結界侵犯
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーん、ここにも建設予定か。これで今月、工事がはじまったところ3軒目くらいだったっけ。
電車の中でスマホいじって、寸暇を惜しむ人は珍しくなくなってるけど、ここんところは町のスペースも惜しんでいる感がするよ。当然、経済効果的には有効な手立てとは思うけどさ。
つぶらやくんは、空き地がどうして多かったか知っているかい?
もちろん、建てようとするもの、人、企業がいないというのは大きいだろう。公共事業でない限り、利益の出ない仕事はみんなやりたがろうとはしないと思う。
でも僕は、このような空き地部分を、個人的に「間」ととらえている。
一連の流れの中で、ときどき重視される考え方だ。出し物や演説にしたって、息つく暇なく、最初から最後まで通してやることが、必ずしもいいこととは限らない。
セリフにためを作る。重要な場面で登場人物が見得をきる。
一分一秒を惜しむなら、ぱっと見で無駄のように思える行為。しかし実際には立て続けにやるより、大きい効果を相手に与えるのも珍しくはない。
動と静のメリハリ。同じようなことが、この世界の空間にも言えるんじゃないだろうか?
前に聞いた昔話なんだけど、耳へ入れてみないかい?
むかしむかし。ある村の一角にしめ縄で四方を囲まれた、空き地があったという。
およそ20坪ほどで、人が住む家を建てるには十分な広さ。しかしそこにはなんの建物も作られないまま、すでに数百年はこの状態で置かれていた。
いわれについては、年寄りたちが漠然と聞き伝えている。
ここに建つものはいずれも長続きをしない。余計な手間をかけるよりは、はじめから手をつけない方がいい。だからこうして結界を張っているのだと。
その心遣いも、よそものの前に通用するものじゃない。
戦国時代に入って、攻め寄せてきたその軍は、故郷を月単位で離れてやってきた遠征軍だったという。
遠出の疲れもあるのだろう。彼らは大規模な狼藉を働き、元々住まっていた人たちをあらかた追っ払ってしまったそうなのさ。元あった村の蓄えを物色しながら、ここに前線基地を作る腹積もり。
用意のいいことに、荷駄隊も続々到着する手はずとなっていた。拠点にそぐわない家屋は次々に壊され、跡地には兵舎や矢倉、その他の防備に関する施設が作られていく。
そして例のしめ縄の空間もだ。そこには物見矢倉が建てられることに決まった。
かの注意を知らせる者が誰もいないままに、施工は進んでしまったのだとか。
人手が多く、皆がこれら建築の仕事に慣れていたこともあって、半月もすると村は小さな拠点へと変貌していた。
かの物見矢倉も4階建ての高さとして、拠点を囲む塀を越え、遠くの様子をうかがっている。ひとまず、後方からの指示があるまで兵士たちには待機の命が出されていた。
しかし矢倉が完成してより数日後に、最初の事故が起きてしまう。
屋上と階下をつなぐための階段。その一部が大きく壊れてしまったんだ。
一段だけ外れるのなら、特におかしくない。しかし今回は、見張りの兵士が降りかけた階段半ばから、彼が手をつき、足をつきしたところから、綿のようにたやすくちぎれていってしまったらしい。
巻き込んだ階段は4段。階下の床へしたたかに身体を打ち付けた彼は、多少の打撲で済んだ。しかし階段の途切れようは、飛び越していくには少し広い、微妙な幅の口を開けていた。
補修用の木材は用意している。
いちおう、近辺の木からも伐り出してはいるものの、さすがにこの短期間では乾かない。荷駄隊に積まれていたものを使う。
ところが、あてがう段の形に加工し、いざ持ち上げようとして兵は気づいてしまった。
いまつかんでいる木の板が、尋常でない重さであることに。どうにか指を差しいれることはできたが、寝ころんだ状態から立てるだけで、すでに腕が痛くなっている。
結局、一段の板につき4人がかりで運ばねばいけないほどだった。はたから見ると、わずか3尺程度の長さかつ、腕の太さにも及ばない一段を大勢で運ぶなど、情けなさが先立つ光景だ。
そうやって笑う組も、実際に板を渡されてみると重さに閉口せざるを得ない。
不思議なことに、どの木材も同じように異様な重さを伴う有様。替えを新しく用意するくらいならばと、十数人がかりで4段の階段の補修が行われた。
さいわい、板が不可解なのはその重みだけ。釘の手ごたえなどは通常の板とさして変わらず。いくらかすると修理も終わったが、この事故がどうにもゲンが悪いと、兵舎へ引っ込む者が続出。
最終的に必要な見張りを残す形で、その夜は更けていくことになった。
かの物見矢倉が消えてしまったと、騒ぎになったのは翌朝のことだった。
現場には、木片のひとつさえ残っていない。肩を寄せ合うように、隣り合った建物にも被害はない。建てる前に存在した更地が、再び顔を見せるばかりだった。
周囲を哨戒していた見張りたちも、口をそろえて矢倉が瞬きする間に消えたと証言したという。
かの矢倉も、たまたま人を減らした日とはいえ、てっぺんで見張りにあたっていた者がひとりいたんだ。彼もまた矢倉もろとも行方が分からなくなっていた。
その騒ぎに前後して。
拠点に置いてある物資の大半が、急激に重量を増していることに、人々は気づく。
資材から鍋のふたに至るまで、昨日までの数倍、数十倍の重さを宿し、ささいなものでもうかつに足へ落とせば、骨を折りかねないほどだったとか。
気味が悪いからと、すべてを燃やしたりするわけにはいかない。補充はまだ先の話だ。
それまで、兵士たちは大過ないことを願ったが、数日後の夜のこと。
閉じ切った拠点の門を、一匹の熊が破ろうとしたんだ。
一度跳ね返されてもあきらめず、二度も三度もぶつかってくる様子に、見張りの兵たちも危機感を募らせ、門にほど近い家屋の屋根から、一斉にクマを狙った。
これまでよりずっと重くなっている弓と矢。自然、扱えるのも筋力の充実した強弓使いたちのみとなる。その斉射は、たちまちクマをハチの巣に仕立てたが、すぐに兵たちへ新たなどよめきが広がる。
射た弓のいくつかは、矢を放った瞬間に銅から真っ二つに折れてしまったんだ。
しかしそこから漂ってきたのは、木の香りに混ざる肉の生臭さだった。
仕事柄、その正体を兵たちはよく知っている。夏場に、戦場で傷を負った者たちが発する臭気がそれだ。
実際、折れた胴の中には、本来あるべきでない桃色をした生肉らしきものが、ぎっちりと詰まっていたのだとか。