは婚約者が亡くなってすぐに別の男を作るような貞操のない人物ではないはずだ。
ますます分からない。
「レティ!」
思わず声をかければ双方とも驚きで目を丸くした。
レティシアがユーフェリア・シリウスと婚約した?
にわかには信じられなかった。
だがレティシアが嘘をつくはずがない。
目の前が真っ暗になった。
俺の計画が・・・っ。
レティシアが妃教育と公務から解放されたので俺はいろいろと計画を立てていた。
紅茶を片手に優雅に午後を過ごしたり一緒に評判の劇を観に行ったり今まで語り合えなかったことを語ったり・・・それはもう、いろいろと考えていたのに。
動揺しすぎたせいで思わずレティシアに冷たい態度を取ってしまった。
が、俺はそれどころではなかったので許して欲しい。
レティシアがいなくなった室内で俺は現実を認識しようと、とりあえずまじまじと目の前の人物を見た。
王城や社交界とは疎遠になっている俺でも耳にしたことがある人物だった。嫌な意味で。
彼は数年前に流行った疫病のせいで顔左半分に痕が残った。そのせいで貴族たちから敬遠されている。
疫病に罹るまでのユーフェリアは麗しの貴公子としてそれはそれは令嬢たちから人気だった。
この国では珍しい黒髪に少し藍が入っており、瞳の色もこれまた珍しいアメジストのような綺麗な紫色。はるか昔に存在していたという妖精のような存在だと令嬢たちの間で囁かれていた。
だが今となってはそれも昔のこと。今ではそのすべてが忌避の対象となっている。
そんな社交界が俺は大嫌いだ。
だから舞踏会にはほとんど参加したことがない。参加したことがあるのは古くから付き合いのある家柄の者が開いたものか、王族主催のものだけ。
そんなこともあってユーフェリア・シリウスとは面識がない。
聞くところによると、彼は令嬢たちから陰口を言われながらもある時期までは舞踏会に参加し続けていたらしい。けれどシオン様がたった一回だけ出席された舞踏会以降は一切参加していないそうだ。
ユーフェリア・シリウス。
外見の噂はよく耳にするが、他の点に関しての噂、もとい悪口は聞いたことがない。王太子であったシオン様の信頼も厚かったらしい。
だから性格に関しては心配はいらないのだろう。
けれどそれで割り切れるわけではない。
レティシアは俺の大事な、大事な妹だ。
数年前に見かけた時とあまり容姿は変わりないように見えた。
硬質な藍の混じった黒髪。程よく高い鼻。令嬢のように透き通った白い肌。男にしては身体の線は細い。病気のせいか?
アメジストのような瞳は半分は仮面に隠されていてよく見えなかった。
そうユーフェリアは仮面を付けている。顔の左側全体を覆うほどの仮面を。
なるほど。これで自分を害するものから守っているということか。
俺のことを信頼していない、と宣言されている気がしてむかむかする。ほぼほぼ初対面なのでその対応は仕方がないことと分かっていてもやはり割り切れない。
俺は相当狭量なやつなようだ。
「お初にお目にかかります。ユーフェリア・シリウスと申します」
「ああ、こちらこそ。レティシアの兄のレナルド・リーゴットだ。よろしく」
同い年だから敬語は使わない。それに爵位を継いでいる差はあれ、同じ侯爵家だ。気を使う必要はない。
無言の沈黙に耐えかねたのか、ユーフェリアは侍女が用意してくれた紅茶を手に取った。紅茶のカップを手に取った時の指の線は細く、今にも折れてしまいそうだった。
「美味しいです。何という紅茶ですか?」
話題を作るためか、ユーフェリアが尋ねてきた。
「さあ、普段気にせず飲んでいるもので」
レティシアは分かるかもしれないが、生憎席を外している。
「・・・申し訳ありません」
俺の言葉遣いから機嫌を損ねていると勘違いしたのか、ユーフェリアが謝ってきた。別に、レティシアを取られて不機嫌になっていたものの、怒っていたわけではない。
「ああ、言い方が悪かった。俺はいつも気にせず飲んでいるもので。レティなら分かるかもしれない」
そこからまた沈黙が場を支配する。
やはり男二人、ほとんど初対面では話は弾まない。が、どうしても自分の目でレティシアの婚約者を見極めたかった。
「そういえば、婚約の話は誰から?」
「シオン様が亡くなられてから届いたお手紙で。レティシア様は陛下から伺ったと聞きました。しかしそれも元はシオン様のご提案だったようです」
「ふーん。レティとは以前にも面識が?」
「舞踏会で一回だけお会いしたことがあります」
それだけでシオン様はユーフェリアをレティシアの婚約者に?
あまりお会いしたことはないが、軽率な行動をするような方ではなかったはずだ。
なんせ、レティシアが想いを寄せていた相手なので。
では、何故ユーフェリアを自身亡き後の婚約者に推挙したのか。
前提としてシオン様の信頼できる数少ない貴族だったということがあるだろう。
ほとんどの貴族はシオン様は即位する前に亡くなられると考えていたので、表面上は王太子として扱いながらも心の奥底では病弱な、王太子に相応しくない人物と考えていたことだろう。
だからこそ真に王太子として彼を扱った貴族に全幅の信頼を置いた。その一人がユーフェリアだったわけだ。
彼はシオン様が信頼した貴族の中では一番若い貴族になる。その点からユーフェリアをレティシアの婚約者にすることに決めたのだろう。
だが本当にそれだけだろうか。
そもそも、わざわざ自分の死後の婚約者の行く末を考えるだろうか。
確かにレティシアは幼い時分からシオン様を支え続けた。そんなレティシアにこれからの人生で不幸な目に遭って欲しくないという気持ちは分かる。けれどそれも俺の父に念押しすればいい話だ。
やっぱり何かある気がする。
しかし王族の元婚約者ではあったが結婚はしなかったため、レティシアが結婚したところで王家には彼女の結婚によって得られる利益は全くない。
ということは、私情か。
考えられる可能性は一つ。ユーフェリアがレティシアに想いを寄せている、ということだ。しかもシオン様が存命だった頃から。
そういえば、彼は誰とも婚約していないと聞いたことがあった。
ユーフェリアが疫病に罹る前は大層社交界で持て囃されていたから彼を伴侶にと望む令嬢は多かったはずだ。
それは俺も身を持って実感している。
ある程度の容姿と高い爵位を持っていれば、言い方は悪いが、相手は選び放題のはず。
なのに誰とも婚約を結ばなかったのにやや疑問が残る。
俺はレティシアが結婚するまでは結婚しないという確固たる意志を持っていたので別だが、他の同年代の貴族は俺が知る限り皆婚約していたはずだ。早い者は結婚までしている。
ただ少々古い考え方だが、自分がお仕えする方が身を固めるまで自分は結婚しないという考えが今も残っていないわけではない。
俺のようにユーフェリアに兄弟がいるわけでもないし。
となると導き出される答えは自ずと限られてくる。
好意を向ける相手が異性ではなく、同性であるか、既に婚約あるいは結婚してしまっている人に思いを寄せてしまったか。おおよそその二つだろう。
だが前者は違うだろう。それは信頼関係で結ばれていたシオン様からレティシアとの婚約を提案されているのだから、間違いない。
となると後者になる。なるほど、当てはまっている。ユーフェリアが想いを寄せたのはシオン様の婚約者であるレティシア。到底手の届かない相手であろう。ましてユーフェリアがシオン様から奪い取ろうとしたとも思えない。
ユーフェリアのことをよくは知らないが、信頼してくれているシオン様を裏切るようなことはしないだろうし、まずそんな大胆な行動をする人物には思えない。
長い熟考を経て対面に座るユーフェリアに視線を移すと、彼はまた紅茶を飲もうとしていた。
「ねえ、ユーフェリア殿。あなたはレティシアのことを好いているのか?」
紅茶を口に運ぼうとしていた動作がぴたりと止まり、薄紫の瞳が大きく見開かれた。
遠回しに聞くこともできたが、その聞き方は俺は好きではない。
それにこの考えは俺の中ではほとんど確信に近かった。
「俺は君のことをよく知らないけど、そんな気がしたんだよね。シオン様自らが提案されていることからも、かなり長い間、レティシアのことを・・・だよね?」
もう紅茶を飲む気が失せたのか、ユーフェリアはもう一度紅茶を口に含むことなく、机に置いた。
「・・・はい、私はレティシア様のことをあの方がシオン様の婚約者だった頃からーーーー」
少しの逡巡のうち、ぼそぼそと語ったが、肝心のことはぼやかした。
まあ、告白しただけでもよしとしよう。
「ふうん、そうか」
ユーフェリアは己の想いを叶えるつもりはなかったのだろう。
レティシアのことを想いながら一生独身でいるつもりでいた。
シオン様はお身体が弱く、レティシアと結婚することは万に一つもないと言われていたが、それでもシオン様亡き後に結婚するつもりはなかったのだろうか。
――彼のことだからなかったのだろう。
シオン様亡き後にレティシアと結婚することはユーフェリアにとっては裏切りに近いものであった。加えてレティシアの意志を尊重したいという思いもあったことだろう。
そんなにまで強くレティシアとシオン様のことを思っているのか。
俺のレティシアへの想いには敵わないかもしれないが、それでもまあ、認めてやらないこともない、かな。




