【第99話】呪われた娘⑦
「見えてきたわ......森への入口よ......!」
家を出て10分ほど走り続けた先に見えてきたのは、隣町レーブルへと続く巨大な森の入口。
この森は構造が複雑で遭難者が後を絶たないことから、普段は誰も寄り付かない場所でしたが、今ばかりはその複雑さが私達の助けになる。
既に私の体力は限界に近い状態でしたが、息を切らしながらも必死に入口へと向かいました。
しかし、ここにきて新たな問題が発生することになります。
ゴールに近付くにつれ、一人の男性が森の入口の前に立っていることに、私達は気付いてしまったのです。
「うそ......なんであなたがここに......いや、あなたほどの人なら、私達の逃げ道を予測して先回りしていても不思議ではない......!」
それを見た母は、目に絶望の色を浮かべました。
なぜならそこに立っていたのが、ただの村人ではなかったから。
元冒険者で、いまは村一番の実力者としても知られている、あの人が。
「......その様子だと、ルーゼルはやられてしまったようだな......レイナ」
「フェザーさん......!」
やっとの思いでここまで逃げてきたというのに。
最も相手にしたくないと思っていた人物が、最後の最後で待ち受けているなんて。
私たち親子にとってあまりにも酷な、考えられる中で最悪の展開でした。
「悪いけど......あなたが相手でも大人しく殺されるつもりはないわ!」
母の脚と身体が、小刻みに震えているのが分かった。
立ちはだかる相手は、別格の強者。
母は言葉こそ立派だったものの、身体が自然に感じ取った恐怖心までは、隠せなかったのです。
「ルーナ、すぐに終わらせるから待っててね......!」
母は隠し持っていた短剣を抜き、戦闘態勢を取ります。
「...........」
一方、なぜかフェザーさんは、一向に戦う姿勢を見せずにいました。
止む気配のない激しい雨を振らし続けている暗い空を見上げ、ただ静かにそこに立っているだけ。
「......どうしたの? 構えなさいよ。 女だからって甘く見ない方が―――――」
母がそう言いかけると、フェザーさんはそのままの体勢でこう答えました。
「......行け」
「え?」
「......村長がここに来る前に、早く村を出るんだ」
「あなた、何を言っているの? 私たちを待ち伏せしていたんじゃなかったの?」
「俺は村長に借りがある。 ならず者だった俺を村に入れてくれた借りがな。 だから君達に直接手を貸すわけにはいかない」
「だったら、どうしてこんなことをするの?」
「......くだらないからだ」
「くだらない?」
「揃いも揃って呪われた子だの呪術だのと、あまりにも子供染みたやり方だと思わないか?」
「それは.....そう思うに決まってるでしょう!」
母が声を荒げると、次にフェザーさんは私の方に目を向け、こう続けました。
「......世の中には数多の生物が存在しているが、それらは皆、等しくない。 人、魔物関係なく、各々が個性を持って日々を生きている。その個性という括りの中で、呪術というのは確かに珍しいものかもしれないが、珍しいだけであって悪ではないはずだ。 間違った使い方さえしなければ......な」
フェザーさんの言葉は難しくて、当時の私にはよく分からなかったです。
ただ、私達に敵意がないことだけは伝わってきました。
「そう......あなたにも色々と事情があるみたいね。 でもありがとう、お言葉に甘えさせて貰うわ」
心遣いに感謝し、私と母は互いに目を合わせた後、再び森の入口へ足を運ぼうとします。
ですが......
『おい、いたぞ!!! って、あれはフェザーの旦那じゃないか!?』
『なんであいつ、呪われた子なんかと一緒に......まさか、裏切ったのか!?』
後ろの方から、武器を持った村の人たちが一斉に押し寄せてきていたのです。
「ちっ......無駄話をしすぎたか......急げ! レイナ、ルーナ!」
「え......でも、あなたは!? あの感じだと、私たち側についたこともうバレちゃってるわよ!?」
「フンッ......ならむしろ好都合だ......」
「は、はあ......?」
村共通の敵である私たちを発見したにも関わらず見逃そうとしたフェザーさんを、村の人たちが許すとは思えない。
つまり私たちが逃げ切れたとしても、きっとフェザーさんは.......と心配する母と私。
しかしそれは、全くもって必要のない心配でした。
「好都合って、どういうこと?」
母がそう訊ねると、フェザーさんは突然不敵に笑い始め......
「クク.......俺を誰だと思っている、レイナ?」
「誰って......そりゃ村で有名な元冒険者の......」
「ああ、そうだ。 俺は........」
こうして話している間にも当然、村の人たちは私達を討つべく向かってきていた。
「ほんと、無駄話なんてしている場合じゃないわね......ルーナ、もう行くよ!」
早く逃げないと。そう思った母と私は手を繋ぎ、走り始める。
しかし、その直後でした。
「......恥を知らない愚か者め、しばらくそこで眠っていろ......アイシクル・ガスト!!!!!」
大きな雪崩でも発生したかのような波打ち音が響き渡ったのです。
「えっ!? な、なに今の音!?......って、う、うそでしょ.....?」
母と私は思わず後ろを振り向いてしまいます。
そこに見えてきたのは、村人20人それぞれが、巨大な氷柱によって無残な形で氷漬けにされているという、異様な光景でした。
「魔法を使ってるところを初めて見たけれど、噂以上のバカ魔力じゃない......」
呆気にとられる母と私。
そんな私たちを鼓舞するように、フェザーさんは背中を向けたまま、こう言ってくれました。
「俺が手を貸せるのはここまでだ! だが立ち止まるな! 己が信じた道を進め!! そこには必ず、君達のことを照らす光がある!」
(私とお母さんを照らす......光.......)
どんな時でも冷静沈着を貫いていたあのフェザーさんが、感情的になって届けてくれた言葉。
後にこの言葉の意味を、私は知ることになります。
「わかったわ......この恩は一生忘れない!」
変わらず背中を向けたままのフェザーさんに、母は精一杯の感謝を込めながら頭を下げた。
こうして私と母は、なんとか森の中へと逃げ込むことが出来たのです。
~タグマの森(通称迷いの森) にて~
8歳にして初めて体験する真夜中の森。
そこはとにかく暗くて、不気味で、怖かった。
「......おかあさん、おとうさんは? 一人でお家に居るの......?」
月の明かりのおかげで辛うじて進路が見えるかどうか、といった状況下の森を駆け抜けながら、私は母にそう聞きました。
子供の純粋さは時に恐ろしく、母にとってみれば凄く嫌な質問だったと思います。
「ねぇ......?」
「............」
結局母はその質問には答えず、ただ私の手をぎゅっと握り返すだけでした。
もしかしたら、"無言"が母の答えだったのかもしれません。
「......はやく......お家に帰りたい」
「......そうね」
この時、私はまだ気持ちの整理がつかない状態でした。
いま自分の身に何が起こっているのか、なぜこんな大荒れの夜に母と二人で森に来ているのか、一体誰から何のために逃げているのか、本当に何も分かっていなかったと思います。
だから当然、父が殺されてしまったという実感も無かったのです。
ただ、今思えば実感が湧かなかったのではなく、受け入れたくなかっただけなのでしょう。
頭では分かっていたけど、心がその事実を拒み、認めたくないと必死に抵抗をし続けていた。
多分そんな感じだったのかなって、今はそう思います。
「ゼェ......ハァ...ハァ......さすがに、そろそろ撒いたんじゃない......?」
森に進入してから、どれぐらいの時が経過したのだろうか。
随分と長い時間、走り続けていたような気がする。
気付けば足の感覚が無くなり始めていて、ふくらはぎは酷く張っていました。
「ルーナ、まだ走れそう?」
「うん、たぶんまだ大丈夫だと思.....いたっ!?」
「ッ!? ちょっと足を見せて!!」
走っている最中は気付きませんでしたが、どうやら釘かなにかを踏んでしまっていた私。
靴底に穴が空き、足裏からは出血をしていました。
母は慌てて、私の傷の状態を確認する。
「......よかった、これくらいの傷なら私の魔法でも十分治せる......クーラ」
そのまま慣れた手つきで、素早く回復魔法をかけてくれました。
「あ......もう痛くない......ありがとう、おかあさん」
「いいのよ。 それにしてもこの森、迷いの森と呼ばれているだけあって、なかなか思う様には進まないわね......」
家を出てからずっと走りっぱなしだったので、私は勿論のこと、母も体力に限界が近付いていた頃でした。
「......だからといって私達に休んでる暇はない。 ルーナ、いくわよ」
気休め程度の小休憩を挟み、私と母は再び走り出しました。
こんなに長いこと走り続けたのは、後にも先にもこの夜だけです。
しかし、肝心の逃亡の進捗はと言うと、お世辞にも良いとは言えない状況でした。
ただでさえ突破が困難な森だというのに、この日は更にそこへ暗闇と激しい雨、風、雷が加わって、普段よりも格段に難易度が上がっていたのです。
そもそも何の事前準備も無しに、このコンディションの森を抜けること自体が無謀な試みだった。
かと言って、あの窮地で他に私達が取れる選択肢が無かったことも事実。
フェザーさんに助けを求めようにも、もう遅い。
仮に助けを求めていたとしても、本当に手を貸してくれるかどうかなんて分からない。
では、どうするのが正解だったのか。
泣いて謝って、命乞いでもすればよかったのか。
父を殺した相手に対して、額を地面に擦り付け、土下座でもすればよかったのか。
実際はそんなことをしたところで、何も変わりはしなかったでしょう。
私がどれだけ必死に足掻いても。
母が何度あらたな道を探し回っても。
たとえ時間を戻して、もう一度やり直せるとしても。
―――――私達が安全に逃げられる道なんて、最初からどこにもなかった。
「ここは......崖? そんな......嘘でしょう......」
目的地のレーブルは、陸地にある大きな街。
いま私と母が辿り着いたのは、おそらく森の中で最も高い位置にある崖。
つまり、方角はともかく高度的には、真逆の位置に来てしまっていたのです。
「冗談じゃないわ......これじゃいつまで経っても森を抜けることなんて......」
母の眼に、絶望の色が漂う中。
.......私達を襲う悲劇は、これで終わりではありませんでした。
いえ、むしろこれからが本番だったのです。
『ミツケタゾ......ノロワレタ娘ト、ソノ母親メ......!』
「......ッ誰!?」
どこからか突然聞こえてきたのは、薄気味悪い不審な声。
この迷いの森に、それもこんな夜中に、私達以外に人が来ているとは思えない。
なら今、可能性として考えられるのはただ一つ。
母と私は、崖と広大な海を背にし、恐る恐る後ろを振り返った。