4話
何やら話し声が聞こえた気がして、ヴィエラはゆっくりと目を開けた。最初に飛び込んできたのは点滴液だ。何度か瞬きして、内容量が少なくなっていることを確認した。
「ああ、起こしちゃったね、ごめん」
ベッドサイドから声が聞こえ、ヴィエラはそちらを見た。車いすに座ったジルドと、軍服を腕に引っ掛けたキールがいた。
「……何してるんだい」
ヴィエラが声をかけると、「暇かな、と思って見に来たんだ」とジルドが苦笑を浮かべた。彼女が身を起こそうとベッドに手をつくと、キールが近づいてきて彼女を支えて起こした。
「ああ、ありがとう」
「いや」
「そっちは問題なかったの?」
「そうだな。よく動いている」
と、キールが少し左腕を持ち上げる。そこにあるのは温かい肌ではなく、冷たい金属だ。彼は左腕が義手なのである。
第三次宇宙戦争でヴィエラも大けがを負ったが、キールもそうだ。彼は機構軍に身柄を回収され、そこで治療を受けたのだが、捕虜であっても丁寧な治療をしてくれたのはありがたい話だ。
それでも彼は、左腕を失うことになってしまった。決して悲観してはいないし、不便さもないが、人とは違うのだな、と思うことはあるそうだ。
果たして頭の中身が人とは違うヴィエラは点滴のつながっていない右手でキールの左腕の義手の指をつかんだ。そのままつかんだり放したりする。
「……なんだ」
キールがいぶかしげに言う。ヴィエラは「別に」とため息をついて彼を解放した。
「なあ。そう言うことはな、普通人が見ているところではやらないんだよ」
ジルドから冷静なツッコミが入ったが、今更気にしない二人であった。
「ヴィー、体調は大丈夫?」
「ああ、検査結果自体は異状はないよ。栄養失調気味だと言われたけど」
「……キール、この子食事にでも連れて行った方がいいんじゃないか?」
「そうだな……」
男性士官に食生活がよろしくないことを懸念される新女性准将である。
点滴が終わり、針が外されると、キールに手伝ってもらってヴィエラは立ち上がった。ジャケットを羽織る。
立ち上がってしまえば、ヴィエラは歩けるため、キールがジルドの車椅子を押した。まだ時間があるので、コーヒーでも飲まないかと言うことになったのだ。
「お前はカフェオレだな」
「心配されるほど胃は弱くないんだけど」
と言いながら、甘んじて一人だけカフェオレを受け取るヴィエラである。渡してきたキールが、心配してくれていることはわかるので。
「懐かしいなぁ。なんだかんだで、士官学校時代もキールがヴィエラの面倒見ていたよなあ」
ジルドが懐かしそうに言う。思えば、あの頃が一番楽しかったのではないか。もちろん、卒業後には戦場に出ざるを得なかったからだが。
「優等生二人にかまわれて、私は女子学生の嫉妬を買ったものだよ」
「お前のその性格と顔のせいのような気もするが」
と、キールは冷静に言ってのけた。まあ、その通りなのだが。
ちなみに、士官学校では女子学生の絶対数は少ない。軍人になろうと言う学校の中でも派手な子たちはいるもので、ヴィエラはそう言った子たちに嫌われていたものだ。特に、ハンサムな優等生二人に絡まれる、頭の悪い美女となれば、嫉妬もせずにいられないだろう。
「実際のところ、ヴィーの成績って手を抜いてたんだよな。まあ、その時点でむかつくんだけど、本気でやったらどれくらいできたんだろうな」
ジルドがヴィエラは本当に士官学校での成績が悪かったのではなく、手を抜いていたのだろうと推測した。ヴィエラは笑って言う。
「買いかぶりだよ」
「いや、お前、一回成績五位以内に入ったことあっただろう。筆記だけ一位で」
「……理論はね。それくらいならね」
キール、いらないことをいろいろ覚えている。
「まあ、問題がわかってなきゃ、いつもぎりぎり赤点回避なんてありえないよね」
自分で結局答えを言い、ヴィエラは同級生二人に白い目で見られた。当然である。どれだけやる気がなかったのか。
「まあ、過去のことだよ。実際、学校で学んだことなんて、半分くらいしか役に立たないからね」
安全な場所で学ぶことと、現場で学ぶことには多少乖離があるのだ。
「確かに、かなり度胸がいるな」
「キールから、まさかの根性論」
適当にからかうと頭をはたかれた。もちろん、右手で。左手でやられたら死ぬ。
「二人とも、すぐに宇宙に戻る?」
「いや、俺はもうしばらく地上待機だ。新人パイロットの訓練に来ているからな」
「あー、大気圏内飛行訓練なわけか」
ジルドの問いに答えたキールの言葉を聞いて、ヴィエラは納得したように言った。宇宙戦闘機は大気圏内でも運用可能だが、重力のある大気圏内では、また操縦が難しいのだ。士官学校時代にはシミュレーション機しか使わないため、実際の大気圏内飛行は卒業後となる。ヴィエラは、授業に大気圏内飛行の科目があれば士官学校を卒業できなかったであろう自信がある。
「そいつは重要だな。ヴィーは?」
「私は将校会議に出席してから戻ることになるかな。一週間後くらいになるな」
時間はあるようでない。第三機動艦隊司令官が宇宙にいるままなので、彼の代わりに事務仕事をこなして行かなければならないのだ。勤務態度がよろしくないと言われるヴィエラでも、しなければならないことはある。
「将校会議か……まじめにやれよ」
「まあ、基本的に聞いてるだけだからね」
大丈夫でしょ、とヴィエラは気楽に言った。定期的に開かれる会議だ。状況報告くらいしかすることはない。臨時会議だと緊急性が高いので積極的に意見を言うことも……ないな。うん。
「じゃあしばらく時間があるな。どこかに食事にでも行かないか」
ジルドの提案に、ヴィエラは「ん?」と首をかしげた。
「さっきキールに連れて行けって言ってなかった?」
「それはそれ。これはこれ」
また別に行って来い、と言うことだろうか。まあいいけど。
「いいんじゃないか。お前の昇進祝いだ」
「階級的に私が払おうか」
「お前、今の話聞いていたか?」
自分の昇進祝いに自分で支払っていたら意味がない。だが、同期とはいえ階級が三つも違う相手に祝ってもらうのは不思議な気分である。
「ヴィーって結構面倒見がいいよな。いい教師になれそうだ」
ジルドが笑いながら言った。ヴィエラは苦笑して言う。
「理論だけなら教えられるかもね」
そう、理論だけなら。しかし、理論だけわかっていても、現実は違うのだ。そこまで考えて、ヴィエラは自分が戦術論を教えることを前提としていることに気が付いた。テーブルに伸びる。
「ああ~、ついに私も軍人色に染まってきたと言うことだろうか」
「お前は思考が不穏なだけだ。というか、准将がこんなところで伸びるな」
至極まっとうなことを言ってのけたキールだが、ヴィエラは「大丈夫、誰も私を軍人だなんて思わないよ」と取り合わない。
「いや、映画女優並みの美女が伸びてるっていうのは結構衝撃映像だ」
ジルドにもつっこまれ、姿勢を正すヴィエラである。キールが眉をひそめた。
「お前、ジルドに言われた時だけ素直じゃないか」
「気のせいじゃない?」
しれっとしたものだ。ヴィエラは。
「じゃあね、二人とも。仕事頑張れ」
病院を出る時、ジルドに手を振ってそんなことを言われ、ヴィエラとキールは苦笑した。
「まあ、新人たちを初陣で死なない程度には鍛えるさ」
「私の方は頑張る機会がない方が平和なのだけどね」
ヴィエラが頑張るときは、本当に危機的状況だけだ。それもそれでどうなのか、と言う話だが。
「これから官舎へ帰るのか?」
「え? ああ、まあ、そうだね」
病院を出たところでキールに尋ねられ、ヴィエラはうなずく。もともと今日は非番なので、本部に戻るつもりはない。
「送っていこう」
「ええ~、いいよ」
「ここでお前を一人で放りだしたら、多方面から非難を食らう」
「ええぇ……」
ヴィエラは嫌な顔をしたがキールは譲らず、結局送ってもらうことになった。と言っても、自動運転車によって最寄駅まで行けるのだが。人間が運転する車もあるが、ヴィエラは苦手だ。尤も、戦闘機よりは扱いやすいので運転できないわけではない。
「そう言えばお前、引っ越しはしないのか?」
キールに尋ねられ一瞬意味が分からなかったが、すぐに理解してああ、と声をあげた。
「しないね。女性軍人って少ないから、だいたいまとめて同じような官舎に放り込まれているからね」
階級や所属によって与えられる官舎は違うのだが、女性軍人は全体的に見て少ない。そのため、同じ地区の官舎に放り込まれる。ヴィエラは佐官から将官に昇進したわけだが、将官が集まる官舎に移ると周りは男性ばかりになる。ヴィエラのほかにも女性将官は存在するが、みなヴィエラたちと同じ官舎に暮らしているはずだ。尤も、独身女性の将官に限るが。
「なるほど……」
「それに、周りがお偉いさんばかりだと君も出入りしづらいだろう?」
「馬鹿か」
「あいたっ」
頭を軽くはたかれて、痛くはなかったが条件反射的に口を開いた。ヴィエラが住まう官舎の最寄駅に車は停車した。キールはこれから宇宙軍司令本部に行くらしいので、遠回りをさせてしまった。
「じゃ、送ってくれてありがと」
「ああ。身の回りには気をつけろよ」
「了解」
冗談半分に敬礼し、ヴィエラはキールの乗った車を見送ると、官舎の自室に向かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
准将、発言がきわどい。