王子の葛藤5 王子と家庭教師の昔話
その日、雨がよくふる中、スレイフルは家庭教師といつものように一室で勉強していた。
スレイフルは既に文字の読みは出来るようになっていたが、書きがまだ全部できるわけではなかったため、書きの練習も兼ねて、家庭教師の持ってきている教科書の一部を、自身のノートに写していた。
書き写している間はいつも何か話をするわけでもなく、ただただ黙々と書き写していた。
「雨、すごいね、今日」
教師が窓から見える景色を向きながら、そう呟いた。
「スレイフル君は、雨大丈夫?」
スレイフルは質問の意図がよくわからなかったため、先程までノートの上で動かしていた手が止まり、教師の方を向いて首を軽く横に傾げた。
「雨とか雷とか、怖くはない?」
「とくには」
「そっか、強いんだね」
スレイフルの方を向き、そう返答して微笑んだ家庭教師を確認したあと、また書き写しにもどった。
雨がずっと振り続ける中、スレイフルは黙々と書き写していた。写している文章の意味を同時にあれこれ考えたりしていると、また声をかけられた。
「昔、受け持った生徒に雨が苦手な子がいてね」
スレイフルは、手を止めて教師を向いた。教師は、スレイフルの方を見てニコッと微笑むと、また窓の外へ顔を向けた。
「下町で塾を開いていて、そこに通ってくれていた子の一人がすごく怯えててね。あれは今日みたいにずっと雨が降ってて、雷もよく落ちていた日だったなあ」
教師の顔は相変わらず窓の外に向いていたが、スレイフルは特に不快になったりはしなかった。教師がスレイフルのことを見たくなくてそっぽを向いけいる訳では無いと、なんとなくわかっていたからである。
「他の子も何人か、その子につられて泣き出してしまったり、逆に怒り出してしまった子もいたんだけどね。そしたら、一人の子がみんなを落ち着かせてくれたんだ」
スレイフルは、ただ黙って話を聞いていた。書き写しの邪魔になると怒るでもなく、かといって無視して続けるでもなく、教師の話を聞いていた。
「その落ち着かせた子がね、『だいじょうぶ、みんないる』って言って、怯えてた子の不安を取ってあげたんだ」
スレイフルは、じっと、話を聞き続けていた。
「その怯えていた子の、怯えていた理由が関係していてね。どうやら、まだ3つくらいの頃に、一人でお留守番しているときに大雨になったらしいんだ。でも、その日は誰も帰って来なかったんだそう。何日か経って、やっと帰ってきたんだって。家族の方が帰ってこられなかったのと、一人で居続けたことが、その子にはとても怖い思い出として残ってしまっていたんだ」
スレイフルは、もし自分だったらと思った。自分は、いつも近くにメイドやアンデルセン達がいる。少し離れているけど、別の部屋に家族もいる。いつでも会おうと思えば会える。それが、大雨でただでさえいつもと違う日に、どんなに会いたくても誰とも会えず、ずっと独りになったら。そう思ったら、その怯えていたという子の事と、恐らくそれを分かって励まそうとした子の、両方の気持ちが、なんとなくわかった気がした。
「家族の方も、帰りたくても帰れなかったようでね。土砂崩れで家までの道が通れなくなっていたんだそう。それでも、直ぐに帰って、その子の無事を確認しようと、騎士団と一緒に土砂を除けていたんだって。無事に家に帰ることができて、家族の人はすぐにその子を抱っこしたんだってさ」
雨が振り続ける中、優しい微笑みを浮かべる教師の昔話を聞き終えたスレイフルは、またゆっくりと書き写しに戻った。
おまけ
あれから数日後、とても天気の良い日に、折角ならと庭を散歩していたスレイフルに元気な声がかかった。
「坊ちゃま!おはようございます!」
「ああ、おはよう」
以前、自身の弟へのプレゼントで悩んでいたメイドだった。
「いやー、今日はいい天気ですね!ほんと、雨が晴れてよかったですよ!」
「そうだね」
元気に話すメイドに、あまりの元気さに笑みをこぼしてしまいながらスレイフルは答えた。
「雨なんてほんといいことないんですから!あ、いや恵みの雨とは言いますけどね?それにしてもですよ!大雨になって土砂崩れにでもなったらどうするんですか!帰りたくても帰れないなんてことになりかねないですよ!それに、残された方はとっても!寂しいんですからね!」
「そうか」
あまりにも元気が良すぎるため、スレイフルはとうとう笑いだしてしまった。そのスレイフルの反応を見て、若干不貞腐れ気味だったメイドも、笑いだしていた。
「坊ちゃまも大雨には気をつけてくださいね?」
「うん、そうするよ」
そういえばと、スレイフルは教師の話を思い出していた。雨に怯えていた子は、普段はとても元気よく、家族のことが大好きな明るい子だと。
スレイフルは、このメイドには、なるべく話しかけてあげ、寂しい思いをさせないようにしようかと考え始めた。特に、雨の日なんかは。