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二十六・五


《──・・・当然だけど、やっぱり避難訓練の様には行かないな》

 

 幸いだったのは、火災が起きた時に手芸コーナーにいた事だ。

 咄嗟に近くにあった"刺し子"用の木綿に、飲み残しの麦茶を染み込ませた。

「・・・・っがは」

《早く非常口を見つけなきゃ・・・この人が・・・》

 無いよりはましだが、この熱波の中では──。

 そもそも、こうした時は自分の命を最優先に考えなくてはならない。

 だが、苦しそうに通路に横たわるこの男を放って置く事は良心が許さなかった。

 恐らく逃げ惑う内に煙を吸ってしまったのだろう。

 早くまともな酸素を吸わないと彼の命が───とは言え、細身でも成人した男性を支えながら出口を探すのは簡単な事ではない。

《大丈夫。絶対に、大丈夫》

 熱波と煙に苛まれても、心を立て、ひたすらに出口を探した。


 《────っ!見つけた!》


 額から流れた汗に歪み視界の中に、ひび割れた非常灯を見つけた。

 手首を何度か振り、伸ばしたカーディガンの袖でノブを回すと勢いよく体当りした。

「やった!!」

 どす、と勢いよく倒れてしまったが、極度の緊張状態にあったお陰で痛みは感じなかった。

《良かったこれで助か・・・・?》

 一息ついて立ち上がろうとした時、上の方からけたたましい音が聞こえてきた。

「・・・・っくそ、くそ、くそくそくそ!!」

 何か言っているがサイレンや、喧騒に遮られ何を言ってるかは分からなかったが、目の前に現れた男は相当興奮しているのか目が血走っている。

 でも、彼を運ぶには手が多いに越したことはない。気乗りしないが、頼むしかない。

「あ、あの!この人を運─────」

 鈍い音が耳をかすめ、どうしてか、男は足を高く上げていて、その一方であの助けた彼は一つ下の踊り場でぐったりとしたままで、よく見るとこめかみの当たりから血を流していた。

 こみ上げる動揺と怒り。

 立ち上がり、男の胸ぐらに掴みかかろうとしたが、視界に映ったのは黒煙に霞む登り階段と、怯えたように引き攣る男の顔。

「───事故だ。そう、これは事故!全部、全部、全部事故だ!俺は悪くない!悪くない!」

 身勝手な声が虚しく、足音は遠のいて行く。


《頭が、痛いのに・・・ぽおっとして、温かいような、寒いような────》

 もう、朧にしか映らない瞳で動かなくなった彼を見た。

《───ごめんなさい。・・・・もし、もし、生まれ変わって、どこかで会ったら今度こそ・・・》




 ──────────。





「お呼び建てして申し訳ありません。こんな事頼むべきではないのですが、御家族の説得にも応じず、押収した携帯の履歴で非通知じゃなかったのが岸さんだったもので・・・」

「構いません。私でお役に立てるなら」

「そう言って頂けると助かります」

 外の喧騒とは一転、静まり返る関係者通路を迎えの刑事に誘導され、まやのは矢間のもとへと向かっていた。

「お連れしました」

「岸さん。この度は御足労を」

「いいえ」

 通された部屋のミラー越しに見えた情けない矢間の姿に、まやのは嫌悪感を抱いた。

「火災の原因はあの人なのでしょうか?」

「いいえ。実は頂いたデータのお陰で、出入りしていた業者があろうことか館内倉庫で喫煙して、その燃えカスがインクや薬品に引火したのが原因だと判明しまして。先程、その人物も逮捕しました」

「そうでしたか」

「証拠がある以上、矢間の殺人容疑は確定なのですが、ゲームの違法複製、販売の件は矢間一人の犯行では無いので彼の口から話してもらうしかないのですが、もう3時間もあの調子でして・・・」

 矢間の悪い癖だ。

 痛いところを突かれると黙り倒し、沸点に達すると物に当たる。

 あの日もそうして会議室から出ていった。

 しかし、警察署でそれをすればどうなるかくらいは分かるのだろう。

「話しても良いですか?」

「勿論です。ご案内を。あと念の為、書記官は女性刑事に交代して、今ついている彼はドア前の警備に加えてくれ」

 担当刑事の指示に部下は手際よくまやのの入室準備に取り掛かった。

 10分程で入室準備が整い、担当する女性書記官と共に矢間の居る取り調べ室へと入った。

 意外だったのは、まやのの姿を見た瞬間、矢間が落ち着き出した事だ。

「・・・・っよお」

「ご無沙汰しています」

 本音を言えば二度と矢間になど会いたくなかった。

 けれど、ここで自分が役目を拒否して矢間が罪から逃れるのを許すことはできない。

 何より、鴉雛の今日までの努力を無にする訳には行かない。

「まだDENDRITIC(あそこ)で働いてるのか?」

「いいえ」

「はは。だよな?あんなとこ・・・」

 いつもの様に軽口を叩くも、その表情は不安で満ちている。

「矢間さんは、火災事故(あの日から)どうしていたんですか?」

 本当はどうして罪の無い人の命を奪い、違法複製などしたのかと問いただしたかったが、矢間の性格上、そうするれば逆情するだけだ。

 とは言え、この問いも応えを引き出せるかは五分五分だ。

「───あの日から・・・というか、もっと前から俺の人生は終わってんだよ」

 そう言って、矢間は突然自分の身の上を話しだした。

 それなりに裕福な家庭で育った矢間は、やりたい事は何でもやらせてもらえた。

 ゲームも最新の物を買い与えられ、プレイする内に自分もゲームを作ってみたいと思った。

 勉強は苦手だった事もあり、玩具づくりなら自分にだって出来ると思ったが、その考えが間違っていたと矢間は大学に入学して直ぐ思い知ったのだ。

 矢間の父のコネクションで、箔も付けさせたいと名のある藝大のゲームアミューズメント学科に入学させたのだが、これがそもそもの間違いだった。

 好きを追求し、高みを目指し、狭き門をくぐって来た猛者たちの熱意に圧倒され、授業が進むにつれ、たった一つの娯楽に膨大な数の人と技術、理解と協力が必要だと言う事が、根が我儘で協調性に欠く矢間には苦痛でしかなく、1年の終盤から必要に駆られない限り矢間は大学に寄り付かなくなった。

 それからは想像に易い生活ぶりで、怪し気なバイトに手を出し荒稼ぎしては夜通し遊び暮らしていたらしい。

 しかも、矢間の口から出てくるのは誰もが聞いたことがある企業の二世、政界の議員の息子や自分達が居た会社のスポンサー企業の娘まで居た。

 矢間の言う通り、あの企業を去ったのは正解だったかもしれないと、まやのは溜め息を着いた。

 そんなことにも気が付かず、矢間は乗ってきたのか、いつもの調子で話を続けた。

 4年の月日はあっという間に過ぎ、矢間も卒業だけは出来たのだが、一緒に遊んでいた仲間も次々と就職して行き、付き合っていた女性も呆れ果て次々に彼の元を去って行ったらしい。

 終いには、行き付けの店で暴動騒ぎを起こし、見兼ねた父親が職を充てがうも、どれも数日も持たず、最後の最後でようやく就けたのがまやのも務めていたDENDRITICだったのだが、家族は矢間という人間を理解していなかった。

「家の親もどうかしてるよな。大学にろくに行ってなくて、ゲームのゲの字解らない人間を大手企業だからってゲーム会社に入れるなんて、馬鹿としか言いようがないだろ」

 全くだ。

 やる気の無い人間に恵まれた環境を与えた所で意味が無い。

「それで、矢間さんはいつからゲームの複製を始めたんですか?」

 そう問い掛けた瞬間、矢間の眉間に皺が寄った。

「あいつだよ・・・」

「あいつ?」

「ほら、俺達の下のに入った、あの図体のデカい甘ったる顔の奴だよ」

「・・・・?あの、もしかして企画製作部の()()()の事ですか?」

 その名を聞いた鴉雛は見るからに苛立っていた。

「あいつ、俺に何て言ったと思う?」

 矢間が鴉雛と会話をする場面なんてあっただろうか。まやのは記憶を整理したが、やはり思い当たらない。

「あの、鴉雛君はなん────」

「──「いる意味がない」って言ったんだよ!」

 まやのの言葉を遮り、矢間は息荒げにそう言い放った。

 同席した書記官にも緊張が走る。

 確かに鴉雛は思ったままを口にする方だが、故意に相手を不快にさせるような人間ではない。

 しかし、今その事を言っても火に油を注ぐだけだ。

 まやのは何とか矢間をこれ以上興奮させないように、本音を押し殺して調子を合わせた。

「それは、良くないですね・・・」

「だろ?あいつのせいで会議に参加した他の部門の奴らに笑われたんだ」

 笑われた───といっても、それは鴉雛の発言よりも、矢間の日頃の行いに対しての社員等の本音だろう。

「だから、昔のツテを使って、あいつの()()()()ゲームを売ることにしたんだよ」

 まやのは膝に置いた手をぐっと握り締めた。

 鴉雛と矢間の間にどういう会話が成されたかは知らないが、当て付けに複製販売なんて矢間らしいと言えばらしいが、それに加え人の命まで奪うなんて本当に救いようが無い。

「───失礼します」

 ノックと共に、先程まやのを案内した刑事が入って来た。

「岸さん、そろそろ」

「解りました」

 恐らく、今までの話で共犯者を捜すのに十分な情報を得られのだろう。

 役目を果たしたまやのは静かに席を立った。

「またな岸」

 そう言って小さく手を振る矢間に、まやのは何も言わず会釈すると取り調べ室を後にした。

 または、ない。

 矢間の父親がまた金を詰んで何とかしようとするかもしれないが、複製だけならまだしも、人を殺めた上、決定的な証拠がある以上、表に出てきたところで彼に道は無い。

 疲れたが、まやのはほっとした。

 今夜からは本当にぐっすり眠れるのだ。

 長い廊下を歩きながら、まやのは帰りの新幹線で何を食べようかと考えていた。

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