壱
春·夏·秋·冬
それぞれの季節を司りし、四つの大陸からなる連邦国家【東】。
その一国家、冬を司る国{利休}に私が転生して十六年。無事に前世の享年を超え、今日まで生きることが出来ました。
感の良い方はお気づきですね(笑)。
そう、私は今流行りの"異世界転生"によって生を受けた"転生者"です。
しかも、私が飛ばされたのは恋愛シミュレーションゲームの一つ"乙女ゲーム"の世界。
前世の趣味が手芸だった私。詳しくはわからないのですが、プレイヤーの方が、見目麗しい男性陣と繰り広げるラブロマンス···とかなんとか(苦笑)。
いやあ。残念な事に、そうした甘酸っぱい経験をしないまま世を去った私には、まるでちんぷんかんぷんの代物。
え?じゃあ、何でただの手芸好きの私が"乙ゲー"の概要を知っているのかって?
実は、今話したことは全てこの方の受け売りなのです!
花に水遣りをする私の隣に立っているこのお方、我が国·利休の都、篝を統治する領主、風見家の次男·常雪様。
なんと、常雪様はこの乙女ゲーム、『四季折々〜愛し君へ〜』を創ったお方なのです!!
あ!申し遅れました。私は風見家奉公人兼、常雪様付き調整役の織江と申します。以後、お見知り置きを。
ちなみに、姫ではなく、篝の小さな縮緬問屋の娘で、ゲームの世界では"モブ"と言うそうです。
あ、どうして転生者同士かわかったかって?
それはですね─────────────
三年前
篝の都は雪化粧を施され、あたり一面、一点の曇もない白に包まれていた。
織江が風見家に入り初めての冬。
軒先に吊るしていた干し柿を下ろそうと裏庭に行くと、一輪の向日葵が空を見上げ、そこだけが夏であるかのように咲いていたのだ。
「どうして···冬に向日葵なんて···」
織江は季節を忘れた向日葵に気取られ、近くに居る常雪に気が付かなかった。
「···おい、お前」
「っ!!若様···」
幼い織江は焦りを隠せなかった。
自分がこの世の者でありながら、違う世界から来た者だとしれたらどんな目に合うだろう。
痴れ者だと御上の前に出され罰せられるか、そうした者を欲しがる輩に売り飛ばされるか。
どちらにしろ、あの優しい両親の元には二度と帰れまい。
織江の真を知ってか、知らずか、常雪はずかずかと近づいてくる。
そうして、目前までやって来ると、何も言わずじっと織江を見つめた。
見つめたと言っても、目がすっぽり隠れてしまう程に伸びた前髪で確かめることは出来ない。だからこそ、織江の不安は増して行く。
「お前、確か新しく奉公に来た者だったな」
「はい若様。織江と申します···」
「·····」
問に答えるも、主から応えがない。
どうしたら良いか解らず、不安も頂点に達した織江の目から熱いものがこぼれ落ちた。
その様子に、慌てた常雪が声をかける。
「おい!?なぜ泣く!?おいったら····」
「····いで」
「え?なんだ?」
織江がなにか言った気がして、常雪は耳をその口元に近づけたが、それが間違いだった。
「うわーーーっん!!お願いだから!!連れて行かないでーーー!!」
常雪は、鼓膜が破れたのではないかと思うくらいの衝撃に襲われた。
織江がわあわあ喚き泣くものだから、次第に家の者がざわつき出す。
「っつう···ちょっと来い!!」
常雪は織江の手を掴むと、大急ぎで屋敷の中に戻った。
「常雪様、いかがされました?」
常雪と、ひっくひっくと顔を泣き腫らす織江の姿に奉公人達が声をかける。
常雪は気丈にそれらをかわし、織江を連れ自室に入った。
「おい。まだ泣いているのか?」
「····連れて、行か、ないでください···うぅ」
織江は、相変わらず主が自分を御上か、人買いに差し出すと思い込み泣いている。
常雪は呆れた様子で織江を座らせ、自分も向かい合った。
「お前、まさか私がお前を人買いにでも売り渡すか、御上の前に引き出すとでも思っているのか?」
「え?違うんですか?」
織江の言葉に、常雪は更に溜息をついた。
「そんな事するわけ無いだろう。だいたい、私が話す前にお前が勝手に泣き出したのだろ?」
「····確かに」
「全く···まあ、善い。それで改めて聞くが、お前、あの花の名を知っているのか」
織江は答えるべきか迷った。
けれど、ここまで連れてこられた時、引いてくれた常雪の手は優しかった。今だって、自分を無下に扱う様子はない。
それに、どうしてか今、常雪に嘘をついたら一生後悔するような気がする。
「若様、今、この時より、織江は決して若様に嘘は付きません」
「···お、おう」
織江は深呼吸して、どこを見てているか測れぬ常雪の目を見つめた。
「若様、私には産まれる前の記憶があります。私は日本という国で産まれ、ある建物の火災事故により齢十五で世を去り、目覚めたら、篝で商いをする縮緬問屋の次女として、新たな生を受けました。あの裏庭の花の名を知っていたのは、そうした生い立ちがあったからです」
話を終えた織江は、腕を組みながら何か考え事をする様子の常雪を見て、少し不安になった。
「····若様?」
「やはりそうか····」
常雪は居直り、織江に告げた。
「織江、実は私もお前の同士。転生者なのだ」
織江は常雪の言った意味が理解出来ず、口をぽかりと開けたまま固まっている。
「若様が····同士?!」
「お前の話を聞いて驚いたが、絶命した事情も全く同じだ」
「では、若様もあの日『Hobby World』にいらしたのですね?」
「ああ。商談でな」
「商談?」
「織江、今、私達が居るこの世界は、前世で私が創ったシュミレーションゲームの世界なんだ」
常雪の話がいよいよ着いて行けない範囲に突入し、織江は混乱した。
「申し訳ありません、若様。私、ゲームの類には疎くて···」
「私が創っていたのは女性がゲームをする側、『プレイヤー』となって、この東四国家に存在する男性キャラクターと恋をするという、読み物で言うなら、『ラブロマンス』という類のものだ」
「おお!さすが、創ったお方の説明は解りやすい!」
織江の言葉がこそばゆいらしい常雪が、こめかみの当たりを指でかく。
「うん?でも、若様。四国家にその『プレイヤー』さんと恋をする『男性キャラクター』が居るということは、この利休にもその『男性キャラクター』の方がいらっしゃるという事ですよね?」
ふと出た織江の疑問に、今度は冷や汗をかき出した常雪。
「どんな方かしら···霜月家の二の若様···うーん。左大臣家の御長男?でもそういうのって身分は関係ないのかしら?だったら、巷で流行っている役者さん?」
織江は利休で名高い美丈夫を頭に浮かべては、あれかこれかと考えた。
「あ····ここに居るんだ」
常雪の言葉と、まだ見ぬ美丈夫に織江の目が輝き出す。
「え!!この篝にですか!!凄い!!どちらの方なのですか?早く教えて下さい!」
食い気味にはしゃぐ織江に、常雪は今、二人が座っている畳をとんと指差す。
常雪が何をしているのか、最初はよく分からなかったが、その意を理解した織江の目にさらなる輝きが宿る。
「え!え?ええ!!もしや、その方が風見家にいらっしゃるのですか?!ええ!!凄い!凄い!どなたかしら?うーん宰相様?それとも····は!え····でもゲームだとすれば···まさか、おおお親方様!?いやいやいや!確かに前世で言うところの『ナイスミドル』ですが、それでは御方様があまりに不憫···となると···」
織江は、張り巡らせた線が今一つになったかのような顔をした。その表情に常雪の冷や汗が幾粒も頬を流れる。
そして、緊張の一瞬。織江は己が導き出し答えを口にした。
「その方は···」
「····」
「風見家御長男、璃雪様ですね!!」
織江の答えに、張り詰めていた何が完全に事切れたであろう。常雪は勢いよく畳に倒れた。
「大丈夫ですか、若様?」
織江はとんでもない天然だと、常雪はこの時悟った。
「私だ····」
「え?」
常雪は状態をお越し、改めて織江を見据え言葉を重ねた。
「だから、この利休の『攻略対象』は私だ!」
「『攻略対象』?うん?」
「はあ。『プレイヤー』と恋仲になりうる『男性キャラクター』という意味だ」
「ああ、なるほど·····っええ!?」
つまり、利休を代表する美丈夫が常雪と言う事だが、にわかに信じ難い事実に織江は声を上げた。
「なんだ!私じゃ不満か!!」
常雪は織江の反応に、少々の苛立ちを感じそう言うと、次の応えを待つ。
織江は主の機嫌を損ねた事に気がつくと、急ぎ訂正をした。
「いえ、だってその、若様は私より歳が上ですが、『ラブロマンス』というのには未だ早いかと。それに···」
「それになんだ?」
「私、風見家へ奉公に上がって半年は経ちますが、若様の御顔を拝見した事がありません。それ故に判断しかねる部分があるというか、なんというか···」
悔しいが一理ある。
常雪は、武術や座学にも富、齢十五でありながら、父や兄の公務の手伝いをしている。
しかし、その反面、自分を飾る事に全く無頓着で、今着ている着物もまるで八十近い老中が身に纏うような控えめが過ぎる物。
風見家当主·唯雪は四大陸随一とも名高い武人だが、精悍な面差しに気品を兼ね備え、四十を迎えた今なお、奉公人は勿論、篝の女性からの人気が高い。
常雪の兄·璃雪は父や常雪ほど、武道の腕はないが、こと政に関しては二人以上に長けている。
母譲りの華やかさがある美丈夫で、男性ですら璃雪を見ると頬を赤らめ、その見目麗しい様は利休一とも言われている。
それ故に常雪への周囲の期待は高まるのだが、やれやれこの有様である。
「解った」
「はい?」
「先に、おま····織江は私に嘘をつかぬと誓った。ならば、主として、お前の誠意に応えなくてはならない!」
何をそんなに改まっているのか、織江はよく分からなかったが、主が思いを胸に決めたなら、受け止めるのが奉公人である自分の務めと足元を正し、常雪に向かった。
それを見た常雪は、今より少し織江の前にずいと進み、背筋を正すと、両の手で枝垂れ柳のように目を覆っていた前髪をぐっと一気にかき上げた。
我が主はいつから髪結いも呼ばず、この姿で暮らして居たのだろう。まさか、十五年もの間、この髪型だったと言うのか。嗚呼、天におわす御仏もさぞ嘆かれている事であろうと織江は無念で成らなかった。
齢十五の少年は、まだあどけなさが残りながらも、父·唯雪を思わせる精悍さを秘めており、淡褐色の瞳に脈々と紡がれる風見家の血を織江は確かに感じた。
「····ど、どうだ」
織江があんまり顔の隅々まで見るものだから、常雪は恥ずかしくなっていた。
織江は溜め息をついてから、切なそうに応える。
「···若様、織江は残念でなりません。せめて···せめて、御髪ぐらい整えるべきです」
常雪は、織江の様子に不安を感じた。
「私は···そんなに不男なのか···」
常雪の力ない言葉に、織江はやや喰い気味に即答した。
「違います!!その逆です!!それだけの素晴らしいお顔をお持ちなのに、『宝の持ち腐れ』もいいところではないですか!!だから、せめて御髪を整えて、お召し物も、もう少しお顔の色が華やぐような色合わせにすれば、きっと素敵な殿方になりましょうに···ああ、織江は心底、心底残念でなりません若様」
織江の熱弁に少々退きはしたものの、常雪は自分が不男でない事に安堵し、前髪を下ろした。
「····放っておけ。ところで、織江。お前に頼みがある」
「何でしょう?」
「制作者である私がここに転生したと言う事は、私達の元居た世界で、このゲームが世に出たと言う事だ」
「そう···なります···のかしら?」
後で紙にまとめないと、常雪の創ったゲーム内容を忘れてしまう。先日、実家に文を出したばかりだった織江は、余っている和紙はあっただろうかと常雪の話を聞きながら考えていた。
「そこで、お前にこのゲームで発生している『バグ』の原因解明を手伝って欲しい」
嗚呼、またそうやって懲りずに専門用語を打ち込んでくる。織江は恐縮しながら常雪に尋ねた。
「あの、『バグ』とは···」
「あの向日葵だ」
「え?あの裏庭の向日葵がその、『バグ』なのですか?」
常雪は、織江が『バグ』を今一理解出来ていない事に気づいて、理解るように改めて話を続けた。
「お前も知っての通り、我が利休は冬を司っており、春や夏も他の三国に比べかなり涼しい。にも関わらず、強い陽射しや温暖な気候を好む向日葵が咲くのは異常だ。しかも、こんな真冬になんてありえない。」
「···つまり、そうした異常現象こそが『バグ』というわけですね」
「そうだ」
「ちなみに、もし、その『バグ』が多発した場合、どうなってしまうのですか?」
織江の何気ない疑問が、先まで気丈だった常雪の顔に影を落とす。
「基本的には『バグ』を一掃して完了だが···最悪の場合、この世界は『オールリセット』される」
『リセット』という言葉は、ゲームの類に疎い織江でも理解出来る。
気になるのは、なぜそこまで常雪が深刻そうな顔をするかだ。
「でも、若様?うる覚えですが『リセット』とは、よくやる事?なのではないですか?昔、従兄弟がゲームの途中で上手く起動しなくなったとかで、リセットボタンを押していましたが、その後、すぐまた楽しそうにゲームをしていましたよ?」
重々しい空気を纏ったまま、常雪は続けた。
「いや、私の言った『オールリセット』は、普通の『リセット』とは全くの別物。専門家による初期化を指し、このゲームが世に出る前の状態になるということなんだ」
「つまり、私達は?」
「消されてしまうかもしれない。少なくとも、ここで暮らし、過ごした記憶を全て失う事は···残念だが、避けられぬだろう」
常雪の言葉に、織江は心臓を何者かに握り潰されるよう苦しさを感じた。
それと同時に、知らぬこととはいえ、なんて無神経な質問を常雪にしてしまったのだろうかと、無知な自分を恥じた。
消されなかったとしても、記憶を全て失うということは"自分では無くなる"と言う事。そんなの死んだも同然。死と対峙する事がどれ程恐ろしいか、身をもって知ったはずなのに。それを、自分が絶命した歳頃の少年に言わせてしまうなんて。織江は恥ずかしくて、悔しくて涙が出そうだった。
だが、織江は泣かなかった。
「やります」
「え?」
「若様!織江はこの篝が好きです!今までの思い出が失くなるなんて、そんなの絶対に嫌です!」
「織江···」
「ゲームの事はよくわかりません。でも、勉強します!だから、どうか私に、若様のお手伝いをさせて下さい!!」
泣いてたまるか。
織江は、常雪と共にこの篝を、東を救いたいと強く思ったのだ。
織江の熱意に、常雪は嬉しそうに口元をほころばせた。
「織江、共に頑張ろう」
「はい!若様!」
「あと、その『若様』呼びもよしてくれ」
「なぜですか?」
すっかり元の調子の織江の問に、常雪がまた気恥ずかしそうに応えた。
「確かに、私はまだ十五。けれど、それは今の私だ。前世では二十歳を超えていた。自分で『設定』しておいて何だが···前世も今も、歳下のお前から『若』と呼ばれるのは、気恥ずかしい」
その呼び方は身分·立場が故のものであり、歳が上だの下だのでは無いのにと、織江は主の願いに困惑した。
だが、常雪は十五。前世で言うところの『思春期真っ只中』なわけで、呼ばれ方一つとっても、敏感になってしまう年頃なのだろう。
「そうですね。では、今此のときより、『常雪様』と呼ばせていただきます」
「···様もいらぬ」
「いえ、織江は風見家の一奉公人。それなのに、主である方を呼び捨てや、愛称で呼ぶわけには参りませんので」
「···」
「これが『設定』の限界です」
「····解った」
織江の応えに完全な納得は出来ないものの、常雪も自分で『設定』したのだから致し方ないと何とか様付けで良しとすることで落ち着いた。