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二十一

 織江の回復に嬉々としたのも束の間。

 扉の外の現実が、常雪の眉間に皺を寄せる。

「五十嵐さんから僕が居なくなって雪田がすご〜くっ寂しがっているって聞いたからすぐ来たのに」

「ちがっ!····わ、私は、常雪様が出来るだけ早く会って話がしたいと、そう伝えただけです!」

 同じタイミングで再ログインしてしまったのだろう。高い背の後ろから、話をややこしくしないでくれと静歌が声を上げる。

「あれ?違ったっけ?」

「全然違う!もう····」

 額に手を当て溜息をつく静歌に反し、その姿を見た鴉雛は益々ご機嫌のようだ。

 常雪は静歌に同情しつつ、早速話を切り出した。 

「····はあ。では、改めて聞くが、なぜ私のゲームの複製なんて馬鹿げた事を····」



「え?····ああ〜····ごめん!あれ嘘!」



「そうか·······え?」

「····っへ!?」


 常雪は唖然とし、静歌は思わず鴉雛の腕を鷲掴み、どうしたのと言いたげに小首を傾げる男の顔を見上げた。


「嘘····?」

「うん」



 この男は何を言っているのだ────。

 昼から始まったこの騒動。色々在りながらも、解決の糸口が見えかけたというのに、今までの発言は全て嘘だと言う鴉雛。常雪は眩む頭を手で支え、がっくりと肩を落とした。

 一方、鴉雛の腕を掴む静歌は、すっとぼけの端整な顔をぐっと覗き込む。

「───だっ···だって霎さん、私が聞いた時は25人くらいに売ったって···」

「ごめん。ごめん。あれも全部嘘なんだ」

「うっ、····嘘····?」

「ちょっと、諸事情で···五十嵐さん?」

「─────ったし····」

「え?おあっ!!!」

 何か言おうとする静歌へ耳を傾けた瞬間、凄まじい勢いで鴉雛の身体がぐわんと弧を描いた。

「っ私!!自分が最低だって!!推しのために道を踏み外した最低オタクだって!!嬉しかったけど、何時もログアウトした後、苦しくて。それなのに·····う、うう····」

 悔しさに涙を零し、これでもかと鴉雛を揺さ振る静歌。

 乙女のものとは思い難い力で、瞬く間に青ざめていく鴉雛の顔。

 気を落としていた常雪も、繰り広げられる修羅場に、これは不味いと止めに入る。

「姫、それ以上は流石に···」

「だって!!こんなの、あんまりっ····うう···」

「お、御気持ちは良く解ります。しかし、同窓の身から申し上げると、こやつのこういう処は昔からでして····」

 唇を噛み締めひっく、ひっくと怒りを滲ませる静歌。

 その気持ち、常雪も解らぬでもない。

 だがこのままでは、この小憎たらしい美男の口から見たくないものが噴き出してしまう。それだけは何としても避けたい。

 常雪は気の高ぶる静歌を何とか落ち着かせようと、親身に言掛け続けた。

 すると、静歌の手から徐々に力みが抜け、ようやく鴉雛の腕から手を離した。

 目眩がするのだろう、解放された鴉雛はよろよろとその場に崩れ落ちた。

 常雪は一先ず静歌を先の長椅子に座らせ、鴉雛に駆け寄ると、腕を貸し、長椅子の側へ座らせた。

「────っうう···気持ち悪い······」

「身から出た錆だ。少し反省しろ!」

「え〜····」

「ごめんなさい。常雪様···」

「や、良いのですよ姫。取り乱すのも無理はありません」

 少し落ち着き出したがまだ本調子ではない鴉雛、悔しさと情けなさに自分を恥じる静歌。

 やれやれと思いながらも、何とか治まった事に常雪は安堵した常雪は、壁に寄りかかりぐだついている鴉雛へ先の話の続きを聞かせてほしいと(こと)かける。

「····う、···う、それ、もう少し後じゃ駄目?」

「駄目だ」

「そういうところも変わらないな~···」

 そう言って、気怠げながら、鴉雛は意を整えこう応えた。

「本当の嘘付きを炙り出す為だよ」

「「本当の嘘付き」?」

「そう」

 宿の門前での事といい、どうにも鴉雛の話は型を得ない。

 "嘘付き"とは誰を指して居るのか。鴉雛がバグの発生に関与していないなら、その"嘘付き"とやらがこの世界を崩壊の危機に晒したというのか────。

 時間が無い時に限って時間が欲しいのは、現世()前世()も変わらないのが何ともシニカルで、常雪は思わず鼻を鳴らした。

「あ〜···ねえ?この状況で言い辛いんだけど、僕、そろそろ····」

「は?そろそろって来たばかりではないか?」

「や〜。僕も色々忙しくてさ···」

 そう言って笑う鴉雛に、陰りのようなものを感じた常雪。

「忙しいとは、先の人物に関係していることか?」

 心配で尋ねると、鴉雛はゆっくりと常雪の方へ顔を傾け、何も言わずにこりと微笑み、途端、鴉雛の身体が光りだした。

「おい!」

「あ、そうだ。五十嵐さん」

「へ?」

「嘘ついてごめんね。でも、それ以外は本当だから」

 長椅子で涙を拭う静歌にそう告げると、鴉雛は消えてしまった。

 天へと消え行く煌めき。それを見送り、常雪は思いっきり息を吐き出すと、壁へ身を放った。

「やれやれ····」

「常雪様?これからどうしましょう?」

 どうするか────。

 バグの原因が鴉雛のプログラミングだけでなく、もっと根深い何かがあるとなると、また一から考え直さなければならない。

 壊れたり、治ったりを繰り返している今、一刻も早く考えを纏めなくてはならないのだが────流石にもう、海馬が悲鳴を上げている。

 それに、今自分が事を急げば、織江にまた無茶をさせてしまう。

 常雪は考えた末、明日また今後について話し合おうと提案し、静歌もそれに同意した。

「おや?風見の若様じゃありませんか?」

 そう言って鼻先を赤くし、意気揚々と現れたのは静歌の父、貝寄風公だ。

 突然の登場に辺りを見てみると、二人が話している間に"しきおり"が元に戻っていた。

 良かったが、これはまずい。

 貝寄風公らの時が止まっている間に、静歌が本来の姿に戻ったなら、今の状態は非常にまずい。

 咄嗟に庇うように静歌の前に出てみたが、目前に迫り来る公を欺く事は極めて難しい。

 腹を括り一か八か、常雪は賭けてみることにした。

「これは貝寄風公。宴はもうお開きに?」

「ええ♪やあ、入らしていたなら若様も広間に来て下されば良かったのに」

「いえ。皆様で楽しまれている処に行っては気を遣われてせっかくの興が醒めてしまうと思いまして」

「そんな事···うん?おや、静歌じゃないか」

 やはり気づかれた。

 名を呼ばれ、常雪の背に隠れるように息を潜めて居た静香の額に汗が滲む。

「お、御父様···」

「お前、身体はもう良いのか?」

「っへ?···あ、ええ!ええ!さっき副支配人さんに頂いたお茶が効いたみたいで、もうすっかり!」

「そうか、そうか♪きっと旅の疲れが出たのだろう」

「そ、そうかもしれませんわ。ほほほ···」

 良かった。

 どうやら都合よく、この姿でも静歌だと認識してくれたようだ。

 常雪と静歌は目を合わせ、そっと胸を撫で下ろした。

 すると、静香の父は何かを探すように辺りをきょろきょろと見回し出した。

「貝寄風公、如何されましたか?」

「うん?や、御付きの者が見当たらないのですが、若様お一人で?」

 何気ない疑問に二人はびくりと肩を浮かせた。

 そう、この混乱にうっかり忘れていたが、ここは列記とした"乙女ゲーム"の世界。

 しかも今は"イベント"の真っ只中なのだ。

 プレイヤーである静香と、攻略対象である常雪が二人きりで居ると思われては困る。

 なんと応えたら良いのか、使い過ぎたせいで頭が上手い言葉を弾き出せない。

 ついおどおどしてしまう常雪に、期待を含みおやおやと笑みを浮かべる静香の父。

 静香も何と言えば良いのか、朗らかに勘違いしている父の姿にあわあわとしていたが────

 どうしたのか、貝寄風公の頬がぽうっと朱を増し、その視線は二人の後ろの方へ釘付けに成っていた。

 常雪と静香も、それに続くように背後へ顔を向けてみると、そこには織江を抱きかかえ、悠然と立つ天青の姿があった。

 窮地だからだろうか、その姿はあまりに神々しく、二人も思わず見惚れてしまった。


「ふ····そんなに見られては、この身に風穴でも開いてしまいそうです」


 後光すら見えてしまいそうな程の美男の言葉に、三人はようやく我に返ったようだ。

 一番惚けて居たであろう、貝寄風公が火照り覚ましに持っていた扇子を天青へと向け、不思議気に尋ねた。

「水浅の若様。その御嬢さんは一体···?」

「この方は風見家へ奉公にあがっている織江殿と申します」

「ほう。その方が何故此処に?」

「はい。実は常雪君と共に姫を見舞われ、その帰り際、門前で倒れてしまい姫の御厚意で今迄休ませて頂いていたのです」

 公の質問にも難なく応えた天青。

 これが人生二周目の余裕かと、常雪は感服した。

「それは、それは····?ええと···それで、水浅の若様が、介抱を?」


 (いい加減にしろ!この酔っぱらい!)


 二人の遣り取りを見ていた静歌は、酒気帯びる父に今にも拳が出そうなくらい心底腹が立った。

「御父様、そんな事はどうでも良いでしょう?」

「へ?」

 何とか立つ気を抑え、父を諭したが、元々天然の気がある上、酒に痺れた脳に静歌の声は届かないようだ。

「良いのですよ姫。父君の疑問はごもっともですから」

「でも····」

 父親の様子に肩を落とす静歌に、天青は相も変わらぬ落ち着いた口調で言かける。

「久方ぶりの利休。せっかくなので街へ繰り出そうかとこちらの宿の前を通り掛かった所、御三方に出くわした。という訳です」

 成る程と、貝寄風公は持っていた扇子で掌を軽く叩いた。

「馬車を呼ぼうかと思いもしましたが、揺れが身体に障ると良くないですし、姫の御厚意で御部屋をお借りしたものの姫自身も病み上がり。それで常雪君は姫を。私が織江殿の側に」

「やあ〜、そうでしたか。なるほど、うんうん」

 天青の説明に、公もようやく納得した様子で、それ以上の言及はなかった。

「それで貝寄風公。大変恐縮ですが、馬車を及び頂けないでしょうか?織江殿の様態も落ち着きましたので」

「勿論、勿論!今、副支配人に手配を」

「あ、御父様!階段お気をつけ下さいましね!」

「何、大丈夫、大丈夫···っと、とと」

 注意するよう呼びかける静歌だったが、意気揚々と階段のど真ん中を浮つく足取りで降りて行く父の姿を見るに絶えず結局付き添う事にした。

「水浅殿、恩にきります」

「何、大した事ではありません」

 そう言って、天青はにこりと微笑んだ。

「水浅殿、良ければこちらの椅子に」

 うっかりしていたが、天青の腕には織江が───。

 常雪は慌て気味に席を勧める。

「え?───ああ。ふふ、ありがとうございます」

 天青もその事をすっかり忘れていたようで、思い出したように笑うと長椅子に腰を降ろした。

「───···にしても、良く眠っていますね」

「ええ···」

 天青は長椅子に座っても、その腕から織江を降ろすこと無く、前髪を梳き撫る手つきは先と変わらぬ穏やかさで、気持ちよさそうな寝顔をただただ見詰めていた。

「はあ···」

「どうされましたか?」

 急に深い溜め息を付いた天青。

 流石に疲れが来たかと、常雪が案じると、天青は照れくさそうに笑ってこう応えた。

「いや···この温もりを、もうすぐ手放さなくては成らないのかと思うと少し、寂しくて···」

 笑顔に混じる哀愁に、常雪の胸は締め付けられた。

 きっと、前世の記憶の有無など関係なく、この二人は惹かれ合ったに違いない。

 前世では、ゲームをする楽しさ、自分もその楽しさを一人でも多くの人に感じて欲しいと我夢者羅に生き、恋愛など興味すらわかなかった。

 今だって、恋や愛を語れるような器ではない。

 だが、この二人の愛は本物なのだと、自信をもって断言出来る。

 もうしばらく、この二人をこのままにと常雪は心から願ったが、馬車の到着を知らせる静歌の声に、微睡みは終わりを告げた─────。



「─────さて。うーん···やっぱり僕から声を掛けるしかないかな?」

 そう言って、開いていたノートパソコンを閉じると、鴉雛は席を立ち、真後ろへ向かって歩き出した。

 都心部から車で二時間、小高い丘に立つホテルのカフェラウンジ。

 手入れの行き届いた大理石の床は、夜空を転写したかのような艷やかな煌きを湛え、利用客は束の間を思い思いに過ごしている。

 そんな中、どうにも不自然な客が一人。

 もう一時間以上、何をするでもなく、此方の様子を伺っている。

 歳はさほど変わらないだろう男は、有名量販店で購入したであろうセットスーツを身に纏い、髪はほんのりと日に焼けている。

 何かの商談かとも思ったが、履いている革靴は色褪せ、靴先に泥汚れが着いている所を見ると、営業や外商の類で無いことは一目瞭然だった。

 何より違和感を感じたのは、この男の緊張感だ。

 寛ぐための空間なのに、こうやって距離を縮めれば縮める程、男の緊張感がじりじりと伝わってくる。

 男はなんの気も無い素振りでコーヒーカップを口に運ぶが、あまりにわざとらしい。

 そうして、鴉雛は相手を観察しながら目の前まで歩み寄ると、男に言かけた。

「あの、何か僕に御用ですか?」

 鴉雛の言葉に、男は肩をびくと浮かせた。

 やはりそうかと、思った通りの反応を見て、鴉雛は言葉を継いだ。

「お話があれば聞きますが」

「──····」

 まさか此方から話かけに来るとは思わなかったのだろう。男はコーヒーカップを両手で持ったまま、返事もしない。

 これでは埒が明かない。

 鴉雛は踵を返し、元いた席に戻ろうとした。

「───っあ、あの····」

 男は決心がついたのか、勢いよく立ち上がると鴉雛に声を掛けた。

 ちらと見てみると、立った男は未だにコーヒーカップを両手で持ったままだ。

 それがどうにも可笑しくて、鴉雛は口元が見えないように手を当て小さくくっくと笑った。

「座って待っていて下さい。今パソコン取ってくるので」

 意外だったのか、男は口を半開きにしたままぽかんと鴉雛を見ている。

 その間抜け顔がまたツボを押し、可笑しくてたまらない。

 なんとか笑いを堪え、鴉雛はさっき閉じたパソコンを持って再び男の待つ席へと戻った。

「座っても良いですか?」

「どうぞ」

「飲み物注文していいですか?」

「え?はあ····」

 鴉雛は当たりを見回し、手すきの店員を呼んだ。

「すみません。アイスミルクティーを」

「茶葉は何に致しましょう?」

「そうだな···じゃあ、アールグレイで」

「かしこまりました」

「あ、お兄さん何にします?」

「え?····あ、じゃあ、今飲んでいたやつをアイスで」

「かしこまりました。カップお下げ致します」

「あ、はい」

「失礼致します」

 店員がカップを持ち席を離れると、男は急に鴉雛へ向かい、意を整えた。

「鴉雛霎さんですね」

「はい」

「岸まやのさんをご存知ですね?」

 まやのの名を聞いた瞬間、鴉雛は全てを把握した様子で、思わず声を漏らした。

「岸さんに会ったなら、お兄さんは警察の方ですか?」

「はい。捜査三課の磨弓(まゆみ)と言います」

 ちょうどそこに注問した飲み物が出され、それぞれに喉を潤した。

「それで、磨弓さんは僕を捕まえに?」

「いや····実は、上司が貴方と個人的に話がしたいと言っていまして」

「そうですか」

「会って頂けないでしょうか?」

「解りました。で、どうしたら良いですか?磨弓さんと一緒に警察署へ行けば良いですか?」

「いや、今、警察署はてんやわんやで、このホテルに来てもらうように上司に連絡します」

「てんやわんやって何か有ったんですか?」

 鴉雛の質問に、磨弓は少し困った様子で頭を掻いたが、此方の頼みを聞いてもらったのだからと、意を決し、こう応えた。


「間矢宏介を逮捕したんです」


 人々の談笑。ピアノの奏───

 それら全てが遠退いてゆくというのに、グラスの氷が溶ける音だけ、恐ろしい程鮮明に耳に響いた。

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