十一
「将軍───若っ!!シィスン様!お待ち下さい!!」
「父上には呆れたな、勝手に連れてくるとは──」
綠里、将軍家嫡男·シィスンは鎧を軋ませながら、屋敷の渡り廊下を怒り任せに猛進していた。
「御父様は若を思ってこそ───」
「だからと言って、なんの断りもなく屋敷に連れて来るなど、非常識極まりない!!」
シィスンの後を負う従者も、どちらの言い分も正しく、諭す言葉が見つからない。
「遠征が終わり、やっとゆっくり過ごせると思っていたのに···」
父の跡を継ぎ、将軍職に就いたシィスンは多忙な日々を送っていた。
父はそんなシィスンを見兼ね、早く妻を娶るべきだと三年ほど前からありとあらゆる見合い話を持ち掛けてきたが、仕事盛りのシィスンはまだ早い、必要がないと、父の心遣いから逃げるように半年の間、皇子の諸国行脚に同行していたのだが、息子の様子に堪忍袋の緒が切れた父は、シィスンの帰郷を狙い、花嫁候補を自宅に招き入れていたのだ。
父の気持ちを蔑ろにしていた事へ多少の後ろめたさは感じていたが、こんなに強引な手段を取られてはシィスンも黙っていられない。
先ずは花嫁候補者に話と詫びを入れ郷に返し、それから二度とこの様な事はしないよう、父と話し合おうと決め、今まさに連れてこられた娘の元へ向かっていた。
「────あれか」
庭に設けた四阿屋に、身覚えの無い姿を認めたシィスンは、息切らす従者に構わず更に足を進めた。
おそらく見合いの相手であろう娘は、見頃を迎えた木蓮に気取られ背後に迫る武人に全く気が付かない。
シィスンは四阿屋に足を踏み入れるが、娘は未だ振り返る事なく、花を見上げている。
「もし····」
「────」
「─────···っもし!!」
二度目、シィスンが先より語気を強めて呼びかけると、娘の肩がびくりと上がった。
全く、なんと鈍臭い娘か。
ここが戰場なら、とっくに命を落としているとシィスンは呆れ、俯き溜息を付いた。
「ごめんなさい。あまりに綺麗でつい見惚れていました···?」
やれやれと顔を上げたシィスン。
挨拶も早々、さっさと詫びを入れ、娘を父母の元へ還そうと今この瞬間まで頭を巡らせていた。
それなのに、言葉を発する事さえ出来ぬほど、目の前の娘にシィスンの心は奪われていた。
中黄色のハイネックのワンピースドレスに、象牙色の幅広のパンツを履いた娘は、栗色の髪を三つに編み、黒曜石のように光を溜めこんだ瞳が、自分を見たまま、何も言わないシィスンを不思議そうに見返していた。
「あの···もしかして、ユウシィスン将軍ですか?」
「───え、あ、···はい···」
やっと声を聞けた事に安心したようで、娘がシィスンに微笑みかける。
「初めまして。青鈴から参りました、ティアンチンシィと申します」
そう言って頭を下げる娘に、ようやく我に返ったシィスンが言葉を返す。
「ご丁寧に···あ、あのティアンチンシィ····その···」
シィスンは困っていた。さっきまであんなに息を荒らげ、娘に帰って貰う事だけを考えていたはずだったのに、ティアンチンシィを目の前に何と言えば良いのか解らない。
「····あの?」
「──っあ、はい!なにか?」
「その···もし良ければ、"ティアン"とお呼び下さい。家族や、家礼達にもそう呼ばれていますから」
「は、はあ···では、ティアン殿と···」
「ええ♪」
少しだけ、思考が落ち着きを取り戻しだしたシィスンは従者に命じ、四阿屋でティアンと茶を取ることにした。
「あの、ティアン殿···」
「なんでしょう?」
伏し目がちに茶を飲んでいたティアンが、シィスンの呼びかけに瞳を上げる。
シィスンはその瞳に見られると、どうしても落ち着かなかった。
しかし、いつまでもこうしては埒があかない。けれど、なんと言えばいいのか。
そんなシィスンの様子を察したのか、言葉を先に出したのはティアンだった。
「────御安心下さい。こちらの茶瓶が空になったら、御暇します」
言葉に悩み、頭を掻いていたシィスンは、ティアンの申し出に一瞬、頭が真っ白になった。
「今···なんと?···」
鳩が豆鉄砲でも受けた様に、ティアンを見るシィスンの顔はあまりに間抜け、一国の最高軍司令官とは思えぬ有り様だ。
ティアンはその姿に一息つくと、茶杯をそっとテーブルに置いた。
「不躾だと思いましたが、貴方様のお人柄をこちらへ向かう道すがら、コウリュン様···御父上様から伺いました···」
ティアンには、姉と弟がおり、姉は五年前に嫁いだが、ティアンは中々良縁に恵まれずに父親の事業の補佐をして暮らしていた。
一年前、弟が家督を継ぎ、幼馴染だった娘と夫婦となり、この秋には待望の子が生まれる予定だと言う。
父母は勿論、弟夫婦も共に暮らそうと言ってくれたが、いつまでも独り身の姉が居据わっているのは良く無いと、これからについて考えていた時に父の旧友であったシィスンの父から縁談を持ち掛けてられたと言う。
しかし、聞けばシィスンに今現在結婚の意志はなく、仕事を優先したいとの事。
それを聞いたティアンは、何だが申し訳ない気持ちになり、シィスンに会ったら、自ら断りを入れようと決め、彼の帰りを待っていたというのだ。
「家督を継ぎ、陛下を支える従者として日々己の鍛錬に勤しまれている貴方様に、私の事情を押し付けるわけには参りません」
数分前のシィスンなら願ってもない申し出に、両手を上げ喜んだ事だろう。
だが、今は全くそう思えない。それどころか、図々しくも、ティアンの言葉を聞き寂しいと思っているのだ。
手に噴き出した汗を潰すように、膝上の拳に力を込め、シィスンがティアンに問う。
「ですが、貴女はどうなるのです···」
申し出に安堵するかに思えたシィスンが、何だか顔色が冴えず、心配してくれているのか少し震えているように見えたティアンは彼を案じながらも応えた。
「実は、私の母がこの綠里の出でして。その兄、私の伯父が紅花園を営んで居るのです。青鈴へ帰る前に立ち寄って、働かせて頂けないか聞こうかと」
ティアンの応えに、シィスンはゆっくりと、自分を落ち着かせるように息を吐き、茶瓶に手を伸ばそうとしていたティアンに再び問うた。
「あ、あの!···それからどうするのですか?」
「はい?」
「伯父上様の花園で勤められて···その後は···」
伸ばした手をひくと、ティアンはさっきまで眺めていた木蓮に視線を向けた。
「····こんな感じ、かしら?」
「───え?」
ティアンの呟きに反応したシィスン。
その不安気な様子を見て安心させようと、ティアンは微笑みかける。
「お金を貯めて、一人···こうやって、静かに花を愛でながら余生を送るのも良いかもしれません」
「ティアン殿···」
「心配ならさないで。それにほら!もしかしたら、遅い春が訪れて、共に生きたいと思って下さる殿方に出逢えるかもしれないでしょう?」
そう言って笑う姿に、シィスンは自分を恥じた。
ティアンは自分の意志を認め、尊重し、一人で生きる覚悟までして、応えてくれぬこんな男の帰りを、健気に待ってくれていた。
それなのに、自分は己の事ばかり。
挙げ句には話も聞かず、ティアンをさっさと追い出そうとまで考えていたなんて。もし、魔術か何かで過去に戻れるなら、あの息巻いていた自分を張り倒してやりたいとシィスンは奥歯を噛み締めた。
「···お茶、冷めてしまいましたね?私、厨房に行って淹れ直して頂いて来ま────」
茶瓶を持ち、立ち上がり去ろうとしたティアンを、シィスンは無作為に抱き止めた。
その姿は母親を乞う子供同然。成人した男が滑稽極まりないが、そんな事、今のシィスンにとってはどうでも良い事だった。
「───許してください」
「はい?」
「私は···自分の事ばかり。貴女がこれだけの思いを持って、待ってくれていたというのに私は···」
「ユウ将軍···」
幼子の様に、前髪を乱し、自分の脇腹に顔を埋めるシィスンの姿にティアンの心が揺れる。
「ティアン···私は、貴女と共に在りたい」
「でも···私なんて···」
ティアンの言葉に、顔を埋めたまま、シィスンが首をふる。
「貴女が良い···貴女でないと駄目なのです。ティアン、私に貴女と生きることを許してほしい。愚かな私に、機会を下さいティアン···」
シィスンの真っ直ぐな懇願に、ティアンはもう一度、木蓮を見上げた。
その柔らかで、全てを包み癒やす様な芳香を胸いっぱいに吸込むと、持っていた茶瓶を置き、なんとも清々しい表情で未だ自分を離そうとしないシィスンに視線を戻した。
「────ユウ将軍、一つお願いが御座います」
ティアンの言葉に、シィスンは埋めていた顔をくいと上げる。
「────お願い?」
シィスンの鼓動が早まる。
きっとその願いが叶えられないなら、ティアンは青鈴へ帰り、二度と、こうして逢うことは出来ない。
不安でいっぱいなシィスンの顔を見て、困った様にティアンは笑うと言葉を紡いだ。
「私達の部屋のそばにも、木蓮を植えて頂けないでしょうか?この香り、とても心が癒やされるのです」
そう言って、自分を愛おしそうに見つめるティアンにシィスンは堪らずまた顔を埋めた。
「───ええ···ええ、勿論。毎年この花が咲くのを楽しみに、共に時を過ごして行きましょうティアン···」
「───ええ」
しがみつく自分の頭を、ティアンの温かい手が撫でる。
シィスンはえもゆわれぬ幸福に身を委ね、ティアンを決して離そうとしなかった。
「────···天青様?」
いつからこうして居たのだろう。
不思議そうに自分を見上げる織江の姿に、天青は眠りから覚めた様に瞬きをした。
「申し訳ない···何でしょう?」
「あ、いえ。何と言う事はないのですが···」
遠くを見詰めたまま、何を思っているか解らない天青が心配で織江は声をかけただけだった。もしかしたら昨夜の騒動の疲れが残っているのかもしれない。
「あっ···お茶、冷めてしまいましたね!私、新しい物と交換して参ります!」
天青の卓に置かれた茶器を取り、織江は給仕の元へ行こうと踵を返した。
「───待って!!」
織江は驚き、目をしばつかせる。
「ど、どうかされました?」
織江が卓を離れようとした瞬間、突然、天青に腕を掴まれたのだ。
自分の取った行動に天青自身も驚いたのだろう、織江の問いかけを聞いた途端、信じ難いと言った様子で、掴んだ細腕から手を離した。
「───っすみません!···痛かったのでは?」
「いえ、そんな!大丈夫ですよ♪」
そう言って微笑む織江の姿に、天青はまたどこか遠くを見詰めるような切なそうな表情を浮かべた。
その様子に、織江はある提案をした。
「あの、天青様?もし良ければ昨日のお庭を散歩しませんか?」
「──え?」
「天青様が仰っていた様に、貝寄風様が常雪様をお慕いしているのは明白。署名だけされて、宿に戻られたり、街に繰り出すお客様も居るみたいで、大分人が減りました」
言われて見てみれば、確かに開会時より人が減っている。勿論、元が多かったため、未だに貝寄風家の者は各来賓席を回っているようだが、それも直に済みそうだ。
「それとも、天青様もお宿へ戻られますか?」
織江の言葉に、天青は首を振った。
「ぜひ行きましょう。昨夜は色々あり過ぎてゆっくり見て回れませんでしたからね」
「ふっ。そうですね。あ!そう言えば、天青様を探している時、薔薇の良い香りがしました」
「───ああ。なんでも、貝寄風の奥方様が薔薇をお好きな様で、庭師の方々も力を入れているそうです」
「まあ!それは楽しみです♪」
そうして、織江と天青は今朝のように二人並んで、貝寄風家の庭園へと歩き出した。




