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十七

夜空の星は一層煌めき、水琴窟の水音が心地好く緊張感の中に安らぎを奏でる。

 静歌の話に出てくる喫茶店の焼き菓子に目を輝かせる織江の傍ら、常雪は顎を掻いていた。

 てっきり、何処ぞ鴉雛の噂を聞き付けた静歌がゲームの売買を持ち掛けたのが初対面だとばかり思っていたのに、まさか前世勤めていた会社のイベントのチケット譲渡だったなんて···今の話を聞いた上であの裏庭での会話を振り返ると、ますます鴉雛の行動が不可解でならない。

 関係者チケットの転売は通常チケットも併せ禁止。それに加え身内などへの譲渡も不可とされている。

 やむを得ず来れなくなった場合は返却か、即時処分の触れを出しているので、鴉雛が持っていたのは嘘偽りなく通常発券されたチケットだ。そこまでしておいて何故···。

「····うん?でも、そうなると、静歌様はいつ"しきおり"を?」

 やっと夢の喫茶店の脳内消化が終わったのか、今まさに常雪が考えていた事を織江は静歌に尋ねた。

「はい──」




「はあ〜···最強に尊かった♡」

 夏も終わりへと向かう夜。

 とある市民文化ホールの入口前。

 静は溢れんばかりの推しへの愛に胸ときめかせ、素晴らしい一時の余韻に浸っていた。

「───?····あれっ!?しぃちゃん!!」

 誰かに呼ばれた気がした静は辺りを見渡した。

 すると、数十メートル先から手を振り、こちらへと誰かがかけてくるのが見えた。

「しいちゃん!久しぶり!」

「うん?····ああ!文美さん!」

 声の主は、ヲタ友の文美だった。

「久しぶり!来ていたんだね♪」

「お久しぶりです♪」

「ねえ!せっかくだし、お茶でもしようよ!」

「ええ是非♡」

 久々のヲタ活に、久々のヲタ友との再会。

 高揚する静は、文美に誘われるまま会場を後にした。


 時間も時間ということもあり、飲食店のほとんどがラストオーダーが迫っていたが、何とか見つけた深夜営業のコーヒーショップで軽食と飲み物を注文し終えた二人はやっと席についた。

「いや〜。やっぱりリリバレのイベントって最高だわ♡ファンの民度も高いし」

「ですよね♪」

 文美は静より2歳上で、美容外科の看護師をしている。

 SNSを通して知り合ったのだが、同世代ということもあって直ぐに打ち解け合い、ヲタ活以外でも時間が合えば一緒に食事に行く程の仲だ。

「今回はさ···なんだろ。()()()以来初になるイベントだったからさ、荒れたりしないか心配だったけど···流石だわ本当」

「ええ···」

 文美の言う「()()()」。

 今日のイベントが開催された街から電車で二駅ほど下った街のとある大型商業施設で3年前、火元不明の火災事故により多くの命が奪われた。

 リリー・オブ・バレーのクリエイターも1名、その事故の犠牲となり、それからというもの、会社の意向でイベントは勿論、そのクリエイターが制作中だった最新作の発表も延期とされていた。

 今回例年以上にチケット入手が困難になったのも、そうした背景があったからだ。

「あ!そういえば、しぃーちゃん"しきおり"の先行予約どうだった?」

「いや、それが、最悪な事に予約日にマンションの回線工事がはいっちゃって···近くのネカフェに駆け込んだんですけど、重すぎて繋がらなくて···」

「うわ〜まじか···。私もクリニックのが電波環境良いから早めに出勤して挑んだんだけど、激重過ぎて、何回やってもロードマークばっかでさ。発売日当日に家電量販店に並びに行くつもりなんだけど···予約特典のクリスマスイベント優先予約チケット欲しかったのに〜」

「そうなんですよ!優先チケットだからって良席とは限らないけど、席は確保できるじゃないですか?イベントがあるのは嬉しいけど、チケ発考えただけで憂鬱ですよ···」

「どうする?チケ発祈願に神社に御参りに行く?」

「あ!それいい!絵馬とか書いて♪」

「いいね!いいね!」

 そう。どんなに辛いことや挫けそうな時でも、心から楽しめるこの一時があればまた頑張る事ができる。 

 二人は注文していた軽食をつまみながら、オタク談議に花を咲かせた。


 話も一通り落ち着いたところで、3杯目のアイスカフェラテを飲んでいた文美が何か思い出したようで、辺りをきょろきょろと見回してから向かいに座る静に手招きした。

「どうかしましたか?」

 促され体勢を文美の方へ傾けた静。

 すると文美は、自分の口元を隠すように手を添え、声を潜め、静にこう訪ねた。

「ねえ?しぃーちゃんあの噂聞いた?」

「噂?」

「"しきおり"の()()()を売っている人が居るって噂」


「ええ!!!」


 文美の言葉に思わず静は口を手で覆い、驚声を必死に抑えた。

「···知らなかったんだ」

「え、だって···発売来週ですよね?どうしてそんな···」

 確かにゲームの先行予約は終了した。だがそれだけあって、一般発売も含め、購入者達の手元にゲームが届くのは丁度1週間後の来月頭。にも関わらず、コピー品が出回るなんてどう考えても有り得ない。

「だよね···うーん。やっぱり予約落ちした一部の過激派さん達が流したデマかな~」

「···あの〜」

「うん?」

「因みに、どういう?」

 信じ難い事だが、どんな内容だったのか気になった。

 文美は飲んでいたアイスカフェラテをテーブルに置くと、改めて詳しい内容を静に説明した。


 文美の聞いた話によると、噂が出回り始めたのはつい最近で、今回のイベントの発券が始まった頃。

 地方住みのオタクAさんが、発券したイベントチケットをSNSにUPしようと携帯のカメラで写真を撮ったのだが、うっかりライトをオフにするのを忘れて撮ってしまい、画像を削除しようとした時、整理番号の下辺りに、何か文字や数字の様なものが見えた。

 光の反射だろうかと、Aさんはカメラのライトを点灯させチケットの端から端までを照らしながら写真に写り込んだ文字と数字を探した。

 すると、やはり整理番号の下あたりに6桁の番号と、「困った時は、この番号を検索バーに。必ずお力になります」と、意味深なメッセージをみつけたのだ。

 Aさんは気味が悪いと、チケットの発券会社に連絡しようと思ったが、連絡を入れれば間違いなくこのチケットは確認調査のため回収される。ソールドアウトしているから対応はチケット代金の返金のみ。そうしたらイベントに参加することが出来ない。そんなのは嫌だ。

 気味は悪いが、ライトを当てなければ見えやしない。

 Aさんは発券会社への連絡を止め、チケットを財布に締まった。

 暫くして、リリバレファン待望の最新作『四季折々〜愛し君へ〜』の先行予約の日が訪れ、Aさんも例外なく、予約開始同時にオフィシャルサイトにログインした。

 しかし、残念ながら静ら同様、予約ボタンを押すことすらできず、先行分のしきおりは完売してしまい、近隣に大型の家電販売店も、ゲームショップもないAさんは失意のどん底にいた。

 そんな時、ふと()()の事を思い出したAさんは、入金手続きのために出しておいた財布の札入れにそっと手を入れた。



()()()()()()()()()



 もし、新手のフィッシングサイトや何かであっても、直ぐに消せば問題ない。

 Aさんは藁にもすがる思いで検索エンジンに例の6桁の番号を入力し、エンターキーを押した。



 すると、一件だけ検索にヒットしたサイトがあった。

 『木瓜の救急箱』

 Aさんは迷わずそのサイトをクリックした。

 開いてみると、そこにはよくSNSにある『質問箱』に極似したものが貼り付けてあって、その上にはチケットに書いてあった言葉が記してあった。

 あまりにも簡素な有り様に、Aさんはあの日の気味悪さを思い出した。

 けれど、一か八か、この馬鹿馬鹿しい存在に頼るしかない。

 Aさんは【リリバレの新作ゲームが欲しい】と打ち込むと、その下部にある送信ボタンをクリックした。

 その後暫く様子を見ていたが、何やら怪しいメールが届くわけでも、PCに不具合が起きるわけでもなく、操作を終えた『質問箱』のようなものは、最初のまっさらな状態に戻っていた。




「────そ、それで?」

 文美の話に夢中になっていた静は、その後のAさんがどうなったのか、続く言葉を待っていた。

 一方の文美は、話しながら3杯目のアイスカフェラテを飲み干してしまい、ちゃっかり追加注文した4杯目のアイスカフェラテにストローを挿していた。

「うん。結局その日中に何か起きることは無くてね、新手の悪戯?だったのかなって諦めてふて寝たらしいの」

「そう···なんですか···」

 噂の事を抜きに、メッセージを送った後の展開が気になって仕方なかったのに何だか残念だ。静はしょんぼりと溜息をついた。

「ふふ。───なんだけどね♪」

 4杯目のアイスカフェラテを一口。乗ってきた様子の文美が再び話を切り出すと、しょんぼり顔が一転。静の目に好奇心が輝いた。

「やっぱり気になって、次の日、仕事から帰ってもう一度そのサイトに飛んでみたんだって。そしたら、今度は『質問箱』の代わりにメッセージが書いてあったの」

「なんて書いてあったんですか?」

「うん。それがね、またちょっと気味悪くて、日付と時間と···あとは場所しか書いてなかったんだって」

「え?いきなり?」

「そうなんだって。何処だったけかな?···あ!そう!S街の喫茶店!」

「喫茶店?なんか意外···」

「だよね?そういうのって、ほら?ゲームやドラマだともっとこう、人気の無いところで夜ってイメージじゃない?噂だとしても中々大胆だよね〜」

 本当に大胆な行動だ。

 カラオケのような個室ならまだしも、喫茶店なんて。

 席によっては外から人目に付くだろうし、そうでなくても大人がこそこそとやり取りしていれば他の客の目を引く。

 いやでも、チケットにそんな細工が出来てしまう人物ならゲームディスク1枚の受け渡しなど造作もないことなのか。

「あっ!!」

 そんな静の思考を遮るように、突然、文美が何か思い出したように声を上げた。

「どうかしました?」

「ごめ〜んしぃちゃん。明日、朝一でカンファレンス入ってたの忘れてた···誘っておいて申し訳ないんだけど、御開きにさせてもらえるかな?」

「へ?···あ、ああ!勿論、勿論!」

「ありがとう〜。あ!支払い私がするから!」

「え?!そんな気にしないで···」

「ううん!いいのよ!確実に私のがオーダーしているから。ね?そうさせて?」

 こうなってしまったら文美は絶対に退いてくれない。

 静は渋々、伝票を文美に渡し、二人は席を立った。


 その後、タクシー乗り場まで文美を見送った静は幸いにも、最寄りまでの最終バスに乗ることが出来た。

 時間が時間なこともあり、乗客は10人にも満たない。いつもより高めのヒールに疲れていた静にとって、この上なくありがたい事だ。

 乗降口から少しだけ後ろの席に付くと、窓の外を眺めながら、静はコーヒーショップで文美から聞いた話の事を思い浮かべていた。

 ただの噂話。

 けれど、それにしてはあまりにも内容が細かすぎる。

 光を当てると浮かび上がる文字に関しては若干のオカルト要素を含むが、そこを抜きにしても単なる噂に納まる事ではないと静には思えて仕方がない。

 SNSが普及した今、企業ならまだしも、個人ホームページのような物まで用意しておくなんて、相当前から計画していたとしか···─────


(───···ううん。久々に"221♢B"ばっかやってたせいで推理脳になっちゃってるだけかな)


 "221♢B"はリリバレの代表作の一つで、あのコナン・ドイルの名作『シャーロック・ホームズ』をベースに作られた乙女ゲームだ。

 イベントが近づくと、過去作品をリプレイするのは静の昔からのルーティン。

 "221♢B"はヒロインと対象キャラクターの恋愛は勿論、謎解きゲーム要素も多分に含まれている。

 その影響でただの噂話を、壮大なミステリーのように思ってしまったのかもしれない。きっとそうに違いない。

 バスの揺れの心地よさに、白旗を上げた脳は、静の目にそっと瞼を降ろした────





「───···何故ですか?」

「え?」

 悲しげな表情でそう問うてくる織江に、静歌は突然どうしたのかと戸惑う。

「静歌様のお話を、聞けば、聞くほど、常雪様が前世で残されたゲームをどれだけ敬愛されているか伝わってきます。それなのに・・・何故、法に反する事を?」

 問われた静歌は、後ろめたさに身をこわばらせる。

 応えたくない。しかし、応えなければもっと自分が嫌いになると静歌は解っていた。

「─────魔が···差したのです····」

 そう言うと、静歌は先までの話の続きを二人に聞かせた。




「···───申し訳御座いませんっ!!!こちらのお客様で販売を終了させて頂きますっ!!!」

「────うそ···」

 ゲーム発売日当日。

 始発で来て並び、5時間以上待機したというのに、無常にも静の3人前で"しきおり"は完売。販売は終了となった。



【諦められなくて首都店舗周ったが全滅。・゜・(ノД`)・゜・。】



【しきおり買えなかった。せっかく夜バスで来たのに···】



【目の前で完売は詰んだ】



 とぼとぼと来た道を帰りながら、少しでも心にぽっかり空いた穴を埋めたくて、静はSNSの同士達のツイートをぼうっと眺めていた。

「───あ。文美さん買えたんだ」

 書き込みを見た静は、直ぐに文美に連絡を入れた。

 すると、メッセージを見たであろ文美から電話がかかってきた。

「もしもし」

「あ、もしもし。お疲れ様〜。どうだった?」

「それが、あとちょっとで売り場ってとこで···」

「完売?」

「はい···」

「そっかあ〜。あ、ねぇ?しぃちゃんこの後お仕事?」

「いえ、今日は有給取りました」

「本当に?私も今日はオフなんだけど、良かったら一緒にブランチしない?」

 人と会う気分ではなかったが、帰っても鬱々とやけ酒を飲むくらいしかすることも無い。

 それに手に入らなかったが、ゲームのパッケージだけでも実物を見てみたい。

 静は普段滅多に使わないタクシーに乗り込むと、文美の居る街へと向かった────。

 

「────?あ!しぃちゃん!!」

「文美さん」

「お疲れ様〜」

 平日とはいえ、昼時は混み合うS街。

 文美は駅近くのファミレスで席を取ってくれていた。

「ごめんね、わざわざこっちに来てもらっちゃって」

「いえ。私の居たほうだと殆ど居酒屋さんばっかなんで」

「ありがとう〜。やぁ〜···しぃちゃん待っている間ネトサしてんだけど、もう全国的に完売続出」

「うわあ···さすがリリバレ····」

「しかも今回は全リリヲタの待望作だったからな〜。私もギリギリ買えたんだけど、次の人が売り場通された瞬間終了」

「私、あと3人てとこで完売で···はぁ〜」

「うわあ、一番嫌だよねそれ?私、"式部伝"の時に全くおんなじ事あったから···」

「懐かしい〜。アレも相当大変でしたよね?」

「しかもさ、あの時はリリヲタだけじゃなくて、当時話題に成っていたボーイズグループの1番人気の子をゲストキャストにしていたじゃない?それも相まって倍率やばかったし、リリヲタとそちらの界隈の過激派が揉めてさ、私のずっと後に並んでいたその子のファンが、会計終わりのリリヲタさんからゲーム奪い取ろうとして、もう警備さん三人がかりで仲裁。昔の国会中継映像さながらだったよ···」

「····っふ」

 急に吹き出した静に、文美は不思議そうに小首をかしげた。

「?どうかした?」

「ごめんなさい。もう、私ったら不謹慎」

「え?」

「ほら、その様子を動画にしていた人が居て、袋を取り合う二人を見ている人集りに文美さん····っふふ。すっごいドン引きした顔の文美さんが映り込んじゃって、一時期文美さん身内の間で時の人になったじゃないですか?それをつい、思い出しちゃって」

「ちょっ!もう、止めてよ〜!あれ凄く恥ずかしかったし、職場でも散々弄られたんだから!」

 そう言って恥ずかしそうにする文美の姿に、落ちた心も自然と和んでいく。

 やはり来て正解だったと、笑顔のしたで静は文美に感謝した。

「ふふふ。あ!文美さん良かったら買ったゲーム見せてもらえませんか?せめてパケだけでもみたくて」

「勿論!勿論!えっと···」

 文美は大きめのサブバッグから購入したゲームを取り出すと、念願の最新作との対面に胸を高鳴らせる静の前にそっとそれを置いた。

「はい♪」

「わあ〜!公式でも発表されていたけど、やっぱり実際のパッケージは格別だな〜」

「わかる〜!キャラクターの並びとか最高だよね!」

「はあ〜···やっぱり常雪カッコイイ♡」

「しぃちゃんキャラデザでた時から推してたもんね♪」

「はい♪わあ〜クリスマスのイベント絶対行きたい〜」

「チケ発頑張ろう!」

「はい!あ、ありがとうございます!大事なゲ──」


「────きゃあっ♡ありがとうございます!!あ、でも、良かったんですか本当に?」

「良いの。良いの。私、ゲーム興味ないから」


 仕切り越しに聞こえてきた会話に、静は身を凍らせた。


「あ、そうなんですか?じゃあ、なんでわざわざ?」

「うん?ああ。これ買うとクリスマスにあるイベントの選考予約チケット入ってくるじゃん?それが欲しかっただけ」

「ああ、成る程····声優さん目当てとかですか?」

「そう。なんだっけ?ああ、その()()?てキャラの役の」

「ああ、あの方、最近ファッション誌とかでも良く取り上げられてますよね」

「そうそう♡やっぱりさ、絵より生身の男のがいいじゃん?」

「あ···ははは、まあ、そう、ですか、ね?」

「でも大変だよね~。ニュース見たけど始発で並んでいた人いたんでしょ?」

「え?ええ····」

「そんなの()()にでも頼めば良いのに」

「は···あははは、まあ···」

「ふぁ〜···眠くなってきちゃった···」

「ああ!お仕事明けでしたよね!じゃあ、これ···」

「···2、3、あれ?ちょっと多くない?」

「あ、それはほんの気持ちです」

「え~♡ありがとう♡あ、ここ私払うわ」

「あっ!いえ!そんな!」

「良いよ。モーニング2人分ぐらい。じゃあね~♡」

 そう言って伝票を手に席を立った女は、明らかに夜を纏い、見なくても解るほどの残り香が通路に充満した。

「うわあ···本当にチケ抜きする人っているんだ。まあ、お金出しているわけだし、責め立てる気は無いけど···こんな大っぴらに。しかもあんな言い方、相手さんに失礼だよねぇ?しぃ····ちゃん···」

 レジの方へ去っていく女を見ていた文美が、視線を戻すと、先までの和やかさは消え、静は今にも泣き出しそうな、悔しげな表情を浮かべ身を震わせていた。

「しぃちゃん。お店変えよう。それか家に来ても良いし、ね!そうしよ!」

 そう言いながら身支度をし、伝票を手にしようとした文美だったが、それを遮るように伸びた静の手が伝票を掴み取った。

「····ごめんなさい。私、今日はこれで」

 そう言って静は逃げるように席を立ち、会計を済ませると文美を一人残しファミレスを出ていった────



「────家に着くまで、私はずっと、その人が言った言葉が頭から離れなくて、悔しくて、悲しくて、自分の全てを否定されたような気持ちで堪らなくて····」

「静歌様···」

 静歌の常雪への敬意と憧れに嘘はない。だからこそ、当時を思い、今も歯痒さに身を絞めるその姿が痛々しく、織江は堪らなかった。

「それで思い詰めた貴女は「木瓜の救急箱」の管理人···鴉雛に再び会うことになったのですね?」

 常雪の言葉に、静は俯いたまま深く頷いた。

「今思えば、どうしてあんな事を···。でも、当時の私はなんとしても"しきおり"を手に入れたい。そうしなければ劣等感に押しつぶされてしまうと、気がついた時には保管しておいたチケットを片手にメッセージの送信ボタンをクリックしていました」

 それからは静歌の友人が話していた通り、翌日、待ち合わせの指示が掲示され、取引の対価が解らなかったので一先ず5万円を用意し静歌は待ち合わせ指示された場所へと向かったという。

「やはりS街のどちらかで?」

「いえ。私はイベントが開かれた市民文化ホールのカフェテラスでした」

「え?またそんな、人目に付く場所で···」

「いや、逆だ」

「逆?」

「先入観を逆手に取ったのだろう」

 常雪の言葉に織江ははっとした。

 そうか、そんな所でまさか違法な取引をしているなど誰も思い至るわけがない。端から見れば友人や恋人同士がお茶をしている風にしか見えない。

 ましてや喫茶店で他人の動向を気にしながら過ごす人などいやしない。

 周りを小馬鹿にしたやり口に腹は立つが、チケットへの細工諸々、やはり鴉雛という人物はかなりの曲者だと織江は再認識させられた。

「全く···それで静歌姫。鴉雛にいくら請求されたのですか?」

「····に····2960円」

 申し訳なさそうに静歌が発した金額に、常雪と織江は驚きのあまり、思わず顔を見合わせた。

「お待ち下さい!私は、ゲームの類いには疎いのですが、映画のDVDでもそれ以上はしますよね?」

「···はい」

 二人の遣り取りを見ていた常雪は、再び顎を掻いた。

 あの裏庭で鴉雛を問い詰めた時、複製品を作ったのは金欲しさ故だと言っていた。

 それが本心であるなら、少なくとも原価の倍以上の金額を請求するはず。

 それがゲーム相場の半値以下だなんて···こうなると、やはり鴉雛の思惑は別に有るという事になるのだが、それがどうにも解らない。

「ちなみに、取引時、鴉雛は何と?」

「はい。私のほうが先に待ち合わせ場所についていたのですが、霎さんはさほど驚いて居ないようでした。···それもそうですよね。私が買ったチケット、元は霎さんのものだったわけだし···それで、席について飲み物をオーダーすると霎さんはB5サイズくらいの封筒を、私の前に置きました――――」

 差し出された静歌は、緊張と、高揚感に声を震わせながら鴉雛に代金はと尋ねたそうだが、カフェでの代金と、行き帰りのタクシー代金だけで良いと言ったそうだ。

 それではあまりにもと静歌は増額を申し出たが、「君がくれたお茶が美味しかったから」とはぐらかされてしまったそうだ。

 あまりしつこくしてもと思った静は、用意しておいた封筒に3000円を入れ、鴉雛に渡した。

 それを受け取ると、鴉雛は静歌に2点だけ注意をした。

 一つは、今後のやり取りは複製品にプログラミングしたチャットを利用する事。

 もう一つは、この一連の遣り取りを絶対に口外しないこと。特に鴉雛の素顔を知っている静歌にはその点を特に気を付けるよう念押しされ、言い終えた鴉雛はオーダーしたアイスミルクティーを飲み干し、先に出ていったという。

「でも、それだって、実質0円みたいなものなんです」

「え?!」

「姫、どういう事ですか?!」

「はい。私も、霎さんがお店を出てから一息ついて、そろそろ出ようと会計に行ったら、追加したドリンク代金しか請求されず、お店の方に聞いてみると、先の注文分はお連れ様が支払って下さいましたので。と言われて···それに家に着いて受け取った封筒を開けたら"式部伝"のイラスト集まで入っていて···」

「"式部伝"?と、は、····」

 新しく出てきた単語に明らかな戸惑いを見せる織江。

 それを見た常雪が助け舟をだす。

「"式部伝〜君求めしたためる物語〜"。私が勤めていたリリー·オブ·バレーの乙女ゲーム(作品)の一つだ」

「そうです。そして、その"式部伝"こそ、常雪様がゲームクリエイターとしてデビューされた代一作目の作品なのです」

「そうなのですか?!」

「ああ。私が入社して初めて企画、原案を任された作品だ」

「はい。乙女ゲームに限らず、恋愛シミュレーションゲームの殆どが学園を舞台にした物が主流だった中、古典文学の世界を題材にした"式部伝"はリリバレのヒット作となり、ゲームソフトは勿論、関連グッズも全て完売、入手困難となりました。特にイラスト集はレア中のレア。プレミア価格も年々上がっているのです」

「ち、ちなみに、今、あちらの世界でそのイラスト集は如何程で?」

「私が拝見した専門のディスカウントショップだと、約15万円でしたが、それもだいぶ前のこと。今は、倍以上するやもしれません」

 ゲームの類いに疎い織江は、静歌の口から出てくる言葉と莫大な数字に白目を向きそうになった。

 ゲーム本体も決して安価なものではないのに、グッズまでもがプレミア価格で売買されるなんて。二次元の世界は奥深く、知れば知るほど対価は計り知れない。

 しかも、あの曲者の鴉雛がそんな高価なものを静歌に贈るなんて。彼がやった事はさて置き、そもそも悪人なのか、善人なのかすらも解らなくなってきた。

「あいつは本当に、何がしたいのだ···」

 全く同じ事を思ったのだろう。常雪も織江の傍ら、呆れたように深い溜息をついた。

 しかし、二人は確信した。

 どうしてかは解らぬが、鴉雛は静歌を特別視している。

 であるなら、やはり鴉雛への取り次ぎは静歌にしか出来ない。

 常雪は背筋を伸ばし、改めて静歌に懇願した。

「静歌姫。今、誰より鴉雛と関わりをもちたくないのはこの常雪、重々承知しております。しかし、やはり私達の世界を、"しきおり"を守り救うには貴女の御力を借りる他にないのです。どうか、お力添えを」

 そう言って深々と頭を下げる常雪。それにならい、織江も静歌へ頭を下げる。

「っお、御二人共、どうかそのような!顔をお上げくださいまし!」

 頭を下げられる立場にない静歌は、大慌てで二人に言かけるが、常雪も織江も一向に頭を上げようとしない。

 どうしたらよいのか。

 静歌はしばらく考えたが、今心に在ることを伝えた。

「常雪様の仰るように、こんな事になった今、霎さんへ連絡するのはとても緊張します。でも、こうなってしまった一端を負った者として、出来る限りの事をさせて頂きたいと思っております」

 静歌の思いを聞き、二人はようやく顔を上げ、先ずは一歩、前進したことに安堵を浮かべた。

「それでは、早速···」

「···姫、お待ちを!」

「え?」

 行き勇み、部屋に戻ろうとする静歌を常雪が止める。

「あちらの世界の時刻は解りませぬが、こちらはもう夜も更け込みましたし、そろそろ御父上様も宴会場から戻られるでしょう」

「でも···」

「今宵はあくまで、協力の願いに参っただけですので」

 早くなんとかしたい。けれど、やたらせっかちに行動すれば、こちらの住人である常雪達に返って迷惑がかかってしまう。

 常雪の言葉をを受け、思い直した静歌は、出した足をゆっくりと退いた。

「でしたら、せめて門までお送りを···」

「あ、いえ。ここで。()()での事もありますし、家臣の方々に誤解されては姫も大変でしょう」

 突然の一言に、静歌の頬にかあっと朱が走る。

 勿論、それに気がついたのは織江だけで、とうの常雪は全く気が付いていない。

 紫烏の事といい、もしかしたら我が主は、超ド級の人たらしなのではなかろうか。

 空の星を見上げながらそんな風に織江は思った。

「それでは、私達はこれにて···あ」

「···?ど、どうかなさいましたか?」

 去ろうと踏み出した瞬間、常雪が何か思い出したように振り返り静歌にこう告げた。

「静歌姫」

「はい?」

「私の作ったゲームを好きでいてくれて、ありがとう」

 それだけ言うと、常雪は茶室を後に歩き出した。

 その瞬間、背後からただならぬものを感じた織江。

 恐る恐る振り返ってみると、"推し"から授かった言葉に胸ときめかせ、今にも天へと飛び上がってしまいそうな程の高揚感に静歌は身悶えしていた。

「ええっと···そ、それではまた改めて、失礼致します!!」

 あの悶えには覚えがある。

 まるで逃げる様に、織江は常雪の後を追った。



「────そんなに息を切らして、どうした?」

 まさか自分が言ったたった一言に、中庭に残る姫君が悶絶しているなど夢にも思わない常雪は、ぜえぜえ言いながら着いてきた織江を不思議な顔で見ていた。

「だって···もう、常雪様?」

「なんだ?」

「常雪様は昔の常雪様ではないのですから、もう少し距離感といいますか、御言葉を選ばないと」

「うん?私は何か変な事を言っていたか?」

「や、だからそう···はあ···」

 だめだ。やはり全くの無自覚だ。

 この調子では、今回の件が解決しても、"夜会の乱、再び"に成ってしまう。

 そうなれば、紫烏の怒りはあの夜の非ではないだろう。

 想像しただけで織江の背筋に悪寒が走る。

「おい、大丈夫か?震えているようだが?」

「だ、大丈夫、です···」

「なら良いが····うん?あれは····」

 織江の奇っ怪さが気になりつつも、ふと目前の門に目を遣ると、人影が見えた。


「···────水浅殿?」


 その名を聞いた瞬間、織江の鼓膜が震え出す。

 常雪の視線を追うように目を遣ると、灯籠の柔らかな明かりの中、こちらを向く人の姿に胸が高鳴る。

「常雪君、織江殿こんばんわ」

「こ、こんばんわ····」

「水浅殿、なぜこちらに?」

「ええ。せっかく夜も賑わっているので、織江殿と街を巡ろうかと風見家へ伺った処、家令の方がこちらにと」

「そうでしたか。御足労おかけして申し訳ありません」

「いえ。ご要件はお済みに?」

「はい。今丁度屋敷に戻ろうかと」

「そうでしたか。では、織江殿を御連れしても宜しいでしょうか?」

「······────っ、へ?」

 つい恥ずかしくて、ろくに二人の話が聞こえていなかった織江は、天青の提案に戸惑いを見せる。

「お嫌でしたか?」

「へっ?いえ!!あの、い、嫌だなんてそんな!そんな事は無いのです、が、ああ···」

 嫌なわけがない。

 しかし、こんな時に想い人と呑気に街へ繰り出してよいのだろうか。屋敷に戻ったら、鴉雛との話し合いに向けての策も話し合わなくてはならないし。と、織江の側仕えとしての使命感と、乙女の願望がせめぎ合っていた。

 普段見ることのない織江の姿に、常雪はくすりと笑い、本日二度目の助け舟を出す。

「織江。せっかくのお誘いだ。行って来い」

「····よ、よろしいのですか?」

「ああ」

 その言葉を聞いた途端、織江の目は歓喜に輝き、照れ臭そうな笑顔は多幸感に満ちた。

「では、参りましょうか織江殿」

「···はい♪」

 妹を送りだす兄のように、連れ発つ二人を見ていると、突然、天青が足を止め、振り返り常雪に助言した。

「常雪君も、夜景を眺めながらゆっくりと帰られた方が良いですよ」

「は?」

「何やら、随分と御屋敷が()()()でしたので」

 その一言だけで、大体の事を察した常雪は、聞いて良かったような、聞きたくなかったような複雑な表情を見せた。

「はは。では」

 そう言って会釈すると、一体どうしたのかと自分を不思議そうに見詰める織江を連れ、天青は夜の街へと去っていった。

「はあ〜···きっと母上あたりが何か思い付いて皆を巻き込んだのだろうな···」

 直ぐに紫烏は無事だろうかと案じたが、幸い今夜は宝珠も一緒だ。それに抑止力になるかは解らないが一応、璃雪()もいる。

 それに、今日は頭も心も使い巡った一日だった。

 このまま家に帰れば、休まる時も得られない。

「っふ。仕様がない。水浅殿の助言通り、少し遠回りをして帰るか」




「じゃあさ、一緒に散歩でもしない?」




 いつから居たのか。

 隣から漂う存在感に緊張するも、それ以上に、今このタイミングで姿を見せた事が腹立たしくて仕方がない。


 睨みつける常雪。

 その意に反し、月下の元、鴉雛は満面の笑みを浮かべていた。

 

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