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十五

 街外れの池の畔。常雪と天青らの間で思いも寄らない真実が語られている事など知る由もない織江は、台所で茶を煎れ直すための湯を沸かしつつ、洗い場に水を注ぎ、持ってきた茶器を黙々と洗っていた。

 洗い物などしている場合ではないし、湯を沸かしている場合でも無い。

 でも、今はそれしか、出来ることがないのだ。

 解っている。どうしようも無い事はよく解っているが、どうしても納得する事が出来ない。

 前世たった十五年の生涯を、予期せぬ形で終えた織江。

 この利休の都である篝に転生し、生きて来た十六年。

 これから続いて行ったであろう幾年もの年月を、再び奪われる事に、どうして納得ができよう。

 注ぎ溜めた水に、遣る瀬無さは零れる。

 街で暮らす両親。

 裏庭の方で待っいくれている黝簾。

 政務で港に出ている唯雪と、璃雪。

 古代家に嫁いでいった千代椿。

 蓮峰海儀で出逢った刈安の宝珠と紫烏に、今様の鳩羽。

 共に"しきおり"を救おうと、常雪と志を共に過ごした三年間。多くの出会いを経て、多難で在りながら、乗り越えて来た掛け替えのない尊い日々。

 そして、あの夜──···

 姿を求めて駆けた庭園。

 月明かりを受けた大手毬の花。

 夜風に靡く鋼色の髪。

 自分を見詰める深い菖蒲色の瞳に、心が揺れたのを今でもはっきり覚えている。

 逢いたい──···でも···

 おそらく、天青はもう篝には居ない。

 色を無くし、時が止まった世界。裏庭での出来事。あの場にいて、事の理由を聞かないはずがない。

 常雪もそうなる事を覚悟した上で、鴉雛に応えたはず。

 普段、冷静な天青とて、残された日々が幾ばくかも解らないと知れば、直ぐにでも国へ帰るだろう。


《──···良い?伝えたい事は後回しにしちゃ駄目!上手く言えなくたって、相手が耳を傾けてくれれば必ず伝わるんだから。言ったもん勝ちよ!ははは》

 

 ふと思い出した祖母の言葉。

 全くその通りだ。

 ああだ、こうだと考えてばかりで、聞きたかった事も、伝えたかった事も、何一つ言葉にしなかった。

 それとて言い訳にすぎない。

 本当は自分の心は決まっていた。

 芽生えた心地に恐れ、自分を守る事にばかりに執着していた結果がこの有り様。

「···お祖母ちゃんの言ってた通りだ。考えてばかりいないで言っちゃえば良かったのに···私、馬鹿だなあ···」

 窮地に立たされてやっと認めるなんて、馬鹿にも程があるじゃないか。

 織江は初めて味わう後悔に、ただ笑うしかなかった。


 ───────···。

 ···───────


「──私はお前を『馬鹿』だと思ったことはない」


 心陰る中、声のする方へ目を遣ると、すぐ隣に常雪が居て、湯の湧いた土瓶を手際よく竈から下ろしている。

「···常雪様。何時からこちらに」

 不思議そうに尋ねる織江に、下ろした土瓶を鍋敷きの上に置いてから、常雪は応えた。

「お前が溜息をついて、祖母の話をしていた時には、もうここに居た」

 その言葉を聞いて、気を抜いたら倒れてしまいそうな程凄まじい恥ずかしさに、織江の頭から湯気がたった。

「土瓶の蓋がかたかたと浮き上っていたから、火傷しないように下ろしておいてやろうと···」

「···っもう!!だったら先に声をかけて下さいよ!!」

 親切でやったのに、織江は耳まで真っ赤にして腹を立てている。

 意味が解らぬが、何だがこの状況が可笑しくて、常雪は思わず吹き出してしまった。

「ちょっと!!何が可笑しいのですか!!」

 常雪とて解っている。解っているが、むきになる織江の姿に、込み上げる笑声を止めることが出来ない。

「酷い!!私は!!私···色々、これからどうやって生きていけばいいのかと···私は真剣に悩んでいたのに!!それなのに···うう···」

 深痛極まるこの非常事に、あんな、腹を抱えるほど笑って。我が主はどうなっているのかと、織江は腹が立って仕方なかった。

 仕方なかったが、その内に段々自分にも腹が立って、何もかもが悔しくて、鼻奥が痺れ、とうとう涙が溢れ出してしまった。

 これには流石の笑声も鎮まり、懐から出した手拭いを常雪はそっと、織江に差し出した。

「──すまん。不謹慎だった」

 謝罪の言葉にこくりと頷くと、織江は差し出された手拭いを受け取り涙を拭った。

「──私の方こそ、取り乱してしまって···申し訳ありません」

 今のは"八つ当たり"だ。

 良く無かったと思い治り、織江も常雪に頭を下げる。

 まだ鼻先は赤いまま、申し訳無さそうに目を伏せるその姿に、常雪は笑みを浮かべ、出逢った月日に思いを馳せた。

 あの冬の日より三年。

 何時だって、この織江の人柄に助けられてきた。

 思慮深く、でも決して人を傷付けず、素直で、時たま出てくる斜め上の発言に驚かされる事もあったが、その度に周りを笑顔にしてくれた。

 政務の続く日々の中でも、バグの変化に気を配る事ができたのも織江の協力あってこそ。

 そんな織江を巻き込んでしまったことに、後悔は尽きない。

 だからこそ、常雪は志新たにここへ戻ってきたのだ。

 流れ入る空気を、胸いっぱい深く吸い込み、雑念を昇華させるように吐き切る。

「···───織江。私は運命に抗ってみようと思う」

「抗う?」

「私達の置かれた状況は、決して明るいものではない」

「···はい」

 不安気な織江に、常雪は言葉を継ぐ。

「しかし、だからといって最期の日まで心砕き、屍のように生きるなどまっぴらだ」

「常雪様···」

「私は最期まで、悔いなく生き切りたい。その為に織江。どうか今一度、私に力を貸してくれ」

 そう言って、自分を見詰める常雪の淡褐色の瞳。

 黝簾に才を買われ、奉公入りした風見家。

 初めて会った常雪は、己を飾る事もせず、領主の息子とは思えぬ有り様だった。

 あれから三年。あの少年がこんなにも精悍な青年へと成長するなんて。

 その志し高く輝く瞳に、織江も応える。

「勿論です。私は常雪様の調整役。最期までお供致します!」

 力強い織江の応えに、常雪は安堵を浮かべ、感謝を告げた。

「それで常雪様、先ずは何から?」

「ああ。早速で悪いが、早急に服を見立てて欲しい」

 意外な要望に、織江の頭に疑問符が浮かんだ。

 だが、もともと飾る事に興味の無い常雪が、わざわざ見立てを頼むのだから、何か策があるのだろう。

「かしこまりました。それで、どの様な物を用意したら宜しいでしょうか?」

「訪問着を頼みたいのだが、込み入った話をしに行くので、落ち着いた色合わせにして欲しい。細工も少なく纏めたい」

「御政務か何かで?」

「いや。今様の代表団が宿泊している宿に行く」

「今様の?」

「そうだ。改めて、貝寄風静歌と話し合いたい」

「静歌様と···───っ!!」

 そうか。

 常雪は、貝寄風静歌に協力を仰ぎ、もう一度、鴉雛霎と連絡を取るつもりなのだ。

 確かにこの世界を救うには、バグの原因を作った鴉雛に今までの事有りを聞き出すほかない。ないのだが、静歌のあの様子だと難しいのではないだろうか。

 静歌とて、現世においては鴉雛と同じ法を犯した身。取引の事が公になれば立場は勿論、周りからの信用も失くすだろう。

 何より、あんな事があった今、出来ることなら鴉雛とは関わりたくないはず。

 それ以前に、静歌が"しきおり"にログイン中(いる)かも怪しい。

 思いつく懸念が多すぎて、つい良くない方へばかり頭が巡ってしまう。

「────···な」

「?···今、何か?」

 常雪は、なんでも無いと言う様に織江へ片手の平を見せると、その手を下ろし、再び話を継いだ。

「心配になるのも無理はない。だが、この世界を救うためにはどうしても彼女の協力が必要なのだ」

 そうだ、今は心配しても仕方ない。

 一か八か、静歌に掛けてみるしかないのだ。

「それで織江。準備にはどれくらいかかる?」

「今から実家に向かって···御要望の類であれば夕方迄に」

「解った。急かしてばかりですまない。頼む」

「承知致しました。では、早速···っあ!」

 袖元を上げていた紐を外し、台所を後にしようとしたところで、何かあったのか織江の足が止まった。

「どうした?何か足らぬのか?」

 主の気遣いに、なんとなく申し訳無さそうな面持ちで振り返った織江は、またまた申し訳無さそうに口を開く。

「あの···私、御方様に御茶を淹れ直すと言って部屋を出てきてしまって、その···申し訳ないのですが、裏庭の部屋へ御茶を届けて頂けないでしょうか?」

 意もせぬ応えに常雪は目を剝いた。

「お前···こんな時に···」

「も···申し訳ありません···」

 そう言って頭を下げる織江。

 常雪は少々呆れた様子で、解ったから早く行ってくれと手を払い、それに促され、早足気味に織江は台所を後にした。

「全く、本当にあいつは···仕方無いな」

 ぼやきながらも、まんざらでもなさそうに、常雪は母に持っていく茶の仕度を始めた。


 一方、織江は全速力で篝の街を駆け、息を切らし、何とか両親の営む店まで辿り着いた。

「···お客様かしら?」

 人気を感じた店の女将·鹿江(かつえ)は、整理していた帳簿を閉じ、客人を迎えようと軒先へ出向く。

「いらっしゃいま···っへ!?織江?」

 ところが、暖簾を上げた先に居たのは、肩が大きく揺れるほど息を切らし、獅子の如き形相で立つ娘だったのだ。

「···お母さん···お···お父さん、居る?」

「い、居るけど今お客様···あ!ちょっと!織江!!」

 止める鹿江の言葉も聞かず、織江はたったと草履を脱ぎ捨て二階の応接間へと猛進して行く。


《···―――ダ···ダ、ダ、ダ、ダ》


「うん?···申し訳ありません。少し席を外···っひいゃあ!」

 商談の最中だった店の主·新勝(しんかち)は、下の方から聞こえるざわめきが気になり、様子を見てこようと障子の引手に手をかけたのだが、その瞬間、障子につけた硝子越し、こちらを覗き込んできた人影に奇声を上げた。

「───···うん?ねえ、お父さんっ?お父さん!」

 驚愕のあまり、意識が遠のきかけた新勝だったが、何処か聞き覚えのある女子の声に、もう一度、恐る、恐る、硝子を覗いてみた。

「お父さん!私よ!()()!!」

「お···は?!お、織江?織江じゃないか!はあ···」

「ねえ、お父さん!お願いがあるの!」

 物の怪か、何かかと思えばよく知る我が子。

 新勝は己の小心への恥ずかしさと、客人に対する申し訳なさで、情けなくてたまらなかった。

「全く···こら!母さんが下に居ただろ!見立てか、繕いなら母さんに頼みなさい!」

 父の申し付けに、織江は首を振る。

「風見の二の若様に急ぎで訪問着を頼まれたの。ねえ?何か出来合いで無い?」

「え?風見の···そんな、お前、ああっ···」

 娘の無茶な頼みに四苦八苦。新勝は頭をかかえた。

 そんな父娘の遣り取りを見ていた客が、苦悶する父にある提案をしてきた。

「御主人。お嬢さんがよければ、私の用と一緒に見立てていただいて構いませんが?」

 その言葉に新勝は頭を上げ、両の手を振りながら大慌てで詫びを入れる。

「やや!そんな!お見苦しい所を見せた上にその様な!!」

「風見様と言えばこの町の御領主。そちらの若様の、しかも早急の用とあれば、断るわけにもいかないでしょう?」

 正論なる正論に、返す言葉がない。

 商人として、客に気を遣わせるなどあってはならぬ事。

 しかし、領主子息からの頼みを断るわけにも行かない。

 新勝は泣く泣くその提案を受け、客人へ礼を込め、深々と頭を下げた。

「あの···わ、私、御茶を持ってきます!!」

 父の様子にやってしまったと思った織江は、居た堪れずせめて客人に新しい茶をと、もと来た階段を急ぎ降りた。

 有り難い事に、一部始終を下で聞いていたのであろう母が、盆に冷えた麦茶と茶菓子を乗せて待ってくれていた。

「さ、これを持って。さ、早く」

「···───ありがとう。お母さん」

 客を待たせたらと、鹿江は娘に盆を持たせ、直ぐ様父らのまつ応接間へと戻した。

「失礼致します」

「───どうぞ」

 許しを経て、織江は手早く部屋へ入り、持ってきた麦茶と菓子を先の客人の前に出した。

「先程は失礼しました。急いでいたとはいえ、その···」

「お気になさらず。御主人。先程持ってきていただいた反物を拝見しても?」

「勿論です。今並べて···」

「お構い無く。それより、お嬢さんの用件を」

「そうですか···やあ、何から何まで申し訳御座いません。御要望がありましたら遠慮せず仰ってください」

 新勝の言葉に、客人は笑みを返すと、置いてある反物の方へ向かった。

「はあ···それでと。常雪様の訪問着だな?」

「うん」

「御所望は?」

「ちょっと、かしこまった席に成りそうで。落ち着いた色合わせで、装飾も、さり気ない物で!」

 新勝は腕を組むと、織江の話を手掛りに、何か良いものは無かったかと頭を巡らせた。

「···そうだ、()()なら」

 そう言って席を立つと、新勝は部屋奥の古箪笥を開き、一心に何かを探し始めた。

「ええと···これじゃなくて···。うーん。こっちも違うな。もう一個下の段だったかな?ええと···お!あった!」

 目当ての品があったらしく、新勝は抱え戻った包を織江の前に置くと、素早く綴紐を解き開けた。

「さあ、これならどうだろうか?」

 やはり父に相談して正解だった。包の中の物を見た瞬間、織江は心底そう思った。

 紫がかった暗めの灰色は、静かだが、地味ではなく、気品漂い、裾の元には燕と柳の刺繍があしらわれ、まさに理想通りの逸品。

「···やっぱり、お父さんに頼んでよかった」

 娘の安心した様子に、新勝の表情も綻ぶ。

「そうか。よし!すぐ包み直すから、少し待ってなさい」

「ありがとう···あ、ねえ?それに合いそうな飾りもお願い出来ない?」

 そう言うと、新勝はどうしたものかと言った表情を浮かべ小首を傾げた。

「···うーん。それならお手持ちの銀細工の櫛飾りでも良いんじゃないか?」

 どうしたのか。

 何時もと違う父の様子に織江も首を傾げる。

「────ああ。なるほど···」

 浮かんだ疑問に頭を巡らせていると、品を見ていた客人が声を掛けてきた。

「お嬢さん。確かそちらの訪問着は、急ぎで必要に成ったのですよね?」

「へ?あ、はい」

「そうなると、何もかも整った装いで相手を訪ねたら、"まるでそう成ることを予想していた"と思われてしまいかねない。御父様は、その事を心配されたのでは?」

 そんな風に考えた事など無かった織江だったが、言われてみれば、前世に読んだ雑誌の好感度特集などでも『キメ過ぎは退かれる』と書いてあった。

 あれはこう言う事だったのかと、織江は二度目の人生にして、ようやく理解した。

「ほいっ!これで萬事解決!さ、お客様を待たせているんだ。これを持って御屋敷に戻りなさい」

「うん!ありがとう。御客様、お待たせして申し訳ありませんでした。お先に失礼させていただきます」

 そう言って客人に礼を立て、織江は速やかに客間から去っていった。

 やっと一息つけた新勝。気持ちを切り替え待たせていた客人の方へと意を整える。

「やあ。長らくお待たせ致しまして申し訳ありません」

「いえいえ。お陰でゆっくり見ることが出来ました」

「いたみいります。それで、と、···あ!そうそう!"掛け着"でしたね」

「はい」

「何か気になるものは?」

「こちらの二枚で悩んでおりまして···」

 そう言って、客人は二枚の反物を並べた。

 一つは濃紺の地に、白と真紅の芍薬をあしらった落ち着いた様子のもの。

 もう一つは真青(まあお)の地に、手毬と蝶の舞う愛らしいもの。

 どちらもそれぞれに良さがあり、甲乙付け難い。

 そこで、新勝はこんな質問をした。

「ちなみに、吾子様は御父上、御母上、どちらに似ていらっしゃいますか?」

「そうですね···瞳の色は父君似の菫色。ですが、笑った顔は愛らしく、母君様によく似ていますね」

「──それでしたら、こちらの真青の地の方がよろしいかと。芍薬は昔から人気が衰えず、花自体の丸みに幼さを感じる方もいらっしゃいますが、このように地に渋色を選べばこれから先、幾らでも着る機会はあるかと?」 

「なるほど。たしかに。では、こちらを。あ、背中心に()()()の門を入れて頂けないでしょうか?」

「勿論で御座います。錦糸の色は?」

「この地に合うもので、御主人にお任せします」

「承知致しました。心を込めて縫わせていただきます。やあ、それにしても素敵ですね。義兄弟(兄上)の吾子様に掛け着を贈るとは」

「本当は本人が選びったかったようなのですが、何せ初めてだらけで今はとても···」

「ええ、ええ。生まれたばかりはそうでしょうとも」

「それなら我等から贈り物にと」

「いやあ、立派な。きっと喜ばれますよ♪」

 まるで自分の事かのように喜びながら、新勝は仕立ての準備に取り掛かり、客人は出された麦茶をとても美味そうに飲んだ。



「────ううん。さっきの御客様何処かで見た気がするのだけど···ううん、ううーん···」

 日が傾き出した篝の街。

 首を右に、左に傾げながら歩く織江。

 行き交う人に不審に思われているなど露知らず、風見家へと向け、大通りを闊歩するのであった。

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