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一通り目を通したのち、レティシアはパンフレットを閉じ、ユーフェリアのいる方へ身体を向けた。
「ユーフェリア様は劇を観劇されるのは初めてですか?」
「はい。レティシア様もですか?」
「ええ。なのでとても楽しみです。ですが、兄が勝手に決めてしまい、申し訳ないです」
ユーフェリアの方へ身体を曲げて謝る。
「いえ・・・謝る必要はないですよ。私も劇のことをよく知らないので・・・今から見る劇もレナルド様から人気だと聞いて初めて知ったくらいですから」
「では、内容は知らないのですか?」
「詳しくは。恋愛劇であることくらいしか」。
「誰に聞いても面白くて、もう一度見たいと言っていたので、楽しめると思いますよ。そういえば、ユーフェリア様は普段は王都にあるお邸にいらっしゃるのですか?」
「ええ、半年に一度ほど領地に帰っています」
トルネシアの貴族は二種類に分けられる。
基本、王都に住む者か領地に住む者かに。
王都に拠点がある者は、自分の持つ領地は家族に任せていたり他の信頼のできる者に任せていて、たまに帰る程度。領地に拠点がある者は社交界シーズンになると王都に出てくる。
どちらも本邸とは別に別邸を持っている。ただ経済的に余裕のない貴族は出てくるたびに親戚の邸に泊まったり宿を借りたりしている。
リーゴット侯爵家は基本王都に住んでいて、季節の変わり目ごとに領地に帰っている。侯爵家の領地は比較的王都に近いためさほど時間はかからない。
「えっと、確か、ユーフェリア様の領地は北の方にあるのでしたよね」
「はい。よくご存知で」
「秋になると、黄金色に輝く小麦の景色がとても綺麗だと聞いたことがあります」
「ありがとうございます」
「父の治める地は農産物は盛んではないので、そのような景色を見たことがないのです。なので、良ければ今度見てみたいです」
言った後ではしたなかったかな、とは思ったが、既に口にしてしまったので後悔しても仕方がない。それにシリウス侯爵が治めている土地は風光明媚な景色が有名で、秋になればその景色を見ようと訪れる観光客が増えるそうだ。著名な絵師が訪れるほどで、有名な風景画が何枚も描かれている。
それ以前にレティシアはそもそもリーゴット侯爵の領地でさえろくに帰ったことがなかった。最後に帰ったのはシオンの婚約者となる前、物心つく前だった。だから領地がどんな場所かさえ知らない。
「あ、レティシア様がよければ・・・」
「楽しみにしてますね」
レティシアが笑顔を見せるとふい、と顔を逸らされてしまった。
「そういえば、あの日、お兄様と何の話をしてらしたんですか?何度問い詰めても教えてくださらなくて」
「そんな大したお話は、していないのですが」
レナルドのことをよく知らないとはいえ、やはり劇の鑑賞を薦めたのは腑に落ちない。
レティシアがクッキーを買いに行っていた時間は三十分弱ほど。その間、何の話をしていたのか。一体三十分の間にレナルドの中でどんな心境の変化があったのだろう。
「・・・羨ましいです、兄弟がいて。私にはいないので」
その言葉でレティシアははっとした。
疫病のせいで両親を失い、自身も今なお苦しんでいるユーフェリア。そんな彼にはもう血の繋がった家族はいない。兄の話題を出すのは軽率だった。
「・・・レナルド様とは仲の良いご兄弟なんですね」
「はい、そうですね。私が妃教育で忙しかったので、その分今は甘やかしたいみたいで」
だがユーフェリアがこの話を続けたため、気分を害していないと分かり、レティシアは内心ほっとした。
「でも、兄と二人で気まずくありませんでしたか?」
「いいえ、そんなことは。・・・その、話題を振ってくださいましたので」
「まあ、どんな話題を?」
「ああ、えっと、それは・・・」
途端に歯切れが悪くなる。一体レナルドとどんな話をしたのだろうか。
「・・・同い年なのに今までお話しするどころかお顔を合わせる機会もありませんでしたので、嬉しかったです」
明らかに話題を逸らされたが、そこまで会話の話題を無理に聞き出すこともないだろう。
「兄が他の同性の方と話しているのをあまり見たことがありませんので想像がつきませんね」
「そうです、ね。私もあまり見たことがありません。なので思わずそのお顔に見惚れてしまいました」
レナルドは昔から女性にもてはやされていた。
令息とはレナルド同様あまり付き合いのなかったレティシアだが、令嬢とは社交界デビューしていれば、ほとんどと面識があった。その令嬢たちは会えば必ずと言っていいほどレナルドのことを訊いてきた。
最近はどうしているかとか、誰かと婚約していないかとか、想い人はいるのかとか、等々。
レティシアはなるべくそれらの質問に丁寧に答えてきたが、本音を言えば、レティシアも質問してきた令嬢くらいにしかレナルドの情報は持っていなかった。
だから家のことに関わること——たとえば、レナルドが病気になったとか、誰かと婚約したとか——の情報なら父から伝えられただろうが、レナルド個人のことについては一切分からなかった。
酷いときは朝と夜の挨拶くらいしか言葉を交わさない日もあった。そんなレティシアがレナルドの個人的なことを知るはずもない。
だから令嬢たちからレナルドのことを聞かれるたびにちゃんと答えられているか、不安になったものだ。
そしてそんな令嬢方から気にされていたレナルドの容貌は整っているの一言に尽きた。
太陽のように眩しい金の髪。大海原のような蒼海の瞳。その瞳を切れ長の瞼が包んで、凛々しさを醸し出している。体躯も騎士のように鍛えられている。
「そう、ですね。本人は昔から気にしたことはないようですが、よく知り合いから文句を言われる、と愚痴っていたことが」
「お知り合いの方から?」
「はい。お茶会や舞踏会に参加すると、必ずと言っていいほど令嬢方が兄に集まってしまうそうです。兄はそのような集まりに参加すること自体が珍しいので、余計にだと思います」
レナルドは社交界を苦手としているのかあまりそういう人付き合いをしない。
もちろん、将来父から侯爵位を継ぐことになるので、付き合いを全くしていないわけではないが、必要最低限にしている。
『俺はレティが結婚するまで婚約もしないよ』
いつか父の前で大見えを切ったようにそんな思いもあり、令嬢たちに付き纏われるのを嫌っているのもあるだろうが。
「あ、すみません。兄の話ばかりになってしまいましたね。よく知らない人の話ばかりされても面白くないですよね」
「そんなことはないですよ。私に兄弟がいればどんな感じだったのかな、と考えてしまいます」
「どちらが欲しかったとかあるのですか?上か下か」
「そうですね・・・下、ですかね。守るべき存在がいれば・・・いえ、きっと妹や弟はかわいいでしょうね」
「私もつい想像してしまいます。自分より年下の存在はやはり異常にかわいがってしまうものかと。そうしたら少しは兄の気持ちも分かるかもしれないと」
「まさに目に入れても痛くないほど、ですね」
「うふふ。ユーフェリア様もそんなご冗談を口になさるのですね」
つい漏れた笑みをレティシアは持っていた扇子で隠した。
と同時に身体に響くほど低いブザーが劇場内に響き渡り、劇の開始を告げた。
光で灯されていた場内は一気に暗くなり、舞台にだけ光が煌々と焚かれる。
重い緞帳が巻き上げられ、ぼろぼろの衣服をまとったみすぼらしい少女と数えるほどしかない、使い古された家具が姿を現した。




