王子の葛藤6 王子と母親
ある日の夜、スレイフルは夕食を食べたあと、いつものようにお風呂に入り、自室に戻ってゆっくりしていた。普段ならこのまま布団に入り、そのまま寝るところであったが、この日はなんとなく、自分の母親の所へ行きたくなったため、布団に入らずに部屋を出た。
長い廊下を一人で歩いていると、時折メイドや執事とすれ違い、その度に挨拶を交わし、目的の部屋の前まで来た。スレイフルは少し、緊張していた。
軽く、コンコンコン、とノックをし、
「母上、スレイフルです。はいってもいいですか?」
と、扉の向こうにいるであろう母親に向けて話しかけた。すると、扉の向こうから、穏やかな声で
「ええ、大丈夫よ、おいでなさいな」
と、返事が返ってきた。スレイフルは少しホッとし、扉を開けて中に入った。
「失礼します」
中に入り、戸を閉め、母親に向き直りお辞儀をしながら挨拶をした。
「ふふ、いらっしゃい、そんなに畏まらないで、こちらにおいで」
窓際の椅子に腰掛けている母親は、不意の息子の訪問を喜んでいる様子であり、スレイフルにも母親の感情がなんとなくわかった。
母親の言う通り、スレイフルは母親のもとへ行くと、そのまま母親に抱え上げられ、膝の上に座らされた。いきなり抱え上げられたことに対して、スレイフルは面食らった顔をしたが、不快感はなく、むしろ嬉しかった。母親の方も、そんなスレイフルの反応を楽しんでいる様子であった。
「よく来たわね、スレイフル、どうかしたの?」
穏やかにスレイフルを見下ろしながら頭を撫でつつ、母親は尋ねた。
「なんとなく、母上に会いたくて」
頭を撫でられることで少し照れつつ、でも、母親の方を向こうとしながら、スレイフルは答えた。
「あら、嬉しい」
そう答えた母親は、頭を撫でる早さはゆっくりのままではあったが、たしかに嬉しそうだった。二人は少しの間、そのままの時間を過ごしていた。
穏やかに過ぎていく時間を感じながら、ふいに、スレイフルは尋ねた。
「母上、ぼくにも才能ありますか?」
突然の質問に、少しだけ驚いた母親は、
「どうかしたの?」
とだけ聞き返した。
「ぼくも、才能があるのかなって」
「どんな才能?」
直ぐにまた穏やかになった母親に聞き返され、スレイフルは少々答えにくかった。実際に才能と一括りに言えど、それは多岐に渡る。音楽の才能があれば、戦闘の才能もあり、座学の才能があれば、商業の才能もある。スレイフルは、自分が、何を欲しており、何がないと感じているのか、言葉にすることに難しさを感じた。
「ごめんなさいね、意地悪だったわ」
微笑みながら母親はそう言った。
「そうね、あの人でも、アレリーアでも、ベルレイフでもなく、私でもない、スレイフルだけの才能ね。
では、ヒント。スレイフルはいつもどうやって過ごしているかしら」
普段の自分の生活に答えがある、といった内容に、スレイフルは困った。自身の普段の生活は、他の誰とも違う特別な生活ではなく、スレイフルからしてみれば至って一般的な子どもの生活となんら変わりがなかった。
膝の上で考え込んでしまったスレイフルを見ながら、また意地悪な答え方をしてしまったかと少し思った母親は、先程と同じように、また頭をなで始めた。撫でられ始めたことに気がついたスレイフルは、また照れてきたが、やはり嫌ではなかった。
「母上は、どうやって過ごされてますか?」
スレイフルは尋ねた。もしかしたら、子どもとしてではなく、他の家族とは違う生活を送っているところがあり、そこが母親の言う答えになるのではないかと考えた。
「そうね、私は普段、朝起きて、ご飯を食べて、あの人のお手伝いをして、みんなでお昼ごはんを食べて、またお手伝いをして、またみんなでごはんを食べて、お風呂に入り、寝る、かしら」
そう答えられたスレイフルは、自分の知っている通りの生活だったということで、結局なにもわからなかった。もしかしたら、自分の知らないことを実はしていて、そこが答えになると思っていた為である。
またまた考え込んでしまった膝の上に座っている『息子』を、今度は軽く抱擁しながら母親は言った。
「スレイフル、そんなに焦らなくてもいいのよ。あなたにはあなたの良いところが沢山、あるの。あなたはまだ自分では気付けていないのだけれど、気付けていないからと言ってその良いところが無くなる訳ではないわ。安心して、ね?」
スレイフルは、背中やお腹から感じる母親の体温とその言葉にすっかり安心し、先程まで真剣に考えていた事がどうでもいいことのように思えた。安心しきったスレイフルは、先程まで真剣に考えすぎた反動なのか、すぐに眠たくなり、そのまま母親の膝の上で眠ってしまった。
「あら、…。おやすみ、スレイフル、私達のかわいい子。大丈夫、何も心配要らないわ。あなたは…」
完全に寝てしまう前に母親が何か言っていることは分かったが、それ以降は聞き取れず、スレイフルは安心して母親に身を任せ、眠りに落ちたのであった。
おまけ
スレイフルが眠りはじめて少し経った頃、母親は膝の上の息子を自身のベッドに寝かせて、廊下に出た。
「誰かいるかしら」
執事室の前まで行き、戸をトントントンと叩いたあと、母親は尋ねた。
「ええ、おりますよ。如何なさいましたか、王妃様」
ガチャリと戸を開けて、そう言いながら執事長が出てきた。
「良かった。スレイフルのことでね。あの子は今日、私の部屋で一緒に寝ます。それを伝えに来たの」
「畏まりました。わざわざこちらまで知らせに来て下さり有難うございます」
丁寧に頭を下げた執事長に対し、王妃は「そんな畏まらないで」と答え、「それでは、私は部屋に戻るわね、貴方もはやくお休みになってね」と言った。
「あ、そうそう」
部屋に戻ろうとしていた王妃が、不意に立ち止まった。
「ありがとう。あなたのお陰でしょう?最近はあの子、悩む事が減ったみたい。代わりに新しい悩みもできたみたいだけど、前みたいに自己嫌悪してる風には見えないわ。それどころか、どこか自信が付いてきたみたい」
「私はなにも。全て坊ちゃまの、御自身の御活躍の賜物にございます。最近は特に感謝されることが多くなったと聞いておりますから、恐らくそれで自信がついたのでしょう」
そう答えた執事長に、優しく微笑み返した王妃は「あら、ではそういう事にしておくわ。また明日ね、アンデルセン」と言い、今度こそ部屋に戻って行った。
「参りましたな、奥様にはお見通しだったという訳ですな」
執事室に戻り、片付けをしていたアンデルセンはぼやいていた。
「坊っちゃまはやはり、幸せものですな」
優しい笑みを浮かべ、そうぼやきながら、アンデルセンは執事室に鍵をかけ、自身の寝室へと向かっていったのであった。