参
「くうぅっ。···わしは泣きそうだぞ!」
「御父さん、僕の記憶だと靴擦れの話の辺りから既に泣いてましたよ?」
「愛よ···純愛よ···本当、素敵だわ♪」
「····織江、おかわり」
「あっ織江、僕にもちょうだい♪」
褐駕と千代椿の恋物語に四者四様の反応を示す風見家。
織江は常雪と、璃雪の椀を受け取るとおひつからそれぞれに飯をよそう。
「千代椿様はそれから直ぐ、半の古代家へ嫁がれる事になり、私もお輿入れのお手伝いをさせていただきましたが、本当にお幸せそうでした」
「そうでしょう。恋い慕う方の元へ、それに相思相愛で在ると知ったなら尚更」
うっとり気分で話す黝簾に耳を傾けつつ、織江は常雪と璃雪に飯をよそった椀を配る。
黝簾はそれを目で追い、織江が居直ったのを確認するといよいよ本題を切り出した。
「でも、それも全ては織江の采配、姫を真に思う心が無ければ叶わなかった事」
「いえ!私はただ、御節介を焼いただけで···」
「それ!それが必要なのよ!」
少し興奮気味に語る黝簾に、男三人は再び肝を冷やし、何が何だかと織江はたじろぐ。
「貴女の目利きと気配り。身分の垣根を越えた信頼関係の構築。どれを取っても素晴らしいわ!そこで···」
「···御方様?」
姿勢を改め、織江の方へ体を傾けると、ただでさえ大きい瞳を、更に大きく開くとこう告げた。
「本日只今より、織江を我が息子、常雪の側仕え兼、調整役に任命します!!」
「っはあ?!」
「えええー!!」
黝簾の言葉に、常雪も織江も驚きの声を上げる。
「母上!!側仕えと言うのはまだしも、調整役なんて!そのような事は私には必──」
「────っ黙りゃ!!」
黝簾の「黙りゃ!!」に常雪は勿論、残る男二人もびくりと肩を震わせる。
「先も申しました。貴方はもう十五。殿や璃雪の補佐として人前に出る機会が増えたと言うに、何時迄もそのように分不相応な姿。子供内は良しとしましたが、もうそうは行きませんよ常雪」
先までのおふざけ様はどこえやら。
風見家女主人としての黝簾が放つ、凛とした姿、的確な判断に反論の余地はない。
母の言葉に一つの隙も、誤りもない事が悔しいのか、顔が半分隠れていても常雪の気持ちは織江には手を取るように解った。
「恐れながら御方様。殿方のお召し物なら、やはり見立も殿方の方が宜しいかと。お時間を頂ければ、実家の父に直ぐ文を出しますが?」
織江の言葉に、黝簾は首を横に振った。
「いいえ。貴女にしか頼めないの···」
黝簾の話によると、常雪が物心付き出した頃から何人もの見立て役を付けただが、常雪は何を聞いても、見せても「なんでもいい」とか、「一番安くて、一番地味な物」としか言わず、皆匙を投げ、結局はいつも同じ色の物を黝簾の側仕えが買付に行き、璃雪付きの御針子が同じ型を年増ごとに体に合わせて仕立てると言う事が続いていたらしく、今後どうした物かと悩んでいたらしい。
「その時、褐駕のお母様から貴女の話を聞いたのよ」
「古代家のお妃様が?」
「ええ。二人の結婚披露宴の席で、千代椿ちゃんの晴れ着があんまり素敵だったから、誰の見立てか聞いたのよ!そしたらまあ、なんという幸運か、この篝の者だと言うじゃない?私、その場で直ぐ使いの者に言って、貴女の実家に行くように頼んだのよ」
成る程と、織江含め、話を聞いていた全員が納得の表情を浮かべた。
というのも、織江は実家で不自由なく、前世の趣味に通じる縮緬問屋で、両親の手伝いをしながら暮らせている事が嬉しかったし、風見家の方は奉公人も充分に足りている上、皆働き者ばかり。暫く募集の触れを出す必要も無かった処にやって来たのがこの織江という少女だったのだ。
「でもね、それだけじゃないのよ?常雪が他人に興味を持ったのは貴女が初めてたなの」
──────おおっと····。
黝簾の今の発言に常雪と織江は心内で同じ事を考えた。
そう、織江のちょっとした行動から、もしや織江も自分と同じ転生者ではないかと、まあ、ある意味"興味"を持ち出し、様子を伺っていた常雪の事を黝簾は何度となく見ていたようで、"ついに常雪が人間に興味を持った!!しかも女の子!!"と、とてもとても前向きに思い込んでしまった故にこの様な事になったのだと。
「だから、側仕えと言ったけれど、織江には常雪の善き相談相手にもなって欲しいの」
「御方様···」
先まで母の申し付けを煩わしく、迷惑な勘違いをしてくれたものだと感じていた常雪も、今の言葉に自分にも否があったのだと思った。
常雪の人付き合いの悪さは今に始まった事ではない。前世においても常雪は『しきおり』を創り出す迄、当たり障りなくその場しのぎな人付き合いしかしてこなかったし、『しきおり』を創った後だって、その性質は根本的に変わってはいない。
でもそれでは駄目だ。
自分の長年の夢だったゲームが世に出たというのに、それが今、何かによって侵食され、最悪の場合、"自社回収の後に処分"を余儀なくされている。
それに、自分と同じく転生した織江に出会えたのも、この母なる人のお陰。
であれば、その願いを叶えるの事が、せめてもの恩返しというもの。
常雪は腹を括った。
「解りました。母上のお心遣い、謹んでお受け致します。先程はつい、声を荒げてしまい···申し訳ありません」
常雪の言葉に満足気な黝簾。二人の様子に織江も誠意を尽くそうと思いを新たにした。のだが────
「解ってくれたなら良かったわ。じゃ♪三年後、楽しみにしているわね♪」
「····は?」
「三年後···ああ!蓮峰海儀ですか御母さん」
「正解〜♪」
「うん?···ほっほう!成る程!」
「ね?名案でしょう♪」
大人三人の遣り取りが今一把握出来ない織江。
ちらと常雪の方へ目をやると何か良く分からないが、禍々しい、淀みのような空気が常雪を包み混んでいた。
よく見ると何やらブツブツと言っている様に見えたので、茶を運ぶふりをして常雪の側まで行ってみた。
「と、常雪様、どうされたのですか?」
「····れた」
「申し訳ありません常雪様、今なんと?」
常雪の膝に置いた拳に筋が立ち、犬歯が口端から見えるほど、奥歯を噛み締めている。
「はめられたんだ、私達は···」
そう。すっかり黝簾の空気にのまれていて忘れていたが、黝簾は大の悪戯好き。息子を愛う心に偽りはない。
しかし、ただでは済まさないのが黝簾なのだ。
「あのそれって、···もしや先程から皆様が盛り上がっていらっしゃる"れんぽうかいぎ"とかの事ですか?」
織江の問に、常雪は顔が真っ青になり、力なく項垂れ、また独り言のように話を続けた。
「そうだ。ああ、そうだよな。"発売"されたならプレイが始まるんだからそうなるよな···」
「···常雪様?」
常雪の独白によると、"乙女ゲーム"には"イベント"と言って、織江に解るように言うと"男性キャラクター"とプレイヤーである"ヒロイン"が想いの距離を縮める特別なストーリーが組み込まれており、黝簾達が盛りあがっている『蓮峰海儀』はまさしくその第一回目の"イベント"。
東の連邦国家である春·夏·秋·冬を司る国々の代表者が集い、平和と繁栄を八百万の神に祈る大切な式典だ。
「でも、常雪様?なぜそのように落ち込まれるのですか?私達が居た世界で言うところの初詣とか、記念祭みたいなものではないですか」
"乙女ゲーム"の知識がない織江からすれば、常雪が何をそんなに赤くなったり、青くなったりしているのか解らない。
「前世で考えれば、お前の言う通りよくある行事だ。しかしだ、忘れまいな織江?ここは"恋愛シュミレーションゲーム"の世界で、私はヒロインに選ばれる"男性キャラクター"の一人なんだぞ?」
織江はひとまず、常雪の話を整理した。
まず間違いなく、蓮峰海儀にヒロインなる女性がいて、常雪と同じく、その女性と"ラブロマンス"を繰り広げる男性キャラクター達も、一挙に集結するのが三年後の式典ということになるという事だ。
事を理解した瞬間、織江が驚愕に目を開く。
「····え!?それって前世で言う所の『お見合いパーティー』じゃないですか!!」
「ああ···天におわす八百万の神よ!!どうして私を"攻略対象"キャラクターに転生させたのですか!!ああ!!神よアナタは残酷だ!!」
常雪の反応を見るに、どうやら今回の織江の見解は的を得ていたらしい。
「ということで♪織江?常雪の事、頼みましたよ?」
「えぁあ、は、はい!御方様!この織江、誠心誠意、務めを果たしてみせます!」
黝簾の期待に満ちた眼差しに抗えぬ織江。
立場上、仕方ないこととはいえ、織江の張り切り様に常雪の魂は天へ召されかけていた。
──────そして現在。
織江は十六に。
常雪は間もなく十九を迎えようとしていた。
「にしても、織江。まさかお前に騙されるとは···」
「そんな!人聞き悪い言い方しないで下さいよ!」
そう、騙していた訳ではなく、常雪が織江をよく知らなかったというのが正しい。
風見黝簾からの命により、常雪の側仕え兼調整役と成った織江であったが、正直、当時の常雪はこんなド天然の小娘に何が出来ようかと思っていた。
しかし、その予想は見事に裏切られた。
織江が前世で通っていた女子高では、文武両道をモットーに、生徒は様々な資格を、在学中に取ることが出来たのだが、技·美·職の三科から一つずつ、卒業までに計三つの履修資格を取らなくては成らないという決まりがあったらしく、織江もそれに習い、資格を取ったそうだが、学ぶのが楽しかった織江は、各科で用意されている履修資格を全て修得し、特に美と職では優秀な成績を収め、校内で表彰までされていたのだ。
「パーソナルカラーアナリスト、トータルコーディネーター、それに····」
「はい。祖父母が理容店を営んでましたので、よく殿方向けの"ヘアカタログ"や"ファッション雑誌"も拝見しておりました」
「それを知っていたら····」
「側仕えにはしませんでしたか?」
「いや、そういうわけでは無いが···少し、やり過ぎだ」
あの雪の日から三年。
常雪にとって、織江は最も信頼出来る存在となっていた。
「それに、常雪様は元々、素養があったのです。織江はほんの少しだけ、お手伝いをさせていただいただけです」
そう言うが、織江の才は素晴らしいものだった。
まず、"整理整頓士"の資格を活かし、常雪の服を一掃。綻びのないものだけ、時を凌ぐために残し、直ぐに常雪のパーソナルカラーと骨格診断を取ると、一先ず私服と礼服をニ着ずつ、実家に文を出し仕立てを頼んだ。
それから、唯雪付きの髪結いを呼び、あの野暮ったさ満点だった髪を整えてもらった。
初め、周囲からは若者の散髪ならと、璃雪付きの髪結いを薦められたが、璃雪は母の黝簾似。精悍さのある唯雪似の常雪との相性を考え、図書館で読んだ『相手に気持ちよくお願いを聞いてもらえる交渉術』の知識を活かし、波風立たぬよう、薦めは丁重に断わった。
寡黙でありながら、物腰の柔らかい唯雪付きの髪結いの人柄に、散髪の苦手な常雪も心を許した様子で、織江の指示した髪型を元に、常雪の好みも取り入れ、ようやく、あの素晴らしい淡褐色の瞳に光が灯った。
黝簾も本来在るべき姿に成ってくれた常雪に大層喜び、政の場での立ち振舞も堂々たるものとなって来た。
「本当に素敵な殿方に成られて、織江は大変嬉しゅう御座います常雪様」
「···お前はどこぞの『ばあや』か」
常雪のつっこみにもすっかり慣れた織江は、水やりの手を止めすっと立ち上がる。
「それにしても常雪様。これは···」
「ああ、参ったものだ···」
冬を迎えたというのに、風見家の裏庭には大輪の花を付けた向日葵が所狭しと自生している。
そう、織江と常雪の二人には、この世界に発生している『バグ』の原因解明と言う大事な使命があった。
あの後、二人は友だってこの裏庭に戻り、向日葵を回収しようとしたのだが、あろうことか黝簾がこの花を気に入ってしまい、処理できないまま、今日に至る。
「母上の里には当たり前に咲いていたからな、見つかる前に何とかしたかったが、本当にあの人は目聡い」
「ええ。それと、先日御方様のお遣いで実家に寄ったのですが、燕が巣をつくり、まだ産まれたばかりの雛が居ました」
「花の次は動物か···早くしないと、次は我ら人にも影響が出だすな」
「そうですね···あと」
深妙な面持ちの織江の様子に、常雪にも緊張が走る。
「もうすぐ"イベント開催"ですね!!」
やはり織江は斜め上を行くド天然だと、常雪の身体からいっきに気の抜ける音がした。
「お前なあ、なんでこんな時に···」
「こんな時だからこそです!今私達はここに生きているのです!蓮峰海儀は八百万の神へ祈りを捧げる式典なのでしょう?前世から『困った時の神頼み』と言うではありませんか!きっと解決の糸口も、神が導いて下さいます!」
「お前は昔も今も変わらぬな···」
「それに···うふふ♪」
今度は何か言いたげに、悪戯な笑みを浮かべる織江に、常雪の背中に寒気のような、呆れのようなものが走る。
「···なんだその顔は?女子にこんな事言いたく無いが少々気味が悪いぞ」
「常雪様も、今は蓮峰海儀が待ち遠しいのではありませんこと?うふふ♪」
織江の言葉に常雪の頬に朱が走る。
「な、何を言う!!断じてそんな事···兎に角、初めて"主要キャラクター"が一箇所に揃うのだから、織江!お前も気を引き締めるように!私は公務に戻る!!」
何を引き締める事があるか解らないが、その場を逃げるように常雪は去っていった。
「常雪ってば、何もあんな逃げる様に行かなくたっていいのに」
そう言って、渡り廊下に姿を見せた璃雪に、織江は水差しを置き一礼する。
「璃雪様、本日の御公務は終えられたのですか?」
「うん。今日は式典に持参する物品の最終確認だけだったから」
「さようでしたか。今、お茶の用意を」
「ありがとう織江」
織江は水差しを持ち、勝手口へと駆けて行った。
野良仕事の作業着から、奉公人用の着物に着替え、焙じ茶と栗羊羹を盆に乗せると、茶が冷めぬ様、急ぎ足で織江は居間へと向かった。
「失礼致します」
「どうぞ」
障子をそそと開き、冷気が入らぬ内にまた閉める。
摺り足で畳を進み、卓に着いていた璃雪の前に茶と菓子を並べる。
「何かありましたらお声がけ下さい。では···」
「織江行っちゃうの?」
「はい?」
奉公人なのだから、朝昼晩の食事の時は別として、基本的に用が済み次第下がるのが普通なのにと、璃雪の問いかけに織江は首を傾げる。
「忙しい?」
「あ、いえ。今日は、裏庭の花の手入れと、いつも通り夕餉の配膳だけですが」
「それならここに居て」
「ですが、璃雪様。ここ最近は朝から、遅いと夜中まで御公務が続いていらしたでしょう?せっかく早く御帰りに成ったのに私がお側に居ては、気が休まらないのでわ?」
膝を付き、心配そうに自分を見詰める織江に、璃雪は優しげに目を細める。
「その逆。最近忙し過ぎたせいで、家の人達とろくに話せなかったから、何だか寂しくて」
確かに、このところの璃雪は、家に戻っても食事をするだけだったり、寝に帰っているだけのような日もあった。元々人と話をしたりするのが好きな璃雪にはそれは相当に寂しい日々だったろう。と織江は思った。
「だから、織江さえ良ければ、話相手になって欲しいなと思ったんだけど···駄目、かな?」
「いえ。私で璃雪様のお相手に成るなら」
織江の言葉に、璃雪の表情がいっそう和らぐ。
「良かった。この栗羊羹、織江が作ったの?」
「はい。先日、千代椿様から"刈安"へ政務に行かれていた褐駕様が、木箱一杯に栗を持ってお戻りに成ったようで。食べきれないからと、私宛にお裾分け下さったので」
「ああ、褐駕って人当たり良いから、子供の頃も出かけると両手を受け取った手土産で一杯にして帰ってきていたんだよね···あれは一種の才能だよ」
璃雪はそう言いながら、菓子切で栗羊羹を一口大に切ると、美味しそうに頰張った。
「羊羹だけでは余ってしまうので、今晩は栗ご飯も作る予定です」
「それは楽しみだな♪あ!もしまだ余ったら甘露煮も作ってよ!僕あれ好きなんだ♪」
そうこうしている内に、璃雪は栗羊羹をぺろりと平らげ、焙じ茶の注がれた湯呑を口元へ運んだ。
「いやあ、織江の腕あってこそだけど、流石、秋を司る刈安の栗は絶品だね♪式典で宝珠に会ったら美味しかったよって伝えなきゃな」
そう言いながら茶を飲む璃雪の言葉に、織江は違和感を感じた。
「···璃雪さま。織江の聞き間違いでしょうか?今仰った様子では、璃雪様も式典に行かれるような?」
「言ってなかったっけ?僕も行くことにしたんだ蓮峰海儀」
璃雪は一体さっきからどうしたのか。
織江の背中を冷や汗がつたう。
「今回の式典には、常雪様が利休代表として参加するはずですよね?」
「そう!まあ、僕は常雪の見届け役ってところかな♪」
さようですかと、納得した様子を繕ったものの、織江の心は穏やかで居られなかった。
蓮峰海儀では各国家の要人が集まる。
当たり前に皆、国の内情に詳しいわけで、織江と常雪はこの機に乗じ『バグ』に関する情報を収集しようと考えていたのだ。
勿論、『バグ』の事も、織江達が転生者であることも誰に知られてはならない。
それなのに、よりにもよって、風見家で一番聡い璃雪が同行するなんて。
「式典の頃だと、藤の花が見頃だな。織江は"今様"は初めてだよね?」
「あっはい!」
「じゃあ僕が案内するね!楽しみだな~♪」
浮足立つ璃雪を尻目に、初めての"イベント"が前途多難になる事を、織江は密かに憂うのであった。