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十四

 鏡の彼方から返された答えに、常雪は苦々しい表情のまま鏡を見詰めていた。

「···常雪様?」

 織江が心配になり声を掛けるが、それも今の常雪に届いているのか定かではない。

「なんだお前?女といるのか?」

 話しだしたと思えば、なんと不躾な物言いだろう。

 自分に対する嫌味ならまだしも、織江を侮辱されては黙っているわけに行かない。

「鴉雛、いい加減に───」

「───あなたっ!!先程から、その人を馬鹿にした物言いはなんです!!私は常雪様の側仕え·織江。()()()ではありません!!」

 重く、苛立たしい空気を切り裂く織江の咆哮。

 これには常雪は勿論、あんなに怯えていた静歌さえも目を丸くし、天青はその姿を見て、で誇らしげに笑みを浮かべた。

「あなたは誰です?名乗りもしないでああだ、こうだと。今聞こえている声だって本当の声なのか···私は信用しできません!」

 織江の物申しが収まると、少し間を開けて、今度は鏡の中から笑い声が返ってきた。

「あははは!!君、面白いね?」

 鼻につくような喋り方に、織江の眼尻はきっと上がる。

「何が面白いのですか!!」

 堪らず注意しても、男は尚も笑いが止まらぬ様子。

 ふざけた態度に怒りで鼻っさきまで赤くなりだす織江。

 その鬼気を察したのか否か、男はようやく笑うのを止めた。

「はあ、はは。ごめん、ごめん。そうだよね、君は名乗ったのだし、僕も応えないとね?」

 男の言葉に、意識が手鏡に集中する。

「───僕の名前は鴉雛霎(あすうしょう)。そこに居る雪田とは専門の同級生だったんだ」

 常雪と鴉雛が同級生。

 信じ難い事実に、織江は目を見開いた。

 現世の人間の関与は想定内だったが、それが常雪の前世に縁のある人物だっなんて。

 鴉雛の声を聞いた瞬間の常雪を思うと、居た堪れない。

「信じられない···あなた!!よくこんな事!!」

「あーあー。そんな怒らないでよ?」

 腹立たしい。

 ゲーム制作者である常雪に事が知れても、反省が全くない。

「鴉雛、どうして──」

「───待った。先ずは僕の質問に応えてくれよ?()()()そこに居るんだ?」

 静歌はいいとして、天青の手前どう応えるべきか戸惑ったが、常雪は鴉雛の問に正直に応えた。

「驚いたな。『異世界転生』って本当に在るんだ···っふ」

 常雪の話を聞いた鴉雛はそう言って、不愉快に笑った。

「さあ、お前の番だ。どうしてこんな事を?」

 図々しく背伸びでもしていたのか、気怠そうに息を吐くのが鏡越しでも解る。

「···まあ、お金かな?」

「金?」

「そう。だって、人気ゲームクリエーター·雪田舟の最後の作品だよ?当然ヒットしたし、中古だって簡単に手を出せない価格で売られているんだ。それが手元にあって売らないなんて、馬鹿も良いところだろ?」

 鴉雛の態度から予想はしていたが、自分が法を犯している事への罪悪感はなく、むしろそうすることが当たり前だという考えに、織江は怒りをも勝る呆れを感じた。

「···待ってくれ。本当か?本当に金のためなのか?」

 どうしたのか。

 常雪は鴉雛の応えが腑に落ち無いようだ。

「勤めはどうした?」

「···」

 単純な問いかけに、何故か鴉雛は応えようとしない。

 構わず常雪は続けた。

DENDRITIC(デンドリティック)の給金なら暮らしに困らないはず···」

「──うるさいっ!!!」

 怒号による凄まじい音割れ。

 咄嗟に手で塞いだものの、余韻で耳が痛い。

「···「死んでも治らい」ってこういうことなんだな」

 鴉雛がそうぼやいた途端、足元をすうと風がすり抜けて行くのを感じた織江。

 まさかと思い地面を見てみると、まるで波紋が広がっていくように、失われた色が戻り始めたのだ。

「常雪様!見てくだ···」

 顔を上げて見ると、常雪の顔が酷く青ざめている。

 利休が元に戻ろうとしているのに、どうしたというのだろう。

「おい!!鴉雛!!聞こえているか!?おい!!」

 必死に鴉雛へ呼び掛け始める常雪。らしくない。顔に冷や汗まで滲んでいる。

 織江はようやく気がついた。

 利休がおかしくなってしまったのは、鴉雛が"しきおり(こちらの世界)"に干渉してきたからだ。

 けれど今、利休が元に戻ろうとしている。

 つまり、鴉雛(あちらの世界)との繋がりが断たれようとしている。

 それでは元も子もない。

 鴉雛がどうやって"しきおり"を手に入れ、コピーし、どんなプログラミングを施したのか聞き出さなければ、バグの影響は深刻化し、崩壊は免れない。

「鴉雛頼む!!切らないでくれ!!」

 

 

 ···──────。

 


「──あら?私···うん?常雪(とき)や、あなたいつ帰っ···まあ···」

 元に戻った黝簾は、会合に出ているはずの常雪に驚いた様子で言かけたのだが、よく見れば、息子の側には名も知らぬ娘。織江の傍らには半王族·水浅家の皇子。

 どう言えば良いか、調度良い言葉が見つからない。

 そんな中、天青は自ら黝簾の前へ歩み寄ると跪き、礼を立てた。

「黝簾様。御無沙汰しております。唯雪様の不在にお邪魔して申し訳ありません」

 突然の事に、一瞬戸惑いを見せる黝簾だったが、目の前にいる青年の誠意に心を鎮めた。

「顔をお上げ下さい。天青皇子」

 黝簾の許しを得て、天青はゆっくりと顔を上げた。

「暫く会わぬ間に立派に成られましたね」

「恐れ入ります」

 すると、黝簾はちょっと、ちょっとと手招きをして常雪を心配そうに見ていた織江を呼び寄せた。

 さっきまで石のように固まっていたのが嘘のように、いつも通りな黝簾に多少の戸惑いを感じながらも、織江はそれに応じる。

「はい。御方様」

「ねえ?常雪(あの子)どうしたの?手鏡なんか開いて」

「ああ···ええと···」

 元々、飾ることに無頓着な常雪が手鏡を開いているなんて有り得ない事。黝簾が妙に思うのも不思議ではない。

 しかし、あんな大事の後で何と誤魔化したら良いのか、中々応えが浮かばない。

「ああ。あの鏡から妙な音がすると、あちらの姫君があんまり怖がるもので、御子息が診て差し上げているのです」

「あら!なあんだ♪もう、あんな恐い顔して見ているから何事かと···織江、ちょっと」

 天青の機転に救われたのも束の間、くいっと袖元を掴まれ、黝簾の方へ更に引き寄せられる。

「どうなさいましたか?」

「ね、常雪(とき)の側にいるお嬢さんはどなたなの?」

「へ?あ、ああ!···あの方は今様の貝寄風家の姫君·静歌様です」

「まあ、あのお嬢さんが···ちょっと。不味いんじゃないの?」

「何がですか?」

 織江の返しに、呆れたように溜息をつく黝簾。

「んもう!鈍いんだから。あれが紫烏ちゃんに知れたら──」


「───心配ありません」

「っひい!!」

 どう気配を消していたのか、声につられ振り向くと、鼻先が当たりそうな程そばに立っていた天青に黝簾は思わず奇声を上げてしまった。

「紫烏姫様と静歌様は先の蓮峰海儀で()()を済まされています」

 隙のない笑顔で黝簾にそう伝える天青。

 妙に強調された「()()」から全てを察したのか、黝簾の方もそれ以上は追及しなかった。

「相変わらずね天青ちゃん···」

「恐れ入ります」

 そう言ってこくりと会釈する天青を見てから、織江の顔を一瞥すると、先程とは違う溜息を付き、何故だかそのまま黝簾は織江を抱きしめた。

「どうされました?···御方様???」

「···なんでもないわ」

 不機嫌までもいかない。寂しそうにも聞こえる声でそう言うと、黝簾は織江から腕を離した。

 それからはっと何か思い出したようで、今も一言すら発しない常雪の方へ再び言かける。

「ねえ、常雪!鳩羽(はーちゃん)はどうしたの?一緒に帰ってくると思っていたから。お菓子の御礼がしたかったのだけど」

「······」

「ちょっと!!聞いているの?もう、常雪!───」

「───黝簾様」

 応えない息子に腹を立てる黝簾に、天青はある提案をした。

「久方ぶりの利休。宿への道すがら少し散策をしようかと思うのですが、何分土地勘がありません。御迷惑でなければ常雪君に案内役をお願いしたいのですが如何でしょう?」

 天青からの提案に、黝簾は内心驚いていた。

 土地勘が無いというに嘘はない。

 だが天青なら見知らぬ土地であろうと見て周るくらい造作もない事。まして案内役など付けずとも。

 建前であるのは明白だが、未だに渡り廊下でうんとも、すんとも言わずにいる息子。

 黝簾は天青の案を了承した。

 許しを得た天青は感謝の礼を済ませると、踵を返し、常雪の元へと足を運んだ。

 天青は側に着くと、常雪の背に触れた。

 すると、常雪は我に返ったように見ていた手鏡を閉じた。

 それを見た天青は、次いで静歌の方へ声を掛ける。

「確か、今様の宿はここから直ぐだったかと思うのですが···静歌姫」

「···え。あ、そう···です」

「ならば、共に参りましょう。帰って娘の姿が見えないと、御父上様も心配されるでしょうし」

 静歌はこくりと頷き、素直に応じた。

「では常雪君、お願い致しますね」

 天青がそういうと、常雪はむくりと立ち上がり、渡り廊下を屋敷の玄関口に向かい歩み始めた。

 静歌も床に散らばった巾着の中身を拾い、元に収め立ち上がり、自分を見る黝簾達に会釈をしてから常雪の後に続いた。

「それでは、私も。唯雪様に宜しくお伝え下さい」

 挨拶を終えるた天青は、織江の肩をぽんと叩き裏庭から去っていった。

「何だか、慌ただしかったわね···あら?」

 一息つこうと湯呑を手に取った黝簾だったが、口元まで運んで飲むのを躊躇った。

「いかがされましたか?」

「いえね···思った以上に冷めていて···?」

 まさかと思い、織江はまだ茶の残る急須に手を伸ばした。

 黝簾の言う通り、温かさが全くない。

 時が止まっていたなら、こんなに冷めるわけがない。

 天青との話も、さほど時間はとっていない。なのに何故?

「─────···まあ。織江ほら!燕の番よ」

 そう言われ、黝簾の指差す方を見た織江。

「御方様、私、お茶を煎れ直して参ります」

「あら、悪いわそんな···」

「いえ。ちょっと···台所で仕舞い忘れた物があったのを思い出しましたので♪」

「そう?じゃあ、お願いするわ」

 手早く盆に冷えた急須と湯呑を乗せ、台所へ向かった織江は、黝簾に気取られぬ様、いつも通りに振舞った。

 台所に着くと、持っていた盆を洗い場へ置き、(へり)に手をついて、深いため息をついた。



 ────一方、風見家を後にした天青と常雪は、静歌を宿に送り届け、篝の街を当ても付けずに歩いていた。


「前に来たときより更に活気づいて、さすが唯雪様だ」

「···」

 普段なら、受けた賛辞に父を誇らしく思うが、今の常雪にはそんな心のゆとりは無い。

 初期不良なのか、自分の死後、大幅な変更が生じたのか。起きているバグ(異変)に対し、様々な原因を考えた常雪。

 そこに現れたプレイヤー·貝寄風静歌。

 彼女の隙を付き、何者かが"しきおり"のコピーを、専用チャットをプログラミングした上で密売していると解ったが、まさかそれが鴉雛霎(同級生)だったなんて。

 いや。誰がかより、そもそも解った所でゲームの一部でしかない自分に何が出来たという。

 密売人を説得して、ゲームを元に戻せとでも言うつもりだったのか?

 どう足掻いても、この世界を救う事なんて出来なかったのだ。

 織江には悪い事をした。

 全てを知った以上、近く訪れるであろう崩壊(終わり)に織江は心蝕まられる思いで生きなくてはならない。

 いくら悔やみ、いくら謝ったとしても取り返しがつかない。

 打つ手を見失った常雪は、自責の念に駆られていた。


「───···似ていますね」

「···え?」

「貴方と織江殿がです」

 心でも読まれたのか。

 常雪は虚しげに鼻を鳴らす。

「いいえ、似てなど···織江は(おご)りのない、思慮に富んだ娘です···」

「貴方はそうでないと?」

「解りません···」

 謙遜ではない。

 雪田舟であり、風見常雪である自分は一体何なのか。何も出来ないのにこのゲーム(世界)に転生したのはどうしてなのか。もう、何もかも解らないのだ。

 暗くなる常雪とは反対に、天青は優しい笑顔を浮かべ天を仰ぐ。

「もう少し歩くと池が在りますよね?」

「はい?」

「そちらまでもう少し歩きましょう」

 この男は何がしたいのだろう。全く検討がつかない。

 けれどまだ屋敷に戻りたくない。

 常雪はこくと頷き、街外れにある池を目指した。

 

 十分程、二人は目的の池にたどり着いた。

 鮮やかな菖蒲(あやめ)が、静寂に彩を添えている。

「素晴らしい。菖蒲の手入れはどなたが?」

「···この近くにある寺院の僧侶方にお願いしています。あと、織江が月に二回ほど手伝いに」

「織江殿が?」

「はい。子供の頃からの習慣だそうで、奉公に入ってからも···」

「そうでしたか」

「ええ。特に春は、手伝いの後、毎回上機嫌で屋敷に帰ってくるのです」

 自然と自分が笑っていた事に常雪は気がついた。

 不思議だ。

 天青をよく知らぬのに、こうして話をしていると身が軽くなってゆく。

「春になると?」

「はい。なんでも、春になると手伝いに来た礼にと、和尚様が木蓮をくださるそうで、それが楽しみなのだ···と···」 

 どうしたのか、先まで穏やかに花を愛でていた天青が、決意の籠もった面持ちで、常雪に向かう。

 その真剣な眼差しに、常雪は息を呑む。

「···常雪君。貴方はこの世に転生したのだと、彼の者にそうおっしゃいましたね?」

 頬が堅くなる。

 鴉雛に転生した事を伝えると決心した時、この話が出てくるで在ろうことは予想していた。していたが、いざこうして聞かれると何から話せば良いのだろう。それに、この話をすれば今、東が置かれている状況、訪れる終わりについても話さなくてはならない。


 水面が揺れる。

 向かい合う二人の姿が水に溶けていく。


「────です···」


 説明探しに気取られ、常雪は天青の言葉を聴き逃してしまった。


「水浅殿···今、何と?」

 

 申し訳ない気持ちで聞き返す常雪。

 その淡褐色の瞳をしかと見つめ、天青は、もう一度、言葉を放った。

 

「私も、過去世を持ち、この東に転生した人間なのです」

 

 吹く風に葉音が重なる。

 池に咲く菖蒲と同じ青みの強い、紫色の天青の瞳。

 その瞳は、嘘偽り無く、どこまでも澄みきっていた。

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