8話
宇宙にいるもう一人の副官からのメールは、確かに届いていた。宇宙軍総司令本部内に置かれている、第三機動艦隊の地上オフィスの情報端末を開き、ヴィエラは次々とメールを開いていく。
「司令に出す前にチェックかける必要があるか……」
「あのー、あたしがいても、役に立てないんですけど……」
自分が書類仕事では戦力外であるとよく理解しているイレーネである。しかし、ヴィエラが出勤しているのに休むわけにはいかず、彼女はちゃんと出勤してきた。イレーネの現在の最重要業務は、ヴィエラの護衛であるからだ。
「わかっているよ。私の記載に漏れがないかを確認して……ああ、内容を読めと言っているわけではないよ。空欄がないかを確認してほしいだけだ」
「そ、それくらいなら」
大気圏内飛行の時とは打って変わった様子に、ヴィエラは苦笑した。本当に、業務に支障が出る前に彼女の頭の中身を何とかしなければ。
「わからないことがあったら、聞くんだよ」
「了解です」
どうでもよいが、ヴィエラは文字を読むのが早い。事故報告やら計画書、予算執行伝票まで様々な書類があるが、電子媒体でヴィエラはそれに目を通し、次々とサインしていく。さらにイレーネのチェックを通過して、宇宙にいるもう一人の副官の元へ返信する。
「目が、目がおかしくなりそうですぅ……」
一時間が経った頃、イレーネがそう訴えてきたので、ヴィエラは手を止めて苦笑した。
「そうだね。少し休憩しようか」
「やった……」
イレーネの声に元気がない。慣れないことをするからだろうか。
「准将。書類の中に、訓練計画案がありましたけど」
「うん? うん、そうだね」
確かにあった。イレーネがそれを言いだしたのは、彼女が興味のある分野だからだろう。それ以外は目が滑っている可能性が高い。見落としがあるとは思っていないが、ヴィエラも人間だ。何かしら不備があるかもしれないが、そのあたりは宇宙の事務要員の皆様にチェックしていただくしかない。自分の間違いは、往々にして見つけにくいものだ。
「今度、大規模演習でもするんですか」
「さてねえ。どうだろうねぇ」
確かに、イレーネは鋭いところをついているのだ。一つの艦隊だけの訓練では見えてこないこともある。指揮官訓練として、ヴィエラは別艦隊の指揮を執ったこともある。
「ちなみに、訓練内容はちゃんと把握しておかないとだめだよ」
「……」
「わからないところはちゃんと聞くんだよ。意思疎通が取れないのが一番危険だからね」
「むう」
そこで自分の能力をできているイレーネは偉いと思う。イレーネの茶菓子の皿が空になっているのを見て、ヴィエラは言った。
「よし。再開しようか」
「え、もうちょっと休憩……」
よほど書類を見るのが嫌なのだろう。イレーネはごねたがヴィエラは言った。
「駄目だよ。夜に予定が入ってるんだからね」
「むう。あたしも行くんですよね?」
「いやなら断ってもいいよ。年上ばかりだしね」
「いえ、行きます!」
きっぱりと言ってのけたイレーネはある意味すごい。他の三人は年上かつ階級が上であるのに。
「伝説級のパイロットとお話しできる機会なんて、めったにないです!」
「……君、キールとは話していたよね」
「それとこれとは別です!!」
妙に気合が入っていた。まあ、イレーネが構わないなら、ヴィエラもとやかく言うつもりはない。
その瞬間だけ気合が入ったイレーネであるが、すぐに集中力が切れてきた。本当に机仕事が苦手らしい。ヴィエラも好きではないが、処理能力だけは高い。
「もう少しだから頑張って。さっき見た書類と同じ様式だから」
「うわーん」
イレーネが泣きまねをする。ヴィエラが怒らないと思って、ちょっとなめているような気もするが、特にツッコまないことにした。
いわゆる定時と呼ばれる時間内に、何とか書類仕事は終了した。再度宇宙から送信されてきた書類を司令本部に提出する必要はあるが、何とか終わったのだ。
「お疲れ様。頑張ったねぇ」
「……准将の説明、わかりやすかったです」
「おや、そうかい? 実は、私は教師になりたくてね」
「そうなんですか?」
「冗談だよ」
ヴィエラの即答にイレーネは唇を尖らせた。
「もっと冗談っぽく言ってくださいよぅ」
「ごめんごめん」
普段と冗談を言う声のトーンが同じなので冗談に聞こえないらしかった。
しかし、ヴィエラも時々思うのだ。自分は、軍人をしていなかったら今頃何をしているのだろうか。
「さて。着替えて、行こうか」
「はい!」
さすがに軍服では目立つため、二人は私服に着替えてからほかの同行者二人と合流する予定だった。果たして、その同行者の男性二人は、待ち合わせ場所に先に来ていた。
「やあ。待たせたね」
颯爽とヴィエラは言ったが、そんな彼女の恰好はいつになく女性らしかった。ブラウスに黒と赤のシフォンのスカート。さらにアイボリーのボレロを羽織っている。つばの広い帽子に眼鏡をかけていた。
「それほどでもない。寒くもなかったからな」
答えたのは、車椅子に座るジルドだった。キールに至っては、ジルドがそう答えたのに、「五分遅れたな」などと言っている。この二人、仲がいいのが若干謎だ。と、自分を棚に上げて思うヴィエラであった。
「そちらのお嬢さんが、ヴィーの副官?」
「そうだよ。イレーネ・デ・フェオ少尉だ」
「フェオ少尉であります!」
彼女も淡いブルーのワンピース姿だったのだが、ピシッと敬礼を決めた。キールはともかく、ジルドとは初対面なのである。
「ジルド・カルツァ退役大尉だ。フェオ、と言うことは同郷かな。トリエステ共和国の出身?」
「そうです!」
トリエステ共和国は国際共同連合を構成する国の一つである。様々な国から多数の人間が集まってくるので、同じ国出身の人間に出くわすのは珍しくない。ヴィエラも、宇宙にいるもう一人の副官とは同じ国の出身だ。
「そうか。ヴィーのことをよろしく頼むよ」
「はい!」
イレーネが臆せず元気に答えた。さらに、「車椅子、あたしが押します」と名乗り出る。一応、上官に押させるわけにはいかないと思ったのだろう。
四人が向かったのは、さほど高級でもない普通のレストランだ。それでも、通されたのは個室である。車椅子のジルドがいるし、何よりヴィエラの美貌が悪目立ちするからだ。
「堂々としていれば、意外とみんな触れてこないものだよ」
などとうそぶく彼女だが、食事くらい落ち着いてしたい。しかも、旧友たちとの食事くらいは。
「さて、フェオ少尉は酒を飲むか?」
キールの問いに、二十歳のイレーネは目をしばたたかせた。
「飲めるには飲めます」
「私も飲みたい」
ヴィエラは手をあげて主張したが、キールとジルドから「お前は駄目」と却下された。そう言うジルドも飲めないので、結局全員ノンアルコールである。いい年した高級官僚ばかりなのに、健全なお食事会になってしまった。
「ひとまず、ヴィー、昇進おめでとう」
「どうもありがとう」
乾杯の音頭はヴィエラの昇進祝いとなった。乾杯、と言っても、みんな飲んでいるのはノンアルコールである。ジュースやらお茶やらだ。
「お二人とも、准将とは士官学校時代からのお友達なんですよね。准将ってどんな人だったんですか」
「イレーネ……君ね」
食事も中盤、話題も落ち着いてきてイレーネも慣れてきたころ、彼女はそんな事を言った。軌道エレベーターで一緒になった際にキールに断片的に聞いているはずだが、それで余計に気になるのだろうか。
「一言でいうなら問題児」
「あ、それ、リーシン少佐も言ってましたよね」
軌道エレベーターの中でだ。イレーネが首をかしげる。
「どうしても、このお三方の接点が見えないんですけど……」
確かに。キールとジルドは、わかる。同じ戦闘機パイロットだからだ。しかし、ヴィエラは違う。
「……准将って、士官学校で何科だったんですか」
「いや、情報数理科だけど。ミサイルの軌道計算とか」
「……頭いいですね」
「下から数えたほうが早かったけどね」
当たり前だが、士官学校にもいくつか科や専攻がある。ヴィエラは基本的に理数畑であるが、何故だか、司令官育成コースなるものを受講させられ、今がある。
「ちょっと意味が分かりません!」
「ああ、簡単だよ。じゃんけんで負けたの」
理数系の皆様は研究者気質のものが多い。一つの班から一人の受講者を出せ、と言われて、みんなで押し付け合った結果、じゃんけんになったのだ。
「こういう運はないんだよなぁ。戦場では流れ弾にも当たらないくせにさ」
「軍人としては結構なことだろう」
キールが冷静につっこんだ。
次々と運ばれてくる料理を主に腹に収めたのはキールとイレーネだった。ヴィエラは食べ過ぎると吐くし、ジルドは体調をかんがみ、あまり多くを食べられないのだ。
「フェオ少尉、どこにそれだけの量が入って行くんだろうね……」
ジルドが感心するやら、あきれるやらで言った。
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