1話
新連載です。作者に科学知識が不足しているためゆるふわです。お手柔らかにお願いします。
恒星の周囲を公転する第三惑星には、二本の軌道エレベーターが存在する。地上と、宇宙とを行き来するための長いエレベーターだ。その静止軌道ステーションのエレベーター発着場で二十歳ばかりと見える女性が、発着場職員ともめていた。
「だから! すぐに地上に下りないと間に合わないんです! この便じゃないと、会議に遅れちゃうんです~!」
青っぽい黒髪に琥珀色の瞳は少し吊り上り気味で大きい。十分美人に入るであろう女性で、体も引き締まってすらりとしている。整った顔を怒りやら焦りやらで少しゆがませ、彼女は必死に言う。
「あたしたち、軍関係者なんです! 貨物車両でも何でもいいので、乗せてください!」
「いえ、さすがにそれは……軍関係者と言うのなら、身分証を見せてもらいたいのですが」
実は似たような会話がもう三度ほど繰り返されている。黒髪の女性は食い下がったが、結局あきらめた。消沈して無重力に身を預けながら、無限に広がる宇宙空間を映すモニターを見ていた別の女性の元へ行く。
「大佐ぁ。駄目でした……」
「まあ、身分証持ってないしね。私や君の姿を見て、軍人だと思う人はいないだろうね」
そう言って、大佐と呼ばれた女性は肩をすくめた。
癖のある栗毛。目元はサングラスで隠されているが、それでもかなりの美女だろうと思わせる顔立ち。細身で背が高く、ベージュのコートを着て白いつばの広いハットをかぶっている。白いワンピースに黒のレギンス。足元はパンプス。どう見ても宇宙旅行に来た映画女優だが、彼女はれっきとした軍人であった。
国際共同連合(International Community Union)、通称I.C.U宇宙軍第三機動艦隊所属、ヴィエラ・ブルーベル大佐。年は二十七。第二分隊の司令官を務める、歴史上初めて『提督』と呼ばれる女性士官である。いろいろとすごい人なのだが、いろいろと残念でもある。
もう一人の女性は、同じく連合宇宙軍第三機動艦隊所属イレーネ・デ・フェオ少尉である。ヴィエラの護衛を兼ねた次席副官だ。ヴィエラの身体的不足を補うための存在で、軍人と言うより映画女優に見える上官と同じく、イレーネも軍人には見えなかった。なら何に見えるか、と言うこともないのだが、軍人らしさがあまりないのである。
そんな二人が軍服も着用せず、身分証もなく、軍人だと名乗っても信用される可能性は極めて低い。そして、実際に信用されなかった。
「どうします~? この便に乗らないと間に合わないんですよぉ」
「そうだねぇ。あきらめようかねぇ」
「大佐! 怒られますよ!」
怒られるどころか軍令に背くので罰せられることになるだろうが、ヴィエラは黙っていた。
実のところ、今回の件でヴィエラが地上に降りなければならないと言うのは馬鹿らしいと思っている。地上にある司令本部で命令書と辞令を受け取らねばならないのだ。辞令は、ヴィエラの昇進に関するものだと言う。
これ以上昇進してもなぁ、と言うのが史上初の女性提督の思いであるのだが司令本部は対象者の心情を考慮してくれないらしい。
まあそれはともかく。ヴィエラも積極的に軍令に背く気はないので、これは少し考えなければならない。さて、どうやってエレベーターに乗ろうか、と考えていると、目に入ってきた。
モスグリーンの裾の長い軍服は連合宇宙軍のものだ。金髪碧眼のキリッとした美男子で、こちらは軍人と言われればそうだろうな、とうなずいてしまうような貫禄のある男性だった。
「おーい、リーシン少佐!」
金髪碧眼の男性が、手をあげて呼ばわったヴィエラを見た。映画女優にしか見えない彼女を認め、進路を変更して低重力の中こちらに向かってきた。
「提督。何をなさっておられるのですか。この度、昇進されると伺っていますので今頃大地を踏んでいるはずでは?」
見事な敬礼を披露してから、彼、リーシン少佐はニコリともせずに言った。逆にヴィエラはへらりと笑う。
「いや、ちょっと仕事が終わらなくてねぇ。実は、今回の便で地上に降りたいんだけれども」
軍服を着ていないどころか身分証も持っていない。一般の座席は満席で乗れないと言われた、と言うような趣旨の説明をすると、リーシン少佐はあからさまに呆れたようなため息をついた。
「わかりました。私が交渉してきますので、しばらくお待ちください」
「いやあ、ごめんねぇ」
本当に悪いと思っているのかわからない口調でヴィエラは言った。リーシン少佐は受付カウンターに行って事情を説明している。
「……いいんですかね」
「いいんだよ。本人がやるって言ってるんだから」
ヴィエラはイレーネにそう言って返したが、大佐であるヴィエラの『お願い』は少佐にとっては命令である。わかっていてやっているのだからたちが悪いと言わざるを得ない。
しばらくして、リーシン少佐が戻ってきた。
「搭乗できますよ。私と同席ですが。あと、乗る前にデータを照合するそうです」
「当然ね。ああ、宇宙船舶免許証は持っているんだけど」
「そもそも身分証を持ってきてください」
免許証は身分証の一種であるが、軍人であることは証明してくれない。ヴィエラは笑って「恩に着るよ」と言った。リーシン少佐はため息をつく。
「あなたは私に、一体どれだけの恩があるのでしょうね」
ヴィエラとイレーネは発着受付カウンターで見事な敬礼を披露し、やっと軍人であることが証明された。イレーネはともかく、ヴィエラが軍人でしかも大佐であると言うことは、彼らにはなかなか受け入れられなかったようだ。
しかし、一人軍人に見える軍人がいると言うのはいいことである。ヴィエラとイレーネだけなら、データベースを調べることすらしなかったのだから。
電車のコンパートメントにも似た個室に入り、しばらく宇宙から地上への旅だ。
「……お前、身分証を忘れたなんて嘘だろう」
エレベーターが動きだし、密室となった空間でそう言ったのはキール・リーシン少佐である。ずいぶん砕けた口調で、向かい側に座る女性提督を見やっている。
「そうだね。なくしたら始末書どころか減俸だからね。再発行に時間も金もかかる」
砕けた口調を気にする様子もなく、ヴィエラは帽子を脱ぎ、サングラスを外した。淡い紫の瞳が細められる。
「少し、一般人の旅を経験してみたかったのだよ。結果はご覧の通りだがね」
呆れた様子のキールは、おそらく納得していないが、追及するのは難しいと判断したのだろう。付き合いが長いからわかることだ。
「……少し前に、軍人だと名乗る客を身分証を確認せず乗せた例があってね。ちょっと試してみたんだよ」
「……そりゃ、お前にしかできなさそうだな。だがそれは、今やるべきことか?」
ヴィエラは肩をすくめた。キールの言うとおりだ。軍令に反発したくなるのだ、たまに。
「あの、お二人は同期なのですよね? 戦中は同じ部隊だったと聞きましたけど」
臆することなく上官たちの会話に入ってきたのはイレーネだ。大佐と少佐の会話もだいぶ砕けていたが、イレーネも上官に対してする質問ではない。
「ああ、まあね。士官学校時代は世話になったものだよ。何しろキールは優等生だったからね」
遠慮なく持ち上げたヴィエラであるが、キールがすぐさまに言い返す。
「うるさいぞ問題児。お前は手を抜きすぎだ」
「実技の成績が悪かったのは事実なのだけどねぇ。心外だよ」
ヴィエラはその女優のような外見にたがわぬ芝居っぽい口調であるが、口調としては女優と言うより男優である。そして、ちょっと人を食ったような態度で、相手を苛立たせる。
「大佐、士官学校の成績悪かったんですか?」
イレーネが興味津々に尋ねた。イレーネも士官学校での成績は良い方ではなかった。実技はともかく、座学が危なかったとのことだ。それでも、
「イレーネは私よりも優秀な成績で卒業しただろうね」
何しろ、ヴィエラの成績は下から数えたほうが早かったから。イレーネは座学は駄目でも実技はよかったはずなので、ヴィエラよりは成績が良かっただろう。
「まあ、この女は学校の成績は実戦では関係ないと言う生きた証拠だな」
キールはうまくまとめた。手を抜いていたのは事実だが、士官学校の教育方針がヴィエラに合わなかったのも事実だろう。
「まあ、戦場に出てしまうとね。やらざるを得ないよね」
「死んじゃいますもんね、やらないと」
その通りである。真剣な表情のイレーネに、ヴィエラがうなずいた。
「そういうこと。学校は赤点を取らない限りは落第しないだろう?」
「……少佐! 大佐がむかつきます!」
頭いい人のセリフ! と少し頭の弱いイレーネが主張した。キールはこの騒がしい上官と部下を見てため息をついた。
「暢気なものだな」
肘掛けに頬杖をついたヴィエラは目を細める。
「そうだね。せっかく戦争が終わったのだからね」
そう言って目を閉じる彼女の左目は、右目よりもやや薄い。そして、まぶたから頬の上部にかけて、一本の傷跡が残っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
提督と呼ばせてみたかっただけ笑
提督というとハ○バートン提督とか、ア○バー提督とか。