10話
約一週間ぶりに第三機動艦隊が駐留する軌道ステーションに戻ってきたヴィエラは、同僚たるアリエテ准将が出迎えてくれた。
「ただいま戻りました。アリエテ准将が出迎えてくださるとは」
低重力を移動し、ヴィエラとイレーネは長身で体格の良い男性の前に降りたち、敬礼した。アリエテ准将は三十代後半。妻子あり。十歳近い年の差があるが、ヴィエラと同じく分隊司令官である。むしろ、ヴィエラの出世速度が尋常ではないのだ。
「お帰り、ブルーベル。昇進おめでとう……ところで、問題が発生した」
「問題とは、私が准将になったことですか」
「ああ、確かに……と言うのは冗談だ。ストルキオ司令官が倒れた」
「……は?」
ヴィエラはその美貌にぽかんとした表情を浮かべた。アリエテ准将は彼女の背を叩き、「移動しながら話そう」と言った。
「急性虫垂炎と言うことでなぁ。昨日倒れた」
「昨日……では、指揮権は今、アリエテ准将に?」
「一応な……だが、お前も今は同様の権限を持っている」
アリエテ准将が意味ありげに言った。ヴィエラは眉をひそめる。
「まあ、確かに一応私も准将ですが……しかし、アリエテ准将は第一、私は第二分隊の司令官ですし、先任は准将でしょう」
落ち着いて指摘したが、アリエテ准将が肩をすくめた。
「そいつは残念だ。お前に任せられれば楽だったんだが」
「あとで権限委任状を作って提出しておきます」
同各者がいると、指揮系統が分裂してしまう。軍隊として、それは避けたいところ。そういう場合は、どちらか一人に指揮権を集中し、もう一方がその指揮権を預かった人物に対して代理指揮権の委任状を発行する。この場合はアリエテ准将の方がヴィエラより先任であり、組織図から言っても上にあたるため、ヴィエラが委任状を発行すべきなのだ。
指揮系統の問題はあっさりと片付いたが、司令官がいないのは痛い。
「というか、前倒しで交代とかないんですか」
「ない。が、大丈夫だろう。いざとなったらお前が全軍の指揮を取れ」
「そいつは無理と言うものですよ、准将」
指揮権はアリエテ准将へ預けるのだから。まあ、第二分隊の指揮権は変わらずヴィエラにある。
「むしろ、アリエテ准将が全軍の指揮をとられては? 私、参謀やりますから」
もともと、参謀上がりのヴィエラだ。こちらの方がしっくりくるくらいである。
「……やはり、どちらかがまとめ上げるには無理があるな」
「そうですね。ストルキオ司令は偉大です」
二人はそう完結したが、ひとまず、先任准将アリエテ准将が第三機動艦隊をまとめるしかない。彼はため息をついて「もう少し気楽に生きたい」と言った。ヴィエラも全くの同意見である。
ひとまず、指揮系統的には片付いたが、ヴィエラにはまだ仕事が待っていた。
「ああっ、大佐……ではなく准将! 昇進おめでとうございます! ひとまずこれにサインください!」
怒涛の勢いで告げたのはヴィエラのもう一人の副官デニス・オンドルシュ中尉である。淡い色の髪に濃い青紫の瞳をしたまじめそうな青年は、見た目通りまじめでヴィエラに電子端末を突きつける。サインしろ、と言うことだ。ヴィエラは立ったまま内容に目を通し、さらっとサインした。
「え、ちょ、そんなにあっさり!」
「いや、サインくれって言ったのはデニスでしょ。ちゃんと内容もよんだし」
はい、と端末を返す。いまだ紙媒体のものも多いが、電子媒体の書類も多くなってきた。
ここは第三機動艦隊第二分隊旗艦ソグンの艦橋である。不在の司令官の代わりに第二分隊をまとめていた副官オンドルシュ中尉は、さぞや大変だったことだろう。
「……まあいいですけど。准将、地上で皆さんに迷惑かけなかったでしょうね。というか、出発の時点ですでにリーシン少佐にご迷惑をおかけしたって聞いたんですけど!」
「ああ、いや、まあいいじゃないか」
「良くありません!」
そこ座って、と指揮官席に座って説教されるブルーベル准将の図である。しかも、堪えた様子はない。
「それと、イレーネ、君も!」
「あ、あたしも!?」
災難にも説教地獄に巻き込まれたイレーネが次第にしゅんとして行く。ブリッジ・クルーたちは慣れたもので、苦笑気味にその様子を見ているだけだ。
「まあ、それくらいにしてよ、デニス」
「准将のせいでしょうが!」
ひとしきり説教し、さすがに疲れたのかデニスが口を閉じた。見計らったように咳ばらいが響いた。
「よろしいかな」
声をあげたのは艦長のジャルベール中佐だ。ヴィエラが「どうぞ」と自分より十歳は年長の艦長に許可を出した。おそらく、そう言う人員を集めてくれたのだろうが、ヴィエラが二十代後半の若い女性提督であるにも関わらず、気持ちよく従ってくれる人たちばかりだ。
「ひとまず、昇進おめでとうございます、准将」
「どうもありがとう」
ヴィエラは肩をすくめてジャルベール中佐に答えた。彼はまじめな表情を浮かべたまま言う。
「それで、あなたが帰ってきたと言うことは出撃がありそうですな」
「じゃあ、やっぱり、ちょっと動きが不穏なのかな」
ヴィエラが艦長の言葉を受けてデニスに視線を投げると、彼は「はい」とうなずいた。
「L2の資源衛星に、海賊が出没しています。ただの海賊なら、さほど気にすることはないのですが……」
「一定の軍備を備えていると言うことかな。L2なら少し遠いが……」
「ですが、海賊討伐であれば新兵の初陣にうってつけですからね」
デニスがクールに言ってのけた。指揮官席の背もたれにもたれ、ヴィエラは両手を合わせ、その両手の人差し指を唇に押し当てた。濃さの違う淡い紫の目が細められた。
「総司令官が不在の我らが艦隊が低軌道ステーション配備だ。月軌道艦隊と、どちらが出撃するかで微妙なところだけどね」
L2なら月軌道艦隊が動いた方が近いが、どうなるだろうか。一応、ヴィエラたちも出撃の用意をしておいた方がいいだろう。
「デニス、私が地上に降りる前に押し付け……引き取らされた新人さんたちはどう?」
「隠し切れてませんよ、准将。まあ、最低ラインには乗ってますよ。たぶん、准将よりは優秀です」
「確かに私は女性軍人の最低レベルだからね」
「准将、よく士官学校卒業できましたよね」
イレーネにもそんなことを言われる始末のヴィエラである。デニスが「イレーネも良く卒業できたなって思うけどね」と結構な毒舌である。
「血の気が多いのか、みんな出撃したがっているのが気になりますが」
今の新兵たちは戦後世代だろう。デニスたちもそうだが、イレーネも含め彼らは冷静な方に入るだろう。
「あー、若いっていいねぇ。元気だね」
「私から見れば、准将も十分若いですがね」
とちくりとジャルベール艦長に言われ、ヴィエラは肩をすくめた。確かに、ヴィエラのこれは気質によるものだろう。何しろ、ヴィエラは二十歳ごろからそんなことを言っていたのだ。
「……本当は、戦わずして勝つのが一番なんだけど」
「准将ならできるんじゃないですか」
デニスがしれっというが、さすがにそこまで万能ではない。
「いや、もともと理論畑の私には無理だね」
優秀な交渉人を連れてくる必要がある。イレーネあたりを仕込めば、うまくやれそうな気もする。決定的に知識に欠けているだけで、ずかずかと人の事情に踏み入れることができるのは才能だ。
「あたし、准将が上官で良かったなって思いますけど、士官学校の先生ならもっと良かったと思います。説明、わかりやすかったです」
突然そんなことを言いだしたイレーネは、どうやら、今までわからなかった艦隊内報告の意味が分かったらしい。今までわからず、デニスに解説してもらっていたのだが。
イレーネの純粋な称賛に、ヴィエラは「そうか」とうなずいた。
「退役したら、教師にでもなろうかねぇ」
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