21
ダンスを踊るのは初めてだった。
シオンと婚約者だった時は、シオンと踊ることはなかったし、まして他の令息とも踊ることはなかった。そもそも王族の婚約者であったから舞踏会に参加することもできなかった。
かといって全く踊ったことがないというわけではない。
教育の一環で、教師と踊ったことは何度かあるし、兄にせがまれて幾度か邸で踊ったこともある。
そんなこともあってダンスを公の場で踊るのは初めてだった。
ダンスは苦手ではない。けれど格別好きというわけでもない。
ただ音楽に、身を任せるように踊る。
それがレティシアの教わったダンスというものだった。
レナルドと踊る時は多少気持ちが和らいだが、所詮その程度だ。
けれど今は違う。
ユーフェリアに身を任せ、踊っている今は。
緊張しているわけではない。だけど、気持ちが高揚している。
楽しい。
こんなことを思ったのは初めてだ。
音楽に乗り、決められたステップを踏むだけの単純作業。
それだけなのにこんなに楽しいなんて。
周りの景色はレティシアの目には映らない。彼女の目に映るのはユーフェリア唯一人だけ。
彼も楽しげに見えるのは、レティシアが見せる幻想か。
けれどその中に少し不安や恐れが見えもするからきっと幻想ではない。
彼は常にそんな負の感情を抱いている。
全ては彼の顔半分に残るこの痕のせいで。
だけど最近はそんな感情も減ってきたように思う。
レティシアがそう願いたいだけかもしれないが。
他の時は知らない。でもレティシアといる時だけはそんな感情を抱いてほしくない。
いつからかそんな勝手な思いを抱くようになった。
自分の感情や価値観を押し付けてはいけない、とレティシアが思うたびに彼女の心の奥底から訴えてきた。
今まではその感情を尊重してきたのに、今はそれを無視している。
次期妃という仮面はもう脱ぎ捨てた。
私は。私は王族だったシオン様の婚約者ではなく、ただの侯爵であるユーフェリア様の婚約者。
感情を捨てる必要はもうない。
そう思うと気が楽になった。
知らず知らずのうちに、レティシアは自分のことを押し込めていたようだ。
「楽しいです。ユーフェリア様もそう思ってくださっていますか?」
以前のレティシアなら聞かなかった。でももうそんな縛りはいらない。自分の好きなようにすると決めたのだから。
話しかけられて驚いたのか、ユーフェリアがステップを間違えたが、周りは誰も気が付かなかった。
「・・・ええ、楽しいです。久々に踊ったので少し緊張していますが」
「良かったです。私は公の場で踊るのは初めてなので、初心者同士ですね。気楽に踊りましょう」
国を背負っているわけではない。ただのレティシアとしてユーフェリアと踊っている。
相手とのダンスを心から楽しんでいる。
そうこうするうちにあっという間に一曲目のダンスが終わる。
一度手を離してお辞儀しあった後、二人はまた手を取り合って、次の曲を踊り始めた。
ユーフェリアの手はレティシアの手を包み込めるほど大きい。けれどレナルドとは違い、無骨ではない。骨が浮き出るほど細い。
身体の線もレナルドに比べると細い。レナルドは乗馬を趣味としているため、騎士ではないのにがっちりしている。
踊るのは久々と言っていたが、動きはぎこちなくなく、滑らかだ。
この身体の線の細さからどうやってこんなにも滑らかに踊れるのだろうか。
優雅に踊っているように見えて、ダンスは実は体力を使う。
一曲につき、数分はかかる。だから二曲続けて踊るだけでも相当体力を使う。
でも疲れはない。
ダンスを踊ったことによる疲労よりも、楽しさの方が優ってしまう。
さっきもユーフェリアに言ったように、レティシアは気楽に踊っている。
本当に彼と踊るのが楽しい。
自然と笑みが溢れてしまう。
その笑みをユーフェリアに向ければ、つい、と目を逸らされてしまう。けれどすぐに視線はレティシアに戻る。
以前のように視線を外されたり目を逸らされたりする回数が減った。
それだけでもレティシアに心を開きかけようとしてくれているのだと分かるから嬉しい。
レティシアが表情を緩めたことに周りはざわめく。
彼女は今までどんな時も表情を崩さなかった。そんな彼女が公の場で笑顔を見せたのだ。
今夜婚約を発表したとして注目されていた二人は更に注目を集める。
レティシアはさして気にならないが、ユーフェリアは気になるようだ。
注意深く、二人の様子を伺っている周囲を見れば、ほとんどの人は好意的な目か興味津々な視線だったが、中には侮蔑を含むような視線を向ける者もいる。その大半は令嬢だ。
「私と貴方が家族になる、と私が言ったことを覚えていますか?」
脈絡のない話をし出したレティシアに驚きつつも、ユーフェリアは頷いてくれる。
「私はあの時、ただ本当に将来家族となる人しかユーフェリア様のことを意識していませんでした。それは私にとっての父や兄と同じような存在ということです」
「はい」
余計な口を挟まずユーフェリアは聞いてくれる。
「でも今は違うのです。私は貴方のことを血のつながった家族以上の存在だと思っています」
その言葉にユーフェリアは動きを止める。
美しいアメジストの瞳が徐々に開かれていく。
レティシアも彼に合わせて動きを止める。
周りがそのことに気づき、ざわめき始めるがレティシアはあえて無視した。ユーフェリアは気づいていないようだ。
「ユーフェリア様も私のことをそう思ってくださっていますか?」
何度も何度も息を整えてやっと言えた言葉。
相手の反応を待つのが怖いと思ったのは初めてだった。
ユーフェリアはすぐに返事を返さず、口を何度も開けては閉じることを繰り返している。
「私も貴女と、レティシア様と同じ・・・いえ、それ以上の感情を抱いています」
ぼそぼそと紡ぎ出された言葉に今度がレティシアが驚く番だった。
「私は、レティシア様がシオン様の婚約者だった時から、この抱いてはいけない気持ちを持っていました。幻滅、しましたよね」
そう言うユーフェリアの瞳から氷の結晶のような綺麗な涙が零された。
その涙をレティシアは自身の手で拭ってやる。
「いいえ。いいえ、幻滅なんかしません。想いを持つことは個人の自由です。誰も責めたりなどできません」
ユーフェリアがレティシアの言葉にはっとして顔を上げた拍子にアメジストの瞳と目が合う。
「私はどんな貴方も愛しています。だから自分を貶めないでほしいのです。私はどんな時も貴方の味方ですから。他の人が何と思おうと、私はーーーー」
それ以上は言葉にならず口をつぐむ。
けれどレティシアの伝えたかったことをユーフェリアは理解してくれたらしい。
柔和な微笑みで頷いてくれた。
その表情はこの世のものとは思えないほど美しく、直視できない。
けれどその代わりにと握られた手を強く、強く握り返す。この想いが、言葉にならないこの想いが伝わったらいいのに。
互いを見つめあったまま動きを止めた二人は天上の絵画のように美しく、誰もが二人に見入っていた。
が、例外が一人だけいた。
「・・・ユーフェリア。それに、レティ。公共の場で何をしているんだい?」
もちろん、兄のレナルドである。
レティシアはその声にはっとして動作を再開させる。
見ると、ユーフェリアも今の状況を思い出したらしく、頬が真っ赤に染まっている。自分より歳上なのに子どものように恥ずかしくなって顔を赤く染めているユーフェリアをかわいいと思ってしまう。男性にとっては不本意なことかもしれないが。
「二人の前途に祝福を!」
再び静止した世界に突如声が響く。誰の声かは分からない。
けれどその声を合図にしてぱちぱちとまばらに手を打ち鳴らす音が響く。その音は時間が経つと共に大きくなっていき、やがて会場全体を揺らすほどの音になった。
そこでレティシアは先程声を上げた持ち主に思い当たった。
それはかつてレティシアが初めて恋をした人の声だった。
(どうか幸せになって。レティシア、ユーフェリア)
囁くような、そんな声が聞こえた気がした。
これにて本編は完結となります。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。あと数話ほど番外編を投稿していきます。




