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仮面侯爵と二度目の恋  作者: 七瀬翔
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「お父様。先程のお話はーーーー」


 帰りの馬車の中でレティシアは切り出した。

 さっきの話はレティシアにとっても寝耳に水だった。

 シオンがレティシアの今後を考えていたことも驚いたし、何より父がレティシアの思うようにさせたいと考えているなどつゆほども思っていなかった。

 貴族の娘に生まれた限り、結婚することは義務の一つといえる。

 結婚することで縁を繋ぎ、次の跡取りを産む。それが貴族令嬢の役割だ。

 だからシオンが死んだ時点でレティシアには新たな婚約者が当てがわれると思っていた。

 ただレティシアは既に十九。同年代の令嬢・令息は婚約あるいは結婚をしている者の方が多い。

 結婚相手は自然搾られてくる。

 相手と死別してしまった者の後添えか、何かしら疵のある者か。

 でもそれも極端に珍しい場合(ケース)ではない。

 貴族の間では普通にある。

 レティシアの父は他の貴族と比べて権力志向は強くはないが、それでも家のためどこかに嫁がされると考えていた。

 幸いレティシアにはシオンと同い年の三歳離れた兄がいる。だから侯爵家の跡取りの心配はない。


「ああ、さっきの話な。あの話は私の本心だ。お前には幼い頃から苦労させてきた。まあ、お前はそんなこと微塵も思っていないだろうが」


 苦笑しつつレティシアに視線を合わせた父に、彼女は頬を染めた。父にはレティシアの気持ちはお見通しだったということだろう。


「だが、まあ、お前の意思を無視して婚約を結んだことには今でも責任を感じている。だからお前が結婚したくないならしなくてもいい。ずっと家にいてくれても構わんよ。レナルドもお前の好きにしていいと言っている。尤もあいつの場合は、それを望んでいる節があるがな」


 そして父は引き締めなおした表情を再び緩め、今度は声を出して笑った。

 レティシアの母は彼女がシオンと婚約を結んで二年後に亡くなった。だからそれ以降は父と兄であるレナルドがレティシアを大切に育ててくれた。

 そのせいか兄のレナルドは妹を溺愛しすぎるきらいがある。


『俺はレティが結婚するまで婚約も結ばないよ』


 そんなことを父とレティシアの前で宣ったこともある。

 その時は流石の父も跡継ぎなんだから婚約くらいは結びなさいと叱ったが、レナルドは聞く耳を持つことはなく、今もなお誰とも婚約していない。

 レナルドは同年代の令嬢たちから絶大な人気を誇る令息の一人だが、彼自身は一向に異性に興味を示さない。

 だから諦めて他の令息と婚約あるいは結婚してしまった令嬢も数多い。

 レティシアはそんな兄を心配しているのだが、本人には全く焦るそぶりがない。


「そう、ですね。お兄様にはそろそろ妹離れをしてほしいですね」


 金髪碧眼の物語の王子様のような姿に、切長の瞳。背も高く、体躯は幼い頃から乗馬を趣味としているため適度に引き締まっている。

 令嬢たちから憧れられるのも頷ける。


「お父様。先程のお話はいつ頃までに返事をすれば良いのでしょうか」

「え、ああ、そういえば正確な期日を聞いていなかったな。あとで王にお伺いすることにしよう」



 邸について、数人の侍女に着替えを手伝ってもらう。

 王族に謁見するため、久々に凝った意匠のドレスを着ていたので少し時間がかかってしまった。

 シオンがはかなくなる前は毎日のように王城に通っていたが、それでもこんなにも意匠の凝ったものは着なかった。最低限対面を保てるようなドレスを着ていた。ダンスの授業がある時は動きやすいような格好もした。

 まだあれから一か月程しか経っていないはずなのに、ひどく懐かしい気がした。

 社交の場に参加するわけではなかったので、髪はそれほど凝った編み方をしていない。それでも編み込みはしていたので、侍女によって丁寧に解かれ、洗われた。

 最後に香油を塗りこまれ、レティシアは私室に帰ってきていた。


「レティシア様。それでは私たちはこれで失礼いたします。何か御用がありましたら、お呼びください」


 数人の侍女の中で一番年かさの侍女がそう言って、退出していった。

 ドアが閉まる音がすると、部屋は一気に静けさに包まれた。

 妃教育が行われていた頃は、侍女がいなくなった後にその日習ったことを復習してから眠りについていた。でも今はその必要はない。

 自分の部屋の本棚に目を転じると、そこにはトルネシアの妃に必要な本を多く取り揃えられていた。

 歴史、トルネシアと同盟関係にある国の言語、政治学、古語等々。

 辛い時もあったが、レティシアはそれらを放り投げることはついぞなかった。

 シオンが王になる可能性は万に一つもなかった。だからレティシアが妃教育を受ける必要性もなかった。王太子妃として必要な最低限の教育を受けるだけでよかった。

 けれどレティシア自身はそれを良しとしなかった。

 レティシアが最低限の教育に甘んじていれば、シオンが王になれないことをレティシアが認めたことになってしまう。

 シオン自身も分かっていたこととはいえ、レティシアだけは彼が王になる可能性を否定してはいけないと思っていた。だから王妃に必要な知識を詰め込んだ。

 知識は無駄になることはないとレティシアは思っている。

 知らないことで損をすることはあるが、知っていて損をすることはないだろう。

 だからどんなにつらくても妃教育を止めなかった。

 そのおかげでトルネシア全土を探してもレティシアほど博識な淑女は存在しない。

 それを誇りには思っている。だが今本棚に並べられているのはすべて妃に必要なものばかり。レティシアが趣味で買った本は一冊もない。それは少し寂しく感じる。

 妃教育を受けていた頃は感じなかったことだ。

 王城に通わなくてよくなり、他の令嬢と同じようになったからこそ感じたことなのだろう。

 年頃の女の子はどんな本を好んで読むのだろうか。

 他の令嬢より多くの言語を話し、そこらの貴族より政治に精通しているレティシアだが、普通のことは分からない。

 どんなことを話し、どんなことに喜びを覚え、どんなことにーーーー。

 考え始めるととめどなく思い浮かんでくる。

 レティシアが他の令嬢と同じく知っていることと言えば、人に恋した時の感情と、人を亡くした時の感情くらいだ。

 それもすべて一人の人から教わった。

 水滴がぽろりとレティシアの瞳からこぼれる。

 もう泣くことはないと思っていた。

 あの葬礼の日に十分泣いたはずだ。

 なのに、シオンのことを思うと悲しくて涙が止まらない。

 ああ、本当に私はあの方のことを愛していたのね。

 病気のせいでやせ細り、顔面は幽鬼のように青白かった。晩年は歩くこともままならなかった。

 けれどそれでもなお懸命に生きようとしているあの方のことをレティシアは心から想っていた。ずっと、お支えしたいと思っていた。


 でももうそれも叶わないーーーーーーーーーーーーーー。

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