19話
トスカーニ少尉に銃口を突きつけられたヴィエラは、王宮の廊下を歩いていた。その後を、二人の護衛の男に挟まれたアンドレアが続く。まあ、彼らを今も護衛と呼んでもいいのかは不明だが。
目的地は近かった。女王の執務室。本来であれば、ヴィエラは足を踏み入れられなかったであろうその場所を興味深く見渡した。艦隊の司令官室とさほど変わらない。広さはあるが。
「さて。女王陛下。お願いがあるのですが」
秘書官の男が言った。アンドレアは顔をしかめ、「これは脅迫と言うのよ」と言ってのけた。なかなかの胆力である。
「あまり口がすぎると、ご友人の頭が吹き飛びますよ」
そう言われ、アンドレアはヴィエラを見る。いつも笑顔のポーカーフェイスを浮かべている彼女は、さすがに真顔で、その表情のないさまがちょっと怖い。
「陛下。外国製品への関税率を上げていただけませんか」
「女王に政治的決定権はないわ。首相に直訴でもすれば?」
アンドレアがつれなく言った。ちらっと彼女がヴィエラを気にする。ヴィエラが平然としているので彼女は反応に困るようだ。
「いいえ。女王は、首相よりも人々に影響力があります。あなたが少し言葉を発するだけで、彼らは仕事を放棄するし、買い控えを行うでしょう」
「……私はそんなことはしないわ」
歴代女王には、そういう人もいた。だが、アンドレアは公平さを貫こうとするだろう。鼻につく態度かもしれないが、女王はそれくらいでないと務まらないだろう。
「では、ご友人とお別れしていただくしかありませんね」
「……」
アンドレアが唇をかんだ。事実上、人質にとられているのはヴィエラではなく、クジェル女王国の未来だ。連合宇宙軍に所属するヴィエラがクジェル女王国で殺されれば、それは殉職ではない。連合側は一将校の死亡を責めたて、クジェル女王国に無理な要求をするだろう。そのため、ヴィエラはここで死ぬわけにはいかないのだ。
通気口から何かが投げ込まれた。それは爆発……はせず、煙が充満し始めた。煙幕弾だ。
銃を突きつけられていただけど特に拘束されていなかったヴィエラは、前方に駆け出し、アンドレアの手首をつかんだ。視界が悪くなる周囲に右往左往していたアンドレアは、突然つかまれた手首にびくっとした。
「准将!」
トスカーニ少尉がヴィエラの逃亡に気付いて叫んだ。アンドレアは自分の手首をつかんだのがヴィエラだとわかると、騒がずに彼女に手を引っ張られた。しかし、ヴィエラは部屋を出るようなことはせず、少し離れたところで立ち止まり、アンドレアに覆いかぶさるようにしゃがみ込んだ。やがて、煙が晴れる。
「もういいぞ」
聞き覚えのある低い声に、ヴィエラは顔をあげた。私服姿の男性が側に立っていた。
「おう、キール。ご苦労さん」
軽い調子で挨拶をするヴィエラの手を引っ張って立たせ、彼は女王にも手を貸して立たせた。
「あ、あら、リーシン少佐?」
アンドレアはぽかんとキールを見上げている。ヴィエラは昏倒した秘書官や護衛を見て感心する。
「さすがの手際だね」
「提督に褒められた」
嬉しそうに言ったのはイレーネである。彼女とキールが、この部屋に煙幕弾を投げ込み、その混乱に乗じて二人以外を殴り倒したのである。
「え、トスカーニ少尉……?」
キールとイレーネに伸された同僚を見て、ヴァシーリエフ軍曹が動揺の声を上げる。ヴィエラはキールを見上げた。
「彼も連れて来たのか」
「ほっとくわけにはいかないだろ。中尉はどうした」
「応接間にいるよ。まあ、あの子なら自分で何とかするさ」
こんなふうにデニスの扱いが雑だから後から苦情を言われるのだが、今、手が足りないのは確かなので自分で何とかしてほしいところである。
「ねえ、ちょっと。どういうこと?」
アンドレアがヴィエラの服を引っ張る。どういうことと言われても困るのだが。
「まあ、怪しかったから手を打っておいただけだけど、うまくいくものだね」
いくら陸軍が地上戦に長けているとはいえ、宇宙軍の提督に陸軍の護衛を付けるなど、何かあります、と言っているようなものだ。女性初の宇宙軍提督、白兵戦が弱い、などの理由を並べても、陸軍から護衛を派遣する理由にはならない。実際、キールが護衛についているわけで、イレーネだってヴィエラの次席副官だが、護衛も兼ねているのだ。
「……その思考が良くわからないわ」
「あはは。よく言われるよ」
ヴィエラは笑ってアンドレアに応える。ヴィエラは先を見過ぎていて考えていることが分からない、と言われることが良くある。
事情はあとで聞けばいい。とにかく、この王宮の不穏分子をすべて片付けるのが先だ。
「提督ッ!」
ばーん、と扉が開いた。あわてた風情でやってきたのはデニスだった。
「おや、お疲れ様。いきなり開けるなんて、中にいるのが敵だったらどうするんだい?」
「屁理屈はいいんですよ! 少佐がいるのにそんなわけないでしょう」
日ごろの行いのせいだとわかっているが、ヴィエラよりキールの方がデニスの中での信頼度が高い。
「うん、まあそうだね。そっちの首尾はどう?」
「……問題ありません。提督の読み通りです。ひとまず、全ての非常扉を閉じて全員閉じ込めています」
「よし。お疲れ」
ヴィエラはデニスをねぎらったが、アンドレアが気づいて顔をしかめる。
「それって、私たちも出られないということじゃない?」
ヴィエラは友人を振り返り、微笑んだ。
「すぐに警備隊が気づいて出してくれるさ」
「……他力本願ね」
アンドレアが肩をすくめた。ヴィエラは目を細めて言う。
「私自身は軍人としては非力だからね」
とれる方法は何でもとるし、確実性の高い方を選ぶ。デニスが持参したノートパソコンを開き、非常扉に強固なロックをかけている。内側から出られないように、だ。
「そんなことしたら、外から開かないでしょ」
「開くだろ。力技でぶち破ればね」
「……ヴィー」
アンドレアが半眼で友人を睨んだ。ヴィエラは肩をすくめる。
「こっちの手数が少なすぎるんだよ。どうしても、強引な方法を取らざるを得ない」
誰が味方で、敵かもよくわからないのだ。危ない橋は渡りたくないところ。結局、ヴィエラが言ったように厳重にかけられたロックは力技でぶち破られることはなく、安全に解除された。
「もう。最初から開けるつもりならそう言ってくれればいいのに」
「ごめんて。キールがうまく手配をまわしてくれたからね」
ありがと、と彼を見上げて礼を言うと、睨まれた。良くも面倒なことを押しつけやがって、と言ったところだろうか。キールもデニスも、確実に貧乏くじを引いている。
キールとイレーネ、デニスがヴィエラを守るように王宮の外に出る。陸軍からの護衛二人は、別行動だ。ヴァシーリエフ軍曹はともかく、トスカーニ少尉はヴィエラに銃を突きつけたのだ。
「とりあえず、これで帰れるねぇ。トスカーニ少尉の件に関してはクジェル女王国側に証言してもらえばいいし、新任の女王が狙われたのは御しやすいと思われたからだろうし。素晴らしき勘違いだね」
笑いながら言ったヴィエラに男性陣二人は不審げな視線を向ける。
と、不意にキールが動いた。一瞬でヴィエラを引き寄せ腕の中にかこうと、かばうように抱きしめた。
銃声が響いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ヴィエラさん、軍人としては弱い方。




