六
「東に希望を」
「東に虹を」
「東に実りを」
「東に寧静を」
""天高くおわす、我等が神に絶え間ない尊敬と感謝を""
春の今様、夏の半、秋の刈安、冬の利休。
連合国家、東を成す四国家代表の宣誓をもって、蓮峰海儀は恙無く執り行われた───。
空に星が輝き、今様の姫君のお披露目を兼ねた宴には各国家代表団のほか、姫の婿に相応しいであろう名家や貴人も招かれ、それはそれは豪華絢爛なものとなっていた。
「あっ!···常雪様!!こちらです!!」
人の多さに、自分の席がどこか解らず右往左往していた常雪に気づいた織江が、手を振り居場所を示す。
常雪もそれに気づくと、ほっとした様子で小走りに利休の席へと向かった。
「お疲れ様で御座いました常雪様」
「ああ。それにしても凄い人だな···」
「まあ、式典に託つけた今様主催"大お見合い会"だからね」
機転を利かせた織江から、式典の前にその事は聞いていた常雪だったが、まさか攻略対象キャラクター以外にも、各国妙齢の男子がこんなに集まるとは予想外の展開だ。
「はあ···」
「どうかした?織江?」
「常雪様···。自分を省みず、枝垂れ柳のような御髪に、飾らないにもほどがある地味を極めたお方が、このように凛々しく、利休の誉れとなろうとは···織江は感激しております」
そう、お忘れかと思うが、織江はこの日のため、絶え間ない努力を積み重ねて来た。
こ度の式典用に仕立てた礼服、中挿しや笄などの装飾品、そのどれもが常雪の精悍さと、成人まもない初々しさをバランス良く引き立て、式典を見守る今様の人々の中には、常雪の宣誓にうっとりときき惚れる者も居た。
今なら利休一の美丈夫と謳われる兄·璃雪にも引け劣らぬ常雪の晴れ姿に、織江は心から感心していた。
「だから、お前は何処ぞの『ばあや』か···」
相変わらずの織江っぷりに、常雪は照れ隠しの野次を飛ばし、璃雪はそんな二人の様子に笑みを浮かべた。
「僕等もだけど、織江もいつもと違う服なんだね♪」
「はい。実家の父に頼んで今日のために仕立ててもらいました」
「なんだ。それならもっと華やかな物にしても良かったろうに?」
「常雪様、織江は一奉公人なのですよ?それが主様方を差し置いて、きらびやかな物を纏えば、お家の品格を問われます!」
「····そういう物か?」
「そういう物です!」
普段、織江は屋敷で用意された藍色の小袖を着ているのだが、流石に格式ある式典の場にそれではと、急ぎ実家に文を出し、仕立ててもらった茶鼠の付け下げは、裾に絞りを施し、帯は三本送ってもらった中から、最後の最後まで悩み抜き、めでたい場ということで鈍色に古典柄の"宝尽くし"の物を合わせた。
決して華やかではないが、落ち着き、品よく"丁度良い"といった装いだ。
勿論、髪は夜会を意識して下重心のシニヨンスタイルに、千鳥の簪をさり気なく挿し込んだ。
「それはそうと常雪様、その"今様の姫君"様はどのような方なのですか?」
「解らない···」
「え?わ、解らないって···だってこの世界を創ったのは常雪様でしょ?」
「そうなんだが、私の立場は総指揮官の様なもので、キャラクターのデザインなどは別の者が担当だったし、基本的に乙女ゲームというのは、ヒロインの容姿が曖昧な作品が多い」
「どうしてですか?」
「プレイヤーが、よりゲームを楽しむためだ。画面越しにその世界に入り込んだかのような錯覚を感じることこそ、ゲームの醍醐味だからな」
そんな事を言われてもと、織江はなんとも言い難い、苦悶の表情を浮かべた。
この世界に起きている"バグ"というのは、常雪の事前説明によれば、ゲームの内側から発生する事は前世において稀であり、外側から侵入した何者かにより発生する確率の方が高いとの事。
であれば、外側、つまり、ゲームプレイヤーとしてこの東に参入したであろう、行方不明だった"今様の姫君"とやらを見つけ出し、まずは、彼女の行動及び、"ラブロマンス"の相手として選ばれた"攻略対象キャラクター"の周辺から調査してみようと思っていたのに、肝心の姫君がどんな姿をしているか解らないなんて、本末転倒だ。
「常雪様、その方の背格好というか···せめて御髪の色とかくらいでも、思い当たりませんか?」
今夜はその姫のお披露目会なので、黙っていても頃合いを見て紹介や挨拶の口上が始まるだろう。
しかし、それでは遅い。
紹介を終えた途端に、姫君は人波に埋もれ、見えなくなってしまう。
だからこそ、姫君たる者の人物像を把握して、いつ動きがあっても対応出来るようにしておきたい。
常雪は何かなかったかと、懸命に己の記憶の中から、姫君の情報を掘り起こした。
「···髪····そうだ!金か銀だ!」
「金か、銀?」
「ああ!織江、思い出したぞ。髪の色だけはプレイヤーが選べるようにしておいたんだ!そして、金なら愛らしい容姿、銀なら大人びた容姿に成るように設定したんだ」
常雪のその言葉に、織江の顔に光がさす。
「素晴らしいです常雪様!それだけでも心得ておけば、姫君を見つけやすくなりますね!」
一方、二人の保護者役の璃雪はというと、よもや弟と、奉公人の乙女が自分達の世界を救おうと懸命な作戦会議をしているなど知る由もなく、風見家の家臣や、来賓らといつも通り歓談をしつつ、ある者を警戒していた。
(どこだ?どこに居る?···う〜ん!!こんな大人びた織江の姿を見たら、女性慣れしていない奴は、絶対、懸想をするに違いない!!それに、織江も?満更でもない様子だった····いやいや。織江は誰に対しても真っ直ぐで、優しいからただの親切心で、そんな気持ちは···え?もしかして芽生えた?芽生えちゃった?!···いやいやいや。早い!早い!だってこの間まで、十五歳の女の子だったじゃないか!許しません!織江を預かる身として、断じて許しませんよ!!お兄さんっわ!!)
「────様、璃雪様?」
「は、え!?何??」
いったいどれくらい経っていたのか、雑念に気取られていて目の前に居る織江にも気が付かなかった。
「お飲み物を取って参りました」
「ああっ!···ありがとう♪」
湯呑みを渡しながら、織江は少し困ったような笑みを浮かべた。
「···どうかした?」
「···今様に来て、少しの間だけでも、璃雪様がゆっくりできたらと思っておりましたのに、結局、篝でお務めされている時と、あまり変わらなくなってしまったなぁ〜。と思いまして」
そうして用意された席に着く織江を見ながら、璃雪は思いを巡らせていた。
織江が風見家にやってきて三年と少し。
自分を省みず、ただ家のために生きる弟·常雪が、あのように立派な風見家の男子になったのは誰でもない、織江の努力の賜物だ。
それだけではない。
実を言うと、織江が奉公に入るまでの数年間、璃雪は常雪にどう接すれば良いか悩んでいた。
常雪は、産まれて間もなく転生者としての自我が芽生えた織江とは違い、生を受けてから五年間、何も知らぬまま、純粋に風見家の次男として育った。
五つになって半年が経った頃、己が何者であったかを悟った常雪は、毎晩悪夢に魘され、奇っ怪な譫言を言うようになった。
唯雪も、黝簾も、子供内はそういう事もある。と、常雪を傷付けない程度に受け流し、璃雪も、そうした時は当たり障りなく弟に接して居た。
思えば、それがいけなかったのだ。
気が付いた時には、幼い常雪の心には霜が下り、譫言を言わなくなった代償に、声を出して笑う事も、寂しいと言って甘える事もしてくれなくなってしまった。
このままでは駄目だ。しかし、どうすれば、常雪と以前のような兄と弟の関係を取り戻せるか、検討もつかぬままに過ごしていた頃、黝簾に連れられ、風見家へやってきたのが織江だった。
織江は誰に対しても分け隔てなく、天性の明るさと、思い遣りで、周りを和ませてくれた。
歳が近いのもあってか、常雪にも積極的に話しかけ、最初は煙たがっていたものの、次第にひょこひょこと付いてくる織江に、常雪も満更でもない様子を見せていた。
それからというもの、常雪の表情は徐々に豊かさを取り戻し、前髪で目が隠れていても、笑っていたり、喜んで居るのが解るようになり、今日だって、船酔いした時には自分を頼ってくれた。それがどんなに嬉しかったか。
織江には、感謝してもしきれぬと璃雪は思っていた。
しかし、同時に違和感も感じていた。
織江は良く出来た娘だ。が、出来過ぎではないかと。
天然で、抜けたところはあるが、こと、仕事や周りへの配慮に関しては、目を見張るという言葉では納まりが付かぬほどに完璧だ。
実家で両親の商いを手伝っていたとはいえ、従兄嫁となった千代椿の事だって、まるで織江の方が姐様のように支えていたと聞く。
この娘は一体何者なのだろう───。
「どうかなさいましたか?」
またも思い耽ってしまっていたようで、織江が小首を傾げ、自分を見遣る璃雪の様子を伺っていた。
「···ううん。その付け下げ、良く似合ってるなって♪」
「まあ!ありがとう御座います♪」
織江の言った通りだ。
仕事のし過ぎで疲れているのかもしれない。
または、宝珠との遣り取りを見て、勝手に気が競っていたのかもしれない。
何者かだなんて、そんな事。織江は、織江だ。
自分が知らない事があるのは当たり前。これから共に暮らす中で、少しずつ知って行けば良い。
璃雪はそうしようと思いを正し、織江が持ってきた桜茶を味わった。
「いた···織江!!」
「·····あら?御二人共、宝珠様が──こちらで御座います!宝珠様!」
前言撤回。
せっかく心が落ち着いたというのに、なぜ今来るのかと人を割け、こちらにやって来る宝珠へ、璃雪は静かな苛立ちを感じた。
「こんばんは、宝珠様」
「やあ···やっと挨拶周りが一段落してな」
「さようでしたか。お疲れ様です」
「·····おつかれさまぁ···」
いつもと調子が違う璃雪の口調に、どうしたのかと常雪に視線を送るも、常雪も首を傾げて織江を見返す。
「宝珠兄。昼間は御挨拶も出来ず、申し訳ありません」
「なに。先程の宣誓、立派だったぞ常雪」
「ありがとう御座います」
「····兄様!!」
「ああ!こっちだ紫烏!!」
その名を聞いた瞬間、常雪の頬に朱が走り、背筋に緊張が走る。
弟の姿に、先まで不満気だった璃雪に笑みが溢れる。
全くこの男は、こういう処も黝簾によく似ている。
「お久しぶりです璃雪兄様。貴女が···」
目の前の紫烏の姿に、織江は居直り、手を付き頭を下げる。
「紫烏姫様、お初にお目にかかります。風見家奉公人·織江と申します。此度は我が主、常雪様が大変お世話に成りました。心より感謝申し上げます」
「そんな、頭をお上げになって織江さん。貴女の事、兄様や常雪様から聞いてお会いしたかったの」
「私···にですか?」
「ええ!何だか今回の式典は殿方が多くて、良かったらお話し相手になっていただけないかしら?」
現新王の娘である紫烏と、自分が話相手とはいえ席を共にして良いものか、織江は璃雪に判断を仰ぐ。
「行ってあげなさい織江」
朗らかな璃雪の顔に織江は頷くと、立ち上がり、紫烏に連れられて利休の席を離れた。
常雪は、残念そうに。
宝珠は、嬉しそうな紫烏の姿を微笑ましく見送り、璃雪は心の中で、歓喜の拳を上げた。