十五·五
空には星が映り、連邦国家三カ国の来賓を迎えた篝の街は、昼にも増した賑わいを見せていた。
その一方、領主である風見家の食卓は、なんとも言えぬ重々しい空気が立ち込めていた。
「───ええと・・・あの。お、御味どうかしら?」
向かい合い夕食を共にする客人に黝簾はぎこち無い笑顔で問いかける。
「やあ、今年の鮎は絶品でな。是非食べてもらいたくて、一番良いものを朝のうちに手に入れたのだが・・・あー。ど?どうだろうか、な?」
気を回す妻に加勢しようと、唯雪も懸命に語りかけてみたが駄目だ。
客人は遠い目をしたまま、茶碗の米を一口、また一口。
まるでカラクリ人形のような不気味さに、傍で見ている者達は肝を冷やしていた。
見兼ねた黝簾は夫の袖元をくいとつまみ引き、それに気がついた唯雪は妻に顔を寄せる。
「ねえ?あんなに食べているのだから、美味しくないわけではないのよね?」
「ううん···だと思うが···せっかく遠路遥々来たのに米だけでは···」
領主として、大人として、客人に炊いた米しか食べて貰えなかったではと、夫妻は互いに小さな溜息をついた。
「紫烏!いい加減にしないか!」
淀み込む空気に一刀を切り込んだのは、刈安は神王補佐官、茅亥宝珠だった。
「まあまあ宝珠。そう叱らんでも···」
「いいえ唯雪様。皆様の手前我慢しておりましたが、もう堪忍なりません!」
従兄の叱咤など何処吹く風か。
この重々しい空気を作り出した張本人、刈安王女·茅亥紫烏は表情一つ変えることなく米を口に運び続ける。
「刈安神王の娘、しかも成人した身で何時までも子供のように拗ねて、みっともない···」
宝珠のその一言に、紫烏は動きを止める。
「───みっとも···ない?」
「ああ!」
容赦のない宝珠の返答。
悔しい程真っ直ぐなその目が、紫烏の気を逆撫でる。
「────っ璃雪様!!!」
「っはい!」
矢の切っ先よりも鋭い紫烏の怒声が、両親の隣で身を潜めていた璃雪に放たれる。
「常雪様に言伝して下さると、そうおっしゃいましたよね?」
「ええと···伝えたんだけど、どうたしても行かないといけないみたいで、止めるに···止められず···っひ!」
問い詰める紫烏はまさに獲物を追い込んだ虎。
璃雪は逃げ場を失った仔鹿のようにかたかたと震えている。
「紫烏!璃雪にあたるんじゃない!仕方無かったと何度も話しただろう」
「だって!」
「「だって!」ではない。全く···だから大人しく刈安に居ればよかったものを···」
「それは····」
正論を重ねられ、言い返す言葉も見つからず、紫烏は唇を噛み締める。
宝珠とて、紫烏がどれだけ今日という日を楽しみにしていたか解っている。
しかし、それとこれとは別。
父母をなくし、生きていて良いのかと悩み、苦しんでいた自分を救ってくれた唯雪を始め、風見家には返しきれぬ程の恩がある。
例え憎まれようとも、これ以上、紫烏の身勝手を許すわけにはいかない。
友の苦悶に気持ちを整え、璃雪が紫烏に語りかける。
「紫烏ちゃん?常雪も本当は紫烏ちゃんに逢いたかったと思うよ」
「···」
「ごめんね。僕は常雪のお兄ちゃんだから、どうしたって庇うような言い方になっちゃうけど、紫烏ちゃんが素敵な王女様に成ったように、常雪もこの利休、篝を担う立派な役人の一人なんだ」
璃雪の言葉に、噛み締めていた紫烏の口元が少しずつ解けて行く。
「出掛けざまに夕食の話をしたら、本当に残念そうな顔をしていたよ」
解っている。
自分が癇癪を起こすことが筋違いで、まだ連邦国家として歴史浅い東において細やかな公務がどれだけ重要な事か。その一端を担う常雪も、ここに居る誰にも落ち度がない事も、本心では紫烏も理解しているのだ。
「ねえ、紫烏ちゃん?」
申し訳なさそうに身を縮こませる紫烏に、今度は黝簾が語りかける。
「私の息子達はね、本当に優しいの。誰に対しても、本当に優しい、自慢の息子達よ」
「···はい」
「───あの見目、貝寄風の姫様に惹かれる殿方は沢山居るでしょう」
真を突かれ、紫烏の鼓動が焦り走る。
そう。黝簾の察しの通り、今回、無理を言って篝にやって来たのは、今様の代表団と共に静歌も利休に入港すると聞きつけたからだ。
蓮峰海儀の後から、紫烏は静歌の事が気になって仕方なかった。
お披露目の夜、一瞬にして宴の参加者を魅了した静歌。
男達が我先にと群がろうとする中、誰でも選べただろう彼女が選んだのは自分が恋慕う常雪。
それだけでも堪らないのに、腕を絡め、止める紫烏を物ともせず、常雪を連れ去った彼女の積極性。あの時は嫉妬したものの、天青と織江、璃雪や宝珠の助けで事なきを得たが、国に戻ってからというもの、紫烏の心は不安でいっぱいになっていた。
もしも、静歌が常雪に逢いに行ったら?知り合う内に常雪が静歌を想うようになったら?
自分でも下らない、そんな事あるわけがないと言い聞かせ、誤魔化して、その内に考えなくなる事を願っても、どうしても嫌な事ばかりちらついて····。
常雪に逢いたい。逢えばこの不安も消えてくれると、そう思っていたのに····。
泣いてはいけない。泣いては····。
これ以上、皆に迷惑をかけてはいけない。
一国の王女が、恋煩いで泣きじゃくるなど···。
そう自分に言い聞かせ、紫烏は込み上げる涙を必死に堪えるが、反動で肩が震えてしまう。
すると突然、黝簾が勢いよく立ち上がり、紫烏の元へと歩み寄ると、立て膝を付き、震える両肩を想い切り掴みこんだ。
「───っ!!」
咄嗟の事に、紫烏は思わず顔を上げた。
悲哀に充血した蜷色の瞳を、黝簾の菫色の瞳が捕らえる。
「紫烏ちゃん。常雪のこと、好き?」
何を言い出すか、黝簾の突飛な問にその場に居る全員が目を見開いた。
「···え、ちょっと、お母さん?今それを聞くのは──」
「───っ黙りゃ!!」
黝簾の一喝に、母を止めに入ろうとした璃雪は勿論、唯雪と宝珠の背筋にも緊張が走る。
「で、どうなの?」
「わ、私は···」
そんな事を、どうして今更。
問われる紫烏だけでなく、皆がそう思った。
黝簾はたじろぐ紫烏を前に、ゆっくりと目を閉じ、そして開いたと同時、先よりも強く恋悩む乙女の瞳を見詰めた。
「紫烏ちゃん、皆解っているわ。でもね、"解ってもらえているだろう"じゃ駄目なの。貴女自身が、しっかりと、自分の言葉で伝えなくては何も始まらないのよ?」
耳の奥に、鼓動が響く。
先ほどの焦りや不安の音ではない。
一粒の種が芽吹き、天へと伸び上がってゆくような躍動。
そう。
皆、自分が常雪を慕って居ることを解ってくれている。
だから何も心配することはない。
時が来れば、自然と、互いに思い合う様に成るのだろうと、知らぬうちに自分の恋を、他人任せにしていた。
あの夜、自分の想いを皆にはっきりと示した静歌の強さに、子供の頃から常雪の側にいたのに、自分は今まで何をしていたのだと。
挙げ句には、その事実を受け容れられず、溢れたかえった不安を静歌へ転嫁させ、自分は生温い水底へ逃げ込もうとしていた事に、紫烏はようやく気が付いたのだ。
心実から逃げては行けない。
受け入れ、踏み出さなくては···。
「────です···」
応えを待っていた黝簾。
しかし、肝心なところが聴き取れない。
「今、なんて?···」
緊張から口元がかじかむ。
大丈夫。そう自分に言い聞かせるように深く息を吸い、心配そうに見詰める黝簾に届くようにと、願いを込め、もう一度、紫烏は自分の想いを告げた。
「好きです。初めて常雪様とお逢いした日から、私はあの方をお慕いしています」
先までが嘘のような決意に満ちた紫烏の表情。
蜷色の瞳に宿った意思の輝きに、黝簾は安堵の溜息を漏らし眼尻をほころばす。
「──ええ。解っていたわ···ありがとう」
そう言いながら頬を撫でてくれる黝簾に、紫烏もようやく何時もの笑顔を浮かべた。
「良し···さ!気を取り直して···うん♪ねえ?悪いんだけど、一回御膳全部下げてくれないかしら?」
感動的な遣り取りも束の間、何か閃いたらしい黝簾が侍女に指示を出す。
「は···全部?」
言われた侍女は戸惑った。
何せ今までの事で、誰もろくに食事を出来て居なかったのだ。
しかし、黝簾は何故か上機嫌で話を進める。
「そうよ♪で、手のついてない鮎と、煎り胡麻をまだ御釜に残っているご飯に入れて混ぜご飯にして、それをおにぎりにして頂戴♪」
妻の勢いに圧倒されていた唯雪も、さすがに心配になり声をかける。
「黝簾?一体何を···?」
「うん?殿も好きでしょ?鮎の混ぜご飯♪」
「や、たしかに好きだが···」
「あ!他のおかずは大きめの器にまとめて、取箸と、あと人数分の取皿を用意してちょうだい♪」
疑問は残るものの、こうなった黝簾を誰も止められるわけもなし、侍女は黝簾の言い付け通り、人を呼び、急いで膳を下げるよう指示を送る。
「あ!!あと、お酒も持ってきて!!」
「かしこまりました···ええと···おいくつ?」
侍女の問に、黝簾は不思議そうな顔で首をかしげる。
「いくつって···うん?」
どうしたこと、黝簾は侍女の言葉の意味が理解できぬようで小首をかしげる。
「いえ、ですから、その···酒器の用意もございますし、召し上がらない方も···」
「え?全部よ?」
またまた予期せぬ主の返しに、侍女の困惑も頂点に達しようとしていた。
「申し訳ございません···全部とは?」
またまたまた困り顔で尋ねてくる侍女。その姿に頬を膨れさせ、焦れったそうに黝簾はこう告げた。
「うんも〜!甘口、辛口、家にあるの全部一升ずつよ!」
その言葉に侍女は勿論、全員が信じられないといった様子で大きく目を見開いた。
これはとんでも無い事に成るのでは···そう思った璃雪は父に母を止めるよう頼もうかと視線を飛ばすが、時すでに遅し。
元々酒豪である唯雪は、妻の言葉に目を輝かせ、早く早くとその時を待ちわびている。
向かいに座る宝珠と紫烏は、あまりに豪快な黝簾の言動に違う意味で心を奪われ、口をぽかんと半開きにしたまま固まっている。
もうこうなってしまったら流れに身を任せるしかない。
「あ、お酌は割っちゃうといけないから、湯呑み茶碗で結構よ!ふふ♪今夜は楽しくなりそうね♪」
「は···はあ、では、そのように」
「お願いね〜♡」
とんでも無い夜になりそうだと、この酒豪夫婦を除く全員、心に大量の冷や汗が流れていた。




