17
バンッ、と前触れもなく扉が開く音がした。
二人は我に返って、咄嗟に相手との距離を取る。
「レティ!」
悲鳴に近いような声を発したのはレナルドだった。光沢のある彼の髪から一滴、二滴と雫が落ちる。
その光景を見てレティシアは窓から外を見る。いつの間にか雨は止んでいた。全然気が付かなかった。
「・・・なにをしているんだい?」
地の底から響くような低い声。
「なにって、濡れたので暖めあっていただけですよ」
客観的な事実を告げる。別に隠し立てするようなことではない。ただ己の感情だけは少し違っていたが。
「ふーん・・・」
にもかかわらず、レナルドは疑わしい目で二人のことを見ている。特にユーフェリアのことを。
「お兄様。行きますよ」
ユーフェリアから目をそらすため、ぐいっとレナルドの腕を引っ張って、小屋の外へ出る。
空はついさっきまで雨が降っていたとは思えないほど晴れ渡っていた。けれど目を下に転じれば、草花が湿っていて雨が降っていたことを表している。
小屋の近くには入る前につないでおいた馬が少し濡れていた。その隣にはレナルドの愛馬のアイリーンが。
馬をそれぞれが引いて、三人で並んで歩く。
「この子の名前はなんというのですか?」
レティシアの左隣を歩いていたユーフェリアに尋ねる。レナルドは無視だ。
「ハーマイオニーという女の子です」
「まあ、可愛らしいお名前ですね。乗馬用の馬ですか?」
「はい。こうなる前はよく貴族の嗜みで狩りなどに赴いていましたので」
「おおっ、そうか。俺もよく行くんだ。ただ俺は狩りではなく、近所をアイリーンに乗って散策するんだけなんだが。な、アイリーン」
レナルドの声掛けにアイリーンはいななきで応える。
その光景をユーフェリアは微笑ましそうに眺めている。
「そろそろ陽が落ちそうだ。乗って帰ろう」
空を見上げながらレナルドがそう言った。
雨宿りしている時間がレティシアが思っていたよりも長かったらしい。
その言葉に二人は頷き、レナルドとユーフェリアは馬に飛び乗る。
「さ、レティ」
「レティシア様、お手を」
馬上から二人同時に手を差し出される。
「ん、レティ?」
訝し気に声を出しながら、自分の存在を強調するように再び手を出すレナルド。
だがレティシアはそれを無視して、ユーフェリアの手に己の手を重ねた。
行きと同じように危なげなくハーマイオニーに乗せられる。
ふと視線を隣にいるレナルドに向けると、眉毛がだらしなく下がり、悲しそうな目で彼はこちらを見ていた。
ユーフェリアと同い年のはずなのにこの差はなんなのだろう。
いや、レナルドも通常はユーフェリアと同様、貴族の貴公子らしい態度なのだろう。
令嬢方の評判からもそのことは伺える。きっと外面はレティシアが想像している以上に良い。
だが一度レティシアが関われば、その完璧な貴公子は跡形もなく消え去る。
それだけの差なのだろう。
二回目だからか馬の上に乗る行為にも少し慣れた。余裕もでき、ハーマイオニーの鬣を触ってみる。
想像していたよりも硬く、人の髪よりも硬質的だった。
「そういえば、今度のシェルト公爵主催の夜会には参加するのかい?」
ぱかぱかと常歩で移動しながら、レナルドは何気なく聞いてきた。
だがその言葉にレティシアの心臓はどくん、と反応した。
シオンが亡くなってから約半年。
シオンが亡くなってから一か月も経たないうちにユーフェリアと婚約を結んだので、そろそろ彼との婚約を発表しなければならない。
貴族の婚約は一般的に親族や知り合いの主催する舞踏会や茶会で行うのが主だ。
だから二人の婚約の話もそうするのが筋なのだ。
シェルト公爵の主催する夜会が近々行われるのはレティシアも知っていた。主催者本人から手紙が届いたからだ。そこにははっきりとではないが、レティシアが新たに婚約を結んだことをその場で発表してほしいとも暗に記されていた。
シェルト公爵は王族に近い立場におり、シオンが亡くなってからしばらくは大規模な舞踏会を開くことを自粛していた。
それに、シェルト公爵主催の夜会で婚約を発表することにより王族公認であると、参加者の貴族に示すことができ、余計な反発を招く可能性も低くなる。
だからこそシェルト公爵は手紙においてそのように記したのだろう。
彼の考えぐらい、レティシアにだってわざわざ説明されなくても分かる。
十数年シオンの婚約者だったということは、すなわちそれだけシェルト公爵とも面識があるということだ。
だから彼がレティシアのことを思ってそのように提案してくれていることも理解している。
シオンが亡くなって半年とはいえ、婚約を結ぶには短すぎる期間だ。そのことでレティシアの不情を詰る声やそれ以前にあらぬ疑いをレティシアに持つ者も現れるだろう。
しかし二人の婚約が国公認のものだと示せば、表向きそんな声はなくなる。
シェルト公爵はレティシアの婚約において湧くであろうそれらの声を憂慮してくれているのだ。
けれどレティシアはその提案を素直に呑むことができなかった。
それはひとえにユーフェリアのためだ。
ユーフェリアの病気の痕は社交界では忌避されている。それに彼も不特定多数の人物がいる場には参加したくないだろう。
彼に無理強いをさせたくなかった。
かといって婚約話をいつまでも発表しないことはできない。
二つのことでレティシアは板挟みに合っていた。
シェルト公爵の夜会への誘いもユーフェリアには伝えられていなかった。
最悪の場合、一人で参加してもいいと考えていた。
王族の婚約者とは違って、貴族同士で婚約しても一人で舞踏会や夜会に参加することはできる。ただ、変な憶測を呼ぶことは間違いないが。
レティシアはレナルドの問いに答えることができない。
「・・・参加します」
そんな葛藤をしているレティシアの耳に後ろから声が聞こえた。レティシアは思わず振り返る。
そこにはレティシアのことを正面から見つめるユーフェリアがいた。
以前のように自信のなさそうな瞳ではない。けれど瞳の奥には怯えがあるように見えた。
本当は行きたくないのだろう。
けれどユーフェリアだって分かっているのだろう、今回の夜会への誘いがどんなことを意味しているのかを。
「本当に、良いのですか?」
他に答えなどないことは分かっていても、レティシアは聞かずにはいられなかった。
「はい・・・私は変わると決めたのです。レティシア様も応援してくださいますか?」
「それは、もちろんです」
何故かこちらが泣きそうになってしまった。
けれど本当に辛いのはレティシアではなく、ユーフェリアだ。泣いてはいけない、と懸命に耐えた。
リーゴット侯爵邸に着くと、ユーフェリアはわざわざ降りて、レティシアを降ろしてくれた。
その細い腕のどこにレティシアを支える力があるのか不思議だ。
「あの、ユーフェリア様。この子に触っても良いでしょうか」
レナルドは先に厩舎にアイリーンを返しに行っている。
「ええ。きっとこの子も喜びます。触る時はまず馬の真正面に立たずに横に立ってあげてください。真正面は馬にとって見えにくく、不安を抱きやすいですから」
ユーフェリアの言葉通りにハーマイオニーの左側に立って、おそるおそる手を差し出して、左目の近くを触る。
鬣よりは柔らかいが、それでも人間の髪より硬い。
触ったことのない感触に、怖かった気持ちがいつの間にか和らぐ。
レティシアの撫で方が良かったのか、ハーマイオニーは瞳を細めている。
「かわいいわね、あなた」
誰に聞かせるでもなく、呟いた。
「貴女の方がかわいい・・・」
と、唐突に聞こえたその声に思わず顔を向けそうになるがレティシアは必死にこらえた。
その代わり、目をそっとユーフェリアの方に向ける。
自分でも意図しないものだったのか、ユーフェリアの耳が少し赤くなっている。
「んん。君ら二人は何をしているのかな?」
わざとらしい咳払いで二人は我に返った。
「あら、お兄様。早かったですね」
「ああ、何かあってはいけないと思ってね」
その言葉にレティシアは軽く首を傾げた。




