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仮面侯爵と二度目の恋  作者: 七瀬翔
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シオン目線になります。

 レティシア・リーゴット。


 それは私が幼い頃に婚約した人物の名だった。

 私は生まれた時から病弱だった。

 医者は診察に来るたびにいつ死ぬか分からない、今生きているのでさえ奇跡だ、と言った。

 自分でもそう思う。

 辛くない時なんてほんの一瞬に過ぎない。

 だからそんな私に婚約者をあてがうと言われた時は耳を疑った。

 私はもちろん、母上も父上も私の病弱さ加減はかかりつけ医の言葉によって十分すぎるほど知っているはず。なのに成人する前に死ぬかもしれない私に婚約者をあてがうというのか。そんな私と婚約したところでその娘は不幸になる運命にしかない。例え無事成人を迎えられたところで、今の父上の歳ほど私は生きられないだろう。まして自分の伴侶より長生きすることなんて万に一つもない。

 けれど私は父上に訴えることはしなかった。

 父上も私の婚約者が不幸になることなんて百も承知であっただろう。なのに私に婚約者をあてがうと言ったのは、貴族の思惑が渦巻いていたせいだ。

 こんな病弱な王太子でも何が何でも自身の娘を私の婚約者に、とする貴族は後を絶たない。一歩間違えれば、現在均衡を保っている貴族の勢力が傾きかねない。

 だからそうなる前に貴族間勢力が大きく変化しない、妥当な貴族の娘を婚約者に据えようということだ。

 それに貴族令嬢の婚約は早い。早く婚約者を選定しなければ、妥当な令嬢はすべて売り切れてしまう。だから彼女がまだ物心つく前に私と婚約することになったのだ。


 レティシアが私と婚約したのは彼女が五歳の時。私は当時、八歳。三歳差だった。

 通常なら気にするような歳の差ではない。婚約したのも早すぎるような気もするが、貴族、それも一国の王太子である私ともなれば早すぎるとは言えない。けれど、私は何度も言うように病弱でいつ死ぬか分からぬ身。そんな私とまだ物事の道理も分からないレティシアと婚約するのはいかがなものか。そう思いはしたが、この国の安寧のためだと思い、私が抱いた罪悪感は胸の奥にしまい込んだ。


 こうして婚約は相成ったが、私がレティシアと会ったのは私が十八。彼女が十五の時だった。

 婚約してから実に十年の月日が流れていた。

 会見が長引いたのはひとえに私が病弱だったせいだ。

 婚約した当初は彼女が幼く、婚約のこの字も知らないような歳だった。そんな歳で会うのは早計過ぎる。婚約が破棄されるわけでもあるまいし、急ぐ必要はないだろう、という判断で対面は伸ばされた。

 その頃には私の病弱さが度を超すことが貴族間で知られていて、いくら勢力拡大のためだとしても手塩をかけた娘をやりたくないという貴族が増えていた。それに私に娘を嫁がせたところで、娘が次代の王を孕む前に私が死ぬ確率の方が高い。低い確率だが、妊娠する可能性もあったが、そんな当たる確率の低い賭けに乗ろうとする貴族なんて皆無であった。

 だからリーゴット侯爵は自身の勢力拡大のためでなく、真に私と国を思って娘を私の婚約者に差し出してくれたということだ。リーゴット侯爵の忠誠心には頭が下がる思いだが、物心がつく前に私の婚約者にされてしまったレティシアには本当に申し訳なく思う。

 レティシアに家庭教師がついてからは何度か対面の予定が組まれるようになったが、それもすべて私の体調が芳しくなく、延期されることになった。十八の時までは。


 その時は本当にたまたま体調が良かった。対面が組まれた日に体調がいいなど奇跡以外の何でもない。

 初めて会った私の婚約者は十五歳とは思えないほど洗練された雰囲気を纏っていた。

 よく手入れされた腰までかかる艶やかな金髪。少しへの字になった薄い唇。丸いエメラルドの瞳は私が毎日窓から見ている木々の葉のように鮮やかで目を奪われた。

 楚々として私に挨拶をし、名を名乗ってくれた。それも完璧でけちのつけようもない。・・・もちろん、私の婚約者となってくれただけでも感謝の気持ちしかない私は、例え完璧でなかったとしてもけちをつけるつもりは全くもってなかったが。

 そんなレティシアと比べて私は体調がいいと言っても自身が座っている椅子から立ち上がることさえできなかった。情けないことに。

 それほどまでに私は体を蝕まれていた。毎日何らかの病気に侵されていて、治ったとしてもすぐに違う病気に罹る。病気に罹っていない時の方が珍しいくらいだ。そんな日々を十八年も送ってきた私はもう一人でまともに立つこともできなくなっていた。

 だがレティシアはそんな私にも怒ることなく、あろうことか私と目線が合うように膝を折ってくれたのだ。そのまま彼女は私と挨拶以外の初めての言葉を交わした。

 雰囲気と違わず心が落ち着くような声音で私の顔色を見ながら話してくれる。それはいつの時も変わらなかった。椅子に座っている時もベッドに横たわっている時も。

 私の表情に変化があればすぐに会話を打ち切り、自身は退出し、医者を呼んできてくれた。少しでも私に負担をかけないように配慮してくれた。

 レティシアは公務においても私のために働いてくれた。年々、体が弱っていく私に公務ができるはずもない。書類仕事ならできると王を説得し無理やりさせてもらっているが、それでもぎりぎりだ。けれど私は王族に生まれた身。自身の義務を放棄したくなかった。いやでもレティシアに負担をかけているというのに。

 私が公務に出席できない分、彼女が私の代わりに公務を行ってくれていた。本来なら結婚もしていないレティシアは出席しなくてもいいものばかりだったが、病弱で出席できないシオン様の代わりに、婚約者である私が出席するのは普通のことです、と言われてしまえば断ることはできない。

 レティシアばかりに負担をかけていられない、と私も体調が良い時は出席していたが、立ち上がるだけで精いっぱいの私だ。常に座っており、挨拶に来た貴族の対応はすべてレティシアがしてくれた。終わりまで出席できることもなく、途中退席する時もレティシアは文句ひとつ言うことなく、私を退出させその後を担ってくれた。

 そんな献身に私自身が耐え切れなくなり、レティシアに婚約破棄しても良い、と告げたことがある。その時、レティシアは泣くでも怒るでもなく、そっと諭すように「何をおっしゃっているのですか。私は負担に思ったことなど一度もありません。シオン様のおそばに居られるだけで幸せなのです。私から婚約破棄することはありませんが、シオン様が私のことをお嫌いなら婚約破棄いたします」と言い切った。

 私の心内をすべて分かっていた。私はレティシアの嘘偽りのない言葉に触れ、涙を流してしまった。そんな私にレティシアは手巾で優しく涙を拭ってくれた。


 思うように体が動かぬ私にどんなに忙しくても日に一回は会いに来てくれ、文句ひとつ言うことなく、私の代わりに公務に出席してくれるレティシアを私は好ましく思った。これが恋心かどうかは分からない。けれども彼女のことをどうであれ愛しく思っているのは間違いない。

 だから私亡き後、レティシアの処遇をこの頃真剣に考えるようになった。

 私の体調が良くなることはついぞなかった。そのせいで今や体を起き上がらせることもままならない。書類仕事をぎりぎりこなせている程度だ。それでさえ王やレティシアから止められているくらいなのに。

 私は無事成人を迎えることができた。それだけでも神に感謝だ。医者に数え切れないほど成人を迎えられる可能性はゼロに等しいと言われていたくらいなのだから。

 だから私が成人を迎えた日はそれこそお祭り騒ぎだった。貴族だけでなく、平民も祝ってくれた。

 私は直接その様子を見ることはできなかったが、レティシアが詳細に教えてくれた。レティシアも祝いの言葉をくれた。

 その日、私は初めてレティシアに口づけた。彼女が私に未練を残さないように、それだけはすまいと思っていたのに。感極まって、してしまった。レティシアは驚きで目を丸くしていたが、にっこりと微笑んでくれた。


 それからだろうか。私亡き後のレティシアの処遇を考えるようになったのは。

 レティシアは侯爵令嬢だ。私が死んだら、新しく婚約が結ばれるだろう。それが貴族令嬢の運命だ。

 そのことは私にはどうしようもない。けれどなるべくレティシアが幸せになれる貴族に嫁いでほしいと思っている。

 だが、もう既に有力貴族は婚約していたり結婚してしまっていたりする。選び放題ではない。

 残っているのは何かしらの瑕疵がある貴族か伴侶を亡くした相応の歳の貴族だけだ。

 十年以上私のために尽くしてくれたレティシアにそんな目に遭ってほしくない。

 王である父もそう思っているようだが、社交界の実情は王よりも私の方が詳しいだろう。

 そこでふと思い出した。

 私は舞踏会に出席できたことは数えるほどしかない。いや、正確に言うと一回しかない。

 けれど王太子として社交界の内情は知っていなければならなかった。この国では、王族と婚約している者は、王族と同伴でなければ、舞踏会や夜会に出席することはできない。だからレティシアは一人で舞踏会に出ることはできなかった。その点でも私は申し訳なく思う。令嬢同士のつながりを得る機会を一つ摘み取ってしまっていたから。

 だから舞踏会に出席できない私やレティシアの代わりに、ユーフェリア・シリウス侯爵が出席してくれていた。そこで貴族の情報を探り、私に伝えてくれていた。その情報は公務に出てくれているレティシアにも伝えた。社交界の情報が役立つことはままあるからだ。

 ユーフェリア・シリウスは私と同い歳の侯爵だ。信頼できる臣下の一人と言っていい。侯爵という地位にいるにもかかわらず彼はまだ誰とも婚約していなかった。

 それは彼の顔左半分を覆う痕のせいだった。

 ユーフェリアは数年前に流行った疫病に罹ったせいで、痕ができてしまっていた。ユーフェリアはそれだけですんだが、彼の両親はその病気により亡くなってしまった。だからユーフェリアは若くして侯爵位を継いでいる。

 社交界では傷物の貴族は嫌われる。令嬢には純潔が求められ、どこか体の一部にでも傷跡があれば、婚約することは難しい。

 ユーフェリアは疫病に罹るまでは、それはそれは見目麗しい令息として名を馳せていた。確かに痕ができる前の彼の容姿は美しいの一言に尽きた。藍の入った黒髪に切れ長の瞳、たくましい体躯。貴族令嬢の好む容姿をしていた。だから令嬢たちはこぞってユーフェリアとの婚約を望んだ。彼は選び放題だった。

 けれどそんな時だった。ユーフェリアが疫病に罹ったのは。そのせいで貴族令嬢たちは波が引くようにユーフェリアのことを避けるようになり、あれだけ彼との婚約を望んでいたのに、今では逆に忌避するようになった。

 だからユーフェリアは今なお独身を貫いていた。でもそれはただ痕が残ってしまっただけが原因ではない。彼が結婚できない、いやしていない原因のもう一つは彼が私の婚約者に恋をしてしまったからだ。


 先程も述べたように私は一回だけ舞踏会に出席することができた。その会にはもちろん、婚約者であるレティシアも参加した。

 初めての舞踏会にレティシアは目をきらきらと輝かせていた。そんな彼女を可愛いと思った。

 ユーフェリアも参加していた。ユーフェリアが私のために舞踏会に参加していることは誰も知らない。だから貴族、特に令嬢たちは彼を汚物でも見る目で、扇越しに見ていた。そんなユーフェリアを間近で見て私は心が苦しくなった。

 舞踏会の後、私に報告に来るユーフェリアは一切苦の表情を見せなかった。だから私は舞踏会に参加するまで彼の置かれた立場を理解してあげることができなかった。社交界の実情を知っていた私はいくらでも知る機会はあったというのに。

 そんな状況にもかかわらず、ユーフェリアは臆することなく堂々としていた。

 けれどそんな彼に令嬢たちは容赦なく、嫌悪感の籠った瞳と口を向けた。こそこそと聞こえないていで悪口を言った。

 私はその時、立ち上がることができなかったので、直接聞いたわけではない。けれど離れたところにいても、それくらいは雰囲気で分かった。毎回毎回彼がこんな目に遭っていると思うと、悲しくもあり悔しくもあった。

 今まで散々ユーフェリアをもてはやしていたくせに、少し瑕疵ができただけで、手の平を返す。あの疫病は致死率が高く、罹れば助かる可能性は低かった。だから助かっただけでも褒められてしかるべきものなのに。

 だがどれだけ思っていたって座るだけでも精いっぱいの私にはできることがなかった。

 歯がゆい思いでその光景を見ていると、その場に私の婚約者が現れた。彼女は私の代わりに貴族に挨拶をしてくれていた。


「こんばんは。ユーフェリア・シリウス侯爵。わたくしはレティシア・リーゴットと申します。いつもシオン様がお世話になっております」

「いえ、こちらこそ。初めまして、レティシア様」


 慣例にのっとって、彼はレティシアの手の甲に口づけた。

 それに周りにいた令嬢たちは「汚らわしい」だの「汚い」だの、という言葉を浴びせた。


「貴方のような方にここまでされてわたくしは光栄に思います。今度とも殿下のことをよろしくお願いいたしますね」


 レティシアはユーフェリアに語り掛けるように言ったらしいが、実際は周りの令嬢たちに釘を刺したのだろう。

 レティシアは社交界の情報をユーフェリアが収集してくれていることを知らなかった。けれど彼のことを私が信頼しているのは理解していた。そんな彼に喧嘩を売るような真似をしては令嬢たちの父親たちがどんな目に遭うか分かりませんよ。そんな意味を込めて私のことを持ち出したのだろう。

 彼女は安易に私のことを持ち出すことはしない。だから令嬢たちは事の重大さに気が付いたはずだ。

 レティシアは令嬢たちにとって憧れの的だった。だからそんな彼女に喧嘩を売るような馬鹿な真似をする令嬢はこの国にはいない。

 そのことを示すように、二人の周りにいた令嬢たちは二人から目を逸らし、徐々にその距離を開けていった。


「申し訳ありません。私のために・・・」

「私は当然のことをしたまでです。殿下が信頼されている貴方が貶められている姿など殿下は見たくありませんでしょうから」


 そう言うと、レティシアは私の方に視線を向けた、そうだ。

 すべて後から聞いた話だが。

 そこでユーフェリアは恋に堕ちたのだろう。決して叶うことのない恋。

 彼は私に忠実で、私を裏切るような真似はしない。

 だから私にそのことを言わなかったし、言うつもりもなかったのだろう。

 あれから一切、ユーフェリアがレティシアのことを口に出すことはなかった。

 けれど私は逆にそのことに違和感を持った。確かに以前もそこまでレティシアの名を出すことはほとんどなかったが、それでも時折出していた。ところがあの舞踏会以降は一切出さなくなったのだ。

 そこで私はユーフェリアはレティシアに懸想しているのではないかと疑うようになった。

 といっても、怒ることなんてない。ユーフェリアの私への忠誠心にえらく感心したくらいだ。

 王太子と言ってもこんな病弱な身だ。レティシアを幸せにできるのは自分だと言われてもおかしくない。なのに、ユーフェリアはそのことを一切言わなかった。

 それどころか彼は私に罪悪感を抱くようになった。口に出して言うことはなかったが、表情に、少しだけだが出るようになった。

 これはきっと私の婚約者に恋してしまった自分が許せなかったのだろう。けれどそう思っても気持ちとは簡単には消すことのできないものだ。私は気づいていないふりをした。


 私はそう遠くない将来死ぬだろう。今までよりもよりはっきり自覚している今、そしてレティシアの今後を私なりに考えている今、最も相応しいのはユーフェリアだと確信している。

 レティシアの将来にかかわる話なのに、彼女の許可なく話を進めるのはいかがなものかと思うが、ユーフェリア以外に彼女を大事にしてくれる貴族の令息はいないだろう。ユーフェリアのことは私が一番よく分かっている。

 他の、自分に得になることしか考えない貴族たちからもたらされる婚約話よりはいいはずだ。

 けれど私が生きている間にその話を進めるのは嫌だ。せめて残り少ない私の生の間だけでもレティシアを私の婚約者としていたい。それはただの私の我儘だと分かっているけれど。

 だからこうして私は紙に書き残している。

 公的な文書ではないが王太子の私が書いたこともあって拒否権はないと思われるだろう。

 けれどそんなことはない。これはレティシアの今後の指針の一つになればいいと思って認めただけ。

 今までレティシアは十分、私に尽くしてくれた。

 もうあなたは縛られることはない。あなたが思うように生きてくれれば、私はそれだけで————


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