十九
「多分、そろそろかと····あ、帰って来ました!」
フロントガラスから、慌て気味な母、明らかに田舎の人ではない背の高い中年男性と、その人の部下であろう男性がこちらを振り返るなり、ゆっくりとした足取りで歩いて来るのが見えた。
とりあえず車を車庫に入れ、降りたとほぼ同時に中年男性の方が声をかけてきた。
「岸まやのさんですか?」
「····はい」
「御勤めから戻られたばかりのところ、申し訳ありません。我々は警視庁捜査三課の者です。先日報道されたDENDRITICの件でお話しを聞きたくて。ちなみに、鴉雛霎さんと、矢間宏介さんの事はご存知ですか?」
ああ。やっとこの日が来たんだ。
吸い込んだ空気の香りを感じ取れたのは、いつ振りだろう。
ようやく全て打ち明ける事が出来る。
心配そうに見守る母に反し、まやのの表情はとても穏やかなものだった──────
───────3年前
「っだよ!あのババァ!!」
「ちょっと、矢間さん!まだ話が!」
「はあ?何?岸、お前もあのババァ側なわけ?」
「「側」とかそういうのじゃ···兎に角、戻りましょ?」
「はあー、だっる·····そうだ。岸、お前適当にババァの機嫌取りでもしといてよ」
「え?矢間さんは?」
「一服したら戻るから。じゃ、よろしく〜♪」
「ちょっと!!····はあ〜」
オフィスフロアの廊下。
まやのは溜息をつき、頭を抱えた。
今回、勤務先であるDENDRITICの新作ゲームの公式グッズと、先行発売イベントの協力を得るため、老舗趣味雑貨販売店HobbyWorldへ商談に来ていた。
発売日迄の期間を考えると、グッズを絞らない限り納期は難しいとの回答を受けたが、それは許容範囲であり、まやのも先方の協力を得られるなら多少の妥協はするよう、事前に上司から指示を受けていた。
主要キャラクターのものを優先的に作ってもらい、後日他のグッズの制作協力を受けるという線で話を進めようとしたのだが、同行者の失言により全て白紙になる恐れがでてきたのだ。
それがたった今、無責任に何処かへと去っていった矢間宏介だ。
歳はまやのより上だが、正直言って、職業体験の中高生のほうがよっぽど頼りになる。
それなりに有名な芸術大学の出だが、入ってからは遊びに夢中で、進級ギリギリの単位しか取っておらず、当然ながら、DENDRITICに入社出来る程の資質は矢間に無かった。
そんな彼が入社出来たのも、彼の祖父がDENDRITICの大手株主だったからだ。
会社側も一度断ったそうだが、素行不慮の矢間を雇ってくれる会社はなく、務めても三日坊主。うちが最後の望みなのだと何度も頭を下げられ、その思いに根負けした代表と人事部長は仕方なく矢間を広報部に入社させたのだが、プライドが高い上、癇癪持ちの矢間が一人で出来る事はなく、人を付けても付いて1週間もたたぬうちに、組ませた相手から矢間に辞表を書かせるか、自分が書いてきた退職願を受け取るかどちらかにしてほしいという嘆願に、部長を始め、請け負ってしまった上層部も頭を悩ませていた。
そうした中、唯一矢間と半年以上続いたのがこのまやのだ。
ただ、ただ直向きに任された仕事をこなしてきたまやの。
矢間に期待する事はなく、問題を起こさず座っていてくれればそれで良いと心に決め、矢間も自分を明から様に嫌うでもなく、蛋白で柔軟なまやのとの組心地は良かったらしく少なくとも勤務中に大きな問題を起こすことは無かったのだが····プライベートで何かあったのか知らないが、流石のまやのも、堪忍袋の緒が切れそうだが今は謝罪をする方が先だ。
気持ちを切り替え、さっきまで居た会議室に戻ろうとした瞬間、けたたましいサイレンと、今まで感じたことのない地響きに足元がぐらついた。
「落ち着いて。大丈夫だから。非常階段へ───っ!!岸さん!!」
どうしようもなく、壁を伝いながら会議室へ戻ろうとしていたまやのを見つけ、駆けつけたのは、矢間が「ババァ」と罵っていたHobbyWorld広報部長の長瀬だった。
「良かった····」
「長瀬さん···これは一体···」
「話は後!兎に角降りれる所まで行くわよ」
「へ?···は、はい!」
「そういえばあの馬鹿たれは?」
おそらく矢間の事だろうと察したまやのは、首を横に振った。
「ったく。まあ、あの手のはそう簡単には死なないわ。さ、行きましょ!」
長瀬に手を引かれ、まやのは非常階段へと向かった────。
無事避難出来たまやのは、信じ難い光景に息を飲んだ。
長い歴史を持つHobbyWorld。
12階建てのビルのおおよそ半分以上が火に飲まれ、消防は勿論、救急車両に、警察。多くの人が消火と救助に必死で動いている。
「─────あ!そうだ、矢間さん!」
思い出した様に、まやのはポケットにしまっていた携帯を取り出すと、矢間の番号にかけた。
コール音はしているものの、いっこうに出ない───
「────っおーい!!救急の方!!手の空いている方が居たらこちらの男性を!!」
館内救助に当たっていたであろう、消防士の声に目を遣ると、二人にがかりで支えられながら歩く矢間の姿が見えた。
良かった。無事だったのか。
そう思い駆け寄ろうとしたが、まやのはふと、出した足を退いた。
(────矢間は今迄どこに居たのだろう)
そんな疑問が過った途端、まやのの顔は青ざめ、携帯を持つ手に嫌な力が入る。
一服をすると出ていった矢間は何処に行った?引火や匂い移りを防ぐために館内に喫煙スペースは設けられていない。思い直して戻ってきて居たのだろうか····いや、矢間の性格上それは考えにくい。
何も考えたくないのに、悪い方、悪い方にと思考が駆けてしまう。
そうだ、最悪と災厄がいっぺんに来たせいでネガティブに成っているんだ。きっとそう。気持ちが落ち着けば大丈夫。
そう信じ、祈るように深呼吸し、まやのは矢間の所へ歩み寄った。
「······矢間さん?」
救急隊の誰かがかけてくれたであろう、毛布にくるまり俯いたまま地べたに座り込む矢間。
少し除き混むように見ると、口元が小刻みに震え、何か呟いているようだが、周りの音に掻き消され上手く聞き取れない。
「矢間···さん?」
「帰る」
「え、ちょっと···」
静止も届かず、矢間は毛布を被ったまま再びまやのの前から去っていった。
「?···すみません。こちらに居た男性は?」
「帰りました」
「ええ!?参ったな···あの、お知り合いの方だったりしますか?」
救急隊員の問に、まやの首を振った。
「そうですか···解りました」
嘘をついた。
けれど、もう堪えるのも限界だ。
こんな状況でも解る程濃い煙草の匂い。
まやのの心は、怒りと、罪悪感に打ち拉がれた。
「───それ以来、矢間さんには直接会っていません」
「直接と言うと?」
向かいに座る中年刑事が尋ねると、母の用意してくれた麦茶を一口。まやのは気持ちを整え話を続けた。
「はい。あの事故からしばらくして、矢間さんのお父様が私を訪ねていらしたんです」
「矢間の父親が?」
「はい────····」
長瀬のお陰で怪我もなく、事なきを得たまやのは社命で3日間の休暇をとり、その後職場に復帰した。
矢間と鉢合わせたらと不安もあったが、幸いにもあの日以来、矢間は無断欠勤を続けているという。
不謹慎だが、そのお陰で広報部は勿論、人事部長も何年ぶりかに顔色良く、皆日々、日々の仕事に打ち込め、社内はとても和やかな空気に包まれていた。
しかし、それも束の間。
予期せぬ客人が現れたのだ。
「岸さん!エントランスからお電話です!」
「私にですか?」
「はい。内線5番で繋がります!」
「解りました」
まやのはデスクの受話器を取り、5番をコールした。
「もしもし。お待たせしました広報部、岸です」
「お疲れ様です。お忙しいところ申し訳ありません」
「いえ。それで、ご要件は?」
「はい。只今エントランスに岸さんにお会いしたいと言う方がいらしてまして。お約束などは?」
「いいえ」
「さようですか···」
「あの、ちなみにどういった方で?」
エントランス担当は電話越しでも解る程、困っている様子で、囁くようにこう応えた。
「それが···矢間さんのお父様だという方で····」
「え?」
矢間の、父親?
なぜ彼の父親が自分を訪ねてきたのか、まやのには検討も付かなかった。
正直、矢間に繋がる人間には関わりたくないのだが、このままには出来ない。
まやのは一先ず、電話を代わってもらうようにエントランス担当に頼んだ。
「····もしもし?」
「もしもし。お待たせしました。広報部、岸です」
「忙しいところ、申し訳ない」
「いえ。それで、本日はどのようなご要件でしょうか?」
「息子の事で、その、少しで良いので、時間を頂けないだろうか」
受話器の向こうで、まやのは必死に溜息を堪えていた。
矢間の話などしたくない。まやのは心底そう思った。
だが、アポ無しで会社に来るなんてよっぽど切羽詰まっているのだろう。
やんわり追い返す事もできるが、きっと矢間の父親は自分が会うまでやって来るに違いない。
今は会社だが、家を調べ上げて来られても困る。
心外だが、今会っておいた方が良い。
まやのは仕方なく矢間の父親に会う事にした。
初め外で話せないかと言われたが、まやのは午後一で会議があって難しいと嘘をつき、同じビル内に有るカフェでならと言って、何とか了承してもらった。
「────あの、矢間さんのお父様ですか?」
まやのの言かけに、矢間の父は席を立ち、頭を下げた。
「や、本当、突然申し訳ない」
「いえ!そんな、おかけ下さい」
そうして席についた二人。
まやのは店員を呼ぶと、珈琲を二つ注文した。
「あの、矢間さんどうしていらっしゃいますか?あの日以降、お会いできていないので」
大きな身体を丸め、なんとなく申し訳無さそうな姿を見て、一応の見舞いの言葉をかけたまやの。
ちょうどタイミング良く運ばれた珈琲を勧めると、矢間の父は軽く頭を下げ、珈琲カップを取ると、それを一口飲み、ようやく話を切り出した。
「あの···あの日、宏介は何か言ってましたか?」
突然の問に、まやのは何を言いたいのかさっぱり解らず、いいえと首を振った。
まやのの応答に、どこかほっとした様子の父親はもう一口、珈琲飲み、カップを置くとこう続けた。
「あの、宏介が喫煙者であることは···」
その言葉を聞いた途端、まやのはこの父親が何をしにきたのかおおよその察しが付いた。
「···広報部員は皆知っています」
まやのの応えたを聞いて一転。父親は明らかな焦りを浮かべた。
「あ、あの!あの日、宏介が何をしていたのかは!」
「いえ···誰にも····」
「お、お願いします!どうか、このまま···とくに警察や消防には言わないで貰いたいんです!」
災厄だ。本当に災厄だ。
矢間の面倒を見る日々から開放されたというのに、今度は矢間の父親に息子の悪態を隠せとせがまれるなんて。
「あの、何を───」
「お願いします!お願いします!お願いします!」
必死な父親に、周りも段々とざわつき始めた。
「わ、わかりました。わかりましたから、どうか、もう···」
まやの静止にようやく落ち着いた矢間の父は、思い出した様に鞄から一枚の茶封筒を差し出した。
「なんですか?」
「小切手です」
「こっ!?·····どうして····」
「それで、何卒····」
この瞬間、まやのの中で何かが弾けた。
「·····要りません」
「や、しかし····」
「要りませんたら!!」
まやのは勢いよく席を立つと、矢間の父に茶封筒を突き返し、伝票を取りあげ、手持ちの一万円札を挟み付け、それをレジに置くと、逃げるようにカフェを出ていった。
それ以後、矢間の父が訪ねて来ることは無かったが、この事が引き金となり、まやのはパニック障害を発症し、好きだった会社を辞めざるを得なくなり、実家へと戻ってきたのだという。
「───私が矢間さんに関してお話出来ることはここまでです」
まやのの話を聞き、中年の刑事は顎をかき、その部下は驚愕した様子で目を見開いていた。
「少し、お待ち頂けますか?」
そう言うと、まやのは客間を後にしたが、ものの数分で小さな箱を持って戻ってきた。
「それは?」
「鴉雛君から数日前に届いたものです」
「鴉雛から?」
刑事の言葉にまやのは深く頷いた。
添えてあった手紙に、もし、警察が訪ねてきたらこの箱を渡してほしいと書いてあった事を伝えると、まやのは箱を刑事らの前に置いた。
「開けても?」
「勿論です」
了承を得た中年の刑事は、差し出された箱の蓋を開けた。
「····USBですね」
「ああ。お前、今日パソコンは」
「あります!車から取ってきます!」
部下が戻るまでの束の間、刑事はまやのにいくつか質問をした。
「貴女はこれの中身を見たんですか?」
「見ていません。手紙に警察の方に渡す日まで見ないでほしいと書いてありましたから」
「突然このような物が届いて、不審に思われなかったんですか?」
「鴉雛君は故意に人を傷付けるような人ではないので」
「親しかったんですね?」
「親しい····ふふ。DENDRITICの社員で、鴉雛君を嫌いな人は居ないでしょうね─────」
「────あれ?どうしたんですか?」
「USBは預かった。引き揚げるぞ」
「え?!あ、え?」
そう言って部下からキーを取り、車に乗り込む刑事。
矢間の事は良いが、鴉雛の話を聞かなくて良いのだろうかと思いつつ、部下も助士席に乗り込んだ。
「確か、来る途中"道の駅"あったよな?」
「え?あ、はい」
「とりあえずそこまで戻ろう」
「はあ」
そうして二人は岸家を後にし、道の駅へと向かった。
20分程車を走らせ、目的地の道の駅に付いた二人。
刑事は部下に財布を渡し、飲み物を買ってくるよう指示した。
「お待たせしました」
「うん」
戻ってきた部下から財布と、アイスコーヒーを受け取り、一口飲むとまやのから預かった箱からUSBを取り出し、早速データを開くよう部下に指示した。
「うーん···動画ファイルのようですね。開きます」
「頼む」
ファイルを選択し、エンターキーを押した。
「これって····」
「────····」
再生された動画を確認した刑事は、シートベルトを締め直し、エンジンをかける。
「····捜査本部にすぐ連絡を入れろ」
「え、はい!それで、なんと···」
「鴉雛霎の捜索は一時中断。総動員で矢間宏介を捜索。見つけ次第身柄を確保。あと、家宅捜索令状も取れ。例の父親が逃がす可能性があるからな」
「はい!」
都心へと向かう車中、刑事はまやのとのやり取りを思い出していた。
まやのの話によれば、鴉雛霎は非常に勤勉で才能に溢れた青年であり、掴み所がないが、愛嬌に富み、社員だけでなく、清掃員を初め、DENDRITICに出入りする他社の者からも大変好かれていたそうだ。
電子化が進み、ライバル社に追い抜かれる事が増えていたDENDRITICが起死回生出来たのも鴉雛のアイディアや他部門への手助けがあったからだという。
そんな鴉雛が辞表届けを提出したのは3年前の冬。
あの火災で専門学校時代の友人を亡くした鴉雛は、ショックで半月程、在宅勤務という形を取っていた。
期間を終え、復帰してからはいつも通りに仕事に励んでいたのだが、本当に突然の申し出で、上司は勿論、人事部でも説得を試みたのだが、どんな条件も虚しく散り、鴉雛はDENDRITICを去ったという。
その頃、既に実家へ戻っていたまやのは元同僚からその事を聞いたのだが、事を見ていた同僚曰く、あの時の鴉雛からは並々ならぬ何か、決意のような物を感じたと。
"鴉雛君は、故意に人を傷付けるような人ではないので"
まやのの言葉通りの人物なら、鴉雛は何故こんなやり方をしたのか────
「────はい、ええ。では、よろしくお願いします」
「悪いな」
「いえ」
「なあ?」
「はい」
「もう一つ頼みがあるんだ」
ちょうど赤信号に成った所で、刑事は飲みかけだったアイスコーヒーを一口飲み、部下にこう告げた。
「お前、鴉雛霎を探してくれないか」
突然の申し出に、部下はまたも目を剥いた。
「え!でも、矢間の確保が····」
「それは今いる者に任せる。頼む」
「わ、解りました。見つけたらどうしますか?連行しますか?」
「いや、個人的に話がしたい。見つけ次第、連絡してもらえないか?」
「だ、大丈夫なんですか?」
「ああ。もしもの時には必ず責任を取る」
ここまで言う上司の姿に戸惑いはあったが、そこまで言うのなら全面協力しようと、部下も覚悟を決めた。
「あの、一つ聞いても?」
「うん?」
「どうしてまやのさんにもデータを見てもらわなかったんですか?」
部下の質問に、刑事は困った様に笑みを浮かべた。
「心の病は、落ち着き出した時こそ気をつけなきゃ駄目なんだよ····」
そう言ってハンドルを切る上司の姿に、部下は必ず鴉雛を見つけ出すと、思いを新にした。




