【第90話】いつもと違う、君。
(ゴクリ.........)
先程とは打って変わって、今度は表情全体に緊張の色が見え始める光。
ゆっくりと開いていく自室の扉を凝視し、つい数分前に会う約束をした人物の姿が見えるのをじっと待つ。
今晩は光にとって、様々な意味で忘れられない夜になりそうだ。
「こ、こんばんはー......光さん」
4割ほど開いた扉の隙間から顔だけを覗かせた女の子は、少々遠慮気味にそう言った。
その子の正体は何を隠そう、我らがシルヴィア王女殿下である。
「.....うっす。 と、とりあえずあがってくれ」
光がそう声を掛けると、シルヴィアは「はい」と返事をし、いかにも王族といった感じの高級靴を脱いでから、光の部屋に足を踏み入れた。
「あの、本当に申し訳ございませんでした、こんな時間にお邪魔しちゃって。 きっと、これからゆっくりお休みになられる予定でしたよね......」
シルヴィアは申し訳無さそうな様子でそう言い、謝罪の意味も込めて頭を深く下げた。
「そんなの別に気にしなくていいよ、どうせ俺は暇人だからな」
「......そう言って頂けると、少しだけ心がホッとします。 本当に優しいお方ですね、光さんは」
そう言いながら顔を上げ、軽く微笑むシルヴィア。
「大袈裟だな.....つーかシルヴィアは王女なんだからさ、他人にそう易々と頭を上げるのはいい加減やめた方が―――――」
性格が出来過ぎているが故に一般人よりも腰が低くなりがちな王女様に、光が呆れながら一種の助言をしようとした時。
「......本当に......いつも感謝してるんですからね」
シルヴィアが少し照れ臭そうにしながら、頭を下げた勢いで左耳から外れてしまったサイドの髪を、何気なく耳に掛けた。
(..........)
何の変哲もない、女性が日常的におこなう仕草だが、シルヴィアがやると何故か無条件で絵になってしまう。
まるで人気アイドルのPVを生で見ているかのような、とても甘美な光景。
ちなみに、そんな光景を直に目撃してしまった光の反応はと言うと......
(......ハッ?! あ、あぶねえ、ついガン見してしまった......これはさすがにバレたか.....?)
シルヴィアが顔を上げてからの一連の動作は勿論のこと、その小ぶりで色白の綺麗な耳が露わになる瞬間に、光は必死の抵抗も空しく釘付けにさせられていた。
「光さん? どうかしましたか? もしかして、私の顔に何かついてます.....?」
「......何でもない。 それより飲み物はなにがいい? まあ、水か果物系のジュースしかないけど」
「ええっ? そ、そんな、私なんかに気を使わないでください。 無理を言ってお部屋に上がらせて頂いているのですから、おもてなしなんて.....」
「まあそう言うなって。 なぜか前にセシルから貰った未使用のコップもあるし。 ジュースでいいか?」
「......では、そのピーシェル100%ジュースでお願いします......ストローつきで」
「ぷっ......了解したよ」
まだ納得がいってなさそうな様子のシルヴィアだが、さりげなくストローまで要求する辺り、本当は喉が渇いていたのだろう。
「ソファーとか何もなくて悪いけど、その辺に適当に座って待っててくれ」
シルヴィアに一言そう伝えると、光は窓際に置いてあった未使用のコップを箱から取り出し、水道でサッと洗い流した後、異世界特有の妙な色をしたジュースを注ぐ。
透明だったコップが、ゆっくりと薄いピンク色に染まっていく時間の中で、ふと光はこんなことを思った。
(マジで俺の部屋に来ちまったんだな、シルヴィア.....この状況、冷静に考えたら結構やばくね? いいんですか、これ? つーか......)
ほぼ毎日教室や校庭で、シルヴィアのことを近い距離で見ていたはずなのに。
出会った当初と比べたら、良い意味で、シルヴィアと接することにも"慣れ"てきたと思っていたのに。
光の目には何故か今、彼女を構成する全ての要素が普段と違って見えていた。
いつも通りの綺麗なピンク色の髪に、いつも通りの完璧に整った顔。
大人の女性が顔負けする、王女さながらの上品なおしとやかな雰囲気の中に、少しだけ入り混じった腕白さ。
いま目の前にいるのは、確かに光が知るいつものシルヴィアだ。
それなのに..........
(なんつーかやけに距離が近いというか、いや物理的な距離は普段とそこまで変わらないけど、なんかシルヴィアの存在を身近に感じるというか、シルヴィアの顔がハッキリと見えるというか、よく分かんねえけど.........)
気付くと光の顔は、熟したリンゴのように赤く染まっていた。




